第一話 ポーカー25 -その2

 その文字が表示された瞬間、熱の冷めた客たちに、ざわり、というざわめきが広がった。

「ぽ……ポーカー25?」

「ポーカーなら得意だ。はは、腕が鳴るぜ」

「だけど、25ってなんだ? 普通のポーカーと違うのか?」

 そんな種々雑多な意見の中、バーニーは再び壇上から解説を始める。

「カジノで腕を鳴らした皆様ならば、ポーカーのルールを知らない方はいないでしょう。手持ちのカードを五枚組み合わせて役を作り、高い役を出したほうの勝ちというアレのことウサ。ポーカーにはいくつか種類がありますが、今回のポーカー25は昨今主流のテキサス・ホールデムではなく、伝統的なクローズド・ポーカーに近いルールで行われます」

 テキサス・ホールデムとは、世界的スタンダードとなっているオープンポーカー(手札の一部を相手に見せながら進行する)の一種だが、今回のゲームはクローズドポーカー……つまり、手札として配られた五枚と、その後のカード交換で役を作って勝負する、クローズド(相手に一切カードを見せない)ルールで行うようだ。

「ポーカー25においても、既存のクローズドとルールはほとんど同じ。上のグラン・カジノと同じ感覚で楽しんでいただいて結構です。駆け引きの基本となるBET方法【チェック】【コール】【レイズ】【ドロップ】も、もちろん有効。通常と大きく異なるのは、一対一のタイマン制であることと、お客様同士で対戦できるという点でしょうか」

 バーニーがそう言うと、台座の天板を破って、一組のカジノテーブルと二脚の椅子がせり上がって来る。台座は三メートル程度の高さがあるため、床に立っている客たちからはテーブルの上を覗き込むことは不可能だ。台座の左右にはそれぞれ階段が設置されているので、そこから昇ることでテーブルへ辿り着けるようになっているのだろう。

 バーニーは椅子の背もたれに手を置き、今日始めての神妙な表情でテーブルを睨んだ。

「ゲームはこのテーブル上で行っていただきます。対戦は必ず一対一。許可なく三名以上が壇上に登るのはルール違反とします。――しかし、ポーカーは単純に役が強ければ勝てるというわけではありません。相手を詐欺ブラフに掛けることができれば、【役なしブタ】でも高い役の相手を引きずり落とす可能性を秘めています。ポーカーが駆け引きのゲームと呼ばれる由縁ですね」

 ポーカーのブラフと言えば、高額を賭けレイズして相手にプレッシャーを与え、カードの開示前に降ろドロップさせるのが一般的だ。ブタでも高額を賭ければ、相手は「手持ちの役で勝てるのか」という不安に駆られ、賭け金が少ないうちに退散する。それを狙うのがブラフの戦術である。

 しかし、それは見抜かれれば当然のように負ける諸刃の剣だ。

 だから、ポーカーは基本的に資金力があるほうが安定する。ハイリスク・ハイリターンのブラフなんて勝率の悪い戦法を取らずに済むほうがはるかに効率的だ。

 強い役で勝ち、弱い役で負ける、そんな理想的な戦い方をするのなら、資金力が必要となると言えるのだが――。

「ですがァ……今宵お集まりの二十五名の中には、中途半端に金持ちなヤツ、貧乏なヤツ、なんだかよくわからないヤツまで様々な方がいらっしゃるでしょう。だというのに同じ条件で戦うというのは、あまりに不公平というものです」

 バーニーはそこで一度言葉を切って、段下の客たちに、ニィと笑ってみせた。

「というわけで今回は、当カジノが皆様に無条件でチップを貸し付けいたします。お客様が金持ちでも貧乏でもパッパラパーでも、等しく同じ枚数を貸し付けるのが当カジノのコンプライアンスでございます」

 一体何を言っているんだとツッコむ前に、美桜は近づいてくる黒服の存在に気付いた。先ほど美桜を案内してきた黒服とは別の男だ。他にも何名かの黒服が周囲の客たちに何かを手渡ししているので、一斉にチップを配っているのだろうと推察した。

 黒服から手渡されたのは、手の平大のプラスチックケース。

 ケースを開くと、二十数枚のトランプカードと共に、銀色のコインが十枚収められていた。これがチップなのだろうか。

「……うわ、このチップ重っ。この感触、もしかして本物の銀?」

 金属特有の冷たさに、美桜は思わず口を開く。

 コインを持ち上げて表面を見ると、刻まれていたのは【100T$】という文字だ。その【T】の意味を正しく飲み込むのに数秒を要した美桜は、次の瞬間には悲鳴に近い声を上げていた。

「100サウザンドドルって、まさか……十万ドルかッ?」

「いえーす、おふこーす。チップ一枚十万ドル。それが、当カジノの最低賭け金ミニマムBETでございます」

 バーニーのその軽い口調に、会場中で衝撃が走った。

「じ……十万ドルが賭け賭け金だって? 馬鹿を言うな!」

「高級車が余裕で買える値段じゃないか!」

 次々に飛ぶ客の怒号。冷静を心がけていた美桜も、さすがに動揺を隠し得ない。

 十万ドルといえば、日本円にして約1200万円だ。先ほど賭けた240万円のおよそ五倍。結構な博打だった二百枚のチップが、このチップ一枚の価値にも満たないのだ。

 しかも、プラスチックケースの中には、同じ銀色のチップが九枚も残っている。つまり――、

「当カジノが貸し付けるチップの数は、一人十枚。お一人様百万ドル1億2000万円です。お客様は二十五名いらっしゃいますから、総額2500万ドルがこの場にあることになりますね」

 ――総額2500万ドル。日本円にして、約三十億円。

 賞金総額三十億円を賭けた、客同士のゼロサムゲームが、このポーカー25の主題だった。

「もちろん、一戦にチップ十枚全部を賭けていただいても構いませんし、二戦目以降で得たチップを加算して十枚以上で勝負していただいても構いません。当カジノの最高賭け金マックスBETは青天井ですのでね。……ただし、この十枚はあくまで貸し付け。ゲームが終了した暁には、貸した十枚はきっちり返していただきます。この意味、お分かりですよねェ?」

 バーニーがウサ耳の下で妖しく笑う。その含みのある笑顔に、美桜はぞくりと、心臓を冷たい手で掴まれたような幻想を感じた。

(それってつまり、ちゅうことやん!)

 一枚につき1200万円ならば、十枚で1億2000万円。

 すっからかんになるまで負けたとしたら、総額で1億2000万円もの借金を一夜で負うということになる。

 あまりにも図抜けた巨額なレートに顔色を失っている客たちを見て、バーニーは血色の良い笑顔のまま口を開いた。

「あッッれえ? 皆さァん、どうされましたあ? もしかしてビビってらっしゃいます? たかだか百万ドル程度でビビっていては、観戦者の皆様に笑われてしまいますウサよ。なにせVIPの方々にとっては、この程度の賭け金は朝飯前。ゲームを勝ち抜き、VIPの仲間入りを目指す者ならば、一笑に付して頷くのが真のハイローラーというものでしょう」

 HAHAHA、と天井から響く笑い声。モニターの中で肥えた豚共が笑っているが、その様子に気を配っていられるほどの余裕は美桜にはない。

 万が一の逃走経路を求めて、美桜が無意識にきょろきょろと視線を彷徨わせていると、バーニーから二の次の言葉が降って来た。

「あ、ちなみに、負けたからって借金を踏み倒そうというのはナシですよ。ここに集いし皆様の素性はすべて心得てございますウサね。たとえ未成年者であっても、銀行口座からタンス貯金の隅々まで押さえる用意がありますので、そのつもりで」

 そう言って、バーニーがちらりと美桜を一瞥する。その笑顔とは真逆の冷たい視線に、美桜は背中がぞわりと総毛立ったことを自覚した。

(くそ……バレとる。ハメられたんか)

 ……しかし、逆を言えば、未成年であっても勝てば問題ないとも取れる発言だ。

 なにしろ、未成年であることを容認して、この場へ連れて来たのだから。

(どうせ、後には引けへんのや。……やったろうやん。私を連れて来たこと、後悔させたる)

 視線を逸らすことを止め、壇上に立ちはだかるバーニーを睨み返す。

 バーニーは眼を細めると、観衆の声が収まるのを待ってから、再び口を開いた。

「さてさて、それではゲームの細かいルールについてお話ししましょう。皆様、チップが入っていたケースの中身をご確認ください。トランプのカードが入っておりますね?」

 美桜はプラスチックケースを再び開けて、中から長方形のカードの束を取り出す。

 幾何学模様を裏面に配したカードの数は、全部で二十六枚。手の中でひっくり返して確認すると、ハートが十三枚と、ダイヤが十三枚、計二十六枚が、それぞれエースからキングまで順番に揃っていた。

「皆様にお配りしたカードのセットは二種類。スペード・クラブの黒セットか、ハート・ダイヤの赤セットのどちらかです。どちらもAからKまでの数字が揃っているので、つまり、同じ数字のカードを二種類ずつ所有している形になると思います」

 確かに、AからKまでのカードが二セットあるが、それが一体なんだというのか。

「ポーカー25では、ディーラーがゲームごとにカードを配ったり、チェンジを行ったりいたしません。お配りしたカードだけが皆様の手札。その二十六枚でポーカーをしていただきます」

「……はあ?」

 再び騒然となる二十五名。バーニーは続けて、

「なお、今回のゲームではジョーカー――いわゆるワイルドカードは使いません。この場にある二十六枚×二十五名、計650枚がゲームに用いられるすべてです。カードは一戦ごとの使い捨てなので、最大で五回戦分が配られたことになりますね。つまり、この二十六枚を使って役を作り、勝敗を競ってチップを増やすのが、皆様に求められる目的となります」

 事前に――手札のカードを配るだと?

 美桜は仰いでいた視線を下げて、もう一度手元のカードを確認する。

 カードはAからKが二種類ずつの計二十六枚。ポーカーの役は五枚で一組なので、二十六枚では五組ができる。つまり、その五組の役は事前に作っておける、ということだ。

「ところで、ポーカーは五枚のカードで役を作るゲーム。役の優劣は背面のモニターに表示したとおりですが、二十六枚では一枚余ってしまいますよね。では、二十六枚の中からいらないカードを一枚、お近くの黒服にお渡しください」

 バーニーのその言葉に、再び黒服たちが彷徨い出す。手元に黒い布袋を持っており、その中に不要なカードを入れろということのようだ。

 プレイヤーが一人、また一人と袋にカードを入れていくのを見て、美桜は慌てて思考を回転させた。

(えっと……この二十六枚で作れる構成は……)

 美桜は壁の巨大モニターに目を遣る。

 モニターに表示されたポーカーの役は、強い順に

 ファイブカード、

 ロイヤルストレートフラッシュ、

 ストレートフラッシュ、

 フォーカード、

 フルハウス、

 フラッシュ、

 ストレート、

 スリーカード、

 ツーペア、

 ワンペア、

 そしてハイカード(役なし・ブタ)

 の十一種。

 同数のカードが三枚以上要求されるファイブカード、フォーカード、フルハウス、スリーカードは物理的に揃えることが不可能なので除外するとして、この二十六枚で作れる最適な役の構成といえば――、

(なんや、結局コレしかないやんか)

 先ほどの黒服が近づいてきたので、美桜は一枚のカードを袋に入れる。

 投じたカードの種類は【ダイヤの2】。

 その瞬間、ジリリリ、というけたたましいベルの音が鳴り響いた。

「はい、時間です。これで、皆様の手元には二十五枚のカードが残りましたね」

 バーニーが手元の目覚まし時計の頭を叩いて、ベルの音を停止させる。

「これ以降、カードの譲渡は禁止です。もちろん他のプレイヤーとカードを交換したり、どこかに棄ててしまうのも禁止とします。その二十五枚だけが皆様の武器となるのです」

 そして鳴き止んだ目覚まし時計を手にしたまま、バーニーはにこりと微笑んだ。

「それでは、これよりゲームを始めていただきます。制限時間は一八〇分。時間終了時に手にしていたチップから、最初の十枚を差し引いた残りチップが、そのままお客様への賞金になります。……ああ、それから最後にもう一つ。申し伝えるのが遅れましたが――」

 そう言うと、バーニーはもったいぶる様に一拍を置いてから、口元をニッ、と吊り上げた。

「制限時間内にカードを使い切らなかった場合、カード一枚に付きチップ一枚。すなわち十万ドルのペナルティとなりますのでご注意ください」

「えっ?」

 客たちから吃驚の声が上がる。バーニーは小悪魔的に微笑みながらテーブルに手を突いて、

「だって、そうでしょう? 負けたくないなら戦わなければ良い――なんて、興醒めも良いところですもの。それでは、皆様に賭けているVIPの皆様も納得いたしません。やはりカジノは賭けてこそ。勝ったり負けたりして一喜一憂するのが醍醐味でございます」

 ――やはり塞いできたか、ルールの穴を。

 美桜は一縷の望みを絶たれたことを理解して、悔しげに爪を噛む。

 カードの手持ちは二十五枚。一戦もしない場合は、実にチップ二十五枚、250万ドルのペナルティだ。全敗して100万ドル失うよりも酷いことになるのは目に見えている。

 つまり、このカジノは、何が何でも見せたいのだ。

 一回十万ドルの超高額勝負で阿鼻叫喚する、ギャンブラーたちの一喜一憂を。

「さて、要点はまとまったでしょうかね。皆様の目的はただ一つ。二十五枚のカードで五回戦行い、手持ちのチップを増やすだけという、単純なポーカー・ゲームウサ。勝てば勝つほど賞金が貰え、しかも上位にはVIPスイートの権利が与えられる。なんと豪華なゲームでぴょんか」

 バーニーが楽しげにのたまうが、客たちの顔にはもう喜色はない。誰しもが十枚のチップを握り締め、この十枚を失わずに済む方法を思案している。

 そう。この十枚のチップこそが、プレイヤーの生命線。

 そして、二十五枚のカードは敵を殺す剣であり、チップを守るべき盾である。

 ――いわば、これは戦争なのだ。

 二十五人のプレイヤー同士で繰り広げられる、情け無用のサバイバルマッチ――!

「ふふ……皆様、顔付きが変わりましたね。だが、それでいい。皆様は生粋のギャンブラーだ」

 壇上に立つバーニーは、眼下の狼どもを見下ろして冷たく嗤った。

「そもそも目の前にカードがあって、ゲームをしないなんて有り得ないんだ。なぜなら、ここにいるのはギャンブルが三度のメシより大好きな賭博中毒ジャンキーの方々だから。このゲームが退屈しないものになるのは疑いようのない事実でしょう。――ねェ、VIPの皆様方?」

 バーニーの言葉に呼応して、熱狂の哄笑を吐き出すモニター群。

 床では這い蹲る狼どもが、ゲームが始まるのを、今か今かと待ち侘びている。

「さあ、それではファンファーレを鳴らしましょう。賞金総額2500万ドルを手にするのは一体誰か? ポーカー25……スタートぴょんッ!」

 どこからともなく響いたサックスのハーモニーが、高らかな音色を放ち。

 バーニーの背後の巨大モニターが今、一八〇分間の最初の1を刻んだのだった。

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