ロゴ・マーク。かき氷おじさんと憂鬱。これが旅の醍醐味。

 知るって、とても怖いことだ。知らなきゃ幸せだったこと、どれだけあるだろう。


 これはなんとも些細でかわいらしいたとえかもしれないけど――地元にあったダイエーが四年前に閉店した。別のお店になったけど、なんとなくのさみしさがあった。あの欠けた夕陽のようなロゴが大好きだったからなのかもしれない。あのロゴのダイエーはこのお店が最後だったらしい。他は全部新しいものに変わってしまっていた。それを知ったのは閉店後だったけど、ロゴに愛着を抱いてしまった。でも出会える機会は、もうどこにもない。


 〈今〉が今まさに崩れてしまうのではないのか、大切なものをちゃんと知る前に消え去ってしまうのではないか、手の届かないところへいってしまうのではないか。

 怯えながら生きている。だから〈かつてのもの〉にすがりつくんだ。だって過去は逃げないんだから。

 〈かつてのもの〉に育まれて、安心とか居所とか、そういうものをたくさんもらうんだ。それでやっと得体の知れぬ〈あらたなもの〉を求められるんだと思う。


 たぶん、まちは親なんだ。親に依存して、たくさん甘えた子が自立していく。親が放任すれば子はグレる。〈かぎかっこ〉で接客していたあの高校生が浮かんだ。

 じゃあ、故郷を失った人々はどうなるんだろう。


「旅?」


 そのとき、目が合った。隣のテントのおじさんとだ。うちわをパタパタさせながら、にこっと笑って今の問いを投げてきた。

 ……目が合ったんじゃない。合わせてしまったんだ。お兄さんと三ツ葉が話し込んでる間、おじさんの視線はずっとひっついていた。


「あ、はい。旅、してます。神奈川から……」


 一歩、二歩テントに歩み寄った。足下の草が膝の裏をくすぐる。するとおじさんはいつの間にか手に持っていたカップをかき氷機にセットし、氷を回しだした。ガリガリ音を立てて削られていく。お祭の屋台で売られてるような、粗っぽい氷だ。


「暑いネエ。昔はこんな暑いことなかったのに」


 おじさんは独り言のように続けた。


「でも風が気持ちいいですよ」

「いやあ、暑い暑い」


 会話が途切れないようにしているように思えた。「旅?」って問いは、問いじゃなくて売り文句だったんじゃないかと。わたしを置いて勝手に進んでいく様子がなんだか怖かったけど、足が動かない。

 イヤな予感がする。けど、不快さは胸の奥底に押し込まれていて、表層上、このおじさんにありがたいとさえ思った。ひとり取り残されていたから、すがりつきたかったんだ。


 テントの横に立つ赤いノボリがひらひら揺れていた。布の端っこは破れている。

 長テーブルにベニヤの板片が立てかかっていた。ペンキでカキ氷と描かれている。300円、いちご・めろん・レモン。太く濃いネコジャラシのような雑草が看板を覆うように生えていた。


「草、刈らないんですか?」


 ぽつりと質問した。質問というか、気になったことが頭のなかで練られることなく洩れてしまった感じだ。


「だなあ、市がやらねえもんだからよ。本当、なんとかしてほしいもんだ」


 なまりの強い言葉だった。しっかりと聞き取れなかったけど、強い語調でそんなことを言った。

 それを耳にして、なんともいえない違和感を抱いた。片足のない自由の女神。あれを見たときと似た、妙な現実感が迫ってくる。


「シロップどうする」


 この心地を整理するヒマもなくおじさんが尋ねてきた。

 そういえばわたし、かき氷頼むなんて一言も言ってない。

 慌てふためいてる姿を見て、おじさんは〈いちご〉と解釈したらしい。赤黒い容器を手に取ると、澄んだ氷の上にどばっとかけた。赤い小山ができあがった。


「お友達の分も作っておいたよ。2つで500円、100円まけとくからね!」

「は、はあ」


 威勢のいい声につられて財布から500円玉を取り出した。


「ありがとね!」


 ストローのささったかき氷を受け取って、ここでやっと騙されていたことに気が付いた。

 でも、騙されたっていうのは言いすぎな気もする。断れずに流されたのはわたしだ。なんとなく断っちゃいけないような気がした。

 なんでだろう。被災者だから? 被災者? あなたが? ……


「依利江。これ、ドーナツ……って、なに。それ」


 ビニール袋を二つ提げた三ツ葉が不思議そうに赤いかき氷を見た。たぶんわたしも不思議そうな顔をしていたに違いない。


「ええっと……。いる?」

「私、食べらんないよ。またお腹下したくないしね」

「ですよね」

「一つ持っとくから、食べながら歩こ」

「うん……」


 ぼりぼりと氷を砕く。

 500円。ゴレンジャーかき氷の味は、どんなだったっけ。そんなことを思いながら、マンガロードを歩いた。お兄さんがやっているという橋通りのフレンチトーストのお店を通りすぎる。香ばしいトーストの香りと、甘いバナナとブルーベリーの香りが、ふっと鼻に入ってきた。両手にドーナツとかき氷じゃ、さすがにお邪魔できない。


 三ツ葉は何事もなかったように次のまち、南三陸町の話をしている。途中、BRTに乗るらしい。BRT、電車の不通区間を走るバスだ。

 行こうとしたとこに行かない。それもまた旅の醍醐味なんだ。そんなふうに慰めてくれてるような気がした。


 それがまた嬉しくて、わたしはみじめになるのだった。

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