鎮魂館〈レクイエム〉へようこそ! ~白と黒の陰陽王子とやさぐれ元OLの浄霊ノート~
侘助ヒマリ
第1章 鎮魂館<レクイエム>の二人の王子
01 スウェット上下のシンデレラ
電柱を凝視していたら、ナンパされた。
うららかな春の日差しが降り注ぐ中、地元民で賑わう
「近くにあるカフェで、ちょっとお話しませんか?」
レジ袋をぶらさげ、クロックスのばったもんを引っ掛けたスウェット上下の私も私だけれど、そんな見るからに気の抜けた女に声をかける男も意味がわかんない。
「ここで話すような内容ではないので、ちょっと場所を変えてお話させていただきたいんです」
細い銀縁の眼鏡越しに、紅茶色の澄んだ瞳が半月を描く。
穏やかに微笑むイケメンの彼は王子オーラ全開なのに、職を失いやさぐれ真っ只中の私にはその眩しさが目にしみるほど痛かった。
「コロッケをぶら下げたスウェット上下の女が、そんな誘いにのこのこついていくと思います? ナンパなら他を当たってください」
「ちょっと待って。……今、あなたはこの電柱をじっと見てましたよね?」
クロックスまがいの踵を返して逃げるように立ち去ろうとする私を、低く柔らかな声が引き留める。
「もしかして、あなたには見えてるんじゃないですか?」
「え……。 “見えてる” って──?」
探るような口調に、思わず振り返ってしまった。
「見えてるんですよね? ……電柱に重なって透けている、猫の
「…………っ」
核心に触れたその一言に、心臓が口から飛び出そうになる。
そんな私の顔を見て、目の前の王子は探し求めていたシンデレラを見つけたかのごとく、眼鏡の奥の瞳を煌めかせて微笑んだ。
***
私より二つ三つ年上、二十代半ばくらいだろうか。
涼やかに整った顔立ちとすらりとした長身。洗いざらしの白いシャツに淡いブルーのデニムパンツというスタイルが、彼の爽やかな雰囲気を一層引き立てている。
焦げ茶より少し明るい髪が風に揺れるのを斜め後ろから見つめていたら、彼が何かを思い出したように振り向いた。
「そう言えば、お名前をまだ聞いてなかったですね。僕は
「
「真瑠璃ちゃんか。可愛らしい名前だね。学生さん?」
「いえ。OLでしたけど、突然解雇されて三日前から無職です」
一個四十八円のコロッケ二つが入ったレジ袋をぶらぶら揺らしながら正直に答えると、在人さんと名乗る王子は「そう。色々と大変そうだね」と穏やかに微笑んだ。
他人事だからそんな風に受け流せるんだろうけど、当人からすれば由々しき事態だ。
一人暮らしだから急いで次の仕事を見つけなきゃだし、それまでは僅かな貯金でなんとか食い繋がないといけない。
それに、解雇の経緯が経緯だし──
ほんとならナンパについてくほど呑気な状況じゃないんだけど、在人さんのさっきの一言を聞いたらスルーするわけにはいかなかった。
「あの……。弓削さんは私に猫の死霊が見えてるんじゃないかって言いましたけど──そう尋ねるってことは、あなたにも見えていたんですか?」
思いきって私も核心に触れる質問を投げてみたら、彼は残念そうに首を横に振った。
「僕は “感じる” ことはできるけれど、“見る” ことはできないんだ。だから、君が焦点を定めてそこを凝視している姿に、やっと見つけた! って嬉しくなってしまった。突然声をかけて驚かせてしまってごめんね」
甘やかなマスクの王子から “やっと見つけた” なんて言われたら、本当に自分がシンデレラになったかのように錯覚してしまいそう。
でも、それって在人さんが死霊が見える人間をずっと探してたってことだよね?
何のためにそんな変わった人探しをしているんだろう?
首を傾げつつ彼の後をついて路地の角を曲がると、彼が再び振り返った。
「あそこのカフェです」
指をさす先を見ると、五十メートルほど向こうの並びにレトロな洋館が建っている。
ひっそりとした佇まいなのに、庶民的な住宅地になじまない、風格のある一軒家。
引き寄せられるように近づいていくと、建物の入口に木製の看板が掲げられていた。
「ちんこんかん……」
「“鎮魂館” と書いて、“レクイエム” と読むんですよ」
思わず声に出した読み方を間髪入れずに訂正され、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
よくよく見ると、縦書きに「鎮魂館」と大きく書かれた文字の横に「レクイエム」とカタカナがあてられている。
確かに、瀟洒な洋館カフェの名前が “ちんこんかん” なんて響きじゃマヌケすぎるか……。
「どうぞ」
三段の石張りのアプローチを上った在人さんが、重厚な木製のドアを開けてくれる。
「わぁ……っ」
促されるまま一歩踏み入った私は、店内を見回して感嘆の声を漏らした。
小さなダンスパーティーができそうなくらいの広さがあるフロアに、アンティークなテーブルと椅子が点在している。
かつては実際に使われていたであろう煉瓦造りの暖炉や、壁際に置かれた猫足のコンソール。
店内は薄暗くてひんやりとしているけれど、高い天井から下がる煌びやかなシャンデリアがフロア全体をやわらかく照らしていた。
「素敵なカフェ……」
うっとりしてため息が漏れたけれど、そう言えば私の今の格好はスウェットの上下にばったもんのクロックスだった!
しかも、商店街で買ったコロッケをレジ袋でぶら下げてるし!
「あのっ、こんな格好で来ちゃってるし、やっぱり今日は帰ります!」
在人さんに慌ててそう告げると、彼はゆったりと微笑んだ。
「そんなの気にしないで。ここは僕たちの店だし、今日は定休日でお客さんは誰もいないから」
「えっ!? このカフェ、弓削さんが経営してるんですか?」
その風貌でこのカフェの経営者って、どんだけナイスガイなんですか!?
求職中だろうが食費切り詰めていようが、今度はとびきりのお洒落をして来店せねば。
そんな決意を胸に刻んだ時だった。
「在人、またどこの馬の骨ともわからない奴を連れてきたのかよ」
高めのハスキーな声が耳に刺さり、驚いて声のする方を見た。
ぱっと見渡したときには気づかなかったけれど、フロアの奥、薄暗がりに置かれたテーブルに黒ずくめの男が座っている。
「どーせ使い物にならないに決まってる。その女も」
吐き捨てるような言葉と共に向けられた、ナイフのように鋭い視線。
無遠慮にそれらを放つ男もまた、王子と呼べるほどに整った容姿を持っていた。
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