俺たちに月曜日(あす)はない!-Goddess of victory smiles to No Manday!-
宮海
プロローグ -1
享楽、愉悦、妄執、偏狂――この世のありとあらゆる乱痴気の感情を全部ミキサーにブッ込んで、グチャグチャになるまで攪拌して造られた街の名前をキミは知っているかい?
そう、それは世界一のカジノシティ――ラスベガス!
六十万人の人口に対し、毎年四〇〇〇万人もの観光客が訪れるという常軌を逸した歓楽街だ。
かの有名なサムライの国・日本全体の観光客数でさえ一三〇〇万人だってのに、その数倍もの人数がこの小さな街へと殺到していると言うのだから、国家戦略クールジャパンってナニソレ? オイシイの? ってな具合でウチのワイフも大笑いさ。
――まァまァ、そう卑屈になってしまうのも詮無い話さね。
ラスベガスはとにかく規模が違う。
東京二十三区の半分にも満たない面積に詰め込まれた大小様々なショップやダイニングの数は一万以上。ホテルの客室数に至っては十五万室以上だ。
夜に街を歩けば昼より明るく、メインストリートなんて左右に立ち並ぶ色取り取りのイルミネーションでギラギラしている。夜を無数に切り裂くネオンの光と、大音声のジャズが掻き乱す騒がしさに、お空で輝くべき星々も裸足で逃げ帰ってしまったくらいだ。
そんな、地球上のどこよりも絢爛で、どこよりも喧騒に満ちたこの街を造ったのは、紛れもなく人間たちの、貪欲で醜悪で底なし沼よりも深淵な欲望だろう。
だってさ、ホラ、見てご覧よ。世界十大ホテルのうち九つはこのラスベガスにあるんだぜ。
しかも、その中でもトップクラスの集客数と収入を併せ持つ、創業百年のゴージャスホテル『ワイアットパレス』――その五階では、今日も今日とて一枚百ドルのカジノ用チップが、まるで羽でも生えているかのようにふらふらと客とディーラーの間を行き来していた。
七階までブチ抜かれた背の高い天井に、フロアのすべてをブチ抜いて設えられた、途方もない広さを持ったこの大広間の名前は、ワイアットパレス名物、グラン・カジノ。
一日数千人訪れる富裕層の客を、一日で貧乏スラムの片隅へと蹴り飛ばす、ハイリスク・ハイリターンの魔の宮殿。カジノの殿堂とも呼ぶべきこの場所で、ルーレットがカラカラと鳴り、スロットがジャラジャラとコインを吐き出す様にガハハと笑い声が上がる光景はいつものことだが、この時ばかりは少しだけ空気の違うテーブルがあることに誰もが気付いていた。
それは、世界的スタンダードとなった高レートゲーム【バカラ】のとあるテーブル席。
高級ブランドのタキシードや煌びやかなドレスで着飾った紳士淑女、そしてグラン・カジノに入り浸る歴戦のギャンブラー達が、そのテーブル席を中心として人垣となるほどに周囲に集まり、固唾を呑んでテーブル上で繰り広げられるゲームの行方を見守っていた。
それもそのはず。なにせ、テーブル席の片隅に座るプレイヤーの前に堆く積まれたチップの数は、百ドルのそれが二百枚。実に二万ドルの大勝負なのだ。
現在の為替で、一ドルは約120円。これからディーラーが弾くトランプのカード一枚で、目前のチップの山が倍の480万円に化けるか、ドロンと消えるかの運命が決まる。
このような高額勝負、ここでは日常茶飯事ではあるのだが、それに挑むプレイヤーの風姿がこれまた特殊で、ギャラリーの狂喜を搔き立てていることは否定し得ない事実だった。
(――注目されるンは慣れへんけど、まァええわ。これも作戦のうちやしね)
周囲の様子をちらりと窺いながら、プレイヤーの淑女はそう心の中で呟いた。
淑女と言ったが、プレイヤーの女――
カリフォルニア工科大学に通う交換留学中の一年生。前髪を切り揃えた長い黒髪と、日本人特有の凛とした表情が印象的な彼女は、普段ならば誰もが歳相応と思える風貌の美少女だが、今日の格好は赤いトレンチコートに黒のタイトスカート。腕をふくよかな胸の前で組み、目の前の男性ディーラーの一挙手一投足を見逃すまいと睨み付けるその所作が、年端も行かない少女の面影を完全に消し去っている。東洋人の年齢を見た目で推察できない欧米人特有の審美眼も、年齢をごまかすことに成功している理由の一つだった。
(トレンチコートとか私の趣味ちゃうねんけど、カジノの年齢制限は二十一歳やし、しゃーなしや。……なに、ビビらず堂々としてればええ。どうせあと数秒で勝負は終わる)
美桜は唇を強く噛み締め、緑色のマットが敷かれたカジノテーブルへと身を乗り出す。高額勝負に気圧されていた青いベストのディーラーも覚悟を決めたようで、シューターと呼ばれるカードケースに手を掛け、まるで美桜に掴みかからん面持ちで鼻筋に力を入れた。
「それでは、二百枚のダブルアップ。……よろしいですね、
「確認なんか要らんわ。武士に二言はないねんで」
ディーラーは息を呑み、そして、一息でシューターからカードを二枚抜く。裏返しのカードは先にバンカーゾーンへ一枚置かれ、そして、もう一枚はプレイヤーへ。
慣れた手つきでディーラーがバンカーのカードを捲ると、現れたトランプは【スペードの8】だった。
途端に、周辺のギャラリーから悲嘆にも似た喚声が沸く。
「オーマイゴット、8かよ!」
「これじゃ、プレイヤーが勝つには9しかないじゃないか」
「やはり、良く見てやがるぜ運命の女神サマは。引き際を見極めろっていう思し召しだね」
「ああ。四連勝しただけでも奇跡なのに、欲張りすぎだぜ、あのお嬢さんは」
ギャラリーの意見はごもっとも。美桜はここまで、不自然なくらいに連勝を続けていた。
バカラは、一般的に運だけで決まるゲームだ。
バンカー側とプレイヤー側、どちらが大きいカードを出すかを予想するだけの単純なギャンブル。それゆえに賭けやすく、ハマりやすい。
しかも、今回のゲームはそれまでに得た配当金をすべて賭け、勝てば倍増、負ければ文無しという大博打なのだ。だからこそギャラリーは、諦観と嘲笑を交えて鼻息を鳴らしたのだった。
だが――美桜の怜悧な視線に、揺らぎはない。
ただ一枚。
目の前に滑り込んできた、一枚のカードだけを凝視する。
「さあ、ミス。……プレイヤーカードを
勝ちを確信し、ほっとした表情のディーラーが言う。
美桜は視線を上げて、答えた。
「言っておくけど、私は、こんなところで文無しになる気はないねんよ?」
「それはこちらも同じです。貴女一人に今夜の儲けをすべて奪われるわけにはいきません」
ディーラーの軽口に、美桜ははじめて表情を崩し、
「そやったら、この勝敗を分けたモンはなんやったのかなあ。考えるに、それはやっぱ――」
美桜は数秒だけ目を瞑り、日本を離れる前日のことを思い出す――。
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