キミとならんで

成田ゆう

第1話 思い出

 幼い頃の記憶––––

その少女はまだ二桁にもならない歳で一人空港にいた。


 父親が仕事で海外に行くことが多く、帰ってくるときは母親とともに空港で迎えを待っているのだが––––そう、彼女は飽きてしまった。

 長い時間空港でただ立っているのに飽きた少女は母の目を逃れて空港内を走り回る。

 空港というのは彼女にとって目新しいものばかりで、我慢ならない。

 自分と肌の色が違う人、見たこともない服装、聞き馴染みのない言葉、何もかもが新鮮でしかたなかった。

 

 そうして走り続けた彼女はロビーで一台のピアノを見つけた。

 黒く艶のあるグランドピアノで広い空間に誰も気にとめないで、ぽつんとたたずんでいた。

 少女は気になった。いつも習い事よりも外で遊ぶ彼女にとってピアノは珍しいもので、以前友達の女の子がピアノを弾いているのを見てから触れてみたかったという。

 彼女には少し高めの椅子によじ登って、深呼吸をして鍵盤に触れる。その音は––––


––––最悪だった。


 弾くのではなく叩きつけるだけ。旋律メロディもなければ、和声ハーモニーもなく、律動リズムもない。

 通行人は耳を塞いで絶叫した。さながらゾンビ映画のように悶える。

 しかし、一人だけ耳を塞がずピアノの音を聴く青年がいた。

 彼はそっと少女の横に立って、鍵盤を押し込む。その瞬間、音は断末魔から花に変わった。

「弾いてごらん」

 彼は少女に微笑んでそう言う。

 言われたとおりに少女はまた鍵盤を叩き始めた。通行人たちは再び耳を塞いだ。

 しかし、青年もピアノを弾き始めた。そうすると、少女の音は彼の音に引かれて徐々にその様相を変えていく。

 通行人たちもいつしか耳を塞ぐのをやめて、二人の演奏に聴き入っていた。


––––エドワード・エルガー Op.12 『愛の挨拶』––––


 どちらのものでもない、二人だけの音になっていた。

 

 演奏が終わる。

 余韻が二人を包んで、それは旺盛の拍手に変わった。

 おてんばで勉強よりもサッカーの方が好きな少女はこんなにも大勢に拍手をもらったことがなかった。

 隣にいる青年が加わってから全てが変わった。いったい彼は何者かのか。少女は恍惚こうこつな表情を浮かべての青年を見ると、彼はすでにそこにいなかった。

 あたりを探すが、空港の人混みで十歳にも満たない少女が一人を見つけられるはずもなかった。


 けれども、彼女の運命は変えられた。

 その少女、リリー・フォン・クラウゼヴィッツは演奏家になった。

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