三、フビライ建国

 よく知られたはなしだが、賈似道は書画のすぐれた蒐集家である。

 朝廷より下賜された、西湖を見おろす葛嶺の豪邸の一角に半閑亭と名づける収蔵所を設け、暇にあかして蒐集した作品の目利きに余念がない。書画の鑑定標記である。蔵書印記という。賈似道は、「秋壑しゅうがく」「秋壑しゅうがく図書ずしょ」「悦生えつせい」「ちょう」などの鑑蔵印を捺した。

 そこに羅浮山の道士一真が同席している。

 賈似道と一真のつきあいは、もとはといえば書画がとりもつ縁からはじまっている。

 宋とモンゴルが連合して金を滅ぼしたのは三十数年まえ、まだ賈似道が二十代のはじめ、無頼放蕩まっさかりのころである。その数年後、賈似道が足繁く通う臨安の賭場へ、抱えるほどの掛け軸を持ち込んだ男がいた。北から流れてきた旅の道士である。賭場で遊ぶ金にかえてくれという。たまたま居合わせた賈似道が目利きを買って出た。

このころすでに賈似道は書画の蒐集をはじめていたから、大方のものなら価値の有無が鑑定できる。ひとつふたつ手にしただけで思わず唸った。逸品ぞろいではないか。

「いずこで入手された」

 声がかすかに震えた。

開封かいほうだ。開封で病の商人を治療したとき、治療代のかたに頂戴してきた」

 道士は医術に通達し、医薬の調合もする。

「他にもお持ちか――」

「ある」

 後年の老練な宰相も、このころはまだ若かった。一真の術中にはまったのである。

 一真は意図して賈似道に近づいた。将来、かならずや南宋朝廷の中枢に座する人物と踏んでの接近である。とはいっても、まさか宰相にまで登りつめるとは思ってもみない。

 ともあれ賈似道は一真を自邸に招き、下にもおかないもてなしで遇した。書画の出所が開封なら、金朝が崩壊したとき首都の収蔵庫から散逸したものであろう。モンゴル人は書画骨董のたぐいには興味を示さないから、参軍した漢人武将が持ち出し、商人に売り払ったものと推測すれば筋道はたつ。あるだけすべておのれで収蔵したい、純粋な収蔵欲が先行している。

 賈似道を唸らせたのは他にもある。一真というこの道士は、燕京の総本山で道教修行のかたわら、南北を問わず全土をくまなく踏破しており、諸国の事情にじつに明るい。興に乗れば、西域の果てにまではなしがおよぶ。こんごは羅浮山に依拠し、嶺南(広東以南)で布教、教導にあたるという。チンギス・ハーンの孫のフビライと竹馬の友だというのには、眉唾かと疑っていたが、のちに親筆の返書を見せられてからは信じている。ときに応じ、生々しいモンゴル情報をもたらしてくれる。

 得体は知れぬが、情報に通じ、腹を割って話せる男――、賈似道の一真観である。

 当初、モンゴルの間諜ではないかと思わぬでもなかったが、長期間つきあってきてその疑惑は消えている。言動の端々に本音がのぞき、漢土や漢人にたいする思いが伝わってくるからである。互いに利用しあうなかで、下世話げせわながら友情めいたものが生まれている。


「早いもので、あれから十三年たつ」

 モンゴル軍鄂州撃退の功により宰相に任命されたのが、昨日のことのように思える。

「世祖フビライは約定を守ってくれた、と信じてもよかろうか」

「戦を分けたことかの。恩に着るとはいうておったが、もともと永遠とわにとはいうておらぬゆえ、そろそろ期限切れではあるまいか」

 一真は人ごとのようにいってのけた。

 十三年まえ、ウリャンハタイ軍の到着をまって北に兵を引いたフビライは、カラコルムには進まず、翌年四月、上都の前身である開平府に自派軍を集結し、いわばお手盛りのクリルタイを開き、第五代のモンゴル大ハーンに推戴された。一二六〇年、世祖フビライの即位である。開平府はいまの内蒙古シリンゴル盟正藍旗ドロンノール県ラン河上流の閃電河畔にあり、北京の北275キロに位置する。河北省の北端に近い。

 即位後、フビライは国信使・郝経かくけいを南宋に遣わし、保留状態にあった和平条約の締結を促した。モンゴルの宗主となったことを対外的に宣言するフビライの外交アピールでもある。

 しかしこの時点では全モンゴルの総意とはまだいいがたい。フビライ即位の同じ年、ひと月遅れでアリクブカを立てて対抗したカラコルムの主流派は、僭称とみて認めていない。ハーンが並立したモンゴルを一国と見ることはできない。だから、賈似道は和議の再開交渉を無視した。郝経を臨安には入れず、手前の真州(江蘇鎮江付近)で捕らえ、軟禁したのである。この後、郝経の軟禁は十五年におよぶ。

 それはともあれ、実力に勝るフビライ派はアリクブカ派を圧倒、カラコルムに封じ込め、即位の四年後、制圧する。そしてモンゴル改革に賭けるフビライ・ハーンは大都(北京)を首都とし国号を大元と定め、中華の統一めざし南宋の再攻略に照準を絞る。

 これによりモンゴル帝国は、北から東アジア全域を包括する大ハーン・フビライの大元国を宗主国としながらも、南ロシアのキプチャク・ハーン国・中央アジアのチャガタイ・ハーン国・中東方面のイル・ハーン国など、各々の地域におけるハーン国の自治化を促し、広大なユーラシア大陸で並立する、ゆるやかな連合体形式の世界連邦国に変貌してゆく。


 南宋の国家財政は北宋をしのいだ。国土が半減したにもかかわらず、江南の開発で生産が拡大したのである。しかし軍費の支出が膨大で、たえず財政を圧迫した。

「蒙古の収奪よりはましにせよ、官戸、形勢戸といった大土地所有者が荘園を経営して巧妙に税を逃れる一方、厳しい租税のとりたてで所有地を失った大多数の農民は佃人でんじんとして雇われ、荘園で耕作に従事するよりほかにすべはない。条件は劣悪で農奴に等しい。すべて軍糧調達を農民の負担で達成しようともくろんだ和糴わてきの弊害だ」

 和糴とは、軍糧にあてる米穀を政府が農民から直接、低価で買い上げることをいう。支払いは会子かいしという紙幣でおこなう。支払いが滞りがちなうえ、会子の発行を乱発したからインフレがおこり、物価騰貴を招いた。結局、つけは貧しい農民に回される。

「なぜ富めるものから、農民並みに税をとらないのだ。富めるものは政府の要路に顔がきく。立法者と結託し、抜け穴のある法律をつくっておき、取り締るものに鼻薬をきかせれば容易に脱税できる。これでは国は成り立つまい。かれらを富ますために国があるわけではなかろうし、貧しい農民の犠牲で養った軍に国を守る気概が生まれるわけもない」

 一真が南宋の理不尽な制度を批判し、賈似道に本音を吐かせようとしている。

「だからわしは公田法を適用して富国強兵の実を挙げようと画策した」

 公田法自体は賈似道の独創ではない。大土地所有の弊害をのぞくため、限度以上の所有田地を政府が強制買上げし、佃人に耕作させて佃租(小作料)を納めさせるのである。これだと直接納税となり脱税は防げる。賈似道は所有する田地を放出し、みずからも身を切ることで範を示したが、既得権を有する皇族や豪族、政府高官らはこぞって反対した。

「獅子身中の虫とはきやつらのことだ。国が存亡の危機に瀕しているというのに、なお私欲にしがみついている。いかに反対されようとかまわず、わしは強権を用いて公田法を実施したが、非難はわしに集中した」

 公田法は和糴の弊害を緩和したから、反対運動があっても継続して施行され、南宋滅亡後も元朝政府に引き継がれている。けっして悪法ではない。運用に問題があった。


 宰相賈似道の専権横暴が人の口の端に上るようになるのは、このころからである。

 フビライがカラコルムを制圧した年、在位四十年の理宗が崩御してのちは、抑えるものもなくなる。二十六歳で位を継いだ度宗は賈似道の推薦で皇嗣となったいわくつきだったから、まったく賈似道に頭が上がらない。宰相の足がしだいに朝廷から遠のき、三日に一度の入朝が、五日に一度となり、「朝中に宰相なし」と揶揄される始末である。皇帝黙認の在宅勤務といっていい。やがては葛嶺の自邸が執務室となり、書画の目利きのかたわら、愛妾と好事家にとりかこまれて闘蟋とうしつ―コオロギの賭け勝負の合間に公務を執ることになる。阿諛追従の佞臣ねいしんがこれみよがしに案件の決裁をもとめて足繁く通うありさまである。

 よしんば邸宅に姿がなければ、西湖を捜せばよい。酔態を湖上にさらし、美妓とたわむれる賈似道の姿を容易に見出すことができる。


 たまたま花舫に同乗した一真ですら、開いた口がふさがらない。

「あきれたものだ。当世、これだけの贅沢は、元のハーンはおろか宋の皇帝にもできるまい。擬態か、本心か。いったいおぬし、ご時勢をなんと心得る」

「元軍は強い。いつこの臨安に攻め込んでくるか、思っただけで夜も眠れぬ。だから日のあるうちに酔い痴れて、醒めぬまま酔いに紛れて、夜をやりすごすのだ」

「酔っていては抵抗もできぬではないか」

「とうていかなわぬ相手に抵抗など、思いもよらぬ。来るまえに逃げる」

「遷都か、いずこが適当と考える」

「さらに南へ行くよりほかないが、さてどこまでいったものやら」


 一日いちじつ、賈似道は大勢の姫妾をしたがえ、西湖北岸の豪邸高楼から湖上を見やっていた。

 酔い覚ましの余興である。

「あれ、あそこに凛々しき殿御が小船を漕いでおられます」

 姫妾のひとりが嬌声をあげた。

 遠目にもそれとわかる雅やかな若衆姿のふたりである。はじめ釣り糸を垂れていたが、やがて岸に上がり、小石を湖面に投げ入れては、他愛なく遊び興じている。

 賈似道は眉根を寄せて、近侍きんじに耳打ちした。近侍は急いで高楼を駆け下りた。

 やがて坐に戻った近侍は、ふたつの大きな箱を提げていた。

「よう見つけた。褒美をとらす」

 賈似道は、嬌声をあげた姫妾に箱を渡した。ずしりと重い。姫妾は箱のふたを空けた。若衆の生首である。まだほの温かい。姫妾はその場で卒倒した。

「蒙古の間者よ。湖の深さを測っておった。都を攻める準備か。周到なものよ」


 フビライが襄陽を攻めて五年におよぶ。南宋征伐の手はじめとして、満を持して大軍を襄陽に発動したのである。しかもこれまでにない慎重な構えで、騎馬による陸上の猛攻を手控え、水軍の訓練かと思わせるくらいに水戦を多用している。意識して戦法をかえているのである。

 湖北北部の襄陽と樊城は、漢水をはさんで向き合っている。漢水の南が襄陽であり、北が樊城である。モンゴルと境を接する南宋の生命線といっていい。この両城を漢水ごと、総延長百キロもの土塁の長城で取り囲んでしまったのである。

 城内の軍糧は豊富で、漢水は南宋の常備艦隊をもってすれば、いつでも援軍可能と信じられていたから、籠城側の勇将呂文徳が戦死しても、あとを受けた弟の守将呂文煥が頑強に抵抗し、支えていた。しかし徐々に戦局は、変化しはじめている。「南船北馬」の常識が、通用しなくなっていたのである。

 頼りない笹舟の群れでしかなかった急ごしらえのモンゴル水軍が、艦隊としての動きをみせはじめた。いつの間にか、定評のある南宋艦隊に匹敵する水上戦闘力に変貌し、いまや整然と、一糸乱れず布陣している。新たな造船に加え、各地から軍船をかき集めて編隊を増やし、演習につぐ演習で、積極的に訓練を続けてきたその成果が、現われだしたといっていい。

 賈似道はこれまで、ただ手をこまねいて、なにもしてこなかったわけではない。元の水陸両軍十万になんなんとする襄陽包囲作戦が始まった翌年(一二六九)三月、張世傑に水陸の特殊部隊をつけて、元軍の力量を探らせた。七月には、夏貴ひきいる五万の軍と三千艘の軍船をくりだし、その二年後には范文虎ひきいる水陸の大軍十万を北上させている。

 しかし、いずれも襄樊両城を救援するどころか、元の包囲網を突破することさえできずに、敗退してしまった。陸上でなにし負うモンゴル騎馬隊に蹴散らされたばかりか、水上においても木っ端微塵に打ち砕かれ、圧倒的な軍事力の差をいやというほど知らされたのである。

 これ以後、賈似道は襄陽への援軍を見送っている。もはや、援軍は焼け石に水でしかない。そのじつ、打つ手がなくなっていたのだ。范文虎ひきいる十万の大軍は、虎の子ともいうべき、南宋に残された最後の機動部隊だったのである。

 援軍もなく孤立した襄陽と樊城は、それでも持ち堪えている。襄樊両城が陥ちれば、さらに南に下った長江流域が、いずれ新たな戦場となるのは必至である。

 危機感が奇跡的な抵抗を支えている。


 ――やはり、決着は揚子江沿いか。

 臨安(杭州)に近い長江下流域を揚子江というが、そこでの一戦が、やがてくる天下分け目の戦いになる。決着といっても、南宋側に勝利はありえない。どう分けるか、あるいはどう線引きするかで、延命の時間が左右されるだけである。

 このころすでに賈似道は、じぶんの死に時を模索しはじめている。

 思うように生きた。いつ死んでも未練はない。死後に着せられるであろう汚名も、甘んじて受けて立つ覚悟に偽りはない。じぶんの一身はすでに捨ててかかっている。

 残された時間には限りがある。安閑として書画美術の鑑定を楽しむひまはない。

 ――ましてや闘蟋どころではないということか。

 しかし己が分身たるこれらの書画は、まるごと後世に残さなければならない。

 王義之おうぎしの書を「神の手」という。「善を尽くし美を尽くすは、ただ王義之のみ」と称えられる名筆である。その極致は所蔵する『淳化閣帖じゅんかかくじょう』に網羅されている。

 限りある時間を忘れたかのように、賈似道はうっとりと飽かず「神の手」に見惚れている。これに比べれば、もはや己の死なぞ、なにほどの価値もない。

 書画は漢文化の象徴である。散逸させて価値を損ねたくはない。ましてや、けっして灰になどしてはならない。フビライの腹は読めないから、最善の策は立てようがない。しかし、漢土の文化財は残さねばならない。次善の手だけは打っておかねばならない。

 ――はて、どうしたものか。

 掌のうえで遊ばせていたコオロギを養盆にもどしながら、賈似道は窓越しに西湖を見やった。風が出てきたらしい。湖上にさざ波の立つのが見えた。

 ――さざ波ほどの乱れもあってはならぬ。首都臨安を決戦の場にしてはならぬのだ!


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