第23話 真理亜の切り札

 真理亜が空間に開いた穴から引きずり出してきた物。

 それには鱗があった。結構大きかった。背びれが付いていた。魚のように見えたが人のようでもあった。そして、口を聞いた。流暢な日本語で、


「てめえ、何をしやがる! 離せ!」


 喋った。

 誰もがその存在に驚いて目を丸くしていた。それもそうだろう。魔物がこんなにすぐ近くで白日の元に晒されたのだから。

 野次馬達はみんな驚いたが、逃げたりパニックになることは無かった。その魔物が鎖で縛られて動けなくされていたこともあったし、あんまり迫力が無かったのでヒーローショーの着ぐるみを見ているような気分だったのかもしれない。

 ひかりの知らない魔物では無かった。その魔物はサハギンだった。前の戦いで魚臭い水を吐きかけられて調子に乗っていたので、ひかりは彼のことを快く思っていなかった。

 隣で狼牙が不機嫌そうに舌打ちしていた。真理亜は何をするつもりなのか。ひかりは今は事態を見守ることにする。


 鎖で縛られたサハギンは地面に打ち捨てられた魚のようにもがきながらも反抗的な目を真理亜に向けた。彼は野次馬の中にいる昼のひかりの姿には気づいていないようだった。

 ヴァンパイアじゃない日頃のひかりは地味だから無理もないことかもしれない。真理亜の方がよっぽど人目を引きつけるオーラがある。

 サハギンは自分を捕まえた人間を恐れない。真理亜に向かって調子に乗った威勢のいい暴言を吐いた。


「俺を誰だと思っていやがる! 俺は前の戦いでもう少しでヴァンパイアに勝てていた男なんだぜ! もう少しで王になれた。それほどまでに強いんだ! 分かったら、この鎖をほどきやがれ!」

「チッ、また言ってやがるぜ」


 狼牙が舌打ちしていた。ひかりは今はやっぱり状況を見守ることにする。助ける動機は特には無かった。

 真理亜は手に鞭を握ると、さらに鎖で縛られて地面に転がされながらも暴言を続けようとしたサハギンの体を容赦なく足で踏んづけた。彼女は冷たい声で見下して言う。


「助けを乞いなさい」

「何だと?」

「ヴァンパイアが魔物の王なら、仲間のピンチを放ってはおけないはずだわ。さあ、惨めに助けを呼ぶのよ。ヴァンパイアに助けてくださいってね!」

「ぐわあああああ!!」


 真理亜の踏んでねじり込む足はとても痛そうだった。それはサハギンの悲鳴からもよく分かった。

 だが、彼は健気にもその責め苦に耐えた。とても良い魚の目をして言った。自分を見下す少女の目を毅然と見上げて。


「へっ、誰が呼ぶかよ。俺はもう少しでヴァンパイアに勝てていたんだ。本当だぜ。俺は強いんだぜ!」

「言わせたい言葉はそんな言葉じゃないのよ!」

「うがあああああ!!」


 真理亜はさらに足を強く踏み込んでいく。踏まれながらもサハギンは耐える。よく頑張った。真理亜はさらに鞭を振るって彼の魚の体をしばきあげるが、サハギンは最後まで助けを呼ぶことはしなかった。

 真理亜は悔しそうに歯ぎしりして自分が踏みつけている魔物を見ろした。


「何で助けを呼ばないのよ? こんなに痛めつけてやってるのに!」


 さらにゲシゲシと蹴っていく。


「真理亜、もう止めろよ」


 さすがにたまりかねた紫門が妹を止めに行った。サハギンを踏みながら振り返る真理亜の顔は屈辱に満ちていた。


「なんで止めるのよ、お兄ちゃん。こいつは魔物だから殺してもいい奴なのよ!」

「周りを見ろよ。みんながお前を見ているんだぞ」


 言われて真理亜は周りを見る。あれほど楽しそうだったみんなが今はドン引きしたような顔をしていた。真理亜は自分が失敗したことを悟って顔を震わせた。


「違うの。あたしはただヴァンパイアを呼ぼうとしただけで……」

「みんな分かっているさ。ただやり方がスムーズじゃなかったな」

「……うん……」


 真理亜は踏んでいた足を地面に下ろして改めてサハギンに向き直ると、再び鞭を振るった。今度は痛めつけるためでなく、鎖を切るために。

 鎖はバラバラになって外れ、解放されたサハギンは意外と元気に立ち上がった。


「覚えていろ! この恨みは忘れねえからな!」


 逞しい魔物だった。少女に向かって捨て台詞を吐いて逃げていく魔物を、ひかりは代わりに殴り飛ばしてやりたいところだったが、今は肩を落として落ち込んでいる真理亜に声を掛けることにした。


「真理亜ちゃん、ヴァンパイアは夜に現れるものなの。今日は現れなかったけど、きっと明日の夜には現れると思う。仲間があんなに痛めつけられたんだもの。王様として黙っているわけがないわ」

「お姉さん……」

「おい、ひかり」


 紫門が妹のことは気にしなくていいと目線で語ってくるが、ひかりは止まらなかった。挑戦を受けたのだ。黙っているのもしょうに合わなかった。


「だから、明日の夜までに英気を養って。今度こそ勝負しよう!」

「お姉さん……ありがとう」


 落ち込んでいた真理亜の顔に元気が戻ってきた。それだけでも声を掛けて良かったとひかりは思った。

 紫門はやれやれとため息を吐いた。真理亜は目を輝かせて言ってきた。


「あたし、頑張るから! きっとヴァンパイアを倒してみせるからね!」

「うん、頑張って。応援してる」

「よし、そうと決まったらこうしている場合じゃないわ。走ってくるわ」

「頑張ってー」


 元気に走り去る真理亜をひかりは見送った。今日のところは解散となって、校庭に集まっていた人達も去っていった。

 窓から見ていた辰也も一息を吐いた。


「今日のところは何も起こさなかったようだな」

「心配するのはひかりちゃんのことだけ? サハギン君の心配は無し?」

「知るか。配下を気にするのは王の仕事だろう。俺は生徒会長として学校の連中の心配をしただけだ」

「んふふー、情報収集に行ってくるね」


 箒は上機嫌な嫌らしい笑みを残し、風のように部屋を飛び出していった。

 辰也は不機嫌に鼻を鳴らし、窓から離れて席に戻った。




 人気のなくなった帰り道でひかりは狼牙に訊ねていた。


「あれほどサハギンが痛めつけられていたのに、よく飛び出さなかったね」


 狼牙の性格なら助けに飛び出すものかと思ったのだが。彼は心外そうに不服を言った。


「師匠が動きませんでしたから。それに……」


 そして、こちらを見て続けてきた。彼の瞳には何だか不満そうな光が揺れていた。


「あいつ、もう少しで師匠に勝てていたと法螺を吹いているんですよ。少しぐらい痛い目を見た方がいいんです」

「ああ、そうだねえ」


 ひかりは苦笑する。彼もひかりと同じような事を思っていたのだ。

 あまり人徳の無さそうなサハギンだった。 




 暗い路上に一人の男が立っていた。ボロを纏った不気味な男だ。

 彼は人気のない道路の真ん中でじっと地面を見つめていた。正確にはその先のずっと地面の奥深くを。


「見つけた。今、目覚めさせてやるぞ」


 彼は片手を振り上げる。その手に炎が渦巻き、鋭い槍を形成する。彼はその槍を無造作に地面に向かって投げおろした。

 アスファルトの目に見えない隙間を貫き、地の底深くへと潜っていく槍。

 その先には言いしれない感じる物がある。彼は結果を待ちわびる。

 それが長き眠りから覚めるには少しの時間が必要のようだった。

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