double B side
UTA
第1話 黒い羽のラプンツェル
アルバ暦837年、種の月。
アルバ教の総本山がある都市、リベンティーナからの出動要請にグングニル上層部は肝を冷やした。ニーベルングが大陸中にある全ての防衛拠点をすり抜け中央近辺に現れたことは、これまでにも何度かある。ただしいずれも小型で弱りきっていて、孤軍奮闘よろしく突撃してきたというよりは運悪く迷い込んでしまったタイプだ。そういったケースにも普段通り適切な部隊を迅速に派遣することで事なきを得てきた。しかし、今回はいささか事情が異なる。
「……でっかいなぁ。どういう食生活したらああなるんだろ」
シグは手の甲で太陽光を遮りながら眉根を寄せた。視線の先、上空で南中にさしかかった太陽が標的の輪郭を曖昧にしている。眼つきが悪いのは生まれつきだが、今はより三白眼が際立った。
「少なくとも誰かさんみたいな、すずめの涙定食じゃああはなれそうにないね」
やはり手の甲を望遠鏡代わりに頭上を見上げるナギ。ほぼ名ざしされたも同然のシグが、今度は唇の端も引きつらせてナギに恨みがかった視線を送る。
「……食べたよ、今朝は」
「オープントマトサンド一切れにカップ半分のコーヒー、超絶ちっちゃいオレンジ一個。一体これで成人男性が必要とするカロリーの何パーセントが補給できたというのでしょうか!」
「……ナギは俺のストーカーかなんかなの」
「八番隊隊長補佐として隊員の健康管理に気を配っているだけでしょ?」
爽やかさ全開の笑みで返されて、シグはそれ以上何も言い返せなくなった。
少食で偏食のシグをナギは親心と責任感から毎食しっかりと見張って──いや、見守っている。かく言う彼女の今朝の朝食は、バゲット三切れにサラダ、目玉焼き、ベーコン、ヨーグルトとバナナ、オレンジを二つ。締めにカモミールティー。
得意げに語るナギの横で、衛生兵であるアンジェリカが美しい柳眉を潜めて自分の腹部をさすっていた。
「うえぇ。聞いてるこっちが横腹が痛い。毎日それだけ食べてなんでそんなにガリガリなのよ? とんでもない寄生虫かなんかお腹に入ってんじゃない? 診ようか?」
「ガリガリじゃないっ。必要な筋肉はついてるっ」
「あんたねえ……女子に必要なのは筋肉じゃなくて適切な箇所の適切な量の贅肉でしょうが」
「ほ……ほっといてよっ! だいたい胸は食生活でどうにかなるもんじゃないでしょ!?」
ついさっきまでシグへ忠告していたはずだったのに、気付けばナギ自身が墓穴をほっていた。シグは上空を見上げたまま両手で自分の耳を塞いでいる。こうしておけばこの手の話題で言われの無いとばっちりを被ることは無い。女同士、特定の部位の「肉」の話がエスカレートする中シグだけは無我の境地で「例の巨大なアイツ」をひたすら見つめ続けた。
そこへようやく救世主たちのご登場。
「昼間っからなんて話してんだお嬢さん方は……」
呆れかえった声で合流してきたのはバルト。この隊の最年長、と言ってもまだ四十路に満たない。恰幅の良い彼の後ろから同隊所属のサブロー、リュカ、マユリが上方の標的に感嘆を漏らしながら歩いてくるのが見えた。
「緊張を和らげようと思っただけよ。今回はどうも一筋縄じゃいかなそうだし。……で、隊長は?」
アンジェリカの疑問にバルトは無言のまま親指で後方を指した。各々半ばぼんやりと空を見上げて歩いてくる、そんな部下たちを掻き分けるようにしてその男はやってきた。少年のように瞳をキラキラと輝かせて。
「うわ~報告で聞いたよりでっかいな~。この位置から見てこれだけ圧巻なんだから、間近で見たらもっとすごそうだ」
僅かに頬が紅潮している。そして僅かではなく白い歯がのぞく。半笑いで話を合わせる隊員たちと、自分たちの真上に威風堂々と構えるニーベルングを交互に見やって、その男は満足そうに大きく頷いた。
「……サクヤ」
先刻まで必要な「肉」について熱く論議していたナギも平静を取り戻す。このままこの男を放置するのは得策ではない。長年の経験が警鐘を鳴らしていた。そしてその予測は十中八九正しかった。足取りも軽やかにやってきたこの男の更に後方、この世の終わりを体現したかのように悲壮感漂う司祭がふらふらとこちらへ向かってくるのが見えた。サクヤはお構いなしに、今回の「標的」に夢中である。
「巨体は巨体だけどもっと特徴的なのはこの色だよね。ここまで真っ黒なのは今までいなかったんじゃないかなあ? とりあえず呼称は“カラス”で本部に申請するとして……カラスはまだ使われてなかったよね?」
ニーベルングは発見次第、対処した小隊の隊長が適当な呼称をつけることになっている。ニーベルングの台頭により絶滅したといわれるかつての空の覇者、鳥の名を付けるということ以外に特に規定はない。規定はないがそれはそれ、暗黙の了解というのが当然ある。先日八番隊が討伐した大型ニーベルングを「ブンチョウ」と名づけて機関上層部から大顰蹙を買ったのは皆の記憶に新しい。
「ナギ、聞いてる?」
「……聞いてる。それよりサクヤ、後ろ」
「後ろ?」
その反応は絶対におかしいだろうとナギは間髪いれず胸中で呟いた。ナギの記憶が正しければ、彼──グングニル小隊第八番隊隊長サクヤ・スタンフォード中尉は、数名の隊員を連れて最低限の状況を把握するためリベンティーナ教会の司祭殿を訪ねたはずだった。おそらくは彼の背後でげっそりしているのがその司祭で、何かしら状況を把握したからこうして現場にこぞって現れたのだろうが。
サクヤは数秒間凝固した後、取り繕うように咳払いをした。
「失礼、取り乱しました。えーっと、みんな。この方がグングニルに連絡してくださったヴォルフ司祭。直接話していただいた方がいいと思ってお連れした」
その割に思いきり存在を忘れていたようだが、誰も上げ足をとる者はいない。彼は曲がりなりにもこの隊の隊長である。だとかの肩書云々とは全く以て無関係、八番隊隊員は全員サクヤの所業に慣れ切ってしまっているだけのことだ。日常茶飯事にいちいちつっこみをいれる者はいない。
「今僕らの真上に居座ってるのが今回の標的であるニーベルングだ。呼称はカラス(予定)。三日間あそこから全く動いていないらしい。ですよね? 司祭」
「ええ、はい……。正確にどうかと言われると困るんですが……三日間あのような状態です。襲ってくるわけでもない。それが逆に不気味でして……」
司祭は一瞬上方に視線を移したがすぐに地面を見つめる。血の気は失せ、両目の下には濃いくま、司祭からはおよそ生気といったものが感じられなかった。隊員たちは生返事をしながら、皆思い思いに塔の先端を注視した。
皆の視線の先にはこの街のシンボルである大時計塔、そしてその天辺を台座代わりに漆黒の翼竜が鎮座している。それは微動だにせず、一見すると彫像のようであった。周囲には禍々しさと神々しさが混ざり合ったような、独特の空気が漂っている。
「それにしても黒いですねぇ……」
「黒いっすねぇ」
一際若い隊員であるマユリが眼鏡を光らせながらありのままの感想を述べると、それに倣ってサブローも眼鏡を光らせた。意図的にではない。塔を見上げていると必然的にそうなる。
「黒い黒いって、んなの見りゃ分かるんだよっ。他になんかないのか、特徴。横から見ると美形とか、瞳が純粋そうとか」
腕組みポーズで口をへの字に曲げたリュカ隊員、彼も若い。若いがわけもなく偉そうだ。項まで伸ばした長髪からどうにも軟派な印象を受ける。が、彼の発言はそれなりに受け入れられたようで、眼鏡の男女はそれぞれ対称方向に塔の横手に回りこんだ。神妙な面持ちで一周すると、無念そうに頭を振った。
「ない、ないわ。ただただ黒い。頭から尻尾までひたすら真っ黒」
「っていうか、この距離から瞳がどうとか分かりませんし。リュカさんテキトーすぎ」
口元を引きつらせるリュカを尻目に、サクヤは別のことを考えているのか黙って漆黒の翼を見つめる。そこへヴォルフ司祭がおずおずと進み出た。
「あの、それで。この後の対応はどうなるのでしょうか。我々はどこかに退避した方が宜しいのでしょうか」
隊長、と呼ばれていたから彼に問いかけたがどうにも不安だ。この隊に限ったことではないのかもしれないが、誰も彼もが年若い。平均年齢は二十台半ばといったところか。
「いえ、それはもう少し情報を揃えてから判断させてください。あそこでああしてるっていうことには、何かしら意味があるでしょうから」
サクヤは一度視線を司祭に戻して、穏やかに微笑んだ。そしてすぐに視線を空へ、黒い塊へ戻す。それは置物のように、初めからそこにあった装飾のように、時計塔と一体となっていた。生きているのかどうかも疑わしい。ここまで微動だにされないと無害のようにも思える。
「ひとつ提案なんですが」
「はい。はい、なんでしょう」
「……もしあれが何もしてこないということが明らかになった場合、このまま新しい街のシンボルとして迎えてみるってのはどうですか」
「……はい?」
サクヤは至って真面目に、思ったことを口にした。時が止まったかのように司祭の表情が固まる。その二人の後ろで塔を見上げてなにやら熱心に拝んでいる老人がいる。指を差して生き生きと笑う子どもがいる。手を振る幼児もいる。このニーベルングは意外に人気者なのではないだろうか。
「と、とんでもない! ニーベルングを崇めるような真似、できるはずもない!」
サクヤの斬新過ぎる意見は司祭にとっては寝耳に水だったようで、残念ながら検討の余地もないようだった。心底残念そうに肩を落とすサクヤ。瞼を伏せて「そうですか」と悲しそうに呟いた。
「被害らしき被害は確かに、今のところありません。ただ、この場所は困るのです。大時計塔は、このリベンティーナの象徴であり守り神でもあります」
「なるほど。大時計塔に危害を加えてはならない、と」
「そうです。それに毎日真夜中になると咆哮をあげるのが恐ろしくて……。今にも襲ってくるんじゃないかと気が気じゃありません」
「咆哮? 真夜中に?」
「ええ、そうです。遠吠えといいますか」
「それ、正確な時間は分かりますか」
「え。あ、そうですね、他の司祭に確認すれば記録をしている者がいるかと」
ヴォルフ司祭は戸惑った。それと同時に今の今まで一切抱かなかった安堵というやつを多少覚える。目の前にいる男は、つい数秒前まで「ニーベルングニューシンボル」案を頭から拒否されて思いきりしょげていた男と同一人物とは思えない。この隊は若い、しかしそれによる不安を感じさせない異様な余裕がある。それは全てこの隊長に由来するものではないのか。
「毎日決まった時間の咆哮となれば、調べる価値はある。何か重要なメッセージかもしれないし、そうじゃなかったとしても決まった時間に吼えるなら……鳩時計みたいで便利だ」
「サクヤ。冗談はそれくらいに」
ナギが嗜めた。しかしもう司祭には分かる。これは冗談ではない。彼の発言はどれもこれも本気なのだ。咆哮に意味がなければ彼はもう一度「ニーベルング時計として街のシンボルに」などと進言してくるだろう。しかもその際は自信満々にだ。
司祭は神に祈った。この漆黒のニーベルングが、特別な理由で時計塔の頂上に座し、特別な理由で咆哮をあげていますようにと。
「みんな、概要は聞いての通りだ。と言っても情報は僅少、街の構造も把握しておく必要がある。そこで僕らがまずやるべきことは──」
部隊長の指示に皆が黙って耳を傾けた。
「観光……!」
そして皆がおもむろに頷く。今度は機敏に“リベンティーナてくてく散策マップ”なるものを懐から取り出す。事前に手配しておいたものだ。国教の総本山があるこの街は広大な上、路地が複雑に入り組んでいる。歴史ある建造物、伝統ある鑑賞物も多い。巡礼以外でも物見遊山や買い物で賑わう格式ある街である。把握するには絶対に必要なアイテムだった。
「バルトとアンジェリカは二人で東側をまわってくれ。シグ、サブロー、リュカ、マユリはヴォルフ司祭をお連れして教会に立ち寄った後、西側を。日没前、そうだな午後六時にはこの時計塔に戻ってくるように。はい、じゃ各自解散っ」
「了解!」
無駄に歯切れの良い返事が響く。皆が皆、生真面目に迅速に行動に移った。その手にはしっかりと「リベンティーナてくてく散策マップ」が握られている。ヴォルフ司祭もなんだかんだ言って観光案内にノリノリではないか。
ナギの口からひとりでに嘆息が漏れた。てくてくマップを穴があくほど見つめているサクヤの顔を横から覗きこんだ。
「で、私はどうしようか?」
「ああ、ナギは僕と。ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ」
まるでそれだけは予め決まっていたような口ぶりだ。決まっていたのかもしれない、彼女は八番隊隊員であると同時にサクヤの補佐官という立場でもあるから必然的に二人きりでの行動も多くなる。という解釈をずっとしてきたが、ここ最近、実はよく分からなくなっていた。
真意を確かめようと思ったわけではないが、気が付いたらサクヤの顔を凝視していた。気付いてサクヤが笑顔をつくる。一応作戦中のはずだが、この男はどうしてこうもにこにこと笑うのか。今回も謎のまま終わりそうだ。今度は気付かれないように小さく嘆息して、ナギは黙ってサクヤの後ろを歩いた。
対ニーベルング機関“グングニル”──それが、彼らの所属する組織の名称だ。今から二十七年前、空の亀裂という常識では考えられない場所から出てきた翼竜“ニーベルング”の討伐を専門とする機関である。ニーベルングは固い表面皮膚に覆われ、通常の火器ではその皮膚を貫くことができない。そこで開発されたのが爆発性物質を多分に含む鉱石「ラインタイト」を主原料とした兵器“魔ガン”だった。“グングニル”は、この魔ガンを使いこなすための特殊な訓練を受けた者の集まりである。
サクヤ率いるグングニル小隊第八番隊は、一言で言うなら色モノだ。サクヤ自らが選出、交渉した隊員たちは皆、機関の中でもひと癖も二癖もある連中ばかり。ただし実力に関しては皆が皆、機関トップクラス。上層部から見ればただただ扱いづらい連中であることは言うまでもないだろう。そんな八番隊にお鉢が廻ってくるのが、今回のような想定枠から見事にはみ出した案件だ。
中央に大型ニーベルングが現れたというだけでも充分に特殊なケースである。それに加えて大時計塔の先端にオブジェさながらに居座って三日間。普通に考えれば不気味だ。更に更に討伐に当たっては、大時計塔に危害を加えないという条件まで付されている。
「完全に八番隊の案件ってかんじ……」
「何ー? なんか言ったー?」
「なんでもなーい」
独りごちたつもりがしっかり聴こえていたらしい、振りかえってわざわざ立ち止まるサクヤにナギは気だるく切り返した。実際気だるい。二人は今、リベンティーナで一番、いやこの地区で一番高い建物の頂上を目指している。大時計塔だ。延々と続く螺旋の石階段、等間隔に設置された明かりとり用の窓から指す斜光、やはり一定のリズムを刻む足音、それらを繰り返しているだけで充分気が滅入る。作戦前にこんなに体力を消耗して良いのだろうか。今どのくらいの高さで、後どれくらい上らなければならないのか、それが分からないから余計に疲労を感じる。
(みんなは好き勝手に観光に行って美味しいもの食べたりしてるのに、なんで私だけこの苦行につきあわなきゃいけないの……)
数段先を鼻唄混じりに上るサクヤの背中を恨めしげに見やる。鼻唄はこの際放っておくとしても、どれだけ上ってもサクヤの足取りが軽快な点は不愉快だ。現グングニル最強の異名は伊達じゃないらしい。張り合うのもなんだか馬鹿馬鹿しくなって、ナギは立ち止った。
「ねえ、なんでよりによってここなの……」
一定だった足音のひとつが途切れたことで、サクヤも立ち止まった。
「それを僕も考えてた」
「……はい?」
「昼間はどうしたって極端に目立つ。……目立つ必要性があるってことなのかな。どう考えても討伐されるリスクの方が高いのに」
ナギは一瞬浮かべた青筋を瞬時に引っ込めた。サクヤはどうやらニーベルングの不可解な行動について考察するためにここへ来たようだ。なるほど。いや、待て。納得しかけたが別に自らが上る必要性は全くないのではないだろうか。そもそもそれに付き合う必要はもっとないのではないだろうか。
「ナギなら、どういうときにこれに上ろうと考える?」
そしてニーベルングとナギの思考を照合しようとしてくる時点で、とんでもなく腹が立つ。腹が立つがサクヤは至って真剣だ。ここはもう付き合うしかない。
「いや、私はできればこれには上りたくないけど。高い所に上って、目立たなきゃいけない理由を考えればいいんでしょ? なんだろう……監視、探し物、するには高すぎるか。あとは待ち合わせとか……って誰とって話だね」
あの黒いニーベルングが、デートに遅れた彼女でも待っているのであれば話は別だ。それは危険を冒してでも待ち続ける必要があるだろう。
ナギはそこまで考えて、自分の空想に自嘲した。ニーベルングがそんなメルヘンな思想の持ち主なら苦労しない。そもそもニーベルングに思想なんてものがあるのだろうか。サクヤの口ぶりからはそれは当然存在するもののように聴こえた。
「待ち合わせ、なら確かに動けないな……」
「ごめん、忘れてそれ。さすがに考えなしだった」
「そうかな。概念はそう外れてないと思うけど……。お」
数段上った先で、サクヤがまた立ち止まった。今までの構造から雰囲気ががらりと変わり、広大な屋根裏部屋のようなスペースに出た。どうやら時計盤の真裏のようだ。今までは単なる通気口でしかなかった明かりとりの穴も格段に大きい。サクヤはそこから身を乗り出して、リベンティーナの街並みを見下ろした。
「いい眺めだ」
「真上にニーベルングが座ってると思うと落ち着かない……」
ナギは本音を漏らしただけなのだが、サクヤは何がおかしいのか軽快に笑った。上空に吹く強い風がほぼそのまま流れ込んでくる。風はサクヤの銀の髪を揺らし、ナギの長い金の髪を真横に流した。
ここからはリベンティーナの街が一望できる。夕焼けに染まる宗教都市は、荘厳で美しい。真上にいるニーベルングも同じ景色を見ているのだろうか。
「サクヤ。ちょっと、訊いてもいい」
「なに?」
「さっきの。もし、ニーベルングがこのまま居座ってるだけで何もしないって分かったらどうするつもりなのかなって。まさか本気で観光名所化しようなんて思ってないよね」
「うーん……今回は居座ってる場所が場所だけに、放っておくってわけにはいかないだろうね。ただ必ずしも討つ必要はないのかもしれない」
思いのほか真面目に解答が返って来た。しかしそれもサクヤの価値観の中での話だ。グングニル機関は対ニーベルング、すなわちニーベルング殲滅を目的として存在する組織だ。その主義から、サクヤは時折外れた言動をする。無論、時と場合は彼の中で慎重に選別されているようだったが。
「グングニル機関として魔ガンを手にし、ニーベルングを撃つのはあくまで『手段』だ。手段は変えることができる。……と僕は思っている。そこに囚われると大事なことを見落とす気がしない?」
「大事なこと、か」
「これは僕の勘だけど、彼らにとっても街や人を襲うのは『手段』にすぎないような気がする。ニーベルングにも目的があるはずなんだけどなぁ。……とは言え、今は全体の目的よりもこのニーベルングがここに座りこんでる目的を知ることが先決かな」
天井を見上げるサクヤの影が、気付けば随分長く伸びている。沈み始めた夕陽は眼下の街並みだけでなく、時計塔内部も同じように濃いオレンジ色に染めた。
「サクヤ、そろそろ戻らないと。情報があってもなくても、作戦方針を決めないとまずいでしょ」
生返事が漏れる。サクヤは下顎を右手で支えて何やら思案顔である。まずい、スイッチが入ったか。面倒なことを閃く前にさっさと強制連行するに限る。
「下りるよー、置いてくよー」
「……ナギ。ちょっと頼まれてくれないかな」
遅かったか──ナギの足と笑顔が静止する。ナギにとっては苦行と世間話と絶景スポットの組み合わせでしかなかったこの僅かな時間で、サクヤは何か確信に近い仮説をたてたらしい。
形だけ確認をとっているものの、ナギがイエスともノーとも言う前にサクヤは依頼内容(無茶ぶり)をさくさくと説明した。嬉しそうだ。対してナギは、堪え切れず口の端を引きつらせる。
「ねえサクヤさん? 今からこの階段を全速力で下りて、本部に連絡をとって、資料室をこじ開けてもらって、結構優秀な隊員に超高速で調べてもらって報告をもらったとして一時間くだらないよ?」
「そうか、そういう流れになるね。じゃあとりあえず今すぐ全速力でここを下りよう!」
言うが早いかサクヤは既に階段を下りはじめている。軽快を通り越えて神速でタップを踏んでいるかのようだ。
「じゃなくて! 作戦開始時刻は20:00でしょ!? それじゃ間に合わないよねって言ってるの!」
出遅れたナギも神速タップを余儀なくされる。一体これは何の修行なのだろう。そもそもここはそういう塔だったっけ。混乱する脳内に二人分の足音が太鼓のように鳴り響く。
「間に合わないね! 遅らせよう! 言い訳は僕が精巧にでっちあげるから」
悪びれもせず小悪党の台詞を吐くサクヤ。これでも若き八番隊隊長、グングニル最強だとかなんとかよいしょされまくる実力者、ただし見ての通り上層部からはゴキブリのように嫌われる男である。
ナギはスイッチをオフにした。常識という名のスイッチである。そして今日も自分は精神的にも体力的にも確実にレベルアップしていると無理やり暗示をかけた。
20:00。サクヤをはじめとする八番隊の面々は宿の談話室に集まっていた。本来であれば既に作戦を開始している時刻だ。
「それではミーティングを始めます。……サクヤ隊長、どうぞ」
ナギは見るからに疲れ切っていた。ふくらはぎが異常に痛い。サクヤは至って平気そうだから、それがまたどことなく腹立たしくもある。
サクヤは“リベンティーナてくてく散策マップ”の拡大図とこの地区一帯の地図を長テーブルに広げた。
「作戦開始時刻を遅らせてしまってすまない。司祭の意見を踏まえた上でリベンティーナにとって最善の策を練るには、ちょっと時間が必要でね。おかげで“カラス”が大時計塔の上に居座ってる理由については見当を付けることができた」
「うぉ、マジか。流石というかやっぱりというか」
バルトが広域地図の方へ身を乗り出した。リベンティーナのニーベルング一体を討伐するに当たっては本来不要な代物だ。ところどころに赤インクで印と書きこみがほどこされている。それこそがナギの血──いや、血のにじむような努力の結晶である。
「それについては私から少し。赤丸はここ二週間のニーベルングの目撃情報、日付があるものはグングニルが既に討伐したものです。三日前から明らかにニーベルング全体の進路が統一されているように見えるの、分かる?」
ナギの一言で全員が地図を覗き込む。二週間前の日付は各地、それも中央からは極力離れた山間部などで目撃情報が多いのに対し、三日前の日付からほとんどのものが中央に集中している。更に言えば、このリベンティーナを目指して進路を変更したような軌跡を描いているものもあった、
「偶然じゃ、ないわね」
アンジェリカが口元を覆う。全員が意識した。おそらくこの後、サクヤはあっさりとんでもないことを口にする。皆その瞬間を固唾をのんで見守った。
「おそらくあのニーベルングは、次の拠点づくりのためのフラッグシップなんだろうね。防衛ラインをうまく迂回して、中央に近い割に一番監視が手薄なリベンティーナを選んでる。見事な手腕だよ」
ナギが咳払い、どうせそれだけでは伝わらないからついでに軽く肘鉄。標的を褒め讃えてどうする、隊長。
「まぁ要するに、このまま放っておくと“彼”を目印にぞくぞくとニーベルングの団体さんがここへ押し寄せてくることが予想される。よって僕ら八番隊は、それを阻止すべく動くことになる」
「拠点って、つまりここが次のヘラになる惧れがあるってことですよね」
「可能性の話だけどね」
シグが口にした「ヘラ」という単語に皆表情が凍った。シグも、サクヤとは別の意味で爆弾をあっさり投げるタイプだ。ひとまずこの単語に対しては他の連中の反応の方が正しいといえよう。
ヘラは今や地図上にだけ存在する地区の名だ。11年前ニーベルングの大襲撃にあって壊滅し、今は大量のニブルに覆われたニーベルングの別荘地となり果てている。人類に限らずこの世界の生命体はヘラにはもう住めないとも言われている。
「それはちょっときっついだろ。第二防衛ラインだってまだねばってんのに、まるごとショートカットして一気に首都に進出するつもりかよ。礼儀がねー、順序がなってねー、ぶっちゃけ気にくわねー」
湿った空気を一瞬で一掃してくれるのがリュカだ。自分本位な考え方だが思わず口元が緩む。
「で、隊長。具体的にどうすんの。的がでかいとは言え、アレだけを攻撃して時計塔を無傷で残すってのはコトよ」
「うん。まずは“カラス”に時計塔から下りてもらう必要がある。それまではとにかく牽制と誘導に徹するしかない。狙撃ポイントを決めて、序盤はシグに任せることになる」
得心顔で皆がうなずく。指名されたシグも至って平常
八番隊内で狙撃となればシグの名を挙げるのが定石だ。彼の魔ガンの命中率は記録上99%、狙撃だけでいえばもはや神のレベルである。
「そういうわけで良い場所の提案がある人はどんどんよろしく。みんなしっかり“観光”はしてきたよね?」
一同顔を見合わせる。苦笑して肩を竦める者はいるが、冷や汗を流す者はいない。サクヤの意図を皆が汲んでいたということだ。ナギだけでなく、八番隊隊員は皆サクヤのやり方に良くも悪くも染まっている連中ばかりだ。アンジェリカがいち早く挙手して勝手に口を切る。
「消去法で申し訳ないんですが、市庁舎屋上からの狙撃はまず無理です。障害物多すぎ、高さもたりません」
「時計塔の真正面にあるアパルトマンも、まあ同じ理由でアウトだな。位置的には申し分ないんだが」
アンジェリカと行動を共にしていたバルトもすぐさま補足する。
「それと……」
バルトはテーブル端に追いやられていたペン立てに手を伸ばし、地図上の市庁舎横に丸印を描きこんだ。
「ここの出店で売ってるヴァーナムミルクのソフトクリームは尋常じゃなく美味い。司祭が一押ししてくるだけはあった」
「そうそう、私ブルーベリーおまけしてもらっちゃった~っ」
「やっぱりそうか……上から見たとき凄い行列ができてたもんな……」
サクヤは今日一番の沈痛そうな面持ちで目を伏せた。できればリベンティーナ拠点説を披露する際にその表情をしてほしかったものである。ともかく今はアイス情報にこれ以上花が咲かないよう軌道修正をせなばならない。補佐官の役目である。
「小時計塔は? 確か大時計塔の次に高いんじゃなかった?」
リベンティーナにはナギたちが上った大時計塔を中心として3時、6時、9時、12時の方向に四つの塔がある。大時計塔からちょうど全ての文字盤が見えるように向かい合わせに配置されている芸術性も高い塔だ。これにはシグがかぶりを振る。
「あの距離は流石に無理。風に流されて肝心の大時計塔周辺に被害が出る。……って、あ。ちょっと待って。この小時計塔の……」
シグが慌ててペンを執った。珍しい。ナギも思わず息を呑む。
「──下にある花屋。店員がかわいい、タイプ。……ってサブローさんが」
ぶふっ! ──冷えた紅茶に口をつけた瞬間を狙われた。狙撃手はこの類のトリガープルも抜群のタイミングでこなす。
「シグ! なんだよその情報、要らないだろ! 俺になんか恨みでもあんのかっ」
「えー、俺見逃したなぁそれ。確かになー。サブさんの女の好みはちょっと、なあ? あれだもんな」
「私も見てないですー」
「何よそれ。一周回って逆に興味ある」
パァンッ! ──発砲音ではない。単に隊長補佐官殿が、意図的に全力で合掌しただけのことだ。脱線、脱線、また脱線。どれだけ切羽詰まった作戦会議でもいつもこうなる。わき道だの獣道だの道なき道だのに喜び勇んで四散する隊員たちを一人一人つまんで、正道に戻す。これも補佐官の仕事、らしい。八番隊に限っての話だが。
「えーっと……サブローのタイプの女性については後日確認するってことで、本題に戻ろうか」
(確認するんかい)
珍しくシグが脱線委員会に加担、むしろ率先したものだから収束もめずらしくサクヤが引き受けた。
「距離で言うとこれじゃないのか。管制塔」
今度はサブローが無造作にペンをとる。そして無造作に大時計塔広場の端に丸印。ようやくペンがまともな理由で活躍した。
「下は市民のちょっとした集会とか勉強会とかに使われてる。住居ではないし、下は開けた広場。狙撃にせよ誘き出すにせよここが妥当じゃないかと思うけど」
「シグはどうだい?」
「任せてくださいって言いたいところですけど、ちょっと遠い、ですね。ヴォータンの威力じゃ不安が残ります」
「ヴォータンじゃなく、遠距離用魔ガンなら?」
「……であればもちろん射程内ですよ。え、まさか」
「決まりだ」
サクヤは満足そうに笑みを浮かべて、早々に席を立った。
「三番隊に応援を頼もう。ユリィならうまくやってくれるはずだ」
作戦会議は鶴の一声であっけなく終了した。応援要請はサクヤ自らが行うらしい、諸事情によりその方が話が早いからだ。三番隊到着までは再び待機、調整時間と相成ったわけだが各々気だるそうに散開していく中で、シグだけは露骨に嘆息していた。
「出たー。シグ・エヴァンス曹長の必殺技、ヒトミシリっ」
ナギが棒読みで茶化す。振り向いたシグの眉間には、全てのストレス疲れを結集させたかのようにしわが寄っている。
「いい加減慣れないの? 三番隊、結構共闘してるくせに」
「慣れない。苦手。特に緊迫感ゼロのあの補佐官、やかましくて死にそう」
「うちも似たようなもんでしょうに」
「うちは別。だいたいリュカでもあっちの補佐官の五分の一くらいの音量しかない」
シグの口からまた特大の溜息が漏れる。普段顔色ひとつ変えず魔ガンの引き金を引くシグも、他人が気にも留めないような小さなことで頭を抱えたりもする。今がそうだ。そしてシグのそういう現場をナギは立場上なのか性格上なのか、他の連中よりも多く見ている気がしている。
「取り繕っちゃって。ナギも苦手だろ、ユリィ隊長」
「はい!? わ! ったしは別に!」
「いいなぁ……そのくらい分かりやすいと、相手も察してこれみよがしに避けてくれるもんね」
「え。私そんなに顔に出てる」
「出てる。愛想笑いってこういう笑い方かーっていうお手本みたいな顔してる」
言葉に詰まる。ここまで断言されると否定しても無意味だ。ナギは確かに、三番隊隊長ユリィ・カーター少尉に苦手意識を持ってしまっている。何が理由でと問われると答えに窮するのだが、ありていにいえば嫉妬心なのかもしれない。ユリィ少尉は現グングニル小隊において唯一の女性隊長だ。驚くほど小柄だが身体能力は高く、遠距離用魔ガンの扱いにおいては他の追随を許さない技術を持つ。おまけに美人で冷静沈着、だがナギにとってはこの要素が笑わない精巧なマネキンのような印象を与えている。おまけに、
「同郷同期だったっけ、サクヤ隊長と」
「うん、幼馴染とかなんとか」
「……ふぅん、なんかめんどくさいポジション」
胸中で同意してしまう自分がいる。様々な要素が絡み合って、なんだか面倒くさいのだ。何故か必要以上の気を遣ってしまう。そしてそれが空回る。結果気まずい空気が充満する。などと予想される展開を思って心底溜息が洩れた。別の理由だったのだろうがそれがシグとかぶる。苦笑まで同時にこぼしてしまい、互いに少しだけ気が紛れたようだった。
民家から漏れていた温かな光がひとつまたひとつと消えていく中、サクヤは数台のガス燈の明かりだけを頼りに大時計塔を見上げていた。気持ちはその天辺にいるニーベルングを観察しているつもりだ。が、その漆黒の翼は夜の闇に溶け込んで、ぼんやりと輪郭を確認できる程度だ。夜という空間に擬態しているとでも言うべきか。
「そろそろか……」
サクヤは例の遠吠えを待っていた。司祭の情報によればカラスはこの三日間、深夜零時前後に咆哮をあげている。単なる気まぐれにしては出来過ぎている気がした。
「サクヤっ。三番隊到着したよ。ユリィ隊長がすこぶる不機嫌……って何してんの」
報告に来たナギもつられて空を見上げる。刹那──
オオォォォォォォオオオオオオオ!!!! ──吼えた。上空から押さえつけられたような音の重圧に二人は咄嗟に両手で耳を塞いだ。夜の冷えた空気を伝って咆哮はリベンティーナ中に轟く、おそらく周辺地域の安眠も妨げたことだろう。これは恐怖心云々の前にかなりの大迷惑だ。
「何今の……。ニーベルングってこんなふうに吼えるっけ……?」
「夜に自分の居場所を知らせるための特別な鳴き方なのかもしれない。しまったなー、鼓膜が変だ。ナギは大丈夫?」
今の今までナギの声がしていたからそう呼びかけたのだが、振り向いた先にはナギの姿ではなく闇夜でもよく目立つ金のショートカットの旋毛があった。次の瞬間にはぱっちりとしか形容できない大きな二つの瞳がこちらを凝視していた。
「ユリィ。良かったよ、来てくれて」
「全員じゃない。明日もライン側の警備があるから半分だけ」
「狙撃班から四人も来てくれれば百人力だよ」
ユリィは「そう」と簡素な返事だけをすると視線を上空にずらした。彼女の無表情と抑揚の無い喋り方は通常仕様だ。サクヤもよく知っているからから気にも留めない。
ナギは一歩さがって二人のやりとりを黙って見守る。いつも通り笑顔のサクヤと、どうやらいつも通りらしい仏頂面のユリィ、そして相変わらず曖昧の極みのような無難な微笑を浮かべる自分。ユリィが到着早々ターゲットの確認をしたいと言いだしたからこうして案内したのだがタイミングが悪すぎた。
「ところで今のサイレンみたいなのが標的?」
「うん。見えづらいけど塔の真上に座ったままだと思うよ。呼称はカラス」
「……見えづらいというか、全く見えない。どう撃つの」
「時計塔先端を狙ってくれればいい。正確な位置と距離を教えるよ。到着早々で悪いけどブリーフィングに入ってかまわない?」
ユリィは初めからそのつもりだったようで、やはり無言のまま首を縦に振った。空気が緊張している。視覚では捉えられない、しかし確かにそこに存在する巨大な脅威に空間そのものが怯えているようだった。
連れ立って戻ってくるサクヤとユリィを見て、ナギは広場の端で律儀に敬礼をした。
「ナギさん」
「え、はいっ」
「案内ありがとう。助かりました」
予想だにしなかった台詞に反応が一瞬遅れた。ユリィもわざわざそれを待ったりはしないらしい、目を点にするナギの横をさっさと通り過ぎていく。
(てっきり苦言がくるもんだと……。わかんない人だなぁ……)
事前情報無しでジャイ○ンリサイタルさながらの鼓膜への奇襲を受けたのだ、嫌味のひとつやふたつは覚悟していたのだが。すたすたと宿へ向かうユリィの背中を、ナギは小首を傾げながら追った。
「三番隊にはカーター少尉に続いて標的を威嚇してもらう。煽ってけしかけて上手く管制塔に誘導してもらいたい」
ブリーフィング開始直後にサクヤが告げた作戦内容に、三番隊の隊員は各々顔を見合わせた。彼らの隊長であるユリィはサクヤの傍らで直立不動で佇んでいる。
「いや……随分簡単におっしゃいますけど、あれをこちらの思惑通りに動かすっていうのはなかなか難しいですよ。だいいち狙撃ポイントに向かってくるように誘導って……聞いたことない」
「そのままどこかへ逃げてくれるならそれが一番いい。作戦の本質はニーベルングを大時計塔から排除することだからね。ただし、討伐する必要性が生じた場合は確実に管制塔で仕留めなければならない。そうでなければわざわざ君たちを喚びつけたりしないさ」
口調とは裏腹にサクヤの言葉には有無を言わせぬ響きがあった。
「ま、そのための布陣だ。うまくいかせる自信はあるよ」
サクヤが広げた市街地の地図(てくてくマップではなくなっている)には、管制塔の他にも小時計塔、市庁舎、住宅の屋上などの高所に人員配置が示されている。こちらはリュカ、バルトを加えた比較的バーストレベルの高い魔ガンナーを配置、とにかく寄せ付けないことが目的だ。
「万一市街地に侵入してきた場合は、バルトとリュカを中心にここから射撃。その際は絶対に威嚇に留まってくれ。管制塔まで導いてくれれば後はシグと、ナギ、僕でうまく片づけるよ」
「とにかく私たちはアレの交通整理をすればいいのね」
「身も蓋もない言い方をすればね」
ユリィの皮肉めいた言い草にサクヤも苦笑を洩らす。言うは易し行うは難し、あのニーベルングが進撃の旗印としての大役を担っていることが確かならば、手荒な強制退去に黙って従うはずはない。暴走ジェット機の、命がけの交通整理である。
「で、シグにはちょっと特殊な役をやってもらうことになるんだけど──」
サクヤのあっけらかんとした指示内容を、シグ・エヴァンスは管制塔の中腹階で反芻していた。彼の言う「ちょっと特殊」はいつも極上に厄介だ。今回も例外ではない。渡された「かなり特殊」な弾丸を指先で弄びながら、シグは窓から大時計塔を睨んでいた。午前4時50分、作戦開始まで10分足らずというところだ。仄かにともされた松明の明かりで大時計塔とその先端、つまりカラスの輪郭がぼんやりと浮きたって見える。
管制塔前の広場ではサクヤとナギが、屋上ではユリィと彼女率いる三番隊の精鋭が待機している。例の補佐官が本部で留守番をしているというのは、シグにとってはこの上ない吉報だった。今回は横で、やれ三番隊に入れだの狙撃を極めろだの勧誘されずに済む。
『シグ、そろそろ時間だ。準備はいいかい』
イヤホンマイクからサクヤの声。
「もちろん、万端です」
三つの特殊バレットの内、一つ目を銃創にこめた。シグの役目は、この弾をニーベルングの羽に命中させること。内容は至ってシンプルだ。
『それじゃあ三番隊に合図を出す。作戦が成功したらみんなでヴァーナムミルクのソフトクリームを食べに行こう』
「サクヤ隊長、それちょっと死亡フラグっぽいですよ」
『え! そうかな! でも司祭も一押しの……!』
『もういいから、そういうの。シグももうちょっと緊張して。分かってると思うけど、チャンス自体は弾の数あるとは限らないんだから』
「言われなくても」
サクヤのすぐそばからナギの声が聞こえる。この二人は持っている魔ガンの性質上、作戦時も行動を共にすることが多い。サクヤの「ジークフリート」とナギの「ブリュンヒルデ」はグングニルの中でも一、二を争う高威力の魔ガンである。威力の高い魔ガンを手足のように使いこなすこの二人が揃っているからこそ、八番隊の討伐成功率は八割を切らないのである。
シグは自分の手元で黒く光る魔ガン「ヴォータン」に視線を落とした。同じく懐で出番を待っている「ローグ」の感触もジャケットの上から確かめる。これに「フリッカ」を加えた計三丁がシグの魔ガンだ。どれも威力はさほどない。銃身と引き金の軽さがウリだ。
「……時間だ」
松明と夜明けの幻想的な明かりの中で、大時計の針は厳かに時を刻む。大時計だけではない、リベンティーナの全ての時計が作戦開始時刻を皆に告げた。
すぐ真上のはずなのにどこか遠いところで弾けたようにユリィの魔ガンが火を噴いた。その後間隔を開けず二発目、三発目が三番隊によって放たれる。この闇の中、この距離で標的を正確に捉えられるのか、一瞬だけよぎった不安はすぐに杞憂であったことが証明される。大時計塔の上で巨大な二枚の羽が大きく広がった。
『こちら管制塔屋上、三番隊! 標的移動するわよ!』
普段は無口無表情を貫くユリィ隊長も作戦時は声を張るんだな、などとシグは若干呑気なことを考えていた。三番隊にとっては通常作戦時よりも危機感が大きいのかもしれない。彼らがぼやいていたように、狙撃部隊が囮扱いされるなど前代未聞だろうから。サクヤのおかげでその前代も今ここで無くなったわけだが。
『シグ、行ったぞ! ばっちりお膳立てしてやったんだ、うまくぶち当てろよっ!』
小時計塔に配備されていたバルトから不躾な報告が入る。誘導はうまくいったようだ。というより実際見た方が早い。白んできた空に羽ばたく漆黒の翼は、視界の中でだんだんと大きくなった。暴れ牛のように頭部を上下に揺らし、この管制塔に突っ込んでくる。
シグは二丁の魔ガンを同時に構えた。狙うはこの両の漆黒の翼。命中すれば威力のないこの二丁でも確実にニーベルングの動きを停止、落下させることができる。弾薬の中身はマユリ開発の特殊な蝋成分だ。常温に触れれば一瞬で凝固する。
「墜ちろよ!」
二つ同時に引いた引き金、二つの銃口から弾き出され蝋弾は、そのまま導かれるようにカラスの両の羽に命中した。短い咆哮と共に視界からカラスが消える。筋書き通りだ。後は下で待機中のサクヤとナギにバトンタッチすればいい、と催促の声がイヤホンマイクから響く。
『ねえ! 落ちてこないんだけど? まさか外した!?』
「はぁ? たった今落としたよ! 外すなんてありえないだろ……!」
自信と同時に確かな手ごたえもある。第一この至近距離で外せと言う方が無茶だ。
シグは確認のために窓から身を乗り出した。そしてつぎの瞬間、予想だにしなかった光景を目にして豪快に噎せた。
『どうしたシグ! どこか負傷したのか!』
サクヤの切羽詰まった声が虚しく響く。負傷、したと言えばしたのかもしれない。百発百中男シグのプライドは、眼下のニーベルングのおかげでかなりの痛手を負った。
カラスは落ちていない。管制塔の外壁に蝋まみれの爪をたて、ロッククライミング状態を保っている。なんという情熱と根性だろうか、なりふり構わずへばりつく黒い塊にシグはこれでもかとばかりに恨みがかった視線を送った。
「すみません隊長。ちょっと想定外のアクシデントで……まぁとにかく早急にたたき落とします、退避してください」
『叩き落とすってやっぱり落ちてな──……サクヤー! 上、上ー! くっついてる壁にっ! あ~やだぁ~いやすぎるぅぅ! ゴキブリみたいぃぃ』
『ほんとだ、凄い。あの爪だけで全体重支えられるんだなー』
広場からもカラスの状態が確認できたらしい、嫌悪したり感心したり忙しそうだがシグのやることはひとつだ。崖っぷちに立たされた、いや崖の中腹にへばりついた哀れなニーベルングを外道さながらに突き落とすのみ。覚悟を決めたら後は容赦なく撃って撃って撃ちまくる。下の二人に比べれば威力は低いとはいえ魔ガンは魔ガンだ、命中しては爆発を繰り返し、明け方の空を花火のように照らした。
そんな、シグとカラスによるド根性劇場をしばらく見上げていただけのサクヤとナギ。
「僕らも上ろう。このままだと管制塔がもたない」
「中から撃つの? でも下手したら市街に魔ガンが当たっちゃうんじゃない?」
「下手しなければ大丈夫だよ」
サクヤはいつもと変わらない爽やか極まりない笑顔で言ってのける。それが不安だからわざわざ広場まで落下させようという話ではなかったのか。
(まあ不安なのは私だけなのかもしれないけど……)
命中率でいえばナギのそれは中の上程度だ。着弾時の爆発力が凄まじいから多少逸れても標的を仕留めることはできる。が、今回はそれがネックなのだ。多少でも逸れたら、とばっちりを受けたどこかの建物が派手に倒壊する。それが運悪く大時計塔だったりしたら目も当てられないではないか。などとナギが二の足を踏んでいる間に、サクヤはさっさと管制塔の階段を上りはじめた。
そのタイミングを見計らったかのように、カラスは片翼を外壁に打ち付けた。あちらにとっては軽いノック程度だったのかもしれないが管制塔そのものが大きく揺れる。
『エヴァンス曹長、サクヤ! 一旦退きなさい! 吐くわよ!』
イヤホンマイクからユリィの簡潔すぎる警告が飛び込んでくる。誰が嘔吐しようがこの状況下ならどうでも良い気がするが、そうも言っていられない。誰が何をという要素はこの場合省略しても全員が察知することができた。カラスが無理な体勢のまま、頭部だけ仰け反った。次の瞬間、管制塔3階の開いた窓へ向けて口いっぱいに含んでいたニブル──毒の霧が吐きだされた。人間にとってそれは毒以外の何物でもなく、無防備に吸えば呆気なく死にいたる。が、ニーベルングにとっては大事な活動源、生命線だ。体内に備蓄しているそれを多量に使用してでもこの場を切り抜けたいのだろう。追い詰められていることは確かだ。
カラスは今なお、ニブルを放出しながら激しいノックを繰り返している。管制塔への打撃が目的かと思いきや、どうやら両翼にからみついた蝋を振り払っているようだった。
「私が行く! サクヤは三番隊とシグに撤退指示を!」
管制塔入り口でのんびりマスクを装着していたサクヤを追い越して、ナギは階段を駆け上った。
「落としてくれればいい! 僕が下で撃つ!」
「了解!」
管制塔内は吐きたてほやほやのニブルが充満している。その中をナギはわき目も振らず走った。捨て身でも暴走でもなく、自分がこの場の適任者だと皆が理解している。ナギのニブルに対する耐性はグングニル一、彼女が現場で重宝される理由のひとつである。
「シグ! 生きてる!?」
3階踊り場にて、ガスマスクをしっかりがっちり装着したシグを発見。明らかに作戦を放棄している。
「ナギ。さすがにマスクつけようよ。なんでそんなすっぽんぽんで上がってくるの」
「変な言い方しないでよっ。シグこそもうちょっと粘ってよね」
「充分粘ったよ。これ以上ちまちま連射したところで逆効果だろ。餅は餅屋に任せる」
「あなたも餅屋でしょっ」
思いきり肩を竦めた後、ナギを追い払うように手を振るシグ。本当にさっさと階段を下りていってしまった。と、そんなことに腹を立てている場合ではない。先刻までシグが身を乗り出していた窓から、今度はナギが魔ガンを突き出した。
「悪いけど、いい加減落っこちて!」
まず一発。シグのときとは比べ物にならないほどの爆音と黒煙が周囲に広がる。射撃しているというよりは爆撃していると言った方が近い。「ラインタイト」と呼ばれる爆発性物質を組みこんだニーベルング討伐専用の武器が「魔ガン」、そうでもしないと通常の対人武器ではニーベルングの表皮に傷ひとつつけることができない。逆に言えば、ナギの魔ガン「ブリュンヒルデ」から放たれた弾が着弾すれば、傷ひとつどころか致命傷を負わせることが可能だ。
そのはずだが、今回は事情が違うようだ。着弾したにも関わらず、カラスは微動だにせず壁に留ったままだ。あんたは蝉かと思わずつっこみたくなる。粘り強さだけでいえば彼が本日の
MVPである。
「こちらナギ。落ちませ~ん。アドバイス求めます、どうぞ」
『羽、できれば爪にヒットさせるんだ。こうなったら管制塔の多少の被害には目を瞑るしかない。どうせカラスが結構パンチしてることだし』
「わかった。やってみる」
一度深呼吸してから魔ガンを構えなおした。集中した視界に、できれば直視したくなかった「現状」が横たわっていた。カラスの動きを封じる目的で放たれた蝋弾はこれまでの集中砲火でほとんどが溶け、マグマ状の物体がそれらしき音をたてて落下していく。ある意味美しいと形容できた羽も漆黒の体もただれ、今や醜い肉塊と化している。
それでもカラスは懸命にその場に留まろうとしていた。
「……お願いだから次で落ちて」
呟いて狙いを定めた。定まったら躊躇わず撃つ、銃身を支えて引き金は静かに引く。訓練所で習う当たり前の事項が何故か脳裏をよぎった。
ナギが人差し指を引いた刹那、爆発音と絞り出したような鳴き声が同時にこだました。
『当たった! 落ちるぞ!』
『まだよ、飛ぶ気だわ』
三番隊が実況中継してくれるその下でサクヤは頭上を見上げて静かに魔ガンを構えた。ぼろぼろの肉塊が蝋でただれた羽を広げて宙であがいている。彼が羽ばたこうともがく度に爆風の名残のような熱を帯びた風が吹いた。
「ちょ……サクヤ」
「隊長~……」
広場に合流したシグとナギが揃って頭を抱える。サクヤは魔ガンを構えるのを止め、カラスの羽ばたきをひたすら見つめていた。むき出しになった骨格だけの羽でカラスは器用に安定を保っている。そのまま徐々に上昇、彼もまた眼下のサクヤを注視していた。
数秒間ロマンチックに見つめ合った後、カラスは羽を翻して朝日の方向へ飛び立っていった。八番隊隊長(本作戦の責任者)はあろうことか小さく手を振っている。ナギとシグは半眼のまま顔を見合わせた。いつものサクヤなら何のためらいもなく大手を振って見送っている。おそらく三番隊の手前多少気を遣ったのだろう、それでも自主的に見送ったことくらいはばればれである。
「サクヤ」
「追撃はしない。作戦完了だ」
サクヤの言葉はイヤホンマイクを通じて各隊員に届いているし、そもそも飛び去っていく巨大なニーベルングを見逃す者などいなかったろう。それぞれの拠点から苦笑が漏れる。が、これら一連の流れをいつものこととして片づけられるのは当然八番隊のみだ。
三番隊のメンツが重い足取りで広場まで下りてきた。ユリィは普段通りの能面だが、後ろの隊員たちは疲労感というか悲壮感とういか、そういう類の切ない表情を隠しきれないでいた。深夜から招集されてバックアップした作戦の結果がこれなのだから至仕方ない。彼らにとって──グングニル本部にとって、本作戦は失敗としか判断しようがないのである。
「や、おつかれ。助かったよ、三番隊のおかげで事態を収拾することができた。仮眠をとったらみんなで食事して帰ろう」
「……遠慮するわ。言ったでしょ、防衛ラインの警備に欠員は出せない」
「そうか、うん。じゃあ今度何か埋めあわせするよ」
「ひとつ聞いておきたいんだけど」
作戦終了の解放感からか終始笑顔のサクヤとは対照的に、ユリィは終始仏頂面だ。それがサクヤ以外には怒りの沸点に達しているように見える。内心はらはらしているのは当事者以外である。
「八番隊は、ニーベルング愛護団体にでも入ってるの」
ユリィはどこまでも真剣に、純粋にその疑問を口にした。やはり無表情は変わらずだが。サクヤは虚を突かれたのか一拍固まって、堪え切れず噴き出した。頼むからこれ以上三番隊の機嫌を損ねるのはやめてくれ、というのはやはり外野の意見である。
「ははっ、まさか。できるだけ人としての選択をしたいと思ってるだけだよ。僕らまで獣である必要はない」
「よく分からないけど……。サクヤ、そのうちニーベルング語なんかを理解しそうでこわい」
「それはいいね、和平交渉ができる」
今度は思いきり笑い声を響かせた。顔を出し始めた朝日も相まって謎の爽やかさが強制的に場を支配していく。サクヤの半径三メートル程度だけが夜明けの象徴のようにきらきら輝いて見えた。これに釣られて笑ってしまうのが八番隊、サクヤを慕って就き従うグングニルの中でも異色のエリート(くずれ)部隊である。
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