第一話 ポーカー25 -その3

 さて、結論から言うと、いきなりの膠着である。

 ゲームの開始が宣言されてから既に五分。軽快なジャズが流れるプレイルームに集まった二十五人のギャンブラーだったが、カードやチップを手の中で弄びこそすれ、カジノテーブルのある台座へと登ろうとするものは一人もいない。誰もが互いに目配せをし、隣人が先に動き出すのを待っているような状態だ。

 中央の台座を前にうろうろと彷徨う様は、場末の競馬場を髣髴とさせた。

「……あれあれ、おかしいなあ。皆さん、動きがありませんウサねえ」

 などと、空気を読まない軽口を叩いたのは台座の主、ウサ耳を生やしたバーニーである。

「別に誰かと一緒じゃなくても、先にテーブルに着いて対戦者を待っていても良いんウサよ。だというのに誰一人として登ってこないなんて……うーん、ひょっとして、みなさん怖気付いてます?」

「あ、当たり前だ!」

 バーニーの挑発に唆されて、客の一人が声を荒げた。

「一回十万ドルの勝負だぞ、おいそれと動けるもんか!」

 幾人かの客が、小さく無言で頷く。未知のゲームに対して緒戦を様子見するのは、確かにギャンブル的にはセオリーだろう。

 しかし、この場の支配者であるディーラーが、それを是としないのもまた真理だった。

「でもォ、良く考えてくださいウサね? 場にあるカードの枚数は25人×25枚、つまり625枚しかないんウサよ?」

 口元に指を当てたバーニーが、わざとらしく考え込むフリを見せ付ける。

「一戦あたり2名×5枚、計10枚のカードが消費されるのですから、最大で62戦できるワケですけど、余りが五枚出ちゃいますよね。それってつまり、ってコトになるんじゃ、ないですかねェ?」

「――ッ!」

 バーニーのその発言に、会場中が息を呑んだ。

「そう考えたらァ……ぐずぐず様子見なんてしてる場合じゃないンじゃーない?」

「うッ……うおおおッ!」

 客の幾人かが、突然声を上げて台座へと殺到した。

 バーニーの扇動は実に効果的だったようだ。十人ほどの客は我先にと階段を登って、奪うように椅子へと齧り付く。先着の二名がテーブルを挟んで着席すると、どこから現れたのか、屈強な黒人の黒服が座れなかった客を遮って、階段の下まで押しやっていった。

「あッはははッ! 本日のプレイヤー1号様、2号様、ごあんなーい! ではでは、緒戦開始ですッ!」

 バーニーがこちらに尻を向け、二名の挑戦者にカードを提示するよう要求する。

 勢いのままに着座した二名の客は、眉間に皺を寄せながら裏にした五枚のカードと数枚のチップをそれぞれの手元に置き、祈るような面持ちで互いを睨み付けた。

 途端に、短いドラムロール。

 軽快なジャズはリズミカルなロックに変わり、天井の四方八方から数秒間だけのスポットライトが降り注ぐ。

「それでは――イッツ・ショー・ダウン!」

 バーニーの掛け声と共に、着座の二名がカードを返す。

 その瞬間、じゃん、という派手で滑稽な効果音がオーケストラから鳴り響き、

「や……やッ、いやったああッ!」

 右手に座った客が両手を挙げ、左手に座った客はがっくりとテーブルに突っ伏していた。

「はい、これで一回戦終了ウサ。賭けたチップはすべて勝者の方へ。ちなみに同じプレイヤーと連戦はできませんからね。きちんと列を作って、順番にご対戦くださァい」

 ふざけた口調でバーニーが言い、そして雌雄を決した二名の客が、それぞれの表情を抱えて降壇してくる。入れ替わるように、血走った眼で階段を駆け上っていく新たな挑戦者たち。

 台座の影に立っていた美桜は、そんな彼らの様子を醒めた視線で見送っていた。

「簡単に乗せられて……アホやなあ。62戦もきっちり出来るワケないやんか」

 彼らは、この中の誰かが「カードを使い切る前にチップを使い切ってしまう」という可能性を考慮に入れていない。

 誰しもが勝率を五割に保てればよいが、そうでない人は二戦目あたりでマイナス二枚となり、三戦目で負け分を取り返すために三枚賭け、四戦目で五枚賭ける。そうなれば終わりだ。五戦目用のカードが余っていても、チップがなければ勝負にならない。チップ十枚とカード五枚のペナルティで、1億8000万円もの借金を負うことになる。

 そういう最悪の事態があることを考慮すれば、むしろ焦りこそが禁物だった。

「とはいえ、のんびりし過ぎて対戦相手を減らすわけにもいかへんな。勝負できるのは一人あたま最大五回。他の客に早抜けされれば、それだけチャンスが減るということやし……」

 美桜は独りごちながら、台座の周囲をゆっくりと歩く。

 我先にと争うように階段を登る者、壇上の戦いを眺めて興奮する者、勇気が出ず台座の前で硬直する者、あまりのプレッシャーに会場の隅で震える者――客たちの十人十色の反応を横目に、美桜は再び台座を仰ぎ見た。

 カジノテーブルがあるのは、会場の床から高さ約三メートルの地点だ。下から覗き込めるのはテーブルの底と客の足元、そしてバーニーの艶かしいハイレグだけだ。客の反応から勝敗は察しがついても、テーブル上で「どちらが」「何のカードを」出したのかは判別できない。

(やっぱ、上手く見えへんな。これが見えれば必勝なんやけど……)

 必勝――そう、このゲームは、実は単なる運否天賦で勝敗を決するゲームではない。

 巧妙に仕組まれた戦略ゲームであることに、美桜は気付いていた。

(理由は単純。26枚の手札から自由に役を作って戦えという触れ込みやったが、実際のところ、それは不可能や。……なぜなら、26枚から作れる五組の役の選択肢は一通りしか存在しないから)

 その一通りとはすなわち、同種のエースキングクイーンジャック・10から作られる最強の役【ロイヤルストレートフラッシュ】が二組と、

 同種の9・8・7・6・5から作られる【ストレートフラッシュ】が二組。

 それと、4・4・3・3・2から作られる【ツーペア】が一組の、計五組。

 配られた26枚から作れる最適な役の組み合わせは、この形以外に存在しない。

(つまり、25人の誰もが、この形の五組を所有していると断言できる。――ランダム性のないゲームのくせに、ポーカーを名乗る資格なんてあるかい。これは完全なるフェイクゲームやで)

 美桜は手の中のカードケースを握り締めながら独白する。

 壇上では三回戦目が開始され、あっという間に決着が付いたようだった。勝ったのは右の客、白いタキシードに刺繍入りの白マントという、なんとも正気を疑う格好の男だったようだ。

(だからこそ、焦って勝負に逸るのはミスに繋がる。何せ、ひとりのプレイヤーが出せるのはRSFロイヤルストレートフラッシュが二回に、SFストレートフラッシュが二回、2Pツーペアが一回の、計五回しかないんや。一戦につきチップ一枚を賭けるとして、勝率5割以上を目指すには、この五組で三勝二敗を目指さなあかん……)

 しかし、そこで問題となるのが次の二つ。

 一つは、少なくともSFで一勝を挙げなければならないということと、もう一つは、巨大モニターに表示されている「勝敗のルール」に書かれている一文だった。

 ルールブック曰く――


【勝者はその場に賭けたチップを全て取得できるが、引き分けはすべてディーラーの没収とする】


(引き分けが負けと同じ扱いって……とんだビッグゲームやんか!)

 美桜は思わず唇を噛み締めた。

 このポーカー25で、もっとも注意しなければならないことは、相手に勝つことでも、負けることでもない。だ。

 勝つか負けるかして客の手元にチップが集まるならまだ良いが、引き分けてディーラーに回収されてしまうのはまずい。それは、客たちの持つ総チップ数が減少してしまうことを意味する。

 やり取りできるチップが減るということは、つまり、一文無しのプレイヤーが増えるということだ。引き分けが蔓延すれば、必然として、大量の敗者が生まれることになるだろう。

 加えて、このゲームで用いられる役はたったの三種類。

 最強のRSFなら、どんな役にでも100パーセント勝てる……と考えるのは浅慮の極みで、実は勝率は五分の三程度しかない。

 なぜなら、対戦相手もRSFを二組持っているのだから。

 RSFを使っても勝てないどころか、引き分けてしまう確率が五分の二も存在するのだ。

(とにかく、この引き分けが厄介や。特に扱いに困るのが、このSF。2Pは捨て駒として使えるが、SFは2Pにしか勝てない上に、五分の四の確率で負けるか引き分けてまう。

 RSFで二勝、チップを二枚獲得できたとしても、残りのSFと2Pで負けてしまえばチップ三枚の損――トータルマイナス一枚で1200万円の借金や。確率的にも、この可能性が一番高い!)

 つまり、このゲームは、引き分けに搾取されるだけのデス・ゲーム。

 ビッグチャンスを謳いながら、ビッグリスクを強制する、悪魔のゲームに他ならなかった。

(ったく、とんでもないゲームやで。だからこそ、カードを出す順番は慎重に選ばないと……)

 美桜は背中を台座に寄り掛からせて、再び思考の海に潜る。頭の中でカードの組み合わせを思い浮かべ、勝利に近づくシミュレーションを実行した。

 勝利に近づくために考察すべきこと。それは、カードを出す順番だ。

 このゲームでは、使ったカードは没収される。一回限りの消耗品である。

 となれば、RSFは温存するのが定石だ。

 負けが込んでいても、四回戦、五回戦時に負け分を取り戻せる確率が高くなる。逆に2Pは問答無用で負け確定なので、相手のRSFに合わせて消化するのが効率的と言えるだろう。

 なにせ、25名全員が同じ役を持っている。自分以外の客のRSF所持率が落ちれば落ちるほど、自分がRSFを出したときの勝率が高まると言って良い。

 ――だが、もしもこの場にいる全員が、その戦術を認識していたとしたら?

 RSFを温存するという戦法を全員が使うと、当然ながら、後半になればなるほどRSFの引き分けが頻発する事態となるだろう。そうなれば後半戦での逆転劇など夢のまた夢だ。むしろRSFを前半戦で消化し切って、早い段階での三勝を目指すべきだと警鐘が鳴る。

 だが、しかし……もしも早い段階でRSFを使い切って、チップを三枚稼げなかったら?

 ――つまり、この議論は堂々巡りだ。

 相手が三種類の内の、どの役をどういう順番で使うかなんて、ノーヒントでは分からない。

(とどのつまりの必勝法とは――)

 と、そこまで美桜が思考を廻らせたところで、視界の端に近づいてくる男の影が映った。

「失礼、マドモアゼル」

 流暢な英国英語。美桜はゆっくりと顔を上げて、次の瞬間には「げッ」と短い声を上げた。

「な……なんやアンタ。どこの仮面舞踏会から来たんや?」

 美桜はためつすがめつ男を見る。

 その男は黒いベストの上から白のタキシードを着込んだ中性的な青年で、肩からは刺繍入りの白マントを羽織り、目元は紫色の仮装用マスクで隠していた。

 年の頃は二十代と言ったところだろうが、整った目鼻立ちは幼くも見えるし、落ち着き払った風体は壮年のように大人びても見える。形容し難い空気を纏ったマスクマンだった。

「俺のことは別にいい。それより君は、随分と暇を持て余しているようだ。良ければ一局付き合わないか?」

 一瞬、何のことかと首を捻るが、この状況下でお誘い頂くとすればひとつしかない。

「あ、ポーカーのことか。ううん、折角やけど……」

 まだ必勝法が固まっていない状況だ、下手に動くつもりはない。

 反射的に断ろうとした美桜だったが――

 表情一転、美桜の口元は、怪しくニィと微笑んだ。

「喜んでお受けいたしますわ、ムッシュ」

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