第5話 香園
ヤド…さっきの
私は、彼らを見守りながらそんな事を考えていた。
否――――自分でもわかっていたのだと思う。今、私が彼の側へ行っても足手まといになるため、ここでただ茫然としているしかなかった。刀を握った青年と、爪のようなものを振りかざすヤド。
「…ふふ…やっぱり、動揺しているのかな?」
「当たり前だ。俺が知っている“あいつ”はそんな顔じゃねぇ…」
「まぁ、普通だったら信じられないかもだけど…」
武器を構える二人は、何やら話をしている。
「俺達ドワーフは、素となる
ヤドは、まるでとりつかれたかのように呟く。
「…ねぇ、人間のお姉さん」
「…っ…!!?」
突然、香園が私に声をかけてきたため、心臓が飛び跳ねる。
「…君はさぁ、解離性同一性障害…って知っているかい?」
「解離性同一性障害…」
香園は、私に対して横目で見ながら話しかけてくる。
唐突な質問ではあったが、その障害の名前に聞き覚えがあった。
「かつては“二重人格”と呼ばれていた…切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになって、一時的…。もしくは、長期間にわたって表に現れる状態の事…よね?」
かつて、何かの資料で見かけたことがあったため、私はほぼ的確に答えることができたのである。
香園は、うすい笑みを浮かべながら、それを聞いていた。右手には、未だに刀を握っている。
「そう…。僕らが視える人間の精神科医が言っていたんだ。僕の“それ”は、人でいう“その障害”に似ている…とね」
「じゃあ、あいつは…“ラテ”はまだ、お前の中にいる…とでも?」
香園と私のやり取りを聞いていたヤドが、真剣な表情で問いかけてくる。
「いたとしても、もう廃人同然なんじゃない?僕は単に、彼が生前持っていた記憶も一緒に引き継がれているだけだしねー!」
皮肉るような口調で、藍色の髪の青年は述べる。
「いずれにせよ、“彼”は消えてしまいたくなるような絶望を味わい、僕が生まれた。よほど、“彼女”の事が堪えたのだろうねぇ…。でも、おかげで僕は彼の絶望も、人間の醜い欲望も、敏感に感じ取ってしまうドワーフとなってしまった。
香園は、まるで演説でもするかのように言い放つ。
顔は相変わらず笑みを浮かべているが、正気を失っているような
「まぁ、君が死んでくれれば、“ラテ”に会わせてあげられるかもね…!!!」
「っ…!!?ヤド…!!」
そう言い放った香園は、再び地を蹴って走り出す。
私は思わず、ヤドの名前を叫んでいたのであった。
「たどり着きにくいなと思ったら…こういう事だったのですね」
「あ…!!」
この場には合わないような落ち着いた口調が、この地下通路内に響く。
そこには、細長い槍を持ったベイカーが香園とヤドの間に立っていた。刀を受け止めたベイカーは、一振りする事で攻撃をはじき返す。
「遅いぞ、でくの坊」
「まぁまぁ…わたしはソルナと違って、結界類は不得手ですからね。これでも、頑張って潜り込んだ訳でして、勘弁してくださいな」
変なあだ名でヤドが呼んでも、動揺一つ見せずに受け流すベイカー。
何だか、名コンビみたい…
状況としては不謹慎だが、そんな彼らを見て不意にそんな事を考えていた。
「さて…。何があったのかはわかりませんが、仕切り直しといきましょうか…!」
そう言い放ったベイカーは、槍の矛先を香園に向ける。
同じ笑みの表情でも、ベイカーの方は燐としていたが、相手の持つ笑みはどこか不気味さを漂わせていた。
一方、突然乱入された香園も特に驚いている訳でもなく、薄い笑みをずっと浮かべていたのである。
「邪魔が入ったみたいだね…。まぁ、いいや。面白いものが見れたしね…」
ぶつくさと香園はつぶやきながら、一瞬だけ私の方に視線を落としていた。
「そろそろ眠いし、今宵はもう退散するよ」
そう告げて、その場を去ろうとし始める香園。
「てめぇの噂はある程度聞いていたが…。この新宿に、何をするために来た?」
去ろうとする青年に対し、ヤドが引き止めるように問う。
その問いかけに対しては、ベイカーも真剣な面持ちで見守っている。その場に立ち止まった香園は、横目でこちらを見つめてくる。
「…君と同じだよ、“ヤド”。僕も“鍵”を探している…。“醜いこの世界を破滅させたい”という、僕の願いを叶えるために…ね」
そう告げた香園は、そのまま霧のように消えていったのである。
「……あ……」
香園がその場から去った後、聞こえなくなっていた雑音が聞こえてきていた。
「…どうやら、結界が解けたようですね」
そう口にしたベイカーの腕には、既に槍がなくなっていた。
ヤドも、変貌させていた右腕を元に戻していたのである。
…あまりに非現実的な事が起きていたから、頭がこんがらがっているな…
私は、手で頭を考えながら大きくため息をつく。ただし、少し混乱はしていても、どうしても忘れられない一言があった。
「“彼女”を見殺しにした」……って、どういう意味だろう…?
そんな事を考えながらヤドを見つめると、不意に本人と目が合う。
しかし、すぐに視線は外れ、こちらに向かって歩いてくる。
「さて…と。ベイカーも来たことだし、飲みに行くか…!おい、アホ猫」
「ヤド…?」
出逢って間もないとはいえ、私と彼はあまり面と向かって話した事がなかった。
そのため、彼が目の前に来た際、思いのほかヤドの背が高い事に私は驚いていた。
「今日は、お前のおごりだ。あの危ない野郎から助けてやったんだから、嫌とは言わせねぇ」
「えぇぇぇーーー!!?」
思いっきり理不尽な事を言われ、私は声を張り上げてしまう。
しかし、下手すれば斬られていたため、彼が言う事も間違いではない。
「ベイカ~~~…」
「奏さん、ごちそうさまです」
思わずベイカーに助けを求めるが、彼も満面の笑みを浮かべながらおごってもらう気満々だった。
「仕方ない…か。助けてもらったのは本当だし…」
文句を述べながらも、私はしぶしぶ同意をする。
その後、私達は駅前の飲み屋で夕飯を食べに向かった。ヤドもベイカーも体格としては普通なのに、外見では想像できないくらいの大食いだったようだ。おかげで、私の財布に入っているお札が何枚消えた事か―――思い出したくないため、敢えて書かないこととする。
一方、新宿警察署では、その日起きた内容をまとめた報告書を作成していた刑事・
「今日の万引き犯…。やはり、あの“香園一味”の一人だったか…」
刑事の口からもれる呟き。
どうやら、極羽刑事も香園の存在を知っているようだ。一方で、彼の脳裏にはある人物の顔が浮かんでいた。
「今日見かけた“ヤド”とかいうドワーフ…。どこかで見た事あるような…?」
独り呟きながら、作業を再開したのである。
彼がヤドと以前どこで会ったか知るのは、おそらくまだ先の事となるであろう。
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