第四章 第三話


 ちょうどそのころ


「ふふふ、ここなら心置きなく練習ができる」


 防寒ジャケットに身を包み、ニヒヒッとほくそんだエイラがいるのは、仮設基地からだいぶはなれたとある山頂。

 思う存分楽器の練習をしようと思ったエイラは、基地をこっそりけ出し、ストライカーを使ってここまでやってきていたのだ。


「この楽器なら、高らかにんだ音をひびかせて、きっとサーニャの歌にピッタリだ!」


 折りたたの上に座り、ケースからチューバを取り出して構える。

 かなり重いが、サーニャのため。

 そう自分に言い聞かせたエイラは、肺いっぱいに空気をめ、唇をマウスピースに当てて一気にく!


(響け、私のたましい!)


 次のしゆんかん

 ヴォゲギュウウウウウウウ〜!

 これまでどの演奏家も発したことのないようなおぞましい音を、エイラのチューバは発していた。

 吹いた本人さえもんぜつし、気を失いそうになるほどのかいな音が夜空に響きわたる。

 ブォッパ〜!

 どうやらこれはチューバ自体がこわれているとか、びついているとかいうことではなく、エイラの演奏法の問題のようだ。


(ぜ、絶対に上達してやる〜! サーニャのため、サーニャのため、サーニャのため!)


 ブッブッブッブゥヴォワ〜ン!

 酸欠による目眩めまいを覚えながらも、エイラはそうな決意で吹き続けるのだった。

 そして……。



  * * *



 ビュロル〜ン!

 おぞましいチューバの音色は、周囲の空気をひずませ、ネウロイとサーニャのところまで伝わった。

 ドッグファイトをり広げていた2機は、エイラが秘密の練習をしていた山のごく近くまでやってきていたのだ。


「ネウロイのちようかい音波?」


 チューバの音を耳にしたサーニャは、脳の奥にどんつうを覚え、顔をしかめる。

 だがこの時。

 ゴゴゴゴゴォーッ!

 ネウロイの方も、まるで横波を受けたボートのように機体をかたむけていた。


(この音、ネウロイ……じゃない?)


 ビギュワォ〜ン!

 なぞの破壊音波の発信源を求め、魔導針をめぐらせる。


(……5時方向。きよ1500m。高度……山頂!?)


 ブゴロゴロロロ〜ッ!

 サーニャは音源の方をり返り、目をらす。


(……え?)


 雪山の頂で、月明かりを受けかがやいていたのは、きよだいな金管楽器だった。

 そして、それを演奏していたのは、サーニャのよく知る人物。

 エイラ・イルマタル・ユーティライネンしよう、その人だ。


(どうして?)


 事態がみ込めないサーニャは一瞬、あつに取られる。

 だがすぐに、ネウロイを落とすのが先だと自分に言い聞かせ、注意をそちらにもどした。


「動きがにぶっている?」


 照準の向こうに見えるネウロイはまるで苦悶するように機体をしんどうさせつつ、じよじよに下降していた。

 サーニャでさえかんを覚えるチューバの音は、ネウロイの高度な感知機能にどうやらめいてきなダメージをあたえたようだ。


「今!」


 サーニャはトリガーをしぼった。

 発射されたロケットだんは、白いせきえがきながら、ネウロイのコアに命中した。



  * * *



「ん? この音?」


 とつぜん、空気がビリビリふるえるのを感じ、エイラはチューバから口を離した。

 今の振動が、自分の楽器から出たものではないことはさすがに分かる。

 エイラは振動が来た方向に頭を巡らした。

 すると。


「ええっ!?」


 目に飛び込んできたのは、1機のがらなウィッチと、ロケット弾が命中しちてゆくネウロイの姿だった。


「あれは……サーニャ!?」


 エイラはチューバを雪の上に投げ捨てると、あわててストライカーユニットをこうとする。


「どうしてサーニャが!?」


 パアアアアッ!

 空が白く輝いて、ネウロイは光のけつしようと化し、散った。



「ネウロイ、消失をかくにん


 サーニャは隊長に報告を入れた。


『リトヴャク中尉、よくやった』


 と、インカムの隊長。


「いえ、エイラのおかげです」


『ユーティライネン少尉の?』


 サーニャはインカムを切って微笑ほほえみ、朝日を背に氷上の基地へと向かった。



  * * *



「で?」


 翌朝の隊長室。

 しつ机の前の隊長は、エイラとサーニャの顔をこうに見ていた。


「エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉は無断で基地をけ出していた訳ではなく、リトヴャク中尉の命令で夜間しようかい任務のサポートに当たっていた、と?」


「あ〜、それは……」


 本当のことを白状しようとするエイラ。


「はい」


 エイラにだまっているように視線で語り、サーニャはうなずいた。


「これが軍法会議の場だとしても、今の証言をり返せるか?」


「はい」


「……ユーティライネン少尉が借り出したチューバが、基地近くの山上で発見されたことはどう説明する?」


「私の指示……です」


 チラリとエイラを見てから、またも頷くサーニャ。


「うむ。そういうことなら、ちようばつの必要はないな。本来なら、少尉にはトイレそう2か月と考えていたんだが」


 隊長は目を細めた。


「……た、助かった〜」


 エイラは胸をで下ろし、思わずらす。

 厳寒の地でのトイレ掃除ほど、兵士におそれられているものはない。

 何せ、氷点下である。こおり付いているのだ……いろいろなものが。


「ユーティライネンしよう、親友に感謝するのだな」


 隊長は視線でとびらの方を示した。


「二人とも退室してよろしい」


「親友……はい!」


 エイラは笑顔で敬礼すると、サーニャと共に退出した。



「……チューバ?」


 背中で隊長室の扉が閉まった音を聞くと、サーニャはエイラの顔をじ〜っと見た。


「えっ! あ、あの、それは……」


 口ごもるエイラ。


「エイラ?」


 このそこはかとないはつこう感をたたえたエメラルドのようなひとみに、エイラはすこぶる弱い。


「…………………あのさ」


 エイラはため息をつき、すべてを白状した。



 数分後。


「……チューバ、ばんそうには向いていないんじゃないかな?」


 エイラ本人の口からすべてを聞きだしたサーニャは、ポツリと言った。


「ええっ!」


 そこまで考えていなかったエイラは肩を落とす。


「そっか〜、そうなのか〜」


「……でも、うたうことならすぐにできると思う」


 サーニャは微笑み、エイラの手を取る。


いつしよに唄う?」


 思ってもみない言葉に、いつしゆんこうちよくするエイラ。


「サ、サーニャ! だ! それだけは駄目だ!」


 エイラはその場に座り込むと、顔を真っ赤にし、頭をブルブルとった。


「歌、下手なんだ! こ、声も悪いし!」


「私、エイラの声、好きだよ」


 サーニャはエイラの手をにぎった指に、ほんの少し、力をめる。


「ほ、ほんとに……?」


 エイラはうるんだ目でサーニャを見上げた。



  * * *



 晴れわたった正月の扶桑皇国、横須賀。

 新年のあいさつ回りから家に帰ってきた宮藤芳佳元ぐんそうは、げんかん前で郵便配達員から自分あての小包を受け取っていた。


「サーニャちゃんからだ!」


 差出人を見てパッと顔をかがやかせた芳佳は、さっそく包みを解いてみる。


「レコード?」


 小包の中身は、一枚のドーナツばんレコードと手紙。

 芳佳は首をかしげながら手紙を読む。



  はいけい


 お久し振りです、芳佳ちゃん。

 この前、ラジオでエイラと一緒に歌を唄いました。

 カールスラントのミーナちゆうとハルトマン中尉、バルクホルン大尉、それにガリアのペリーヌさんとリーネさんには聞いてもらえましたけれど、扶桑やアフリカにはたぶん、放送が届かないと思ったので、番組の人にたのんでレコードにしてもらいました。

 同じ物を、シャーリーさんたちのところにも送っています。

 よければ、いてください。


                    サーニャ・V・リトヴャク  


  ついしん エイラも元気です。




「おか、おか、お母さん、ちくおん!」


 芳佳はバタバタと家にけ込むと、母に古い蓄音機を出してもらい、卓袱ちやぶだいの上に置いた。

 正座して蓄音機の前に座った芳佳は、黒いSP盤をせて針を落とす。

 かすかなノイズ。

 やがて流れ出したのは、耳になつかしいメロディだった。


 ラン、ラララ〜、ラララ〜、ルッラララ〜ラ〜


「……これ、あの時の歌だ!」


 それは、芳佳、エイラ、サーニャの三人で夜間専従班を組んでいたころ、サウナで一緒にあせをかいた後で水浴びをした時に、月明かりを背にサーニャが口ずさんでいた歌。

 雨の日に、サーニャのために父親が作ったという歌だった。

 み切ったサーニャの声に、ちょっとはにかんだようなエイラの声。

 二つが見事に重なり、たとえようもなくやさしいひとつの調べをつむぎ上げている。


「サーニャちゃんもすごいけど……エイラさんもすてき……」


 蓄音機から流れてくる懐かしい二人の声に、芳佳はうっとりと耳をかたむけるのだった。


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