村人Aの婚約

加藤有楽

第1話

 みなさんどうもこんにちは。私は村人Aです。

 村人Aってなんだお前設定とかねぇのかよと思った方、その認識は訂正させて頂きたい。私の設定は『村人A』です。典型的なRPGで遊んだことのある方なら分かっていただけると思うのですが、ワールドマップから村や町のマップに入ると、村や町の入り口付近でウロウロしているモブキャラがいますね。話しかけると『ここはどこどこの村です』と毒にも薬にもならないことを教えてくれるモブ。はい出たドン。それが村人Aです。

 村人Aの仕事は村の名前を勇者様ご一行にお伝えすることです。それ以上の情報を教えるのは村人BやCや長老などの仕事なので、私の仕事ではありません。ですので、私が勇者様に話しかけられる言葉は『ここはルルトの村です』というただ一言なのです。



 そんな村人A生活を始めて数年目、私はついに勇者様という存在に遭遇いたしました。

 いやぁ、生で見る勇者様は凄かったです。金髪碧眼というベタなカラーリングながらも、なんかこう全体的にキラキラしてた。マジで。他にも魔法使いのロン毛のお兄さんと盗賊風のグラマーなお姉さんが一緒でしたが、皆さんそりゃぁもう美しいのなんの……。流石モブとは違うな! と美形の揃いっぷりに感動しつつ、村人Aとしての役目も無事果たすことが出来ました。その後は村人BだのCだの長老だのが村はずれにある洞窟のダンジョンへと勇者様ご一行を誘い、数日後には、勇者様ご一行は無事にダンジョン奥にあるレアアイテムを入手して村に戻ってらっしゃいました。宿屋に一泊してHP・MPを回復させた後、次の街へと向かわれるでしょう。

 我がルルトの村にはこのレアアイテム入手しかイベントがありませんので、明日、勇者様ご一行が村を出て行く時が美形集団の見納めになりそうです。明日は目ぇかっ開いてご一行を拝もうと思いつつ、いつものように村の入り口付近をうろうろして村人Aの仕事をこなしておりましたら、なんとそのご一行の勇者様と魔法使いのお兄さんが、すたすたと村の入り口に向かって歩いて来るではありませんか。

 予想外の美形の出現に、私は思わず首を傾げました。ひょっとして出発が早まったのかと思いましたが、それにしては様子がおかしいです。まず盗賊風のグラマーなお姉さんがいらっしゃいませんし、お二人の装備も軽装です。その上魔法使いのお兄さんはなんだかニヤニヤとゲスい笑顔を浮かべていますし、勇者様の方は思いつめた表情を浮かべ、背負うオーラは思いつめすぎているのか、寄らば切る! という不穏なオーラになっています。一体何事でしょうか。

 謎に思いつつも他人事でお二人を眺めていたところ、そのお二人は何故か私の目の前でピタリと立ち止まりました。村の出入り口を塞ぐようなポジションに突っ立っていたつもりはないのですが、通行の邪魔になってしまったのでしょうか。プレイヤーの通行を妨げるモブというのはいただけません。こういう小さなイラッ……感が、顧客満足度をじわじわと下げるのです。とりあえず頭を下げて脇に避けようと、魔法使いのお兄さんの一歩前にいる勇者様に向き直り目を合わせると、勇者様の無駄に整った顔が一瞬で真っ赤になりました。な、何事ですか。風邪ですか勇者様。回復魔法で治るかは存じ上げませんが、どうぞご自愛ください……と思いつつ勇者様の赤い顔を眺めておりましたら、その勇者様は一瞬口を一文字にきゅっと引き結ぶと、意を決したような表情で私に声をかけてくるではありませんか。

「あの……名前も知らない方に、いきなりこんな事をを言うのは不躾で恐縮ですが……」

 緊張した面持ちながらも少し恥ずかしそうに喋る勇者様は、この前見かけたときよりキラキラ度が格段に上がっていました。そりゃあもうモブの私は目が眩むほどです。なんですかこの光のパワーは!? これが勇者フェロモンってやつでしょうか。凄いな勇者って半端ねぇなそれにしても眩しい!

 勇者様の眩しさに、思わず老眼の長老のごとく眉間に皺を寄せて視界を確保していた私に、フェロモンとなんだかよくわからんキラキラを撒き散らしていた勇者様は、少し頬を染めて唐突にこう言いました。

「オレの婚約者になっていただけませんか?」

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……ちょ、おま、何言ってんだええぇえぇー!!!?

 勇者様のあまりに衝撃的な発言に、私は勢い良く後ろを振り向きました。きっと私の後ろにいるどなたかへの発言だったのでしょう。しかし後ろを向いた私の視界に映るのは、村の境界である簡素な柵とその先の雑木林のみ。ではそもそも勇者様自体が見間違いだったのではと正面に視線を戻せば、そこにはキラキラしまくって容赦なくこちらの視界を侵略してくる正真正銘本物の勇者様が鎮座しておられます。とりあえず勇者様は本物で、私の後ろには人がいない。ではあの衝撃的な発言は私へ向けられたものではないのか、といういくらなんでもあり得ない状況を確認するために、私が震える手で己を指差すと、勇者様は真剣な表情でひとつこくりと頷きました。つまり私は、たった今この無駄に美形で訳のわからないほどキラキラしていてフェロモン振り撒きまくっている勇者様に婚約を申し込まれたということになります。由緒正しい村人Aの私が。

 はぁぁああぁぁあ!!? ちょ、ま……勇者様!? あああ、あんた勇者ですよ!? 主人公ですよ!? 普通主人公の勇者って言ったら魔王に攫われたところを助けたおっとり可憐系お姫様とか男勝りで旅に勝手に付いてきちゃうツンデレ系王女様とかといい感じになったり今流行のBLって要素を取り入れるならば同じパーティーにいる魔法使いのイケメンに体狙われてたりするものでしょ!? まぁつまりお前の後ろにいるそのゲスい笑顔のやつのことだけどな!? とにかくストーリー中盤のちょっとダレる辺りのレアアイテム入手ダンジョンに付属してる特に重要でない村の村人Aに婚約申し込むとかダメでしょ!? ストーリー的につまずくどころか頭おかしいレベルでしょ!? しっかりしろお前主人公だろ!!?

 勇者様のあまりの発言に一瞬で固まってしまった体とは裏腹に、私の脳裏にはそれはもうもの凄い量の思いが駆け抜けました。いやいやこんなもんじゃ全然足りないけどな!? あれこれと言いたい事は山のようにありましたが、悲しいかな私は由緒正しき村人A。泣いても笑っても極度のパニックに陥っていても、勇者様にお伝えできる言葉はこれしかないのです。

「……ここは、ルルトの村です……」

 その返答にぽかんとする勇者様と魔法使いのお兄さんに背を向けると、私は猛ダッシュでその場から逃げ出しました。ごめんなさい勇者様。私はタダの村人Aなのです。



 猛ダッシュで自宅に逃げ込んでドアに鍵を掛けると、私はその場にずるずると崩れ落ちました。走ってきたせいなのか先ほど直面した訳のわからない事態のせいなのか、膝ががくがくと震えています。

「……ありえねぇー……」

 本当に心の底からぶっちゃけありえなーい、です。勇者が村人Aなんかに婚約を申し込んで一体どうするんでしょうか。ストーリーの整合性などという前に、そもそもゲームシナリオ大崩壊です。いくらなんでもこの展開ではクソゲーの烙印を押されてしまうこと間違いなしな上、クソゲーオブザイヤーにノミネートされてしまうでしょう。

 私は頭を抱えてしばらく悶々としていましたが、はたと思いつくことがありました。あの勇者様、ひょっとしてステータスが『混乱』状態だったのかもしれません。あの真っ赤な顔といいトチ狂った言動といい、まさに『混乱』そのものではありませんか。それなら一連の言動全てに納得がいきます。ああよかった。ゲームシナリオが大崩壊してクソゲーの烙印を押されるRPGなんて存在しなかったんだ。

 極度の緊張を強いられていた私は、安心した途端に妙にお腹がすいてきました。確か昨日、道具屋という名の雑貨屋のお姉さんがオマケしてくれたラスクが戸棚にあったはずです。あの店のラスクは私の大好物なのですよイヤッフゥー! テンションの上がった私がうきうきとお茶の用意をして、午後のお茶へと洒落こもうとした時、家のドアがノックされました。これからという絶妙のタイミングで一体誰でしょうか。淹れたてのお茶をすすりつつ、ドアの向こうに声をかけます。

「はーい、どなたですかー?」

「どうもー。さっきお嬢ちゃんにいきなり婚約申し込んだ勇者の連れですがー」

「ゲッハァ!!」

 私は口に含んでいたお茶を吐血かという勢いで派手に噴出しました。相手は声からするに、先ほど勇者様の後ろにいた魔法使いのお兄さんです。さっきはゲスい笑顔を浮かべるだけで一言も喋りませんでしたが、初めてお会いした時に声は聴いていましたので判別はつきます。そしてその魔法使いのお兄さんが平然と婚約の件を口にしてくるということは、勇者様のステータスは『混乱』状態ではなかったということでしょう。えええぇええ、マジかー……。

 派手な呻き声を上げた後、無言になった私にビビったのか、ドアの外から慌てた声が聞こえてきました。

「おーい!? お嬢ちゃんどうした!? 大丈夫か!?」

「だ、大丈夫ですお気遣いなく……」

 とりあえず布巾で口を拭った私は、重い足取りでドアまで近づき、のろのろと鍵を開けます。ぶっちゃけドアの前にバリケードを作ってでも自宅への侵入は断固としてお断りしたいところですが、そういうわけにもいきません。我ら村人というものは、勇者様ご一行には常に門戸を開けておかねばならぬからです。留守中に無断で侵入された挙句家の中を隅々まで漁られ、薬草などの諸アイテムをかっぱらわれても文句は言えません。何しろ相手は勇者様ご一行で、我らは村人モブなのです。

 苦々しい思いで渋々開けたドアの前には、予想通り先ほど勇者様の後ろにいた魔法使いのお兄さんが立っていらっしゃいました。ぎりぎりと歯を食いしばりながらも、人として最低限のレベルの対応はしなければなりません。

「……こんにちは」

「こんちはー。急に押し掛けてごめんねー?」

 私が渋い顔をしているのは重々承知でしょうに、にこにことイケメンスマイルを浮かべて挨拶をしてくる魔法使いのお兄さんマジで面の皮厚いな。さっきまでものっそいゲスい笑顔浮かべてたの私覚えてますからねお兄さん……。

 思うところはあれこれあるものの、魔法使いのお兄さんは勇者様ご一行の一人です。つまり、私は村人のモブとして魔法使いのお兄さんを迎え入れなければなりません。迎え入れなかればならないのですが、些か先ほどの出来事は私にとって衝撃的すぎました。流石に勇者様とは顔を合わせづらい私はドアから身を乗り出して、きょろきょろとあたりを見回します。近くに勇者様の姿は見当たりませんでしたが、一応確認をとっておくことにしました。

「あの、勇者様は……?」

「ああ、あいつはいないぜ。今頃宿屋で死ぬほど落ち込んでるんじゃないかなー?」

 あっはっはー、と楽しそうに笑う魔法使いのお兄さんを胡乱な目で見つめてから、私はドアを大きく開けました。来客を玄関先に立たせておくわけにも行きませんし、モブの私には抵抗する手段も無いのです。

「立ち話もなんですので、どうぞ」

 渋々ながら魔法使いのお兄さんを招き入れ、とりあえずお茶と楽しみにしていたラスクを振る舞い、私も席についてお茶を一口飲んだところで、魔法使いのお兄さんは私の顔をひょいと覗き込んできました。ううむ、勇者様ほどのキラキラ感はありませんが、なるほど魔法使いのお兄さんも無駄に整った顔立ちです。面の皮は暑いようですが。

「とりあえず、お嬢ちゃんの名前聞いていいかな?」

 私の感想など知らない魔法使いのお兄さんは、にっこりと笑顔を浮かべて聞いてきました。流石に嘘を教えるわけにもいきませんので、正直に答えます。

「村人Aと申します」

「いや、そうじゃなくて本名は?」

「ですから、村人Aです」

「……マジで村人Aなの?」

「……あー、そうか」

 魔法使いのお兄さんが浮かべる怪訝な表情に、私は状況を理解しました。私自身は先ほどから自分の名前を口にしているのですが、魔法使いのお兄さんには『村人A』と聞こえているようです。この状況には覚えがあります。

「お兄さん、勇者様ご一行だから聞き取れないんですね」

「はい?」

 意味がわからない、という様子の魔法使いのお兄さんにおかわりのお茶を差し出しながら、私は簡潔に事実を説明しました。

「いや、ご存じないでしょうけれども、基本的に勇者様ご一行って私の名前聞き取れないんですよ」

「はぁ?俺、耳は悪くないけど」

「そうじゃなくてですね。なんて説明したらいいかなー……」

 首を傾げている魔法使いのお兄さんを前に、私は頭を抱えました。モブである我らにとっては常識中の常識ですが、魔法使いのお兄さんは初めて知ることでしょう。自慢ではありませんが、私は頭が良くないので、上手く説明できるか自信が無いのです。

 そもそも、勇者様ご一行と私の接点は『村人A』という役職の部分でしかありません。勇者様ご一行には進めなければならないシナリオがありますので、『村人A』としての役割以外に私のような一般モブとは関わりがないようにできているのです。ですので、一般モブの私が主人公である勇者様にいくら話しかけても、勇者様には『ここはルルトの村です』としか聞こえません。私に許された勇者様との接点はその部分だけなのです。

 一方、魔法使いのお兄さんは勇者様ご一行ではあるものの、主人公ではないのでモブの私と会話はできますが、名前を聞き取り、一個人として私を認識することはできません。主人公である勇者様ほどではありませんが、魔法使いのお兄さんにも進めなければならないシナリオがあるからです。

 しかし、何故勇者様とは会話ができないのに魔法使いのお兄さんとは会話ができるかというと、よく、宿屋に泊まって朝になったら仲間のキャラが『酒場で噂を聞いたんだが~』って情報を持ってきてくれることがありますよね。ああいうことができるように、勇者様以外のご一行メンバーとはある程度会話ができるようになっているのです。

「ということなのですが、ご理解いただけましたか?」

 私の大雑把な説明を聞いた魔法使いのお兄さんは、ぽかんと口を開けていました。ああ、阿呆な顔でも美形は美形なんだな、と私が妙なところに感心していると、魔法使いのお兄さんは開けっ放しの口にお茶を流し込むと、こちらに身を乗り出して聞いてきました。

「……それマジ? 俺初耳なんだけど」

「お兄さんは初耳でしょうけれど、マジですよ。そこら辺の村人捕まえて聞いてみてくださいよ『モブの縛り』って知ってるかって」

 モブキャラの常識ですから、と胸を張って答えると、身を乗り出していた魔法使いのお兄さんはどさりと椅子に座り込み、難しい表情を浮かべます。

「俺もあいつも半年前まではタダの村人だったけど、そんなの初めて知った」

「そりゃあ、知らなくて当然ですよ。タダの村人モブではなくて、いずれ勇者になる村人ってくくりでしょうから」

 つまり、同じ村人でも扱いが違うのです。我らは由緒正しき村人モブ。生まれた時から違う世界の住人なワケです。

「まぁ、そういうわけなので」

 咳払いをひとつすると、腕を組んで考え込んでいた魔法使いのお兄さんの視線がこちらに向けられました。

「婚約のお話はお受けできません。ていうかシナリオ進めれば儚げ美人のお姫様とか勝ち気可愛い王女様とかとのラブイベントがあると思いますので、それを楽しみに生きてください」

 ごめんなさい、と頭を下げると、うぅ~んという魔法使いのお兄さんの困った声が聞こえてきました。魔法使いのお兄さんも困っているようですが、こんな話にうっかり流されてしまったら、先に待つのはクソゲーオブザイヤーの栄冠です。こんなところで負けてはなりません。とりあえず魔法使いのお兄さんには状況を理解していただいて、訳のわからないことを言い出した勇者様の説得に当たってもらわねばならないのです。

 私と魔法使いのお兄さんは無言で睨み合いましたが、暫くすると魔法使いのお兄さんはふっと視線を外しひとつ溜息をつきました。

「とりあえず、今日のところは帰るわ。その『モブの縛り』? については、あいつも知らないだろうし」

 難しい顔をしたままそう言うと、魔法使いのお兄さんはお茶の入ったカップを置いて席を立ちました。よっしゃあ! とりあえずこれは私の勝利ではないでしょうか!? これから魔法使いのお兄さんには存分に働いて貰わねばなりません。

「ありがとうございます。こんなところで油売ってないでさっさとシナリオ進めるように、勇者様を説得してください!」

 私のせいで魔王を倒すのが遅れて世界が悪の帝国のものになったとか、今の王国が大崩壊とかになったら目も当てられません。ていうか何故悪い国は大抵帝国で、良い国は王国なのでしょうか。どこか別の世界には、いい国作ろう帝国幕府みたいなところもあるのでしょうか。

 そんなどうでもいいことを考えつつも、私は魔法使いのお兄さんに必死に頼み込みましたが、当の魔法使いのお兄さんは依然難しい顔です。聞けば、勇者様はこうと決めたらてこでも動かないタイプというベタな設定らしいのです。

「そこをなんとか! ていうかシステム的にもシナリオ的にも無理って言ったら流石に勇者様も諦めるでしょうし!」

「いやー、あいつホント頑固だからね? 俺自信ないなー」

「自信が無くても行動は起こせます! 行動起こせたらあとはこっちのものですよ! お兄さん頑張って!!」

「お嬢ちゃんカッコいいこと言うなぁ」

 私の必死の主張にも、魔法使いのお兄さんはあはははーと気楽に笑うだけで、肝心の返答は頂けません。はぐらかすように笑う魔法使いのお兄さんに、頼みますよと念を押しつつ、私はぐいぐいと魔法使いのお兄さんをドアの前まで押していきます。さぁ、今すぐ宿屋に戻って早々に勇者様の説得にあたって頂きたい。

「本当によろしくお願いしますよ!」

 魔法使いのお兄さんを玄関先に押し出してそう言うと、お兄さんは笑顔でお茶ご馳走さま、と言うと手を振って宿屋の方へ引き上げていきました。最後まで返事をはぐらかさ!ましたが、私は魔法使いのお兄さんのその背中が見えなくなるまで、何度も何度も念を押してから家に引っ込みました。今晩は夜通し魔法使いのお兄さんの説得の成功を祈るしかありません。



 翌日、私が朝食を終え、さて今日も村人Aの仕事に行かねばと思って支度をしているところへ、またしてもノックの音が聞こえてきました。正直嫌な予感しかしませんが、返答はせねばなりません。あまつさえこのノックの主が勇者様ご一行だった場合、快く扉を開けねばなりません。嗚呼、村人モブの侘しさよ……。物凄く気は進みませんが、このノックを無視するという選択肢はありません。ひょっとしたら魔法使いのお兄さんの説得成功の報告かもしれないのです。私は色々な気力を振り絞って声を上げました。

「……どなたですか?」

「おー、お嬢ちゃん俺だ俺ー」

 私の嫌そうな声に応じたのは、昨日こちらの訴えをのらりくらりと交わし続けた魔法使いのお兄さんの声です。ひょっとしてこれは本当に説得成功の報告かもしれません。うぉぉぉ! よくやったお兄さん! 流石勇者様ご一行! 私はうって変わって上機嫌で扉に駆け寄りました。朝から微妙にダウナーでしたが、一瞬でテンションMAXです。他人を信じるっていうのはすばらしいことですよね!

「今開けまーす」

 魔法使いのお兄さんにお礼を述べるべく、私は笑顔全開で扉を開けましたが、扉の前に立っていたのは長い藍色の髪に炭色の瞳の魔法使いのお兄さんではなく、なんと短めの金髪に碧の瞳が眩しい勇者様でした。

「おはようございます。朝早くからお騒がせしております」

 勇者様の朝の挨拶はとても穏やかで、相変わらずのキラキラっぷりでしたが、私の喜びに満ち溢れた笑顔は一瞬で固まりました。まさかこいつが出てくるとは完全に予想外ですので、気分としては躁から鬱へまっ逆さまです。ゆ、勇者の癖にだまし討ちとは卑怯な……!

 勇者様の勇者にあるまじき卑怯な手段に憤りを感じておりましたが、先ほど聞こえてきた声は間違いなく魔法使いのお兄さんのものでした。ひょっとして魔法使いのお兄さんの説得は成功していて、勇者様は謝罪に来たのかもしれません。慌てて周囲を見回すと、朝から眩しい勇者様の後ろにその姿はありました。魔法使いのお兄さんにすがる様な視線を向ければ、当の魔法使いのお兄さんは、軽い感じで片手を上げて「メンゴ」とかやってきやがりました。ちょ、おま、なんだその軽い謝罪はぁぁぁ!!? なんということでしょう。昨日私があれだけ必死にお願いしたというのに、魔法使いのお兄さんにはこの必死さは全く伝わっていなかったということです。魔法使いのお兄さんの羽より軽い態度に、うっかり殺意を抱くのも無理はないと思います。とりあえず長老の書斎に押し入ってブードゥー呪術とか丑の刻参りのハウツー本を借りてくるべきでしょうか。呪いって何が一番効くのでしょうか。

 殺意のあまりダークサイドに落ちかけた私ですが、ふと冷静になってみればそんなことにかまけている場合ではありません。魔法使いのお兄さんがメンゴっているということは、勇者様の説得に失敗したと言うことでしょう。となると、これはもう私自身が勇者様を説得しなければならぬ事態だということです。職業村人Aの私と、主人公である勇者様の直接対決。ステータス差を見ただけで戦闘意欲も消し飛ぶ戦いですが、私はなんとしてでもこの戦いで勝利を収めなければなりません。敗北した暁には、ゲームシナリオの崩壊とクソゲーオブザイヤーの栄冠が待っているのです。

 私は一つ深呼吸をしてから、目の前の勇者様を見据えました。相変わらず無駄に美形でとにかくキラキラしていますが、この見てくれに騙されてはなりません。不躾に勇者様の整った顔立ちを見据える私と視線が合った勇者様は、ぱちぱちとその長いまつげを見せ付けるように瞬きをしてから、ふわりと控えめな笑顔を見せました。勇者フェロモン垂れ流しの素晴らしい笑顔ですが、この見てくれに騙されてはならないのです。……騙されんなって言っているだろ私!!

 勇者様の眩しい笑顔に釣られ、しまりの無い笑顔を見せそうになる自分を叱咤してから、私は思い切り勇者様を睨みつけました。所詮村人Aの睨みですから迫力があるはずもなく、勇者様はあの眩しい笑顔のまま首を少し傾げました。畜生、可愛いじゃねーの!!

 正直先行き不安すぎて最早半泣きですが、ここまで来てしまったらどうしようもありません。村人モブ代表村人Aと勇者様の直接対決、いざ、戦闘開始です。

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