第9話 再会
ひかりはいつもの朝の学校への道を歩いていく。
いつもの町ではいつもとは違った祭りの準備が進められている。
ヴァンパイア祭りの旗を見るのも日常になったと思いたいものだが、こみ上げる困惑を止めることは出来なかった。
もし、自分がヴァンパイアとなってみんなの前に現れたらどうなるだろうか。
妄想しようとして止めた。きっと現実は妄想のようには上手くいかない。みんなをがっかりさせるだけだ。
何も希望を打ち砕くことはない。ひかりは歩みを進めようとする。
不意に誰かに呼び止められて足を止めた。
「ここでは何かの祭りをするのですか?」
振り返ると、そこに立っていたのは優しい眼差しをした大人びた青年だった。どこか浮世離れした雰囲気をしていて、旅の詩人といった印象をひかりは受けた。
じっと見ていると、青年は察したのか自分の名前を名乗った。
「失礼、いきなり話しかけて驚かれましたよね。私はフェニ……不二鳥緒という者です。遠くから旅をしてきて、この町にはつい先ほど着いたのですよ」
「そうなんですか」
この祭りに遠くからまで人が来るなんて、ひかりはびっくりした。町の中だけでの祭りだと思っていた。
町おこしの効果は確かにあるようだった。ならばひかりも、この町の者として失礼な態度を取るわけにはいかないと思った。
「ヴァンパイアの復活を記念する祭りをするんですよ」
「ヴァンパイア……ですか?」
さすがは外の人。ヴァンパイアのことを知らないようだ。ひかりは自分のことをバラさないように、客観的なことだけを出来るだけ詳しく説明した。
どれだけ上手く説明出来たかは分からないが、それは旅人の興味を引いたようだった。
「この地を支配していた魔物の王……ですか。それを人間達が祝うと。なかなか興味深いことですね」
青年は穏やかに微笑む。そして、ひかりに向かって言った。
「では、私もその祭りが終わるまでここに滞在させてもらいましょう。最後の思い出となるような楽しい祭りになるといいですね」
「はい」
「祭りの準備、頑張ってください」
青年は去っていく。
ひかりは見送って、すぐに自分も学校に行かないといけないことを思い出して急ぐことにした。
毎日は瞬く間に過ぎていく。
ひかりは昼は学生として登校し、霧の出る夜にはヴァンパイアとして戦った。
誰もヴァンパイアとなったひかりを止めることなど出来なかったし、誰もヴァンパイアの祭りの準備を止めることも出来なかった。
日が開けて、もう当日になった。
まるで学園祭のような雰囲気の中、ひかりは歩いていた。
「もう、この恰好困る……」
準備を急いでいたみんなの後ろで手持無沙汰にしていたら、喫茶の呼び込みに行ってこいと言われたのだ。よりによってヴァンパイアの服を着て。
「何で本人なのにこんなことを……」
本人ならばでんと構えて客の到来を待ち構えるべきではないかと思ったが、誰もそうとは知らないし、ひかりも言う気は無いので仕方なかった。
それに知られても困る。
幸いなことに行きかう人々は誰もひかりをヴァンパイア本人だとは気づいていない。普段のひかりは弱気な人間にしか見えないので当然かもしれないが。
ひかりは意を決して自分の仕事をすることにした。
校舎前の広場まで来て、呼びかけを開始する。
「ヴァンパイア喫茶に来ませんか~。魅惑のヴァンパイア達がお客様の訪れを待っています~」
緊張した細々とした声で呼びかける。だが、誰も立ち止まりはしない。
それは分かっていたことなので今更ショックを受けたりはしない。このまま時が経って仕事をした気分になって帰れればいいことだ。
ひかりは安心して自分の仕事を続けようとしたのだが。
「見つけた……」
不意に一人の少年が立ち止まってひかりはびっくりしてしまった。
目付きの悪い不良っぽい少年だ。何をされるのかとひかりは腰が引けてしまった。
「あのヴァンパイア喫茶……」
それでも健気に自分の仕事をしようとしたひかりに少年は一歩踏み込んできた。
「俺ですよ。俺俺。お忘れですかい?」
「俺と言われても……」
何か因縁を付けられているのだろうか。だが、ひかりにはその俺と名乗る人物に思い当たることが無かった。
困っていると彼はさらに一歩踏み込んできた。
「俺ですよ。思い出してください!」
「顔が近い……」
「これは失礼を!」
彼は慌てた様子で引き下がってくれた。
「で、何?」
その頃にはひかりも大分冷静になっていた。戸惑いよりも面倒くささが勝ってきて、口調もぞんざいな感じになっていた。
彼は不良っぽい目付きの悪さに似合わず真面目な性格のようだった。
「ここで師匠の祭りが開かれると聞いて来たのですよ。まさか師匠本人に再会出来るとは。感激です!」
「師匠?」
ひかりは困惑してしまう。こんな男を弟子に取った覚えは無かった。
「師匠って……何ですか」
「弟子を取った覚えが無いって顔をされてますね!?」
「本当に無いんだけど」
顔に出ていたなら気を付けないといけない。そう思っていると、相手は頭を下げてきた。
「これは失礼を。せひ俺を弟子にしてください!」
彼の中で順番はどうなっているのだろう。ひかりは困惑するばかりだ。そろそろ周囲の視線も気になってきてしまう。ちらほらとこちらを振り返る人が増えてきた……ような気がする。
「あの、失礼ですが、どちら様でしょうか?」
ひかりは意を決して訊ねた。自分を知っている相手だ。ひかりの方だけが忘れているだけかもしれない。もしそうなら責められるのは自分の方だ。
知らないのに知っているふりをするわけにもいかなかった。
頭を下げていた彼は驚いたように顔を上げた。
「何をとぼけておられるんですか? 俺ですよ。俺」
「俺?」
話が振りだしに戻った。と思ったのも束の間、彼は言葉を続けた。
「あなたにとっては俺なんてちっぽけな存在。忘れられても無理はありません。でも、俺はあの日からずっとあなたをお慕いしておりました」
「あの、どちらの俺さんですか?」
ひかりは思い切って踏み込んだことを訊ねてみた。彼は答えた。
「だから、俺ですよ。狼男です」
「え!? あの!?」
やっと話が進んだ。ひかりはびっくりして思い出した。
狼男といえばあの時、紫門にやられて帰っていった魔物だった。
ひかりはその時は再戦したいと思っていたが、いろいろあってすっかりと忘れてしまっていた。
「人間の名前は風神狼牙って言うんです」
「はあ、なるほど」
何だか犬みたいだと思った。
箒が魔物は意外と身近にいると言っていた。そのことを実感してしまう。
もしかしたら半魚人やアルマジロも近くにいるのかもしれない。気が付いていないだけで。
「思い出せていただけましたか?」
「うん、まあ」
「あの時は戦いが終わってすぐに飛び立たれてしまって声を掛けそびれてしまって。いや~、再会出来て嬉しいです」
「あ~、わたしも嬉しいです」
ひかりはとりあえず話を合わせようとしたのだが、相手は怪訝そうだった。
「どうしてそう他人行儀なんですか? こうしてみんなで師匠の祭りまでしているのに」
「あ、これはそういう祭りじゃなくて」
ひかりが困っていると声を掛けてきた同級生の少年がいた。
「どうした、ひかり」
冷静ながらも強い声をした彼は紫門だった。彼の姿を見て狼男はあからさまな敵意を向けた。
「お前はあの時の。まだ師匠に付きまとっているのか」
「あの時?」
紫門も狼男の正体には気づいていないようだ。今の彼の姿は人間にしか見えないから当然かもしれないが。
ひかりは慌てて二人の仲裁をすることにした。
こんなところでバトルをされたら困ってしまう。
「喧嘩は止めてね。ここは祭りの会場だから」
「分かってますぜ。俺は師匠のメンツを潰すことはしねえ」
「師匠?」
紫門が疑問の視線をぶつけてくる。ひかりは弁明した。
「違うの。これはそういうのじゃなくて。ええと、後輩? 紫門君は転校生だから知らないよねえ?」
我ながら苦しい言い訳だと思いつつ、ひかりはちらしを狼男に渡した。
「これ、良かったら寄っていってね」
「これは師匠が俺のために?」
「うん、わたしの仲間達がやっているから」
「分かりました。ありがたく寄らせていただきます」
狼男は勝ち誇った顔で紫門を一瞥して去っていった。
「あいつ、何だったんだ」
「悪い人じゃないん……だよ?」
ひかりは何とか誤魔化すしかなかった。
それから紫門も祭りで何かヴァンパイアの手掛かりが掴めるかもしれないからと言って去っていった。
祭りでヴァンパイアのことをいろいろ調べているクラスもあるらしいが、学生が調べられる程度のことで役に立つことがあるのだろうか。
気にはなったが、ひかりには資料が展示してある他のクラスの教室の中にまで踏み込んでいくような勇気は無かった。
今は自分に与えられた仕事をするしかない。
紫門にも「頑張れよ」と念を押されてしまった。
ちらしはあまり順調には減らなかったが、それでも何枚かは受け取ってもらえた。
「昼か……」
太陽はまだ高い。こんな天気ではヴァンパイアも出てこないだろう。他人事のようにそう思う。
会場のステージでは魔物のコスチュームに身を包んだ人達がライブをしている。結構賑わっているようだ。
「狼牙君は何をやっているんだろう」
ひかりはクラスメイトに押し付けたモンスターの様子が気になって様子を見に行くことにした。
人通りの多い廊下を抜け、そっと教室の入り口から様子を伺う。
狼牙は大変ご機嫌の様子で食事をしながらクラスメイト達とお喋りをしていた。
何を話しているのだろう。ひかりは気になって聞き耳を立ててみる。
声が届いてくる。
「その時、師匠が俺を庇ってくれたんですよ。かっこよかったなあ」
「へえ、夜森さんにそんなところが」
どんなところだ。気になってさらに聞き耳を立てる。
「気に食わないのはあいつですよ。あの男。あいつは師匠にも平気で失礼な態度を取るんですよ」
「ああ、加賀君って確かにそういうところあるよね」
「よく夜森さんに話掛けてるよね。やっぱり気になる仲なのかしら」
どんな仲だ。気になったが、
「あ、夜森さん」
背後から声を掛けられてびっくりして立ち上がった。振り返ると教室に戻ってきたのだろうクラスメイトが立っていた。
「どうしたの? こんなところで。入ったら?」
「ごめんなさい、わたしまだチラシ配りの途中だから」
ひかりは慌てて逃げようとしたが、念は押しておかないといけないと思った。
「あの、狼牙君に余計な事は言わないでって伝えておいて」
「うん、分かったー」
クラスメイトは気さくに答えて教室に入っていく。そして、彼に近づいて言った。
「さっきそこで夜森さんに会って、『こら狼牙、余計なこと言うな』だってさー」
狼牙がびっくりして椅子から落ちそうになって、クラスメイト達からは笑いが漏れていた。
とんだ誤解だ。こんな場所にいたら死んでしまう。
ひかりはそそくさと退散を決め込むことにしたのだった。
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