やさしい刑事 第4話 「母地蔵」(2)
ヤマさんは、再び事件を検証しようと死んだ中国人ホステスが住んでいたマンションにやって来た。
側の空き地にある地蔵尊の前では、あの日見掛けた老婆が腰を屈めて草むしりをしていた。
「お婆ちゃん、精が出るねぇ~」ヤマさんはそう声を掛けた。
「あぁ、若いモンが誰も世話せんからのぅ~」老婆は、ヤマさんを見上げながらそう言った。
「ここは、もう少ししたら保育園が建つんだろ…そうしたら、お地蔵さんも引越しになるんじゃないのか?」
「いんや、引越しなんぞせんよ。この地蔵様はの…子供に縁ゆかりのある地蔵じゃからのぅ~」
「へぇ~…そりゃまたどうして?」
「小さい頃、わしの母親から聞いた話じゃがの…戦時中にこの街に大空襲があったそうな」
「うん、俺も聞いた事があるよ…何でも、街中が辺り一面焼け野原になったってなぁ~」
「その時の…空襲から逃れようとした一人の母親が、幼いわが子にはぐれてしまったそうじゃ」
「空襲の最中に子供にはぐれたのか~…そりゃあ、えらい事になってしまったもんだな~」
「その母御はの…爆弾の降る火の海の中を、死に物狂いでわが子を探して走り回り、深い火傷を負ってここまで来て、とうとう倒れて亡くなってしまったそうじゃ」
「なるほど…それでその母親を供養するために地蔵さんを作ったのか~」
「まっ、わが子を思う母親の気持ちなんぞ、男にゃ分からんじゃろうがの」
「いや、何と無く分かるよ…俺も同じような思いをした事があるからな」
「そうかい…それじゃぁ、せいぜい母親孝行するこったな」
お婆さんにそう言われて、ヤマさんは何となく後ろめたい気持ちになった。
ヤマさんは、マンションの大家から鍵を借りて、死んだ中国人ホステスが住んでいた部屋に入った。
部屋の中は、もうすっかりリフォームされていて、壁紙も血が点々と付いていた畳も取り替えられていた。
(きっと、シュウちゃんはこの部屋で誰の助けもなしに、たった一人で赤ん坊を産んだのだろう)
ヤマさんは新しくなった部屋に一人佇んで、その時に起こったであろう出来事に思いを巡らせた。
(確かに、ここに産まれたばかりの赤ん坊と母親がいたはずだ…でも、その赤ん坊はどこに消えたのか?)
異国の地で、誰の助けもなく一人で赤ん坊を産むのは、きっと大変だったに違いない。
なぜ、そうまでして産もうとしたのだろうか?…妊娠した事に気づいた時に、堕ろす事もできただろうに。
女はわが身の危険を冒してまで、それほどまでに、自分のお腹に宿った赤ん坊を愛おしく思うものなのだろうか?
シュウちゃんは、結果的に…おそらく、相手の男が連れ去ったであろうわが子を思い続けながら命を落としてしまった。
わが子を思う母親の深い愛情を考えると、ヤマさんは何だかいたたまれない気持ちになっってきた。
(証拠さえ見つかれば何とかなる…今となっては遅いが、亡くなったシュウちゃんのためにも必ず仇を取ってやる)
部屋の壁をじ~っと見つめながら、ヤマさんはそう自分の心に誓った。
ヤマさんが、事件があった部屋の検証を終えてマンションを出た頃には、すでに日は西に傾き始めていた。
むき出しのお地蔵さんの前で草むしりをしていた老婆は、どうやら帰り支度に取り掛かっている様子だった。
「やぁ、お婆さん…もう終ったのかい?」ヤマさんは、そう言って老婆に声を掛けた。
「あぁ…腰が痛いよ。歳は取りたくないもんだねぇ~」老婆は、よいしょとばかり荷物を持って立ち上がった。
ふと見ると、子供たちが遊び終えて帰った空き地の片隅に、大きな犬が寝そべっているのが見えた。
「おぉっ!あそこに大きな犬が寝ているよ…ありゃぁ、レトリーバーかなぁ~?」
「寝てるんじゃ~ないよ。子供にお乳をやってるんだよ」
「へぇ~…どうして分かる?」
「ほら、子供をかばうように体を丸めて、時折、舌でペロペロ舐めながら子供をあやしてるだろう」
「そうかなぁ~…に、しては肝心の子犬の姿が見えんがな~?」
「そんな事ぁ~知らないよ…ともかく、子供にお乳をやる仕草にゃあ違いない。女なら誰でも分かる」
「女ならねぇ~…そんなもんか?」
「あぁ、そうだ…だから男は鈍いってんだよっ!」
老婆に叱られながら、ヤマさんは寝そべっている犬を見たが、側に子犬の姿はまったく見あたらなかった。
しかし、ヤマさんの心の中には、何かしら不思議なものが湧き上がってきた。
~続く~
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