[2] ロストフの陥落

 南方における戦況を鑑みた独ソ両国の独裁者はそれぞれ決断を下した。スターリンはそれまで固辞し続けていた「ソ連軍部隊は撤退してはならない」という方針をいったん棚上げにし、ヒトラーは「青」作戦に変更を加えたのである。

 7月6日、スターリンは南西部正面軍に対して「全面後退」を命じた。南東へ戦線を後退させることによって、敵の攻撃軸をモスクワから誘導させることが目的だった。

 7月7日、ヒトラーは「青」作戦を遂行中の南方軍集団を2個軍集団―A軍集団(リスト元帥)とB軍集団(ボック元帥)に再編してそれぞれに異なる作戦目標を与える形式に切り替えた。具体的にはドン河湾曲部の西岸に展開する敵軍の撃滅とカフカスへの突進を1個軍集団が段階的に行うのではなく、2個軍集団が同時並行的に行うこととされた。

 7月9日、「青」作戦の第2段階が開始された。第1装甲軍と第17軍がスラヴィヤンスクからドン河を渡ってドンバス地方の工業都市ヴォロシロフグラードに向けて攻勢を開始した。第2段階における最初の目標はミレロヴォで包囲網を形成し、多数のソ連軍部隊を崩壊させることだった。

 7月12日、モスクワの「最高司令部」は南西部正面軍をスターリングラード正面軍に改称した。同正面軍には戦略予備から3個軍(第62軍・第63軍・第64軍)を編入された。スターリングラード正面軍麾下の各軍は大きな不安を抱えながら、スターリンの退却命令に従って東方に撤退を続けた。

 7月13日、ヒトラーはまたしても重大な作戦変更をB軍集団に下した。スターリングラードへ東進させるはずだった第4装甲軍を南翼に転進させ、第1装甲軍とともにロストフ周辺の敵を包囲するよう命じた。この作戦変更により、ドン河湾曲部の西岸に展開する敵軍の撃滅は第6軍が単独で担うこととされた。

 7月14日、ヴォロネジから南進した第4装甲軍が第1装甲軍とミレロヴォで合流した。この時、ミレロヴォで包囲できたのは第9軍と第38軍の一部だけだった。「青」作戦を開始してから約3週間が経過していたが、ドイツ軍が得られた捕虜はわずか5万4000人に留まった。ヒトラーは「第4装甲軍の遅延は最も不快な現象である」と激怒して、ボックをB軍集団司令官から解任した。後任の同軍集団司令官に第二軍司令官ヴァイクス上級大将が昇格した。

 7月23日、A軍集団の先鋒を担う第1装甲軍がドン河下流の要衝ロストフに突入した。劇烈な市街戦の末に第1装甲軍は同市の占領に成功したが、この地で得られた捕虜は第12軍と第18軍の一部でしかなかった。前年のキエフに匹敵する包囲殲滅戦を目論んでいたヒトラーは苛立ちを募らせる結果となった。同日に発令した「総統指令第45号」において、ヒトラーは「青」作戦に3度目の変更を加えた。その内容は次の通りだった。

「3週間と少々の作戦で、私が東部戦線南翼に課した目的は大体において達成された。包囲を逃れてドン河南岸に達した部隊は、ティモシェンコ指揮下の一部のみである。

 A軍集団はまずドン河流域の敵兵力を包囲殲滅し、次に黒海東岸全域を占領し、黒海艦隊と沿岸諸港の機能を奪った上で、カフカスのグロズヌイを占領、さらにカスピ海沿いに進撃してバクーの油田地帯を占領せよ。A軍集団によるこれらの一連の作戦は『エーデルヴァイス』作戦の秘匿名で呼称する。

 B軍集団はドン河上流域(軍集団左翼)に防衛線を構築しつつ、スターリングラードに進出。周辺地域に集結中の敵兵力を殲滅した後に同市を占領し、さらに快速部隊をアストラハンへと進出させて、ヴォルガ河の水運を封鎖せよ。B軍集団によるこれらの一連の作戦は『フィシュライハー』作戦の秘匿名で呼称する」

 またヒトラーはハルダーの反対を押し切り、第4装甲軍を分割した。B軍集団に第24装甲軍団、A軍集団に第48装甲軍団を合流させた。「大ドイツ」自動車化歩兵師団とSS自動車化歩兵師団「アドルフ・ヒトラー親衛隊旗(LAH)」(ディートリヒ上級大将)は休養と補給のためにフランスに帰還させた。ヒトラーが下したこれらの判断について、ハルダーはこの日の日誌に次のように記している。

「敵の力に対する過小評価は徐々にグロテスクな形を取りつつあり、危険の度合いが増している」

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