19作目も芥川龍之介

『芋粥』芥川龍之介 初出「新小説」1916(大正5)年9月

 約1万5千字(30P×500字)

 読了20161027

 朗読ツイキャス21時より。文字数が多いので二日間に分ける。


 1.前半部

 前作の『鼻』もこの『芋粥』も、主人公は劣等感の塊のような、風采の上がらない情けない男である。人物像を語るくだりは、まるでいじめの現場を観ているようで決して良い気持ちにはなれない。学校現場でのいじめ撲滅を訴える記事を思い起こす。両作品を読んでいると、昔も今も、人が人を蔑み貶める行為は全く変わることがないように映る。だとすれば、余談ながら、「撲滅」は無理なのか? それ以外の方法はあるのだろうか? 「辛ければ逃げろ」と幼い子供たちに教えて行くしかないのか? と少し暗澹とした気持ちになった。


 芥川龍之介の平安調を舞台とした「王朝もの」として、本作品は『羅生門』『鼻』などと共に挙げられる。

 かつて国語の授業で「敢えて舞台を遠い過去に設定することにより、読者は物語との距離を心の距離として冷静に捉えることが可能になる」と習った。とすれば、この登場人物たちの負の部分を己に照らして読む際に、平安朝との時空の距離感が読者を少しは平穏な気持ちにさせるのだろうか。


 前半は暗く欝々とした描写が続くが、『鼻』と同様に、最後にささやかな希望の光を見出すことができるようにと明日に期待したい。


 2.後半部 読了21061028 21時より朗読キャス

 芋粥のために遠く敦賀まで連れていかれてしまう五位(主人公)の様子が切ない。途中の自然風景の描写はそれとは対照的で鮮やかな印象を受ける。敢えて対比させる書き方なのだろうか。

 また、野狐の登場にはどのような意図が込められているのだろうか。解説らしきものを検索してみたが、思い当たるものには出会えなかった。


 最後に五位が芋粥を腹一杯食べたいと願っていた当時の自分を懐かしく思う、という場面の解釈は、若い頃と今ではだいぶ違うことに気付いた。歳を取って、様々な経験をしたからこそ感じることがある。それを自分なりの言葉で書けるようになりたいと心から思った。 


 ところで、1か月ぶりにプロのアナウンサー・司会業の友人に朗読を聞いてもらいアドバイスをもらう機会を得たのだが……やはりプロは厳しい。

「誰のために読んでいるのか?」「何を伝えたくて読んでいるのか」「心から作品を楽しんで、作者と共に手を携えて読者の心に届けようとしているか」等々、ダメ出しの嵐であった。

 すべてがあまりにごもっともな内容で、ごめんなさい、しか出ない・笑

ほんとに、プロは凄い。そして、書き手のプロになりたいなら、これもまた、ほんの入口でしかないのだと改めて思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る