完全体へ
「ギリギリセーフ、だな」
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ」
携帯の時間を見ながら先輩がそう口にし、俺は息を乱していた。
先程の先輩のLINEを見てなんとかレイを説得し、銭湯に行くとこまで漕ぎ着けた。しかし、説得に時間を掛けすぎて待ち合わせ時間が迫り、俺は急いで準備をし、ここまで怒濤のごとく走ってきたのだ。
「もっと余裕持って行動しろよ、森繁」
「おお、きな、お、世話、です。それに、てっきり、「黄昏の湯」の、ことだと思って、ましたから」
黄昏の湯とはアパートから歩いて15分程度で着く入浴施設のことだ。レイと出会う前はたまに利用していた。
「あっちは温泉施設だ。言ったろ? 銭湯に行こうって」
何を今更、というように答える先輩。
LINEに地図が貼り付けられており、妙だとは思ったのだが、まさかこんな離れた場所とは思わなかった。おかげで高校以来の全力疾走。足がプルプルいってる。
息を整え、だいぶ呼吸が落ち着いたので俺は目の前の建物を見上げる。
だいぶ古い建物だった。高さはビルの2階から3階ぐらいまであるが、外壁や屋根は塗装が所々剥がれ、素人が修復したような痕がいくつもある。銭湯のシンボルと云える煙突も、建物の後方から天に延びているが、遠目からも汚れが目立っていた。
「こんな銭湯があったんですね」
「まあな。俺もつい最近知った。でも、風情があるだろ?」
外観は古いのだが、たしかに先輩の言う通り銭湯は古くてナンボ、という概念があった。ピッカピカの真新しい銭湯は目にしたことはない。「銭湯=古い」という固定概念が俺の中にはあった。
「よし、入りに行こうぜ。汗でベタベタだから早く流したいんだ」
そう言うと先輩は扉を開け、一人先に中へと入っていった。
「じゃあ、俺も行くわ。悪い、レイ」
周りに誰もいないことを確認してから目線を左に向け、側に立っているレイに一声掛ける。
しょうがないわね、と言うように頭を振ると、レイは姿を消した。
中から先輩の呼ぶ声が聞こえ、俺も銭湯へと踏み入れた。
◇◇◇
入ってすぐにこれまた年期の入った発券機があり、先輩と共にそこで大人一枚を購入。微妙に字が薄れた紙を手にし、番台に座るお婆さんに手渡す。
「はい、大人二人ね~。どうぞ~」
しがれた送り声を聞きながら、藍色に「男」とかかれた暖簾を潜り、俺達は男湯へと向かった。
縦に3、横に10の正方形に近いロッカーが左右に並び、中央には背凭れのないベンチが鎮座している。床も独特というか銭湯特有というかペタペタと足に吸い付き、よく目にするオーソドックスな脱衣所が目の前に広がっていた。
今日は日曜日ということもあり既に何人か来ていたが、服を脱ぐ者、下着を穿き始める者、扇風機で風を受ける者、ベンチに寝る者と行動が一致しない。
「あれ? ここ24時間営業?」
疑問に思って口にすると、それを聞いた先輩が答えてくれる。さすがに一日とはいかないらしく、3時~6時は掃除で一回閉めるらしい。それでも24時間中21時間は開いているのだから、ほぼ一日だ。
俺と先輩は空いているロッカーを使い、衣類を脱いでいく。まず上着を脱ぎ――。
「よし! 行くぞ!」
腰にタオルを巻いた先輩が隣にいた。
「脱ぐのはやっ!」
おいおい、まだ数秒しか経ってないぞ。どうやったらそんな早く脱げるんだよ。まさか、破いたんじゃないだろうな……。
驚きと呆れを感じていたが、先輩が両手に握っている物に目が移る。
「何で牛乳とコーヒー牛乳持ってるんですか?」
その手には銭湯でお馴染み、瓶に容れられた牛乳とコーヒー牛乳があった。先輩の奥の方に冷蔵庫があり、どうやらそこから買ってきたようだ。
「えっ? 飲むからに決まってるだろ」
「いやいや、それって風呂に入る前じゃなくて、入った後でしょ?」
「分かってないな~、森繁。通な人間は入る前と入った後、2回飲むんだよ」
チッチッチッ、と指を揺らす先輩。
「へ~、知らなかった。どうもっす」
俺は先輩に手を延ばす。
「は? 何が?」
「何がって、一本くれるんですよね?」
「何バカなこと言ってんの? これは俺が飲むんだよ」
ダブルで!?
「いや、先輩。2本飲むのはやめた方が……」
「何を言ってるんだ。力を蓄えなくてどうする」
それはこっちの台詞だよ。力ってなんだ? 力蓄えて何になんだよ。しかも、牛乳飲料に力なんてないだろう。脂肪ぐらいだろうが。
「フッフッフッ、とうとう手に入れたぞ。この17号と18号を吸収し、私は完全体になるのだ!」
どこぞの人造人間の台詞を吐く。だいたい、どっちが17号でどっちが18号だよ。
そんなどうでもいい疑問が浮かぶ中、先輩は高々とその双子(?)を持ち上げ、それから口から己に吸収し始めた。2つ同時に……。
「……ブッハァ! やっぱ無理だったか!」
「当たり前だ!」
口からだらだらと白と黄土色の液体を流し、先輩の完全体への試みは失敗に終わった。
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