4. 孤独

第165話:気鬱 ~心がちっとも休まらない~

 意地を張って情報課を出てしまった春日だったが、捜査資料の類は情報課に置きっぱなしである。不便ではあるが、捜査を続けられないわけではない。春日はあくまで捜査を続ける気でいた。


 それに、情報課を挟まずとも、警視庁から応援を呼ぶことはできるはずだ。東と何度も面会している春日の報告は警視庁に通っているはずだ。いくらゴタゴタが起きたと言っても、あの三嶋なら律儀に報告は欠かさない。

 応援に駆り出された現場の捜査員だって、多少怪しもうと、上司の命令に反発できるわけもない。隣県から来た春日のことを受け入れざるを得ないし、春日の指示に従わざるを得ない。


 ま、それでいいか。春日は自宅で制服を脱ぎながら細く長く息を吐いた。

 春日はあくまで楽観主義者である。一度目のパーティーは紆余曲折しかなかったが一応くぐり抜けたし、続いて二度目、三度目のパーティーにも呼ばれるのには違いない。隙を見て澤田に接触し、澤田本人が薬物を持っている瞬間を押さえ、応援を呼べば事件は解決だ。まだ道はある。


 とはいえ、章の言葉は春日の心にぐっさりと刺さっていた。情報課の面々は、居場所について繊細なはずである。様々な界隈で居場所がない人間たちが集まっているからだ。その筆頭である章に居場所を奪われる、その事実が春日にはこたえた。


 あの日、あの時、あの瞬間、自分はいかれた人間に囲まれて麻痺していたのかもしれない。如月アヤナに針を刺されようとした時には強く振り払うべきだったし、そもそも彼女が注射の準備をするのを黙って見守ってるのがいけなかったのか。


 しかし今になって一人で反省会をしても遅い。

 自分が今できることは何かゆっくり考えなければいいだけの話で、自分は最早そうするしかないとも言える。

 幸い、色々なものを捨てた甲斐があって、澤田やSOxメンバーとの繋がりだけは得られていた。ここからは、それをいかに活かすかが鍵だ。


 パーティーは月に一度くらいのペースで行われる。だから次のパーティーはまだ先だ。それまでにもう少し、澤田の懐に入りたい。

 将を射んと欲すればまず馬を射よ。警察の捜査だって、外堀から埋めていくのが定石だ。そうなると狙うべきは如月アヤナだろう。


 そう考えて、既に彼女とは連絡を取ってある。ちょうどタイミングよく明日の夕方以降が空いていると言われ、青山のレストランを予約した。経費で落ちないのが痛いが、女性とのデートだと思えばさして気にならない。


 問題は仕事の方である。明日以降も仕事は当然あり、それは情報課で事件を任されているときも変わらない。情報課の事件は急に入ることが多く、新しい仕事を増やされないと言っても以前からの仕事を放棄するわけにもいかない。


 つまり、明日以降も県警本部に顔を出さなければいけないということだ。

 県警本部は非常に広いとはいえ、万一情報課メンバーに会ってしまったら気まずいに違いない。しかし、辺りを伺いながら仕事をするのも性に合わない。


 どうしたものか。諦めて割り切ってしまう方が精神衛生上いいだろうか。

 春日は右手のスマートフォンに目を落としながら、テーブルの上の煙草の箱を左手でまさぐり、器用に一本取りだして火をつけた。最近ではちまちま手で巻くのも嫌になって箱の煙草を買うようになり、先日はついにカートンを買ってしまった。禁煙とは何だったのかと思いつつ、生暖かい空気が肺に入ると気が休まるのも確かだった。


 大学を出るまでは割と吸っていた方だと思う。まだ自分が売れない舞台俳優をやっていたころだった。日々のストレスから煙草に手を伸ばした。

 当時と今と、どちらがストレスフルな生活だろうか。センチメンタルな気分になりながら、久しぶりに出してきたはずの灰皿に煙草を押し付けて消し、二本目に火をつけた。

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