第8話 桶狭間

 永禄えいろく三年(1560年)元日、井伊直親は井伊家の菩提寺である龍潭寺に参拝していた。


 目的はただの初詣ではない。奥山因幡守朝利おくやまいなばのかみともとしの娘、瑠璃と結婚して五年となるのに、いまだに子宝に恵まれない。そのため、今年こそは、と特別な思いで参拝していたのだ。


 その証拠として、念持仏、世継千手観音を作った。その小ぶりな千手観音は現在も龍潭寺に保管されている。




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 永禄三年、この年は日本史において特別な年になった。世に言う桶狭間の戦いがあった年である。


 今川義元が京に旗を掲げるべく上洛しようとした。その際に尾張の織田家が邪魔になる。今川義元は弱小大名である織田家を踏み潰すように通過しようとした。


 だが、今川義元に油断があり、桶狭間(正確には田楽狭間)で首を取られた、という話である。


 この話は日本史的にも重要な話であり、井伊家にとっても大変な影響があった。


 そのため、ここでは特に紙面を割き、重点的に話を進めていこうと思う。




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 永禄三年(1560年)五月十二日、今川義元は大軍を率いて駿府すんぷを発った。兵の数は公称で四万、実際には二万五千ほどだったと考えられる。


 尾張を目指して東海道を西進した。


 五月十八日、沓掛城くつかけじょうに入った今川軍は本陣をここに置き、大高城に兵糧を入れた。その際に大高城に向かったのは松平元康率いる三河勢。後の徳川家康である。


 一方、織田家では篭城すべきか出陣すべきかで議論が分かれていた。このときの信長は話を聞いているだけで動かない。織田家の重臣たちも信長が何を考えているかわからなかっただろう。


 翌十九日午前三時頃、松平元康と朝比奈泰朝あさひなやすともは織田軍の丸根まるね砦、鷲津わしづ砦に攻撃を開始した。


 朝比奈泰朝とは今川家の家臣で掛川かけがわ城主、後に井伊家と因縁を持つ人物である。


 前日に今川軍接近の報告を聞いても動かなかった信長だが、丸根砦、鷲津砦が攻撃を受けているという報告を聞いて飛び起きた。


 幸若舞『敦盛あつもり』を舞うと、すぐさま身支度を済ませ、午前四時頃には居城の清洲城きよすじょうを出ている。


 午前八時頃、信長は熱田神宮に到着した。ここで信長を追ってくる人数を待つとともに、戦勝祈願を行ったのだ。


 少々話が脇道に逸れるが、織田信長という人物は出陣の際は一番に駆け出すことが多かった。出陣と決まるとすぐに馬に乗り、戦場へと駆け出してしまう。家来たちは戦に遅れまいと急いで信長の後を追う。このため、信長は神速ともいえるような動きができた。


 この速さこそ信長の特徴であり、最大の長所であろう。もし信長が家臣に相談をしてじっくりと考える武将であったならば、歴史は大分変わっていたことになる。


 話を元に戻す。


 午前十時頃、信長の軍は善照寺ぜんしょうじ砦に入り、軍勢を整えた。およそ二千から三千と言われている。


 一方、今川軍の先鋒、松平元康の猛攻を受けた丸根砦は城外に出て野戦を展開したが、大将の佐久間盛重さくまもりしげは討死、砦は元康に占領された。


 鷲津城では篭城戦を試み、飯尾定宗いいおさだむね織田秀敏おだひでとしが討死したが、時間稼ぎには成功した。


 大高城周辺の制圧を完了した今川義元は沓掛城を出発した。大高城方面を西に進み、その後、南に進路を取った。


 一方、信長は善照寺砦に佐久間信盛さくまのぶもり以下五百の兵を残し、二千余の兵で出撃した。


 正午頃、中嶋砦の佐々政次ささまさつぐ千秋四郎ちあきしろうら三十余の兵は信長出陣の報に士気が上がり、単独で今川軍に攻撃を仕掛けた。


 しかし、逆に佐々政次、千秋四郎が討ち取られ、今川軍の士気を上げる結果となってしまった。


 午後一時頃、視界を妨げるほどの豪雨が降った。雹だったのではないか、という説もある。


 信長はこれに乗じて兵を進め、義元の本体に奇襲を仕掛けた。


 今川軍の総勢は二万五千ほどだが、義元を守る兵数は五千から六千。奇襲により兵力差は関係なくなり、大将同士が刀槍を振るう乱戦となった。


 義元は輿を捨て、親衛隊の三百騎を連れて退却しようとした。しかし、織田軍の猛攻や同士討ちにより兵を失い、ついには信長の馬廻に追いつかれる。


 最後は毛利良勝もうりよしかつによって組み伏せられ、今川義元の首は胴体から離れることとなる。


 その際、今川義元は毛利良勝の左指を食いちぎったという話も伝えられている。


 総大将である今川義元を失った今川軍は戦意を喪失し、総崩れとなって退却した。


 これが世に有名な桶狭間の合戦である。




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 さて、この桶狭間の合戦は井伊家にとってどのような結果をもたらしたのだろうか。桶狭間の合戦が行われる前に戻って見てみたいと思う。




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 桶狭間の合戦において、井伊直盛は先陣を命じられた。正確には京へ行くための進軍の先陣というべきか。


 その際、血気盛んな二十五歳である井伊直親は直盛とともに出陣を申し出た。



「ならん」



 直盛は一言で直親の申し出を退けた。直盛からしたら直親は大事な井伊家の跡取りだ。もしこの戦いで直盛と直親、両者ともに命を落とすことになれば井伊家の存続が危うくなる。


 そのため、直盛は直親を井伊谷に残し、自身が今回の出陣に参加することになったのだ。


 次郎法師は父、直盛の出陣に不安を感じていた。次郎法師が生まれてから直盛が戦場に出たことはほとんどない。そのためか、直盛に初陣のときのような危うさを感じていたのだ。



「父上、このたびの出陣、大丈夫でしょうか?」



 直盛はふっ、と笑い、次郎法師の頭をなでる。



「大丈夫だ。義元様が京に上れば戦乱も少しは収まるだろう。そうすればお前ともゆっくり過ごせる日が来る」


「そんな日が、来ますでしょうか」


「今からその日を作りに行くのだ」



 直盛の目はまっすぐ次郎法師を向いている。直盛はすでに平和になった未来を見ているのかもしれない。



「無事を、お祈りしています」



 次郎法師は祈った。祈ることで付きまとう不安感から逃れようとしたのだ。


 この時、永禄三年(1560年)五月十一日である。

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