第三話


「……敵、げきついです」


 果たしてこれは撃墜と呼んでいいんだろうか、と心にもんいだきながらも、報告するリーネ。


「シャーリーさんは?」


 ミーナはきんちようした声で、芳佳とリーネの二人に聞き返す。


「ええと?」


 芳佳はシャーリーの姿を求めて、周囲をわたした。

 すると。


「……あ、だいじようです! 無事です、シャーリーさんは無事です!」


 上昇してゆくシャーリーが引く飛行機雲を、芳佳の目はとらえた。

 二人はあんし、シャーリーに近づいてゆく。

 目を閉じ、満足げな表情のシャーリー。

 だが、どこか様子がおかしい。

 ここまでどうにか形を保っていた水着は細かく千切れ、上昇しながら回転する身体からがれて、潮風に舞っている。


「……あれ?」


 ムスタングのプロペラが、ふっと消えた。

 と同時に、使い魔のウサ耳と尻尾しつぽも消え、ムスタングはシャーリーのあしを離れて、波間へと落下し始める。

 ややおくれて、シャーリー自身も。


「あわわわわわわ!」


「全然無事じゃな〜いっ!」


 二人は、シャーリーに意識がないことに気がつき、まっすぐに落ちてゆく彼女を急降下で追いかける。

 ドウッ!

 水飛沫しぶきを上げて接近した芳佳とリーネは、海面スレスレのところでシャーリーの身体をキャッチした。

 ……のはいいが。


「ええええ〜っ! 何で〜!」


 シャーリーは、首にかけたゴーグルを除けば、ほぼぜん

 そして、芳佳の手の中には、豊満な胸が生で……。


「どうした、何があった!?」


 さっぱり事態がみ込めない坂本は、マイクに向かってった。


「シャ、シャーリーさんを確保しました! でも!」


 あまりにもげき的な光景に、リーネはギュッと目を閉じて報告する。


「でも、なんだ!?」


「ああ……おっきい」


 絶望的なまでのぺたんこがきよにゆうに寄せるコンプレックスか、それとも何かのしようけいのなせるわざか。

 思わず、シャーリーの豊かな胸を、ぽよんぽよんとみしだいてしまう芳佳。


「きゃ〜! 芳佳ちゃん、何やってるの〜っ!」


 ここ良さそうに、シャーリーの胸に身をゆだねる芳佳を見て、悲鳴をあげるリーネ。


「おい!! じようきようを正確に説明しろ!」


 坂本ががなり立てるかたわらで、察しのいいミーナはほおを赤く染める。


「説明できませ〜ん!」


 一番星がかがやく夕暮れの空を飛びながら、花もじらうおとであるリーネはそう返すしかない。


「……腹へった〜」


 芳佳とリーネに運ばれるシャーリーは、超音速の夢に抱かれながら、幸福そうなみをかべていた。



  * * *



「腹へった!」


 その夜遅くのこと。

 シャーリーはいきなりベッドから飛び起きていた。


「……ったく。夕食、あんなんじゃ足りないよ」


 人の三倍近く食べておきながら、シャーリーはれぼったいぶたこすりつつ、ちゆうぼうへと向かう。


「まずい。何か食べないと……する」


 半分目が閉じかけた状態で、あちらの壁やこちらの柱にぶつかりながら、シャーリーは厨房にたどり着く。


「クラブハウスサンドやバーガーもなあ……」


 冷蔵庫をあさるシャーリーは、しおけのぶたにくを発見する。


「お! ポークビーンズって手があったか〜」


 ポークビーンズは西部かいたく時代以来の、リベリオンの伝統料理。

 とはいっても、何のことはない。

 切った塩漬け豚を、豆と込んだだけのものだ。


「たまにはこういうった料理もいいよなあ」


 シャーリーはなべをガス台に置き、塩漬け豚をほうり込む。


「豆のかんは……食料庫までいかないとないかあ」


 鍋を放ったまま、あくびをかみ殺したシャーリーはいったん、厨房をはなれた。


 数分後。

 厨房に現れたのは、バルクホルンたいだった。


「小腹がいたな」


 難しい顔をしたバルクホルンは、シャーリーと同じように冷蔵庫をのぞき込んだ。


「あ、あれだけすいれんに打ち込めば、当然だな、うん」


 バルクホルンが取り出したのは、ザワークラウトのびんめ。

 はつこうさせたキャベツのつけものである。

 ちょっとくせが強いのでぎらいする人間も多い、カールスラントの伝統食材だが、バルクホルンはこれを、ソーセージといためる心算なのだ。

 瓶の蓋を開け、手近にあった鍋にドババッと中身を注ぐ。

 さすがに、この時間ともなるとバルクホルンも注意力が低下しているようで、鍋が空だったかどうかのかくにんおこたった。


「それにしても、フラウのやつ、いまだにいぬいつぺんとうとは情けない。一度、厳しく仕込んでやらねばならんな……って、私は宮藤をしごく坂本少佐か!」


 自分で言っておいて、落ち込むバルクホルン。


「ソーセージは食料庫まで行かんとないか。仕方がない」


 バルクホルンもシャーリー同様、いったん厨房を出る。

 そして、さらに数分後。


 厨房には、また別のウィッチの姿があった。


「さあ、ペリーヌ・クロステルマン、今夜も練習ですわよ」


 鼻歌まじりのペリーヌは、ポケットからメモを取り出した。


「坂本少佐に食べていただく手料理が完成するその日まで、この私のたゆまぬ努力は続くのです。なんてけな!」


 らしく美味おいしいガリアの伝統料理で坂本をす、という目的のため、このところペリーヌはこっそりと料理の練習に打ち込んでいたのである。

 しかし。


「……う」


 メモを開いたペリーヌの顔がこわった。


「せっかく料理本から写してきたレシピが……」


 この暗がりである。

 当然、読めない。


「いつもは月明かりで多少は見えるのに、今日に限ってこのくもり空」


 昼間は上天気だったのだから、きっとごろの行いが悪いせいだぞ、とシャーリーなら笑うところだろう。


「でも、負けませんわよ! 心ので読むのです!」


 秘密の練習である。

 明かりをけて、だれかに見られる訳にはいかない。


「今夜ちようせんするのは、スフレ風ふんわりオムレツの予定でしたから、ともかく……」


 ペリーヌは卵を二十個ほど取り出して、手近にあった鍋に割り入れる。


「次はバター」


 バター約1オンス、投入。


「その次は……ええと、たぶん小麦粉ですわね」


 このあたりからちょっとばかりあやしくなってくるのだが、暗がりの中、たなから取り出したのは小麦粉ではなく砂糖だった。

 ザザ〜ッ!

 バターとほぼ同量の砂糖が、鍋の中身を真っ白におおった。


「そして、なめらかな口当たりのために、生クリーム」


 と、言いながら注いだのはヨーグルト。


「あら?」


 ここでペリーヌはとつぜん、思い出す。


「私としたことが、ナツメグを切らしているのを忘れてしまったようですわ。昨日、売店でこうにゆうしたのが、確か部屋にあったはずですけど……」


 ペリーヌは鍋をそのままにして、いったん部屋に帰っていった。

 そしてまたまた数分後。


「……痛い」


 昼間、坂本にゴツンとやられた頭をでながら、ルッキーニがちゆうぼうに姿を現した。


「芳佳の作る扶桑料理もおいしいけど、おなかいたら、やっぱりパスタだよ〜」


 今日は訓練としゆつげきでみんなお腹が空いたようで、ルッキーニまでもが、夜食を作りに来たのだ。

 とはいっても、お湯をかすことと、缶詰めを開けることしかできないルッキーニに、できる料理はほとんどない。

 だが、冷蔵庫には、セモリナ粉と卵をたっぷり使った生パスタが、ルッキーニのために常備されている。

 ミーナが前もって、作り置きしておいてくれたものだ。

 これなら、でるだけ。

 あとはせんして温めた缶詰めのパスタ・ソースをかければ、ロマーニャ風おふくろの味の完成である。


「お湯おっ湯ぅ〜」


 ガス台にたまたまあったなべに、ルッキーニはカップで量った水を注ぎ、さらに水1リットルに対し、おおさじ一杯の塩を入れた。

 このあたりは、なかなか正確である。


「パスタ、パスタ〜、マ〜マの味〜」


 点火。


「あっとは〜、パスタ・ソース! トマト味〜!」


 あろうことか、ルッキーニは火をけたまま、ロマーニャ産パスタ・ソースの缶を取りに、食料庫に走っていった。


 そして、またまたまた数分後。


「ほんのちょっと、何か温かい飲み物があれば、られるんだけど……」


 厨房に出現したのは、坂本にしごかれたうえに出撃、そのうえ、シャーリーをかついで基地に帰るという大変な一日を過ごしたリーネだった。


「こういう時はロイヤルミルクティー……あれ?」


 棚から紅茶の葉の缶を取り出したリーネは、火に鍋がかけっぱなしになっていることに気がつく。


「誰だろう? 危ないなあ」


 火を消しに、ガス台の前に立つリーネ。


「……これ、何?」


 鍋の中では何か訳の分からないものが、ふつとうし始めていた。

 ガス台の上の方にある棚に紅茶のかんを置いたリーネは、大きめのスプーンを手に取り、鍋にっ込んでかき混ぜてみる。


「ひいいいっ!」


 ゴツゴツ、ジャリジャリといった、およそあり得ないかんしよくきようするリーネ。

 思わずり上げたスプーンが棚の上にあった紅茶の缶と、そのとなりにあった紙箱に当たり、缶と箱の中身がせいだいに鍋の中に降り注ぐ。

 紅茶だけでも大問題だが、最悪だったのは隣の紙箱。

 紙箱の中身は、料理にも、せんたくにも、さらにはそうにも使える炭酸水素ナトリウム。

 つまりはじゆうそう

 丸々一箱、約225gの重曹が、鍋に投入されたのだ。

 ゴボゴボゴボッ!

 き上がってくる、えも言われぬ色合いのあわ

 それはあたかも、マッドサイエンティストの研究室にしつらえられたきよだいなプールの中で、かいぶつが生まれ落ちんとするしゆんかんのようであった。


「さよなら! ごめんなさい!」


 火を止めたリーネは、厨房からけ足でげ出してしんしつもどると、頭から毛布を引っかぶってふるえるのだった。

 そして……。


「こ、これ、お湯だよね?」


 厨房に戻ってきたルッキーニは、泡立つ液体に異様なものを感じていた。


「そ〜っと、そ〜っと」


 おそる恐る近づいたルッキーニが顔を鍋に近づけた瞬間。


「にゃっ!」


 はじけた泡から出たガスが、ルッキーニの目と鼻をおそい、じんだいがいを彼女の感覚機能にあたえた。


「な、な、何とかしなくっちゃ!」


 あわてふためいたルッキーニの手により、そこらにあった調味料が適当に鍋にほうり込まれる。

 塩、、ケチャップ、ウスターソース、とどめは大量のしようかたくり

 そこには昨日、同じようなじようきようで、シャーリーのストライカーをいじり、大そうどうを起こしたことへの反省はない。

 これが、ミーナからきつく禁止されているかい工作以外の何であろう。

 結果。


「な、何か変……」


 口にしたら、確実に命にかかわりそうなものが今、自分の目の前にあることは、さすがの料理オンチのルッキーニにも分かる。


「……や〜めたっと」


 いさぎよくマ〜マの味をあきらめたルッキーニは、鍋をそのままにして寝室に帰った。



 それから少しして。


「おかしいなあ〜、火ぃ、点けたっけ?」


 豆缶を手に戻ってきたシャーリーがまゆをひそめ、ゴボゴボいい続けている鍋に鼻を近づけた瞬間。


「!」


 彼女の意識は、はる彼方かなたに超音速でとお退いていった。


「……こ、これを食べたら人間としてだろ?」


 どうしてこうなったのかは分からないが、取りえず、もはやポークビーンズを完成させるのは不可能のようだ。


「……腹へった。けど、寝よ」


 あと数時間待てば、朝食である。

 これ以上鍋に近づくのは危険と判断したシャーリーは、頭をきながら寝室に戻って行った。


 さらに数分後。


「どれ、そろそろいいかな?」


 ソーセージを手に戻ってきたバルクホルンが、鍋をのぞき込んだ。


「……見なかったことにしよう」


 形容しがたい色がうずく鍋の中身を見て、バルクホルンはこおりつく。


「そうだ。明日の朝、ねこえさにでもすればいいんだ。うん、そうだ、そうだ」


 無理やり自分をなつとくさせて、バルクホルンは厨房から出ていった。


 そして、またまた少しして。


「な、何故なぜだか手をつけてはいけないものが出来上がっている気がしますわ」


 鍋の前に戻ってきたペリーヌは、手にしていたナツメグのびんゆかに落とした。


「も、もう今夜の特訓はこれまでということで。おほほほほほほ!」


 あと退ずさりしたペリーヌはとびらのところできびすを返し、厨房から逃げ出した。


 そして、東の空が明るくなりかけたころ……。

 早起きのミーナちゆうは、食堂の前を通りかかった時に、厨房のガス台の上に鍋が出しっ放しになっていることに気がついた。


「夜食でも作ったのかしら? しょうがない子たちね」


 厨房に入ったミーナは鍋をのぞく。

 見たところ、鍋の中身はシチューのようだ。


「ちょっと……味見しても構わない……わよね?」


 クスリと少女のように笑ったミーナは、スープ?をさじですくい、口に運んだ。



  * * *



「……きゃあああああああああ〜っ! な、何なの、これ〜っ!」


 たいていの味のものならニッコリと笑って食することができるミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐。

 その彼女が、そつとうする寸前に発したぜつきようは、ハンガーまでとどいた。


「ま、また悲鳴?」


「こ、今度のほうが、声が大きい!」


「の、のろいだ! 何かの呪いだ!」


「きっとこの土地は、昔、墓場があった場所で!」


「ひえええええ〜」


 二日連続の恐ろしい悲鳴に、しゆつげきのチェックにてつで当たっていた整備兵たちは震え上がったという。


 これが後に、地上班の間で綿々と語りがれることになるかいだん、『女ゆうれいの悲鳴』のてんまつ

 翌日から厨房に、『消灯下での調理は禁止!』という警告が、ミーナの手によりられたことは言うまでもない。


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