願い事

彩詠 ことは

願い事

「おれは悪魔。お前の願い事を三つまで叶えてやるぜ」

と。

どこからともなく現れた、それはもう悪魔と形容するしかないだろう姿をした『何か』は言った。

「…………?」

それに対して、少女は小首を傾げるだけだった。

「……リアクション薄くねえかい?」

ここは公園のど真ん中である。

こんな訳のわからない事を言う、訳のわからない何かが突然現れたら騒ぎになってもおかしくないだろう。しかし、『悪魔』の姿は、どうやら少女にしか見えないようで、今のところその事態は免れているようだった。

「あなただあれ?」

と、少女は訊いた。

「だから、悪魔だと言ってるだろう」

すると少女はまた小首を傾げた。

ひょっとすると、この少女は悪魔が理解できていないのかもしれない。

お化け、とかそんな風に言ったら怖がっていたのかもしれない。しかし、少女は、

「お願い事はなんでもいいの?」

と、恐れることなく問うのだった。

おおよそ『悪魔』が理解できているならば絶対にしないであろう質問だった。

何故なら。

そんな都合のいい話は存在しないからである。

ハイリターンには、必ず、ハイリスクが伴うのだ。

「そうさ、なんでも叶えてやるよ」

悪魔はそう言ってケラケラと笑った。

実際は笑っているのか何なのか判断は難しかったけれど。

とにかく。

それを聞いた少女は顔を輝かせた。

何でも願いが叶うなんてお伽話みたいだ、と思ったのかもしれない。だとすると、悪魔という存在の方がある意味もっとお伽話なのだが。

そして。

「じゃあ、あのブランコを使わせて」

と少女は言った。

ブランコには少女と同じ歳くらいの少年が乗っていた。

「あの子が、わたしには無理だからって乗せてくれないの」

そう言って、少女は左手をひょこひょこと動かす。いや、そこにはあるべき左手がなかったのだから、左肩を、と言ったほうが正しいかもしれない。

それを見て悪魔は、

「そうかいそうかい。それは可哀想だ」

と、言ってから指を鳴らした。

するとどうだろう。

ブランコに乗っていた少年が突然苦しみ始めたではないか。乗っていたブランコから転がり落ちるようにして、苦しみ始めた。

異変に気付いた大人たちが駆け寄っていくが、しかし、すぐに少年は白眼をむいて動かなくなってしまった。

「ほら、ブランコが空いたぜ」

そう言ってまたケタケタと笑う。

「わたし、あの子を殺してなんて言ってない」

「でも、ブランコには乗れるぜ?」

確かに、ブランコには今や誰も乗っていないのだが、それでも少女は乗る気になれなかった。いや、この状況でブランコに乗れるような人間はいないだろう。悪魔でもない限り。

「ともあれ、あと二つだな」

「願い事なんてもう十分だわ」

「おっと、そうもいかないぜ。一つでも願ったら最後まで、つまり三つ目が叶うまでおれはお前の前から消えない、消えられないんだ。やり始めたら最後までやりきろうって教えてもらわなかったのか?」

そんな、と少女は思ったに違いない。

とんだ悪徳商法だ。いや、悪魔なのだけども。

「わたしの願い事で誰かが死んでしまうなんて嫌よ」

「おいおい、よく考えてみろよ。これからお前は願い事をあと二つ解消しなきゃならないだぜ?そうしなきゃ終わらないんだから。だったら叶ったところで誰も死なない願い事をすればいいんじゃないか?」

と。

悪魔は言った。

どんな意図があるのか。そもそも悪魔の意図なんて察することは無理だろうけれど。

しかし、それはいい案だ、と思った。

少女は思ってしまった。いかんせん、少女は少女である。幼いから少女なのだ。考察が稚拙でも無理からぬことだった。

『ブランコに乗りたい』と願ったら、乗っていた人物を殺害するなどという予想の斜め上をいく叶え方をする悪魔である。どんな願い事も捻じ曲げられてしまうのは目に見えていたはずなのだが。

しかし少女は、

「星が観たいわ」

と。

願ってしまったのだった。

空には人はいないし、誰も死なずに叶えられる願い事を考えたつもりだった。雲を消し去れば万事解決だと思ったのだ。

しかし、そうではなかった。

「いいぜえ」

と、悪魔は指を鳴らした。

すると、あっという間に雲は消えた。しかし、空に人はいないだろうという考えは些か甘かった。この世の中には飛行機という文明の利器があるのだ。それがたまたま少女の上空を飛んでいたのは、ただ運が悪かったのだろう。運が悪く、相手が悪かった。

飛行機は空中で爆散した。粉々に、爆発したのだった。

「あと一つだ」

少女はここでようやくーーいや、もっと前からかもしれないが、戦慄した。恐怖した。

自分の願ったことで誰かが死んでいってしまう。それは少女の小さな身体に重くのしかかったことだろう。

少女でなくとも、誰だってそんなものは重いだろう。少なくとも、背負いきれないくらいには。

とにかく、あと一つ。

少女は考えた。

ここで、悪魔に『もういいんで、帰ってください』とでも願っていたらきっとすんなり終わっていただろう。しかし、少女はそこに思い至ることができなかった。最善策は案外近くにあるものなのだが。

灯台下暗し、ということなのかもしれない。

そこで少女は妙案を思いつく。正しく妙案。

願い事の矛先を外側に向けていたから誰かが死んでしまうのではないか。その矛先を内側に向けたらーー

つまり、願い事の対象をブランコや星などの外側ではなく、自分自身にしたら誰も死なないのでは、と考えたのだ。

それはある意味で、少女の悲願だったろう。だからこそ、この場面で思いついたのかもしれない。一石二鳥だとすら思っていたのかもしれない。

少女は、

「私の左手を元通りにしてください。前みたいに、右手と同じように元気に動く手が欲しい」

そう、願った。

すると悪魔は、待ってましたと言わんばかりにケタケタと笑って、指を鳴らしーー

「あの」

と。

悪魔が指を鳴らす前に少女が悪魔に声をかけた。

「あん?」

「これは三つのお願いではないのですが、一つ私からお願いがあります。私がさっき言った願い事をそのまま叶えてはくれませんか」

「…………」

悪魔が提示した条件では、願い事は三つまでである。ここで少女からの、言わば四つ目の願い事を叶える義理はない。寧ろルール違反として少女に罰を与えることもできる。

が、しかしーー

「わかった、お前の言う通りに叶えてやる」

と。

悪魔は言うのだった。

そして、指を鳴らした。

気づけば少女の前からあの得体の知れない悪魔は影も形もなく、消えていた。

そして。

なかったはずの左手が、あるべきところにあった。

少女は歓喜した。

夢にまで見た左手である。

「あれ?」

違和感。

ぱっと見少女は気がつかなかったけれど、気がついてしまえばもう見過ごすことはできない、違和感。

少女の左肩から先に伸びていたのは、そこにあるべき左手、ではなく。そこにあるはずのない、右手だった。

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