第8話 桶狭間
目的はただの初詣ではない。
その証拠として、念持仏、世継千手観音を作った。その小ぶりな千手観音は現在も龍潭寺に保管されている。
###
永禄三年、この年は日本史において特別な年になった。世に言う桶狭間の戦いがあった年である。
今川義元が京に旗を掲げるべく上洛しようとした。その際に尾張の織田家が邪魔になる。今川義元は弱小大名である織田家を踏み潰すように通過しようとした。
だが、今川義元に油断があり、桶狭間(正確には田楽狭間)で首を取られた、という話である。
この話は日本史的にも重要な話であり、井伊家にとっても大変な影響があった。
そのため、ここでは特に紙面を割き、重点的に話を進めていこうと思う。
###
永禄三年(1560年)五月十二日、今川義元は大軍を率いて
尾張を目指して東海道を西進した。
五月十八日、
一方、織田家では篭城すべきか出陣すべきかで議論が分かれていた。このときの信長は話を聞いているだけで動かない。織田家の重臣たちも信長が何を考えているかわからなかっただろう。
翌十九日午前三時頃、松平元康と
朝比奈泰朝とは今川家の家臣で
前日に今川軍接近の報告を聞いても動かなかった信長だが、丸根砦、鷲津砦が攻撃を受けているという報告を聞いて飛び起きた。
幸若舞『
午前八時頃、信長は熱田神宮に到着した。ここで信長を追ってくる人数を待つとともに、戦勝祈願を行ったのだ。
少々話が脇道に逸れるが、織田信長という人物は出陣の際は一番に駆け出すことが多かった。出陣と決まるとすぐに馬に乗り、戦場へと駆け出してしまう。家来たちは戦に遅れまいと急いで信長の後を追う。このため、信長は神速ともいえるような動きができた。
この速さこそ信長の特徴であり、最大の長所であろう。もし信長が家臣に相談をしてじっくりと考える武将であったならば、歴史は大分変わっていたことになる。
話を元に戻す。
午前十時頃、信長の軍は
一方、今川軍の先鋒、松平元康の猛攻を受けた丸根砦は城外に出て野戦を展開したが、大将の
鷲津城では篭城戦を試み、
大高城周辺の制圧を完了した今川義元は沓掛城を出発した。大高城方面を西に進み、その後、南に進路を取った。
一方、信長は善照寺砦に
正午頃、中嶋砦の
しかし、逆に佐々政次、千秋四郎が討ち取られ、今川軍の士気を上げる結果となってしまった。
午後一時頃、視界を妨げるほどの豪雨が降った。雹だったのではないか、という説もある。
信長はこれに乗じて兵を進め、義元の本体に奇襲を仕掛けた。
今川軍の総勢は二万五千ほどだが、義元を守る兵数は五千から六千。奇襲により兵力差は関係なくなり、大将同士が刀槍を振るう乱戦となった。
義元は輿を捨て、親衛隊の三百騎を連れて退却しようとした。しかし、織田軍の猛攻や同士討ちにより兵を失い、ついには信長の馬廻に追いつかれる。
最後は
その際、今川義元は毛利良勝の左指を食いちぎったという話も伝えられている。
総大将である今川義元を失った今川軍は戦意を喪失し、総崩れとなって退却した。
これが世に有名な桶狭間の合戦である。
###
さて、この桶狭間の合戦は井伊家にとってどのような結果をもたらしたのだろうか。桶狭間の合戦が行われる前に戻って見てみたいと思う。
###
桶狭間の合戦において、井伊直盛は先陣を命じられた。正確には京へ行くための進軍の先陣というべきか。
その際、血気盛んな二十五歳である井伊直親は直盛とともに出陣を申し出た。
「ならん」
直盛は一言で直親の申し出を退けた。直盛からしたら直親は大事な井伊家の跡取りだ。もしこの戦いで直盛と直親、両者ともに命を落とすことになれば井伊家の存続が危うくなる。
そのため、直盛は直親を井伊谷に残し、自身が今回の出陣に参加することになったのだ。
次郎法師は父、直盛の出陣に不安を感じていた。次郎法師が生まれてから直盛が戦場に出たことはほとんどない。そのためか、直盛に初陣のときのような危うさを感じていたのだ。
「父上、このたびの出陣、大丈夫でしょうか?」
直盛はふっ、と笑い、次郎法師の頭をなでる。
「大丈夫だ。義元様が京に上れば戦乱も少しは収まるだろう。そうすればお前ともゆっくり過ごせる日が来る」
「そんな日が、来ますでしょうか」
「今からその日を作りに行くのだ」
直盛の目はまっすぐ次郎法師を向いている。直盛はすでに平和になった未来を見ているのかもしれない。
「無事を、お祈りしています」
次郎法師は祈った。祈ることで付きまとう不安感から逃れようとしたのだ。
この時、永禄三年(1560年)五月十一日である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます