第16話


 東海の空賊たちの意地と誇りをかけた猛攻は、鉄壁と思われたヴィーグリーズを徐々に追い詰めてゆく。

 数々の砲撃を受け止めていた障壁は既に無く、小型船同士の衝突で空には火花が散り、空賊達が乗り込んだ広い甲板の上では怒号が交差していた。

「沈む……わたしの船が沈んでしまう」

 激しくなるばかりの爆音と揺れの中、立っていることもままならないカッサンドラは子供のように座り込んで激しく泡立つガラス管を見上げていた。

 緑や青、赤から黄色へと変化してゆく光に、狭い部屋は艶やかに染められてゆく。

「全てに裏切られ、全てを裏切って手に入れた素晴らしい遺産……私の人生の全てをささげたもの」

 彼女が求めるたびに、幾人もの人間が死んでいった。罪がある者も、そうでない者も、すべて……わけ隔てなく。

 外界から彼女を隔離している扉の外で、たくさんの足音が響いている。多くのものを奪った彼女達から、全てを奪う……いや、破壊する者達のものだ。

「奪われるのは嫌」

 涙でむくんだ頬を、結晶水からあふれ出る光が照らす。それは、消えていった命が放つ揺らめく炎であり、それは音の無い声で彼女を責めたてている。

 カッサンドラはそれを嘲るように笑い、白衣のポケットから取り出した銃を握りしめると、銃口を乱立するガラス管へと向けた。

「奪われるくらいなら、いっそ――」

 言葉と一緒に、密閉された室内に銃声が響き渡る。


 足元を揺るがす爆音にエルモアは大きくよろめき、鉄橋の手すりに危うく捕まる。

「おのれ……ノルシリータ。愚かな異能有石者どもめ」

 揺れは次第に大きく、断続的になってゆく。

 障壁が破られることも、白兵戦を仕掛けられるのも分かっていた。この船を沈めるにはそれしかないからだ。

 しかし、これほどまでに苦戦しているのは、敵にも異能有石者がいるということが一番の原因なのだろう。

 迫害する人間と肩を並べて生きる……裏切り者。もしくは、本来そうあるべき理想の姿か。

「……馬鹿馬鹿しい」

 金属の手すりを軋ませ、エルモアは網膜を焼いてしまいそうな輝きを放つ湖に視線を落とす。

「我らが傾ぐ必要など、微塵も無いのだ」

 かつては人間であったもの……いや、今でもなお人間であるもの。新たな同胞を感じて、必要以上に興奮しているのだろう。

「体が重い……これは、一体なんなの」

 蹲ったまま大きくあえいでいるリエルは、締め付けられるような全身の痛みに細い眉をひそめた。こめかみを流れる冷や汗が、ぽつりと落ちて小さな染みをつくる。

「我がヴィーグリーズとその糧である結晶柱と共鳴し、お前の中にある晶化症の因子が目覚めたのだ」

「晶化症……?」

 反芻し、リエルは脅えた瞳を光り輝く墓標へと向けた。自分も、彼等と同じ運命をたどるというのだろうか。

 あまりの恐ろしさに血の気が引く感覚を覚えるが、身体は震えることも出来ずにただ強張っていた。

「もって数時間。だが、そこまでは待ってはやれん」

「――っ!」

 見えない大きな手で無造作につかまれ、リエルの体が宙に掬い上げられる。エルモアの異能有石者としての力だ。

「こんな所で沈む気はないのでな」

 締め付けられる力が強くなる。彼が何をしようとしているのか、その視線の先をたどればおのずと察することができる。

「いや……」

 結晶水の湖の中に放り込むつもりなのだ。まともに動けない今の状況では、おぼれるのは目に見えていた。

「たすけて!」

 天井から流れ落ちる結晶水が、彼女の恐怖心を煽る。

「より完璧な力で、小賢しいもの共を全て消しつくしてくれる」

「そうはさせないぜ、エルモアっ」 

「――っ、誰だ?」

 鋭い眼光がリエルから外れ、響いた若い声に注意が向けられる。

「クローセルっ!」

 宙につるされたまま、リエルは流れ落ちる結晶水と共に現れる金髪の少年を見つめた。

「小僧が、たった一人でこんなところに何をしにきた!」

 振り返ったエルモアが、苛立たしげに吼える。

「リエルを助けに来たんだよっ!」

 落下の勢いに任せて跳んだクローセルは鞘から短剣を引き抜き、飛び掛る。

「こしゃくなっ!」

 そう毒ついたエルモアもまた剣を抜き、振り落とされる短剣をはじき返した。鼓膜を突き抜けるような高音がはじけ、その巨体どおりの尋常でない力がクローセルを跳ね除ける。

 腕が痺れる衝撃、しかし刃は握り締めたまま。体を回転させて上手く着地したクローセルは、挑戦的なまなざしで立ちふさがるエルモアと、不安げな視線を向けてくるリエルを振り仰ぐ。

「――そして、この船を落としに来たのさ!」

「生意気な……」

 地を這うような低音が、肌を振動させる。

「きゃっ」

「リエルっ! ぐぅっ――」

 束縛から解けたリエルが橋の上へと落下する。それに駆け寄ろうとするクローセルを、息もできない突風が襲った。

「力もない……貴様のような子供に、何が出来るというのだ」

 その声は揶揄。舐められていることを痛感させる嗤いに、クローセルは鉄の上に打ち付けられる痛みも忘れて隻眼を吊り上げた。

「舐めて、かかると……痛い目を見るぜ、エルモアっ!」

「ここまでやって来たことは褒めてやろう。だが、それまでだ。世界は異能有石者……いや、我の手によって支配される運命にある」

「夢を見るのもいい加減にした方がいいぜ」

「……」

 不満げに、エルモアの太い眉がはねる。

 痛みを無視して立ち上がったクローセルは、その仕草を嗤うように唇の端に滲んだ血を手の甲で乱暴に拭った。

「世界は、お前一人のためにあるものじゃない」

 低く姿勢を保ち、己の闘争心を確立するためにエルモアの背後で横たわるリエルを視界の中に入れた。

 高まる緊張に多くの命が眠る湖からは太陽にも似た眩い光が溢れ、彼等を照らし出す。

「消されるものと、そうでないもの。世界はその二つでしかなく、それは今現在に到る歴史が証明している」

 薄緑の透明感ある輝きが、エルモアの首に埋まる金属片に反射し対峙するクローセルの視界を僅かにくらます。

「だから繰り返すってか? 消す側に立つっていうのかよ? それで、今の世界を変えるって言うのか……?」

 一歩踏み出し、クローセルは喉から怒声を絞り出した。

「笑わせるぜ! こんなでかい船に乗って威張り散らす奴が、こんなにも小さい男だったなんてな!」

「弱い犬が、好き勝手に吼える!」

 左半分の肉を削ぐ傷痕の側に埋もれている結晶が光った瞬間、巻き起こる突風がクローセルの肌を切り裂いた。

「やめて……! 逃げて、クローセルっ!」

 染みこんでくるような不快な血の臭いに、リエルは涙を流して訴える。……が、その声は誰にも聞き入れられることはないだろう。

「お前がやろうとしていることは、人間や異能有石者なんか関係なく、繰り返されてきたあたり前のことだよ!  嫌なものを憎んで、辛いものからは目を逸らし、気に入らないものは破壊する……誰にだってある感情だ、俺の中にだって同じものはある。だけどなっ」

 ずるりと、流れ出る血液を引き摺るようにクローセルは歩む。

「それだけじゃ、虚しいじゃないか。生きている意味がない」

 リエルの瞳から流れる涙はその足元で凝結し、結晶となって転がっている。ツァリスと同じ症状だった。

「憎しみと、拒絶。生き残ったもののみにこそ、生きる権利が与えられる。我は多くのものを見た。ゴミのように死んで逝く子供、慰みものにされる女達……鞭をうたれ休む間もなく働かされる男たち。それは全て、過去ニンゲンに敗れた我らの歴史によるものだ! だからこの手で、くだらない敗北の歴史を変える!」

 鉄橋をたわませるほどの強風をうけて、輝く湖面に波が立つ。かき回されて起こる水流は生きたまま沈められた人々を震わせ、どこまでも響き渡るような美しい旋律を生み出す。

「感じている憎しみと悲しみのぶんだけ、皆知っているはずなんだよ!こんなことを続けていたって苦しいだけなんだってことを!」

 その音に耳をすまし、荒れ狂う風の中、肌が裂けるのも構わずにクローセルの進む先には彼女がいる。

「俺たちは分かり合えるはずなんだ。 いつか……いつか、手を取り合って生きる日が来る。石があるか無いかだけの違いがあるだけで、俺たちは同じ人間じゃないか!」

「綺麗ごとを!」

 エルモアは血走った目を見開き、剣を片手に足を踏み出した。

「ああ、そうだ。綺麗ごとだ……けどな」

 目が合うだけで殺されてしまいそうなその眼光に視線をそらすことなく対抗し、負けてたまるものかと睨みつけたまま、クローセルは床を蹴り上げて走る。

「理想ってのはそういうものだろう!」

「こざかしいっ!  仲良く手を取りあえだと? 己の親を……子を殺したニンゲンと、手など握れる者などいまい! そんな世界など、我等は……我は望まぬ!」

「――っ!」

 まともに競り合う刃。

 自分の何倍とも知れない巨体と大降りの剣に、短剣で挑むのは不利……いや、無謀といえるだろう。押しまかされるクローセルは、短剣ごと真っ二つにされそうな力に、歯を食いしばって耐える。

「お前が作ろうとしているのは、お前のためだけに用意された世界だ」

 短剣を支える両腕が、音を立てて軋む。

 脂汗がこめかみに滲みだす。しかし、クローセルはエルモアの眼光に、苦痛ではなく笑みを唇に浮かべて返した。

「……なにが、おかしい!」

「世界は広いんだぜ、エルモア」

 床に膝をつけながら、それでもクローセルは諦めることなくエルモアを睨み続ける。

 目をそらしたら……その瞬間負けになる。そう、感じていた。

「ちっぽけな理想すら信じられないお前じゃ、世界を変えることなんて出来ないっ!」

「……っ!」

 強固な結晶堂を丸ごと揺るがすような振動に、ヴィーグリーズが重たげな悲鳴を上げる。

 互いに敵同士でありながら、見事な連携でもって内から……外から攻め立ててくる東海の空賊たちの猛攻は見事というしかない。

 爆音が響き、足元が揺さぶられるたびにそれは心強い仲間の存在をクローセルに感じさせた。

 負けられない……負けたくはない。

 目の前に立つ男は、未来の自分の姿のうちの一つであるのかもしれないからだ。

「そんな綺麗ごとなど反吐が出る。そんなもの、誰が信じるというのだ?」

 憎しみはエルモアの瞳に宿ったまま、消えることはおろか、薄れることすらなかった。

 衝突しあった相容れない思いは互いに譲ることなく、理解するためには彼等の間にある時間はあまりにも短い。

 ファンゼンのいうとおり、手遅れなのだろう。

 だが、それは今この時のことを言うのであって、永遠に近い時を刻む世界は手遅れなどという言葉は適用されない。常に変化し続けるものであるからだ。

「俺が信じている。いま、この時……この場所にいる、この俺がっ!」

 剣を受け止める手は痺れ、感覚は乏しい。それでも、クローセルは脅えることはなかった。頑ななまでに、前だけを見据えていた。

「世界を変えるのは俺だ! 決めたんだよ!」

 大切なものを奪われた自分。

 大切なものを奪った、自分。

 廻り廻る業は虚しいだけだ。繰り返すループは誰かがどこかでとめなければならない。でなければ、人は愚かなまま悲しみを繰り返すことになる。

「この世界を変えるのは、力を手に入れた者のみに与えられる特権だ!」

 クローセルの強い意思に反して、重たい刃を受け止めていた短剣が砕けてしまう。

「――っ!」

 散らばる刃。本能が危機を察知してとっさに体をそらし真っ二つだけは避けたが、手足を床につけた格好ではどうしても素早く動くことは出来ない。

 それを狙い、エルモアの豪剣は質量に反した速さで翻る。

「貴様のようなひ弱な小僧は、今ここで無様に死ぬがいい!」

「――エルモアァァァァァァァァ!」

「嫌っ!」

 身じろぐことすらままならない体にリエルは嘆いた。いくら睨んでも……声を張り上げても、振り下ろされる剣をとめる力は無い。

(助けて――!)

とても見ていられなくなって、息を呑んで瞼を閉じる。

(助けて、助けて! 誰か……助けて!)

 徐々に動かなくなってゆく己の体よりも、リエルはクローセルという存在がいなくなってしまうことのほうが恐ろしかった。

 目の前で幾つもの命が失われてきた。これ以上、亡骸にすがって泣くのは嫌だった。

 緩慢な動きで両手を胸の前で握り締め、リエルは叫ぶ。

「助けて、力を貸して! 彼を――クローセルを助けてっ!」

 響く切ない声。

――泣かないで、私たちの最期の希望――

 その切実な願いに呼応するように声がリエルの中に響き、結晶堂に光が満ちる。

 尻餅をついたまま、クローセルは呆然とそれを見ていた。己の頭上に落とされるはずだった剣、それを握っているエルモアの太い腕が硬直……いや、結晶化していたのだ。

「これはっ……晶化症だと? 我の中の結晶が騒いでいる?」

 信じられない己の体の変化に、流石のエルモアも唖然と右腕を見下ろしている。

 結晶堂を白く塗りつぶすほどの強い輝きは、祈るように両手を合わしているリエルの体と結晶と化した人々から放たれたものだった。

「……クローセル、よか……た……」 

「……リエルっ!」

 純白の美しい光はエルモアの凶器からクローセルを助けたが、その光は同時に彼女自身をも蝕むものだった。微笑えむその顔は血の気がなく、輝きが収まると同時にリエルは転がるように崩れ落ちてしまう。

「おのれ……」

 硬質化した腕は握り締めたままの剣の重みを支えることができずに、手首の部分から崩れ落ちてしまっていた。

「おのれ、小娘がぁぁぁぁっ!」

 エルモアは怒りのあまりに全身を震わせ、吼えた。彼の肉体に埋もれる緑色の結晶が仕返しとばかりに強く輝き、何も無い空間から生まれた突風は伏したまま動かないリエルの小さな体を跳ね飛ばした。

「……リエル!」

 声はなく、なすがまま放物線を描いて落下するリエル。響く小さな水音に、クローセルは全身の血が凍ってゆくのを感じた。

「誰にも、邪魔はさせんのだ! 世界を手に入れるのは……何者にも敗北しない力を手にいれるのは、このエルモアただ一人!」

「エルモアっ! ……くそっ、そこを退け!」

 狂ったように笑い出すエルモアは結晶化した腕を振り上げ、クローセルへと襲い掛かる。

 揺らめく湖面には僅かな波紋が広がったまま、落下したリエルが浮かび上がってくる様子は無い。

 橋の上からではその正確な深さを感じることは出来ないが、これほどの大きさの船の全てを担っているものだ。底まで行ってしまえば、救い出すことは困難になるだろう。

「退けよっ!」

「お前のような子供に、何が出来るというのだ! 何が分かるという!」

「エルモアアアアアアアッ!」

 たいした狙いもなく振り回される腕は、手すりを乗り越えようとするクローセルを狂ったような力で阻んだ。苛立ちに、叫ぶ喉から血がにじみ出そうだった。

 豪腕から繰り出される一撃一撃を間一髪で避けながら、焦りと不安に揺らぐ青い瞳に光がちらつく。

「なんだ? 湖が!」

 透明感の強い薄緑色だった湖面の光が、目を焼くような純白に変化してゆく。

「――貴様ら」

「な、これはっ!」

 それは、人だった。

 花の綿毛のように水面からふわふわとにじみ出て、空中に現れたのは幾人もの人の姿。ぼやけた輪郭で形作られ、しかし両の瞳だけはしっかりと動揺するエルモアを見上げている。

 ――彼等によって捉えられた、サルヴィリオの人々。リエルの同胞達。

「死んだ……死んだニンゲン共が、なんだというのだ!」

 無数の、幾千とも知れない瞳に見つめられ、エルモアは恐慌状態に陥られる。あれほどの気迫は既になりを潜め、その様子は凶悪の空賊を束ねているものとは思えないほどだ。

「あれは?」

 呆然と輝く人々を見下ろしていたクローセルは、その中の一つ――シルエットからして女性のものだろう――と、まるで呼び寄せられたかのようにぴたりと視線がかち合う。

「……リエル、リエルがそこにいるんだな!」

 繊細な細い指先が湖面を指差す。

「小僧! 何をするつもりだ!」

 伸ばされるエルモアの腕を振り切り、クローセルは躊躇いなく手すりを飛び越え、沈んだまま浮かび上がってこないリエルを追って輝く湖面へと頭から飛び込んだ。

(リエル!)

 沸騰するように泡立つ水中、目を開けていられないほどの光の中を、クローセルはリエルの姿を探して手足を動かす。

 視界は悪い……いや、まったく効かないと言っていいだろう。それでも、目を見開いて息の続く限りひたすら潜ってゆく。

(リエル、どこにいるんだ! リエル!)

 泣き叫ぶような強い思いは水に溶けて広がり、底からわきあがってくる気泡は必死になって動く手足を絡め取る。

(――リエル!)

 息は限界に近い。口の端から漏れる息が粒になって押し上げられてゆく。だが、この胸の苦しさはそのせいだけではない。

(一緒に行こう、一緒に生きよう、いろんなものを一緒に見よう……だから!)

 どんなことがあっても、微笑む少女。

 その笑みは、純粋であり悲しげであり……強くもあり、セキセイ島でみた可憐なあの花のように鮮明に脳裏に焼きついている。

 助けたかった。

 忌み嫌われる元凶である右目。それでも己の一部だと認めて生きてゆかなければならないそれを綺麗だと微笑んでくれた彼女を。

(応えてくれ、リエル!)

 クローセルは腕を伸ばす。それこそ、体から引きちぎるように指先までをピンと張って。

「――っ!」

 指先にわずかに触れる柔らかいその感触に、クローセルは気泡を振り切りって、さらに腕を伸ばして掴み――引き寄せた。

 確かなその感覚。

 抱きしめたのは間違いなくリエルだ。水中でも分かる脱力しきった体にぞっとするが、今、動揺している場合ではない。

 細く括れた腰に左手をまわし、クローセルは右手と足で水を掻いて浮上した。

「――っぷは!」

 ざばっと勢いよく水面から顔を出し大きくあえいだクローセルは、すぐにリエルの様子を伺う。

「リエル」

「……クローセル」

「ごめん」

 淡い光に包まれながら、小さな体を必死になって抱き寄せた。あわせた胸の間で触れ合う鼓動は、まだ彼女が生きているということを伝える。

「きてくれて……うれしい。恐かった、本当に」

「当然だよ。最初に会ったときに言っただろう? 助けるって」

 大きな琥珀の瞳から涙が溢れる。震える息の痛々しさにクローセルは唇を噛み締め、光に照らし出されるエルモアを見上げた。

 隔離されている結晶堂の中にいては外の様子を探ることは困難だが、追い詰められているのはヴァラクタのほうであることは分かる。結晶堂に流れ込んでくる結晶水の量が徐々に少なくなってきているのだ。

 そして、クローセルのその考えを肯定するように、船が大きく揺らいだ。

「こんな、こんな事が!」

 鉄橋にしがみ付き、エルモアはうめいた。

「結晶堂が……」

 密閉されていた球体の天井の一部から、燦々と輝く太陽の光が注ぎ込んでくる。

 ――ヴィーグリーズがその機能を完全に停止させた瞬間だ。

「おのれ、おのれ、おのれぇぇぇぇっ」

 叫びと共に、鋭さをもった嵐が頑強だった壁面へと叩きつけられる。それに対抗するように、巨大な船体に打ち込まれる幾つもの砲撃。

 それはマストをもぎ取り、帆を破き。砲門や機銃を破壊し、黒光りする壁面を削り落としてゆく。

 結晶堂も例外ではない。

 動力を絶たれたことで壁面に付加されていた強度は消え、瓦解してゆく船体と共に天井から崩れ落ちてゆく。

「くそっ――!」

 ゆっくりと落ちてくる瓦礫に、水面が大きく波打つ。

 動くことがまったく出来ないリエルが波に浚われてしまわないようにと両手で抱きしめ、クローセルはここから脱出する算段をめぐらす。

 ……が。

「ちくしょう、こんな所で終れるかよ!」

 鉄橋に這い上がらなければ、この状況を打破することは出来ない。しかし、その鉄橋にはどうやっても手は届かない。クローセルは唇を噛み締める。

 諦めたくはない……その時だ。

 砲撃とは違う爆音が頭上で炸裂し、鉄橋が二つに折れまがったのだ。








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