首吊りのメソッド

星野 驟雨

首吊りのメソッド

紐はこちらを向く。

上から垂らされているか、ドアノブに巻き付けられているかのどちらか。椅子に上るか身体をあずけるかのどちらかだ。


椅子に上がってみれば世界は一変する。


その穴の中からの世界は美しく見えた。紐が現実との境目を創り出しており、その中の景色に不思議と吸い込まれそうになることもある。しかし、その穴を通ってしまえばその美しさは消えるのだ。首かせとなって、命綱となって。

その憧憬と落胆とが相まってできる浮遊感は普段の生活では味わえない心地のよいものだった。

一方でドアノブの方は、人間としての尊厳を剥奪される気分を味わえた。誰も居ない部屋の中で一人で首かせとしてくっつけている。それのせいで眠ってしまえば解放される誘惑に誘われる。その誘惑に誘われるようにして身体をあずけようとしたところを理性が止める場面なんてものは、自分自身を保つことの最たるものだと思った。


私は別に死にたいわけでは無い。ただ、現実に嫌気がさしているだけなのだ。だから現実から逃げる必要がある。そのための首吊りなのだ。

私は首吊りを怖いものだとは思っていない。むしろ解放のためのメソッドだとすら考えている。


救済の技法なのだ。これは。


今日も椅子に上り、穴の中を覗く。綺麗な世界だった。天体望遠鏡の中にあるちっぽけな宇宙なんてものじゃあない、大空に悠然とある漠然たる荘厳のようなものだった。その世界は、自由だったのだ。

私たちが生きるべき道はこれだったと悟るまでに少しばかりの時間がかかったが、それがどれほどかかったかは思い出せない。

私は、ドアノブに巻き付けてある縄を横目に満足げに頷く。


これなのだ。そう、これなのだ。

私の求めていた感覚はこれなのだ。

今それを私は手にしている。

この逃避は素晴らしい。そうしている間は、戻ることが無いのだから。

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