第16話 再戦

 空から見下ろす夜の町では霧が出ていた。


「おじいちゃんの決めた戦いはもう終わったのに、まだ霧が出ているのね」

「100年も続いた大きな魔力ですからこの町に根付いたのかもしれません。霧もこれからの戦いを感じ取っているようです」

「これからの戦いか」


 ひかりはそれへ意識を向ける。紫門が挑戦してきたということは、この前に言っていた決定打が見つかったということだろうが……

 その意識を振り払う。


「ヴァンパイアは恐れはしない。どのような小細工も踏みつぶすのみ!」


 約束の場所が近づいてきて、ひかりは翼を広げて舞い降りた。




 靴の底が石畳を軽やかに叩いた。

 ひかりが着地すると、紫門はすでに広場に待っていた。


「驚いたな」

「何に?」

「綺麗だと思った」

「……」


 箒と紫門はどこかで気が合うのだろうか。同じことを言われて、ひかりは口を噤んで手のひらを横に向けた。

 きっと自分はからかわれている。あるいは挑発されている。どちらにしても王者に対して許される行為ではない。

 発射する火炎弾で広場に炎が咲いて消えた。

 霧が静かに衝撃を消して隠していく。


「舐めたことを抜かすと燃やすわよ!」

「お前、本当にひかりか?」

「正体を見せようか?」

「いや、いい。これから俺達がやるのはバトルだ!」


 紫門は鞭を抜いて構えた。ひかりは静かに笑って両手を構えた。


「愚かな人間。このヴァンパイアに挑んだことを後悔するがいい!」


 ひかりは最初から全力を出す気でいた。その闘志も燃えている。

 戸惑いや迷いはチート能力を半減させてしまう。半減された能力など最早チート能力では無い。フェニックスとの戦いでもそれが大きな敗因となってしまった。

 もう恐れない。同じ負けはしない。自分を認めてくれる者達のためにも勝つだけだ。

 脳裏にクラスメイト達の顔が思い浮かんですぐに消えた。

 相手を全力で叩き潰す敵だと意識して、ひかりは飛びかかる。


「くたばれ、人間があ!」

「そうはいかないな!」


 振るわれる鞭に、ひかりは前進する足を止めた。

 紫門の鞭は威力と速さを増していた。だが、恐れるものではない。ひかりは両手で全て弾き返す。紫門の顔に笑みが浮かんだ。


「嬉しいな」

「何がだ?」

「お前が全力で相手をしてくれるのがだ!」


 紫門の振るう鞭が伸びてくる。ひかりはそれを避けようとするのだが、速さが増していた。


「なに!?」


 鞭は飛び立とうとしたひかりの足首に巻き付いた。目測を誤ったのだろうか。いや、


「悪かったな。俺はまだ本気を出してなくてな!」


 鞭が振られ、ひかりの体も合わせて引っ張られた。

 紫門は最初の激突では意図的に鞭の速度を緩めていた。それを次に一気に速めたために、ひかりはその速度差に反応しきれなかった。

 そうと気づいた時、ひかりは地面に叩き付けられていた。

 紫門は状況を警戒しつつの勝ち誇った声を上げた。


「お前は足元がお留守なんだよ。前以外も見た方がいいぜ。これで一つ借りは返せたか?」

「わたしをまた地面に落としたな!」


 ひかりは怒りとともに立ち上がった。油断せずに構えていた紫門も驚くほどの気迫とともに。


「チート能力者が苦戦? そんな物は無い!」


 ひかりは両手に火炎の渦を巻き起こした。


「見るのは前だけで結構。わたしの前にはただわたしに倒される敵しか存在しない!」


 二つの火炎の渦を合わせて紫門に向かって放つ。

 迫る火炎の大車輪を、待ち構える紫門は鞭で裁こうとしたが、


「くっ」


 裁ききれずに炎に巻き込まれていく鞭を放り出して回避した。


「冗談だろ? 何て威力だ」


 ひかりは彼を逃がさない。

 僅かに体勢を崩して逃げた先に一気に素早く接近した。

 彼は素手で防御しようとするがその反応はひかりにとってはもう遅い。

 暴力的な腕で彼の襟首を締め上げ、背負い投げで地面に叩き付け、その一撃だけでは解放せずに首を掴んで持ち上げた。


「お前もあの時と同じダメージを受けてみる? もう一度空へ行って落とされる苦痛を与えてやろうか?」

「それは二度とご免だね。人は空を飛べないんだ。化け物と違ってな!」


 紫門の手にはいつの間にか小瓶があった。ひかりが訝しんでいる間にその中身をひかりの顔に振りかけてきた。気持ちの悪い液体の感触にひかりは驚いて手を離して引き下がった。


「つべた! 何これ!?」


 解放されて紫門は距離を取って着地した。


「魔を滅する聖水だ。少しは効いたか?」

「こんなただの水が……このわたしに効く物かあああ!」


 体内から力を解放させ、衝撃で一気に水を吹き飛ばす。ひかりの体は全くダメージを受けておらず、綺麗なままだった。

 飛散し煌めいて消えていく水滴の中心で、ヴァンパイアは胸に手を当てて宣言する。


「わたしはチート能力者なのよ。チート能力者にはどんな攻撃も無意味!」


 ひかりは二本の双剣を敵に向かって構えた。


「チートって、ずるってことか?」

「絶対的な力で持って、完全なる実力行使をするということだ!」


 双剣を手に敵に向かって突っ込んでいく。漆黒の斬撃が宙を乱舞する。

 ひかりの体にはまだまだ力が漲っていた。その微塵の揺らぎも見せないパワーに紫門は防御と回避に回りながら焦りを見せてきた。


「困ったな。これは思った以上に手強いぞ」

「決定打があるのだろう? それを見せたらどうだ?」


 ひかりは足を止めて相手を挑発する。


「決定打?」

「それを見つけたから、このわたしに挑んできたのだろう?」

「あの話を覚えていたのか。仕方ないな。出来れば使いたくなかったんだが、やっぱりあれしか無いか」


 そう言って紫門が後ろ手に構えたのは銀の聖剣だった。

 彼の体に隠れて見づらいそれの正体をひかりは見切ろうとするが、上手く掴めないので諦めた。だが、警戒する必要はありそうだ。


「それがお前の決定打ってわけ?」

「さあな。だが、先に謝っておくぜ。これを食らっても俺を恨まないでくれよ」

「笑止! わたしが食らうダメージなど無い!」


 ひかりは全力の雷を放つ。宙から降り注ぐ極太の数本の雷が束となって集まって紫門に向かっていく。

 この威力の雷撃を防ぐ術など無い。

 紫門は必ずこれを左右どちらかに避けようとするだろう。

 ひかりはそこを見切って火炎弾を放とうと身構える。

 しかし、紫門はあろうことかその雷撃の中を突っ切ってきた。剣で雷を受け止めながら。


「この雷を吸収するだと!?」


 気づいた時には剣を喉元に突きつけられていた。それほどのスピードだった。驚いていたことも隙となった。ひかりは動けなくなった。


「それが決定打か」


 だが、ひかりはまだ諦めてはいなかった。剣の威力を見切れれば、紫門が隙を見せれば、挽回は可能だ。

 今は下がるよりも、剣の正体を見極めておきたい。だが、紫門は衝撃の事実を口にする。


「残念だが、これは決定打じゃない。これで斬ってもお前は倒せないだろう。決定打はこれからだ」

「う」


 紫門が動く。どこから決定打を出すのか。ひかりは周囲の全てを警戒した。

 だが、相手の目から目線を離したことも隙となってしまった。


「うぐ」


 気が付けば自分の唇が誰かの唇に塞がれていた。意識が飛びかけた隙に背を抱き寄せられてしまった。

 ひかりはパニックになった。


「んーーーー、んーーーーー! ぷはっ、何今の?」

「ほら、やっぱりこれが一番効いたろ?」


 目の前にはいたずらっぽい少年の笑顔。彼は玩具のように剣を回して、それでひかりの足を引っかけた。


「いたっ」


 すっかり闘志の抜けたひかりはいともあっさりと転んで尻もちをついてしまった。

 紫門が剣を突きつけてくる。


「ほら、俺の勝ちを宣言しろよ」

「だって、これって……」


 ひかりは唇を抑えて身を震わせた。


「勝ちを宣言してよ、夜森さん」

「わたし……キスしたこと無かったのに……」


 ひかりの目からぽろぽろと涙が出てくる。さすがの紫門も慌ててしまった。

 剣を投げ捨てて慰めてくる。


「だから、先に言っただろ。俺を恨まないでくれって」

「そんなの知らない」

「悪かったよ。ひかりの勝ちでいいよ」

「もう知らない」


 夜の霧は二人の戦いも戸惑いも静かに覆い隠していった。




 昨日は随分と泣いてしまった。ひかりは気怠い気分で登校した。


「どうしたの? 夜森さん」

「大丈夫?」


 心配したクラスメイトが話しかけてくる。よほど酷い顔をしていたのだろう。


「うん、平気」


 調子に乗った自分が悪い。それは分かっているのだが。ひかりは朝から机に顔をうずめてしまう。

 そこに紫門がやってきて声を掛けてきた。


「おはよう、ひかり。昨日のことまだ怒っているのか?」

「知らない。昨日のことなんて知らない」


 ひかりは顔を埋めたまま突っ返す。クラスメイトの矛先が紫門に向いた。


「加賀君?」

「あなた、夜森さんに何をしたの?」

「いや、何って言うか」

「加賀君はひかり様にキスをしたのですよ」

「え!?」


 教室の入り口で勝ち誇ったような顔をして言ったのは、人の姿をしたクロだった。

 誰も彼の正体など気にしていなかった。与えられた情報の方が重要だった。


「加賀君」

「ちょっと廊下で話をしましょうか?」

「え? 待って。助けてくれよ、ひかりー!」


 彼は強いが多勢に無勢だ。それに本気になった人間は恐ろしい。

 クラスメイトに囲まれて紫門が外に連れ出されていく。人の気配が無くなってひかりは顔を上げて足をぶらぶらとさせた。

 やっぱり日常って憂鬱だ。静かな時間の中で改めてそう思った。

 紫門は少し経ってから授業が始まる前に戻ってきた。クラスメイト達も一緒だ。事件を起こした犯人のようにひかりの席の前まで連行されてきた彼は少し顔を腫らしていた。


「本当にご免。本当にご免よ、ひかり」

「加賀君もこう言っているからもう許してやって」

「ほら、もっと頭を下げる」

「う、ご免」


 ひかりは戸惑ったが許してやることにした。


「もう分かったから。わたしだって調子に乗りすぎて悪かったし」

「そうだな。はは……」


 お互いにぎこちないながらも笑みを浮かべる。

 二人の和解にクラスの空気も緩んだ物になっていった。


「夜森さんが調子に乗るってどんな状況?」

「いったい何が……」


 気にする生徒達はいたが、ひかりはもう気にしないことにした。


「ほら、授業始まるから席に戻って」


 ひかりが委員として発言すると、クラスのみんなは解散していった。

 もしかして、自分はリアルでもやっていけるのだろうか。何となくそう思ったのだった。

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