剣と魔法と召喚士

@sakagami32

第1話

欝蒼と茂る木々は午後の穏やかな日の光を遮り、二人の足元を弱々しく照らしている。

二人はひたすら真っすぐに森の中を進む。

「迷ったな」

「そのようですね」

漆黒の外套で身を包んだ少年は辺りを見回す事もなく、前を見たまま悠長に口を開く。

「ここは何処だ?このままでは日が暮れる前に城へ戻れないな」

少年の斜め後ろに従っていた、もう一人の男は頭の中に地図を思い浮かべ逡巡する。出発した地点から10kmは離れているだろう。

「国境付近のレグ村の、更に外れかと考えられます。雅羅南城と反対方向です」

「ならもっと早く言え!」

「申し訳ありませぬ」

「引き返すぞ。日暮れまでに着かなければ、野宿だ」

「御意」

踵を返す主従達の耳に大きな悲鳴が届いた。


母親の悲鳴が聞こえ、季緒は窓から家の中を覗き込んだ。

頭から足先まですっぽりと黒い外套で覆われた二人の侵入者。それと対峙するかの様に血溜まりに蹲る母親の姿。気丈にも侵入者達を荒い息で睨みつけている。

「母さん!」

窓から家の中へ、自分の元へ駆け寄った息子に、母親は力の限り怒鳴る。

「逃げなさい!早く!」

季緒は母親の言葉を無視して、腹部を中心に赤く染まっている母親を抱きかかえた。生ぬるい液体が両腕を侵略する。『死』を意識し、季緒の小さい身体が小刻みに震えた。

この森には季緒と母親しか住んでいない。物心ついた時から季緒はこの森で暮らしていた。母親は存在を消すかのように、ひっそりとひっそりと生活してきた。父親の顔も知らない。特に知る必要もないと思っていた。森と、小さな家と、母親と、季緒の世界はたったそれだけだった。つい先程までは。

「女だけか?」

「いや、力は子供に移る。そのガキもだ」

侵入者達は季緒と母親の顔を交互に眺め、バゼラードを翳す。鈍く光るブレイドの切っ先が親子に向けられる。

「おい、何をしている」

突然声が上がった方向に目を向け、季緒は息を呑んだ。

入口には若い二人の男が立っていた。声を発したと思われる外套姿の少年から季緒の目は離れなかった。いや、離せなかったのだ。

肩で切り揃えられた黒髪は黒真珠の輝き。鼻梁が高貴さを漂わせる眉目秀麗を体現した容姿。特に際立っている紫色の瞳。外套と肘当て手甲、剣鞘の繊細な造りからして彼の富貴な育ちが伺えた。少し後ろに控えるように立っている男もなかなかの美男子だが、季緒の目には入らなかった。

「誰だ」

侵入者の声で季緒は我に返って叫んだ。

「それはオレのセリフだ。お前達こそ誰だ」

「部外者はいい。あの親子だ、殺せ」

頷いた男の口元から何やら不可思議な言葉の羅列が聞こえてきた。少年の後ろに控える従者の剣を抜こうとしていた腕が静止する。

少年の影が揺れた。少年はクレイモアーで侵入者達に切りかかる。紫色の目に驚愕に開かれた侵入者の口元を捉えた。一心に力を込めて剣を天から地へ振り切る。剣筋は男の左肩から右脇腹を綺麗に一刀した。二つに裂かれた侵入者の身体は血も噴出さず、ボロボロと燃え屑のように空気中に散ってしまった。男が身にまとっていた黒いフードだけが乾いた音を立てて床に落ちた。

少年は片眉を上げて神妙な顔をする。その隙に、もう一人の侵入者が、切っ先が乾ききらない血で染まっているバゼラードで少年に切りかかる。

襲いかかる侵入者の刃を軽やかに、少年のクレイモアーが受けた。その素早い身のこなしで、彼が剣術に長けている事が伺いとれる。少年は母親と季緒を背中に庇っている。

「明らかにお前達の方が悪人だな。手加減しないぞ」

息も乱さぬ少年が剣を返し、親子から侵入者を遠ざけるように誘導する。

剣同士が交う金属音が響く中で、季緒の腕に母親が崩れ落ちた。

「母さん!」

「よく聞きなさい、あなたは、私の力を、引き継ぐのよ」

「何?」

「私が、私が死んだら…」

季緒の頬に触れた母親の手は悲しいほどの冷たさだった。

「あなたが……」

「母さん!」

ガクリと母親の身体が緩んだ瞬間、閃光と共に季緒の腕の中から母親の身体が消えた。

「な、何だ」

季緒の身体が閃光に包まれる。同時に侵入者は焦燥が滲んだ声をあげた。

「!印が移る!間に合わん」

「何だ、これ、母さん?」

季緒の身体を包んだ光は、閃光となり季緒の心臓を一気に突き抜けて消失した。

「っぐっ、あ…」

呻いた季緒が意識を失い倒れる。

「恐ろしい、忌々しい血統め…」

それだけ言い残し、侵入者の姿は跡形もなく消え去った。部屋に残ったのは少年と従者と季緒の3人だけだ。

少年はクレイモアーを腰の鞘に収め呟く。

「消えた…。あの男も切ったら血も出さずに消失したな。術師か」

少年は未だ入口に立ち尽くす従者に声をかけた。その声に反応するかのように従者は部屋の中へと一歩ずつ、踏みしめるように歩きだした。

「何故動けたのですか?」

「はぁ?!」

少年は左手を腰に当てながら素っ頓狂な質問をする従者を睨みつけた。

「私は全く動けませんでした。恐らく、動きを封じる術か何かをかけられたのかと推測しますが、本当に指一つ動かせませんでした」

「術をかけられたとでも言うのか?オレは何も感じなかったぞ」

目の高さで広げた両手を観察すると、右手の人差し指に嵌めていた指環が錆びている事に気づいた。

「あぁぁ……母上の形見が……」

月の光を閉じ込めたかのような輝石で造られた指環は、石が真っ黒に変色していた。落胆する少年の左指が触れると、音もたてずに塵となり消えてしまった。

少年は従者に顔を向けて、これも魔術か?と問う。青年は応えるように頷いた。

指環があった場所を穴が開くほど見つめながら、肩を落とし溜息を吐く。

「そういえば、空間移動術を遣うのはかなり高度な術師のはずだな」

「ええ、恐らくは天塔圏の者達でしょう」

「天塔圏か、悪魔の集団め。この親子は何故狙われたのだ?」

少年の視線に促され、男も視線を倒れている子供に向けた。

「あの女性は召喚士…と思われます」

「召喚士!?」

「女性の亡骸が召喚獣たちに喰われて消滅したのでしょう。そして、その能力が子供に移った」

「今や伝説とも言える聖なる血統の召喚士が、未だ生き残っていたとは。15年前の大戦で殲滅させられたと聞いていたな」

「奇跡ですね。この山奥に逃げ住んでいたのでしょう。ご覧ください」

男は季緒の上着をめくった。左胸に絡み合う二匹の龍の姿が浮かび上がっていた。

「これは?」

「契約の印です。これでこの子は何時、どの様な時でもこの世ならざるもの全てをその身に召喚することが可能になりました。通常召喚には高度な霊力と呪力、魔法円での魔力の補助と守護が必要になりますが、召喚士には一切必要ありません」

「ふぅん…」

あまり興味がなさそうに答え、少年は子供を抱きかかえた。

「どうなさるのですか?」

「我が国の民だ。オレが救うのが筋だろう?」


季緒が目覚めたとき、そこは見ず知らずの場所だった。

何故自分がフワフワのベッドで寝ているのか、触り心地の良い衣類を身につけているのか、何もわからなかった。上半身を起こし、無駄にゴージャスな部屋の中を見回していると、大きな扉が開き少年が現れた。美少女といっても過言ではないその端正な顔に見覚えがある。

「あ…あの時の…」

思わず口に出した言葉で、季緒の脳裏に真っ赤な光景が浮かび上がる。声を出すと一層現実感が湧いてきた。

母さんは殺されたんだ……

目を伏せる季緒の隣に少年が座りこみ、覗き込んだ。

「気分は?お前は3日間も目を覚まさなかったから睡蓮が心配してたんだぞ」

「…睡蓮?」

「オレと一緒に居た、あの無表情な男」

季緒は思い出そうとしたが、どうしても目の前の少年の姿しか浮かんでこなかった。

ベッドの縁に座りこんだ少年を改めて観察してみる。溜息が出そうな程整った顔をしている。特に、宝石を埋め込んだのではないかと思うほどの輝きを燈した紫色の瞳。陶器のように真っ白い肌は日に焼けた季緒の肌とは全く違う。

少年は寝癖がついた季緒の短い髪を弄び始めた。頬を染め、戸惑いながら見上げてくる黒曜石のような大きな瞳を見ながら思う事は、『こんなガリガリの子供が伝説の召喚士?!』ただそれだけである。

「名は何と言う?」

「季緒」

「キオか、オレは琉韻。特別に琉韻と呼ぶことを許そう」

高飛車な物言いがやけに板についている少年は季緒の細い手首を掴み上げた。

「暇だろう?案内してやる」

「え?!ええっ!!」

二人は光が燦々と注ぐ中庭をゆっくりと歩いている。足の長さが違うので季緒は自然と小走りになる。

「ここ中庭。西の塔は立ち入り禁止な。季緒はオレと東塔に住むんだぞ。東塔はさっきまで寝てた所で、左側の花の塔は女しか住んでない。行っても化粧臭いだけだ」

琉韻が歩くとすれ違う召使い、近衛兵、大臣等さまざまな人が立ち止まり、二人が立ち去るまで礼を取っている。

頭三つ分は背が高い琉韻を見上げて季緒は不思議に思った点を聞いた。

「何で皆が頭を下げているんだ?それに一緒に住むって?」

「それはオレが偉大だからだ。季緒はもう保護者がいないんだろう?ここに住めばいい」

その言葉に季緒が足を止めて涙ぐむ。

「泣くな。男が泣くなんてみっともない」

琉韻の長い指が季緒の涙を掬ったその時、前方から数人の男達が駆け寄ってきた。

「王太子殿下、こちらにおわせでしたか!史学のお時間ですぞ」

「琉韻様、予定が押しております。お急ぎください」

男たちの中には琉韻が無表情な男と呼んでいた睡蓮もいた。背格好は琉韻と同じ位だが、その落ち着いた物腰と低い声のトーンからして琉韻よりも年上に見えた。

お前も来いと肩を掴み、引き摺るように季緒も連れ歩く。何かを聞きたそうな顔をしていたので、何だ?と促すと季緒は大きな瞳を何度も瞬かせた。

「オウタイシデンカって何だ?」

「………」

「琉韻様は我が国、允王国の第壱位王位継承者であらせられます」

助け船を出した睡蓮の言葉にも季緒は首を傾げている。

「要するに、琉韻様は次の国王になられる王子殿下です。国王陛下の御子になられます」

やっと季緒は瞠目する。

「えぇぇええ?!王子?!」

「そうだ」

誰をも魅了するであろう晴れ晴れとした次期国王の笑顔が、季緒の大きな瞳に焼き付いた。


琉韻は隣の席で健やかな寝息をたてている小さな身体を見つめていた。

史学の勉強に一緒に連れてきたはいいが、ものの数分で撃沈した季緒を羨ましく眺めている。

「殿下、お気がそぞろですぞ」

年配の教師に咎められ、羊皮紙の歴史書に目を落とす。

「そうだ、召喚士って知ってるか?」

顔を上げた王子の瞳が輝いていたので、教師はつられてゆっくりと微笑んだ。

「ええ。呪文も魔力も必要とせず自らの身体に幻獣を召喚する者ですね。代々血筋で伝わるようですが、今は全滅したはずです」

「居るぞ」

「何と!!どちらに」

琉韻は寝ている小さい子供を指さす。喫驚顔の教師の姿に、召喚士ってそれほどか…と琉韻は規則正しく揺れる小さな肩を眺めた。疑わしい顔をしている教師の為、小さい身体をテーブルに寝かせ、琉韻は胸をはだけさせた。左胸に息づく二匹の龍。

「…素晴らしい…我が国の宝です…」

教師は感動故か声が震えている。胸の印に触れようとするが琉韻の手に払われた。

「宝、なのか?」

「はい。召喚士が何故全滅させられたかご存じですか?彼らは恐れられたのです。幻獣を召喚するのに何の魔力も呪文も必要ありません。ただ彼らの身体と存在があれば来臨を請えるのです。通常召喚術は術師の高度な魔力が必要になります。時に召喚は、術師の生命と引き換えの場合もあります。召喚された幻獣は召喚士の意のままに動く。戦いの際は大いなる脅威となるでしょう。どのような攻撃も剣も幻獣には敵いません。術師の魔法でさえも」

戦乱による気の乱れ、秩序の乱れがなければ幻獣は現れないと言われている。まだ若い琉韻は一度も遭遇したことはなかった。15年前といえば琉韻は1歳であった。その為、教師の話の規模が知れない。均衡状態にある半ば平和ボケした世の中では幻獣など過去の寓話にすぎなかった。

「15年前の大戦が終わった時、その力を恐れて各国の王たちが召喚士を殲滅したと記憶しておりましたが、おそらく彼が正真正銘最後の一人という事になるでしょう」

「戦いに必要なのは己の技量だけだ。結局最後は自分の力量がものを言うと思うが?」

「殿下は剣術もお得意でいらっしゃいますからね。では、この後の剣技の時間も勢力くだされ」

そう言うと教師は羊皮紙を閉じた。寝ている季緒を無理矢理起こし、琉韻は東塔から北にある騎士塔へ向かう。一人の騎士が、季緒にも剣を持たせて剣術を教えようとしたが、季緒の細い腕では剣の重さに耐えきれず、何度も剣を落としてしまう。呆れた琉韻は「ここから動くな」と季緒を座らせた。痺れた腕を擦りながら、睡蓮と剣を交わしている琉韻を見つめて季緒は溜息を吐いた。自分とは違う細身ながらもしっかりと筋肉がついた逞しい肉体、剛毅な気品漂う容貌。勝手に視線が追ってしまう。

「剣を持つのは初めてかい?」

一心に琉韻を見つめていた視線を声の方向へと向けると、柔らかい笑顔の少年が隣に座る。年の高は琉韻と同じくらいだろうか。ウエーブがかった薄茶の髪を肩まで伸ばし、茶色の瞳がやさしく季緒を見つめていた。

「……うん」

「僕は絽玖というんだけど、君は?」

「…季緒」

値踏みをされるように熱心な視線が恥ずかしくなり、季緒は頬を染め視線を落とす。

「君は兄上が連れてきた子だろう?兄上とどこで知り合ったんだい?」

「アニウエ?」

「琉韻王子だよ。僕は国王陛下の弟の息子なんだ。王子とは従兄弟同士で彼の方が年上だから兄上と呼んでいる。年上と言っても一つ違いだけどね。君はいくつ?」

「…9…さい」

絽玖は恐る恐る見上げている小さな季緒の頭を撫でた。

「9歳とは思えないほど小さいね」

「季緒!!」

怒声と共に短剣が季緒と絽玖の間を通り抜け壁に突き刺さる。絽玖は眉を顰め短剣を飛ばしたであろう王子を見上げた。季緒は眼を見張ったまま微動だにしない。

「琉韻様」

咎めるような睡蓮の声があがる。

「手が滑った。季緒それを」

持ってこいと琉韻が手を差し伸べる。呆けていた季緒は短剣を抜こうとするが、かなり深く突き刺さっているため非力な季緒では抜けそうにない。チラリと琉韻を一瞥した絽玖が貸して、と小さい手の上に自らの手を重ねて剣を抜き取る。ありがとうと受け取った季緒は小走りに琉韻の元へ向かう途中、ある事に気づいた。

剥くれているようにも見える琉韻に短剣を手渡し、季緒はまっすぐに紫の瞳を見上げた。

「オレ、大事な事忘れてた…こんなに大事な事忘れたなんて、母さんに怒られる…」

「何の事だ?」

全く思い当たることがない琉韻は眉をひそめる。

「あの時助けてくれてありがとう」

心からの満面の笑みと、素直な感謝の言葉に琉韻の目尻が赤く染まっていく。思いがけず魅力的な季緒の笑顔に心臓が大きく鼓動を始めた。

「弱きを助けるのは当然の行為だ。睡蓮!季緒に剣の使い方を教えてやれ」

それだけ言うと琉韻は入口へと歩き出す。

「どちらへ?」

「弓をやる」

耳まで赤くなった王子は一度も振り向かず塔の外へ出て行った。

「…やっぱり、言うのが遅すぎたかな…?」

不安そうな表情の季緒に、睡蓮は穏やかな声をかける。

「お気になさらずに。琉韻様もまだまだ子供ですから」

非常に珍しいことであるが、睡蓮は微笑んでいた。

睡蓮は小さい頃から琉韻と一緒に育てられた。正確には睡蓮の母が王太子も一緒に育てたのだ。父は王属騎士団の一員で宮殿の警備をしており、母は何人かの女性たちと騎士塔で世話役をしていた。

15年前、王妃が敵国でもある芭萩国へ友好条約締結に向かう途中暗殺された。怒り狂った允国王と濡れ衣を主張する芭萩国王の間で戦火は切られ、諸国を巻き込んでの大戦が始まったのである。今でも真相は謎である。特に両国の民は再び戦乱に巻き込まれる事を恐れ、大戦の原因は緘口令がしかれたように誰も口を閉ざすのだった。

琉韻は小さな時から魅力的だった。稀有な紫色の瞳は允王国の至宝と評価されていた。それは今でも変わらない。無邪気だった幼少時に比べ、少年特有の秘めやかな色気が加わり、最近では世界の至宝と呼ばれる事も少なくはない。最も本人は不名誉だと嫌っている。

疲れ過ぎて足も動かない季緒を背負い、睡蓮は琉韻と連れだって東塔へ戻る。

「季緒は脆弱だな。オレがちゃんと鍛えてやる。それにお前字も読めないだろう」

「…うん、さっきの勉強の時に初めて見た」

えぇっ!!と大げさなまでに主従は驚いた。

「本当ですか?今まで一度も文字を?」

「まぁ、あんな森の中で暮らすんだったら文字なんて必要ないよな。いつから暮らしてたんだ?」

「生まれた時から…大きな戦争があった時に、森に移り住んだって。森の中なら安全だって母さんが言ってた」

「追手を逃れたのでしょう。あの森はしばし磁場が狂うのでうってつけでしたね」

「母さんは逃げてた?」

琉韻は同じ高さになった大きな黒い瞳を見つめ返した。

「知らなかったのか?母君が召喚士というのも」

「ショウカンシ?」

「まさか、人が死ねば皆、母君のように身体が消滅すると思っているのではないだろうな」

「違うの?」

主従はしばし頭を抱えた。どこからどう説明をしようか迷ってるうちに東塔に着いてしまった。面倒な説明は後回しにすることにして、琉韻は遠慮する季緒を小脇に抱えながら湯浴みへと向かった。


琉韻は根気よく季緒に文字を教えた。そのおかげで季緒は允王国の歴史書をスラスラ読めるまでになった。剣術の方はまるでセンスが無く、剣を持てば季緒が毎回怪我をするので早々に諦めた。

オレが護れば問題はないな。

自分を慕って、素直な感情を投げつけてくる季緒を弟のように感じていた。睡蓮が何かと年上ぶるので、琉韻はずっと弟が欲しかったのだ。子供心に大人の欺瞞と陰謀はひしひしと感じている。王弟の妻、叔母は我が子に王位をと自分の命を狙っていると噂で聞いた事もある。確かに、叔母は対面するといつも笑顔ではあるが、瞳の奥から冷たい光を放っている。その息子、絽玖も何かにつけて敵対心を露にさせるのが鬱陶しくてしょうがなかった。命の恩人とでも感じているのか、一心に自分を信じてくれる季緒が可愛くて仕方がなかった。

「季緒!城下へ行くぞ、支度しろ」

琉韻が扉を開けると、季緒はまだ食事中だった。琉韻が与えた季緒の部屋は、東塔王太子の部屋の斜め向かい側だった。季緒がそれ以上欲しがらなかったのでベッドと小さなテーブルといくつかの書籍が並ぶ本棚しかない。それでも森の小屋とは格段の快適さに季緒は日々感謝を欠かさなかった。食糧は自給自足、時には野を駆ける小動物も仕留めていた。それが今や時間になると食事が用意されている。まるで魔法のようだ。時には琉韻と同席する場合もあり多少堅苦しい思いもする。琉韻は食事のマナーも厳しく教えた。飴と鞭を器用に使いこなす王子は、指導者としての素質はなかなかのものと伺える。

「まだ食べてたのか、遅い!早くしろ!」

「え?ま、待って」

大急ぎで季緒は咀嚼中のパンを飲みこむ。すかさずメイドが飲み物を差し出してくれた。

「王子殿下は季緒殿にベッタリですね」

「ホント、ご兄弟みたい」

クスクスと笑いながら彼女達は囁き合う。

食べ終えた季緒の腕を掴み、琉韻は歩き出す。城門の外では睡蓮が2頭の馬と共に待っていた。

「どこに行くの?」

馬に乗せられながら季緒が聞いた。琉韻は季緒と同じ馬に乗り、手綱を取る。

「来週、琉韻様の聖騎士入隊の儀がございます。その際の入り用を調達いたします」

「えっ!?騎士団に!!スゲー琉韻!騎士団って17歳からじゃなきゃ入れないって」

「まぁ、実力だな。儀式には季緒も出席するんだぞ」

「いいの?」

「当たり前だ、オレの弟だからな」

急に季緒が後ろ向きに抱きつくので、琉韻は馬の制御に支障をきたしてしまった。

危ないと叱る琉韻だが、大喜びをする季緒を見てそれ以上何も言えなくなってしまった。

町に着くまでの間二人は琉韻の必殺剣の命名に考えを巡らせていた。

聖騎士団入隊式典は国を挙げても祭りごとである。その証拠に城下では浮足立った臣民たちが祭りの準備に追われていた。雅羅南城へと続く大通りは季節の花々で飾られ、よくぞこれほど色を集めたと旅人が唸るほどである。店先には土産物と称したあまい菓子の香りが漂い、宿屋はめったにない繁盛期に使える部屋は私室でも開放する有様だ。露天では歴代の聖騎士団長の肖像画と共に王族一家の肖像画も売られていた。馬を厩に預け、大通りを歩いていた季緒は肖像画の小さい王子がやけに取り澄ました顔をしている事に微笑んだ。琉韻の魅力を書き写しきれていないと僅かに苛立ちもした。隣に並ぶ琉韻は頭から鼻先まですっぽりとフードで覆っている。睡蓮曰く、紫の瞳は目立ち過ぎるという理由からだ。それでなくても琉韻の容姿は人目を魅きすぎる。季緒は肖像画に描かれているもう一人の紫瞳の人物に目を留めた。金髪を高く結いあげ小さなティアラで飾っている。細っそりとした少女のような貴婦人。絵に描かれた姿さえ美しいと感じるので、実物はどれほどの美貌だったのか季緒には見当もつかなかった。しかし、季緒は断言できる、琉韻より美しい人はいない。

「何か珍しいものでもあったのか」

視線の先を追った琉韻は、あぁ、と小さな声を洩らす。

「あの肖像画、めちゃくちゃだな。母上はオレが随分と小さい頃に亡くなられたのだ。だからあのように同じ絵に収まるわけがない」

それに、オレは母上の顔を知らぬ…

自嘲とも聞こえる呟きは季緒の心に突き刺さる。

肖像画の琉韻は10歳程度にみえる。その頃自分は母親と森で仲良く暮らしていたのだ。それ以外の生活をしらないので不便を不便とも思わず、当たり前に。季緒は父親を知らないが、初めから存在しないものだった。琉韻には父親はいるが、一国の王である。その多忙さからか父子の会話すら未だに目にした事がない季緒だった。

肖像画を黙って見つめる少年の手を、そっと握る。王子は子供に口角をあげる笑みを返した。

「それで絵が見えてるの?」

「ああ。眼の所に穴があいてる。でなければオレは足元しか見えない」

危ないだろうとの説明に季緒は頷いた。

目当ての物を購入し、三人は厩へ戻る。途中琉韻がソワソワし始めた。

「どうされました?」

「……先ほどの肖像画に母上だけの絵もあった…」

雅羅南城に王妃の肖像画は一切掛けられていない。国王が王妃に関する物をすべて自室に集めさせたからだ。肖像画は勿論、ドレス、宝石類、王妃が愛した美術品に至るまで、彼女が存在した証は全て国王の元に集められ、他の者が目に触れる機会は無くなった。我が子とて同様である。

琉韻の気持ちを察した従者は、ここでお待ち下さいと告げて元来た道を引き返して行った。

後ろ姿が見えなくなったのを確認し

「よし、行くぞ」

琉韻は季緒の腕を掴み、町へ戻ろうとする。

「えっ?!絵は?ここで待つって」

「いいから来い。騎士団に入隊したら最低でも3年はギチギチの規則に縛られて生活するんだ。城下で遊ぶなんて夢のまた夢!!今夜は城に帰らないぞ!そして今夜は眠らない」

意義を唱えても、ギラギラと宝石以上に目を輝かせる琉韻の耳には届かなかったようである。大通りをそれた脇道を進み、二人は日が暮れるまで酒屋の外に放置されてある大きな酒樽の中に隠れて過ごした。酒が染み込んだ樽の中で、呼吸、皮膚呼吸すべてでアルコールを吸収しまくった季緒は樽から出てもまともに歩けなかった。

「情けない。この程度では薬にもならん!!」

琉韻の叱責が頭の裏側まで響く苦痛に季緒はしゃがみ込んでしまう。

「仕方ない、きつけ薬が必要だな」

季緒を小脇に抱えて目の前の酒屋に入り、最も度数の高いアルコールを季緒に無理やり飲ませた。焼ける様な喉の痛み。季緒が覚えているのはそこまでだった。

でたらめな旋律の歌で目を覚ました。灯りはついていなかったが満月が窓から惜しみなく光を注いでいるため部屋は暗くはなかった。身体にかけられていた毛布を畳んで脇に置く。寝ていたソファから立ち上がり部屋を出て、楽しそうな歌と大きな笑い声につられて階下へ降りていく。先ほどの酒屋の中央のテーブルで琉韻はフードを被ったまま何人かの男女と大声で歌っていた。彼らのテーブルには空瓶の山が今にも崩れそうな程高く聳え立っている。ガハハと相好を崩す王子が階段で呆然としている季緒を呼んだ。

「その小っこいのはニイちゃんの連れか?」

傭兵然の格好をした男が琉韻に酒を注ぎながら尋ねる。

「オレの弟だ。兄弟二人で魏杏王国からここまで旅をしてきたんだ。聖騎士団の入隊式を弟も楽しみにして…」

季緒を隣に座らせながら、さも長くて辛い旅をしてきたかのようにしみじみと語る王子に同席したものは異口同音に感心の声を発する。

「そんな小さな身なりで、魏杏国から来たのかい?!」

「ここからだと馬でも20日はかかるのに…よく頑張ったねぇ」

「ウチの聖騎士様は世界で1番権威があるからなぁ、俺も若いころは入隊を志願したよ」

「聖なる騎士を名乗る事が許されているのは允だけだからね~。一度でいいから聖騎士様に抱かれたいよ~」

「そうか、魏杏国は宗教国家だからな。それで妄りに人前で素顔をさらせないのだな」

宗教国家である魏杏王国は一切の嗜好品や好事を禁じている。もちろん飲酒も含まれていたが、多量のアルコールのせいでそこまで頭がまわる者は誰もいなかった。

何度も乾杯を繰り返す人々は聖騎士の話から、今度入隊する王太子の話を始めた。礼讃に次ぐ礼讃で(主に容姿)面映ゆくなった琉韻は用足しと言い席を立った。

断る事もできず注がれるまま酒を飲む季緒は動悸が治まらず、視界が揺れて揺れて仕方なかった。最早何を飲んでも味などせず喉が焼け、人々の話声が三重にも頭に響く。こんな苦痛に耐えるくらいならギチギチの規則生活の方がいいと琉韻を恨む。

鼻歌まじりの千鳥足で戻ってきた琉韻は目の前に飛んできた長剣を、持前の反射神経でよけた。素早い動きのせいで一気に体内を駆け巡ったアルコールにしばし動きを封じられる。床に落ちる剣の音を聞きながら目を閉じて呼吸を整える。歪み続ける視界に季緒の怯えた顔を確認した。小さい子供は隣に座っていた女の腕に抱かれ震えている。先ほどまで楽しく飲んでいた雰囲気は一変、テーブルや椅子があちこちでひっくり返り、中央のテーブルには空き瓶の山の代わりに、酒を注いでくれていた傭兵が腹部を血まみれにして横たわっていた。見ると酒屋の主人もこと切れている。満員だった店の客の殆どが避難したようだ。

「どうした?!」

震えが止まらない小さな子供に駆け寄って頬に触れる。

「きゅ、急に何人も、人が入ってきて…」

「盗賊団だ!!あいつらっ!チクショウ!!」

主人の友人と思われる客がグラスを床に投げ捨てる。

「盗賊団?」

まだ震える小さな身体を女性から受け取り、回らない頭を必死に回転させる。

允王国と芭萩王国の国境を分けている山脈に盗賊団が住み着いていると最近噂になっていた。二国を行き来するには山脈越えが必須となるため、近々騎士団が討伐に向かう手筈になっていた。

「あいつ等、店に入ってきて暴れやがって…店から金を奪ってそれを留めたライズが…」

男がテーブルの上で息絶えている傭兵を見やった。

「何人だ?特徴は?」

「5人で、全員が頭に黒い…布か?黒いものを巻いていた」

「どこへ行った?」

「店を出て南の方向へ、ねぐらへ戻るんだろうよ」

「手間が省けたな」

と口角を上げた琉韻に季緒が縋りつく。

「何をする気だ!危ない」

「臣民を守っていくのがオレの使命だ!この国で勝手な真似はさせん!ここで待っていろ」

一気に駆け出した、ように見えた琉韻だったが、店を出た瞬間口元を手で押さえて立ち止まった。その背中に待ってと声がかかったが無視して琉韻は走り出した。斜めに走る後ろ姿に大きな不安を感じて季緒も吐き気をこらえて必死に後を追って行った。

途中で道に迷ったが、前方に琉韻が投げ捨てたであろうフードを発見する。その先を季緒は急いだ。普段の琉韻なら負けないと信じているが、相手は5人。しかも真っ直ぐに走れないくらいに酔っている。役に立たないかもしれないが、楯ぐらいにはなれる。琉韻が救ってくれた命だから、せめて琉韻に還したいと思う。

大きな岩の陰に隠れて様子を窺っている姿が見えた。足音に気づいた琉韻が来るな、と手を払うが無視して隣にしゃがみ込む。先ほど無視されたのでおあいこだという然で紫瞳を見上げた。琉韻は肩を竦め小声で言い放つ。

「いいか。何があってもここから出てくるな。オレが注意を引いてる間に町へ戻れ。いいな。これは命令だ」

「嫌だ。命令なんて絶対きかない!」

「オレがどれくらい強いか知らないのか?!」

「琉韻を信じてる。でも絶対嫌だ。オレだって琉韻を守りたい」

真摯に見上げる黒曜石のような瞳が潤んでいた。琉韻は大きく息を吐いた。

「では、町に戻って助っ人を呼んできてくれ。その間ここから動かない。約束する」

「本当か?」

「本当だ」

小さな頭を撫でようとしたが、胃から込み上げてくるモノがあり琉韻は呻いた。

その声を聞きつけ盗賊団達が辺りを詮索し始める。

「この場所から絶対動くなよ。出てきたら二度と口きかないからな」

季緒が頷いたのを確認し、琉韻は岩陰から出て行った。

「お前達。最近国境に巣食ってる盗賊団だな。一応聞いておくが、罪を改め罰を受ける気があるならこの剣は抜かないでおこう。国境警備隊に身柄を預けるんだな」

自らの大声さえも頭に響き反鐘する。たかが烏合の衆に剣で負けるはずはないという自負が、超絶に具合の悪い王子を支えていた。ましてや後ろに季緒もいる。絶対に負けてはならない戦いになるだろう。

月光の下、蒼白に輝く美貌を目にした盗賊団たちは思い思いの言葉を放つ。

「何だぁ、女子供は大人しく寝てる時間だぜぇ」

「こりゃあ、働き者の俺達に天からの恵みだぜ。エレェ別嬪じゃねぇか」

「ガキに説教されるとは落ちたものだぜ」

「コイツは高く売れる。顔に傷はつけるなよ」

「女、いや男か。どっちでもいい、味見してやる」

5人の男は琉韻を取り囲んだ。

「容赦はしない」

琉韻はクレイモアーを抜き、襲いかかってきた二人の男を避けながら上体を屈め、男たちの手首を切り落とし戦意を喪失させた。その勢いのまま前方の男へ突進しようとしたが、一瞬目の前の景色が歪み思わず立ち止まった。その隙を見逃さなかった目の前の男の大剣を自らの剣で止める。

大きな金属音が響き渡り季緒は全身を硬直させた。何か武器になる物はないかと見回す季緒の目にクロスボウで狙いを定めている男の姿が入った。

鍛え上げられた筋肉が渾身の力で男の剣を弾く。女の様な子供に力負けし瞬間的に呆然とした男の首を切り落とす。琉韻は返り血をものともせず、後ろから振り下ろされる剣を避け、手首を蹴りあげて男の手から剣を落とし腹部を一気に突き刺した。

季緒はゆっくりと慎重に、岩陰に潜んでいる男に近づいていく。男の手から弓が放たれた。その矢は吸い込まれるように、最後の男も倒して口元を手で覆い、肩で息をしている琉韻のフトモモに突き刺さった。不意を突かれ倒れこむ琉韻は動きを封じられた。

「まだ仲間がいたのか」

岩場から姿を現した男に向かって琉韻が吐き捨てる。

「切り札は最後まで取っておくものだよ坊や。お前は強いからこの場で始末した方がいい」

向かってくる小さな身体に気づいた時、男は季緒と一緒に地面に転んでいた。

「くっ、このガキどこから出てきた」

男は季緒の腹部を勢いよく蹴り付ける。内臓が出てきそうな程の衝撃に季緒の小さな口から呻きと消化されていない液体が吐きだされる。

「季緒!!」

子供が倒れたまま動かないのを確認し、男は改めて琉韻の胸に狙いを定めた。

地面から顔も上げられない季緒は見ているしかなかった。

琉韻が!琉韻が死ぬかもしれない!!自分を救ってくれた大切な人が!!目の前で!!

季緒は懸命に立ち上がろうとするが腹部に力が入らず何度も崩れ落ちる。

琉韻が、琉韻が死んじゃう!!

その時一本の矢が飛んできた。弓矢は男の眉間に深々と鮮やかに突き刺さる。

断末の声もあげずに男は倒れた。おそらく何が起こったか理解しないまま死んでいった。

「殿下!!」

馬を駆う女性がショートボウを背中にしまいながら近づいてきた。女は馬を下り琉韻に駆け寄り応急処置を施し始めた。

「那鳴、すまないが季緒を頼む」

「いいえ。殿下の御身が優先ですわ」

「琉韻様、御心配には及びません。命に別状はないでしょう」

那鳴と呼ばれた女性と共に駆け付けた睡蓮が季緒を抱きかかえて琉韻に近づく。

「季緒……無茶をする」

睡蓮の腕の中で泣きじゃくっている季緒の首に抱きついて安堵した。

「る、琉韻がっ、琉韻が、るっ」

何を言っていいのか分からなかった。殺されそうな琉韻を前に何もできなかった悔しさと惨めさ、琉韻が生きている安堵感と安心感、どうにもならない気持ち悪さと嫌悪感で感情が爆発していた。

「色々と問いただす事は沢山ありますが、先ずは城へ戻りましょう。事情聴取はそれからです」

横目で睨む睡蓮の額には青筋が何本も立っていた。

帰りは誰が誰と馬に乗るかで揉めた。琉韻が季緒を乗せると言い張るので、睡蓮は那鳴と共に乗る事になる。

「いくらなんでも、私が女性と同乗するのはいかがかと思います」

「あら、私は構わなくてよ」

「私が構います」

「では、睡蓮は歩いて帰れ。ついでに町の入口の酒屋へ見舞ってほしい。迷惑をかけた」

多大なる迷惑を被ったのは自分の方だと睡蓮の口から出そうになったが、声になったのは別の言葉だった。

「御意」

と頭を下げる。

馬に揺られながらも季緒はまだ泣いていた。

「いい加減泣きやむんだな。泣くのも結構な重労働だ。余計に疲れるぞ」

「ご、ごめ、なさっ」

「何が?」

「や、くに、た、たたな、く、て」

「そんな事はない。季緒は身体を張って俺を助けくれた。感謝する」

「ホ、ント?」

「本当だ」

揺れを不快に感じながらも琉韻は大いなる反省をしていた。睡蓮と那鳴がこなかったら間違いなく殺されていた。もちろん季緒も。酔っていたとはいえ戦闘中、油断して周囲の確認を怠った。二度とあってはならない事だ。自分のためにも季緒のためにも。

「殿下!真っすぐ進んでおりませんよ」

後方から掛けられた声に手綱を締め直す。まだまだ、酔いは醒めていないようである。

「あの女の人は?」

「那鳴か。騎士団隊長の一人だ。弓凄かっただろう?ショートボウの名手で狙った的は絶対に外さない。どんな遠くからでもな」

那鳴は首を回して興味深そうに見つめてくる子供にニッコリと微笑んだ。

真っ赤になり王子の身体に隠れてしまった子供に苦笑する。

「凄く、綺麗な人だね」

「そおか?」

琉韻は自分の顔に見慣れてしまっているから、綺麗な人を見ても綺麗って思わないんだ。と季緒は納得する。自分は綺麗じゃなくて良かった。沢山綺麗って思える。

腰まで伸ばしている水色の髪をアップにし、琥珀色の瞳。鼻筋が高く通っているので少々神経質な印象を与えがちであるが、笑うと親しみやすさが湧き出てくる。聖騎士団に在籍する女性は8人あまり。那鳴はその強さと美貌から国民に絶大な人気を誇っていた。

城門には煌々と松明がたかれており、行方不明だった王太子の帰還に城中が安堵した。

その夜は、琉韻の宣言通り眠れない夜になった。

「聞いていますか!!琉韻様!!季緒!!」

「……はい…」


その日は雲ひとつない晴天だった。

副神官のメシドは住まいである聖祈塔の窓を開けて大きく深呼吸した。何と言うすがすがしい日であろうか。式典にピッタリの日だ。地の精霊様感謝致します。

今一度式典の順序を確認する。聖騎士団入隊者3名が大聖堂へ登場する。今年は王太子殿下がいらっしゃる。それだけでも心が跳ね踊る。3名が一人ずつ前に進み、大神官様から祝福を与えられた聖剣を授かる。自分の役目は聖剣を大神官様に渡すのだ。王族、全騎士団員、各国からの来賓が見守る中の大仕事だ。粗相のないよう努めなくては。その後新たなる入隊者を先頭に騎士団一向が城下の広場まで行進をする。自分はその団体を見送ればいい。

急ぎ式典用の聖なる衣装を身にまとい、下準備のためにメシドは大聖堂へ向かった。

途中、地下通路へ続く階段付近で話声が聞こえ思わず立ち止まってしまった。

「首尾よく」

「お任せ下さい」

細い目を凝らしたメシドは大神官の姿に気づく。

「大神官様!」

片膝をついて挨拶をするメシドを促し二人は大聖堂へ向けて歩きだした。メシドが振り返った時、大神官と話していた男の姿はもう見えなかった。

「何かの打ち合わせでしたか?」

「地下通路も封鎖した方がいいかと思いましてね。なにせ今日は王太子殿下がいらっしゃる。過剰と言われても安全に越した事はないでしょう」

「本来ならば手配は私の役目!御手を煩わせ大変申し訳ございません!」

「いいんですよ。気づいた者がすればいい。一人ではどうしても見落とす点がでてしまいますからね」

メシドは大神官に何度も頭を下げた。穏やかで悠然としているこの老人は聖祈塔の誰もが尊敬していた。先を見通す先見の明、たぐいまれなる貴重な知識と経験の数々。声を荒げる事もなく粛々と神の教えを説くのであった。

この方に追いつく事はできなくても、せめて近づきたい!メシドは敬虔なる思いで神に祈った。


季緒はリボンタイを何度も何度も結び直す。何度やっても片方が短くなってしまう。悪戦苦闘していたら大きな音と共にドアが開けられた。

「支度は整ったか?」

聖騎士の純白の制服に身を包み白い外套を翻す琉韻の姿に季緒は見惚れてしまって声も出ない。

「貸してみろ」

胸元で動く長い指も美しいと季緒は感じた。

「琉韻、綺麗。世界一カッコイイよ」

「当然だろう。よし、行くぞ。聖祈塔前で睡蓮が待っている」

入口で琉韻と別れ、睡蓮と共に大聖堂へ入った季緒の口から驚嘆の声が洩れる。大理石を敷き詰めた床に青系の硝子を嵌めこんだ天井から日の光が注ぎ幻想的な空間を創っている。入口から最も奥まった場所に祭殿があり豪奢な花々で飾られていた。祭壇の後ろに飾られているのは鳳凰を模した允王国の紋章とグリフォンを模した聖騎士団の紋章である。

この空間なら奇跡が起こっても不思議ではないと季緒は感激した。純白の制服で紺碧に輝く光の下に佇む琉韻はどれほど美しいだろうか。想像してニヤニヤしてしまった季緒は

「喜びに溢れる気持は私も同じですが、その締まりのない顔はやめなさい」

と注意された。

「国王陛下は出席されないの?」

続々と詰め寄せる来賓で大聖堂も窮屈になってきた。

「この式典が終わり、町の広場でのお披露目も終えたら、聖騎士団長と共に陛下の元へ挨拶に行くのです。そういうしきたりです。騎士団はあくまでも陛下の手足。わざわざご足労願うなど滅相もない」

折角の我が子の晴れ舞台も見ることがかなわない父子を思い季緒は悲しくなった。

大神官が祭殿に現れ、緊張が高まった刹那、一糸乱れぬ足音が聞こえてきた。聖騎士団長を先頭に騎士団が入場する。団長の後ろには4人の隊長の姿。その中に那鳴の姿も見える。まっすぐに後ろに垂らした水色の髪が真っ白い制服に映える。4人の後ろにはそれぞれの隊員が列を作って行進している。最後尾に3名の新たなる入隊者が続く。団長、隊長が大神官の前に跪くと、2隊ずつ隊員が左右に分かれ立つ。その中心を3名が恭しく歩き続ける。

来賓席よりも騎士団に近い位置に立つ睡蓮と季緒は知らず笑顔になっていた。威風堂々とした後ろ姿に睡蓮の目頭が熱くなる。

「聖なる神と聖なる国、聖なる神官と聖なる騎士。新たなる誓いをたてし者どもに御身の祝福を与えたまえ。これより先、未来永劫の繁栄と平和に我々の血を捧ぐものとする」

「聖なる騎士たちよ、前へ」

大神官の言葉に琉韻達は祭壇へと進み出る。先に琉韻が大神官の前で跪き頭を垂れる。

メシドが桐箱に入ったままの祝福の剣を大神官へ渡す。祭壇脇に戻る際に早足になってしまった事を後悔しながら次の剣の準備を始めた。

祝福の剣を両手に抱え天に捧ぐ。

「聖なる騎士よ、その血と肉と、意志がある限り久遠の忠誠をここに」

「王太子!覚悟!!」

大神官の口上を遮り、来賓の中から剣を片手に男が飛び出した。4人の隊長が男を羽交い絞めにした。如何なる場合でも祝福された剣以外を使用することは式典を汚すため禁じられていた。思わず腰の剣に手を伸ばしかけた団長は不穏な動きを見せる来賓は他にいないかざわめく集団に目を光らせた。

「大神官様、一度安全な場所へお戻りください。事態を収拾させますので」

老齢の身の上を慮り、琉韻は大神官を背中に庇う。ふと、衝撃を覚える。

「うわぁぁぁあぁあぁああ!!」

メシドの悲鳴が上がる。天に捧げられていた祝福の剣は今、琉韻の背中に深々と突き刺さっていた。

「琉韻!!」

「殿下!!」

「動くな」

駆け寄ろうとした者達に牽制の声をかけた大神官は背中から祝福の剣を抜き、崩れ落ちた王子の首筋に当てた。

「少しでも動くと、この美しい顔が胴体から切り離されるであろう」

老人の声はくぐもりもせず、静寂な大聖堂にただ一つの音であるかのように広がった。

「っ、何故だ」

声と共に血を吐いて見上げる紫瞳を見返す視線には、何の感情も浮かんでいなかった。

首筋に自らの血が滴り落ちてくる。体中のあらゆる先端から温度がなくなっていった。

最早騎士団全員が剣を抜いている。しかし誰も動ける者はいなかった。

「お美しい王太子殿下、あなたがいなくなれば世は再び戦乱に陥るでしょう。何とも魅力的ではございませんか。允国王が愛するたった一人の世継ぎ」

首筋が薄く切れ新たな血が流れる。琉韻は僅かに眉を寄せた。

季緒の目にも首筋から流れる赤い筋が見て取れた。

琉韻が死んじゃう……

琉韻が

また何もできず、見ていることしかできないのか?琉韻が死にそうなのに!!

このままじゃ死んじゃうのに!!

体中の血の気が引いて目の前の視界が徐々に暗くなる。

頭上で大きな爆発音が響く。砕け散った天井の硝子が阿鼻叫喚と化した群衆に降り注ぐ。琉韻の瞳にスローモーションで欠片達が映り込む。

大神官の悲壮な声が轟く。

「何事だ?!」

大きくえぐられ青空が覗く天井に、翼を広げた異形が浮かんでいた。頭と前脚、翼は巨大な鷲。胴体と後脚が獅子の姿。

「!?季緒!!」

胸を押さえて蹲る小さい姿は、呼吸ができないかのように身体を折り曲げ痙攣している。琉韻の声も届いていないようだ。

「季緒!!」

「化け物?!」

「幻獣?」

「幻獣だ、幻獣が降臨したぁぁぁ!!」

「グリフォン?!奇跡だ…」

黄金色に輝く鷲の部分と白い体躯。勇壮な姿の幻獣グリフォン。鞭のようにしなる尻尾の先は季緒の胸へと繋がっていた。

猛禽類特有の冷酷な眼を細めグリフォンが狙いを定めた。

まさか私が…大神官はそう願ったが、双眼は自分に真っすぐに向かっている。足元に王太子もいる。まさか、まさか狙われるなんて事があるはずがない。

幻獣は風を起こしながら直滑降し、鋭い嘴で大神官を頭から咥えて骨を噛み砕く。

見上げている琉韻には見向きもせず嚥下し、次に狙われるのは自分ではないかと息を潜めている群衆の真上を太陽の光に輝く黄金の翼で飛翔した。

大空の下、全世界に轟くような咆哮を残し、グリフォンは天空へと消えた。

あまりの出来事に人々は静寂に包まれていた。誰も動けない、喋れない、呼吸さえも憚られる。

「…悪魔だ」

誰かの一言で群衆は挙措を失い騒ぎ立てる。一斉に扉に群がった群衆を聖騎士たちが懸命になだめ、秩序を取り戻そうとしていた。

「グリフォンが…凄いわ」

那鳴は立ちすくんだまま飾られている聖騎士団の紋章に目を動かした。先ほどまで頭上にいた幻獣によく似ていた。

倒れたまま動かない季緒に琉韻は必死に叫んだ。

「季緒!!季緒――!!きおっ」

何度目かに血を吐き、そこで視界は闇に閉ざされた。

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