第160話:挨拶 ~長期戦では心が持たない~

 隙がないといえば三嶋だが、彼とはまた違う。三嶋の方は、いわば彼自身を守る防御のような隙のなさだが、澤田の方はある種の攻撃性をはらんだ、近寄る者全てを威圧するような隙のなさだった。


 本物だ、と春日は直感した。こいつは本物の覚醒剤ブローカーだ。澤田の目論見通り、気圧されざるを得ない自分が悔しかった。


「春日英輔くんか」

 低い声で澤田は呟いた。いきなりタメ口である。まあ慇懃でも対応に困るが。

「うちのアヤナに聞いたんだが、君は春日英一の弟なんだってね」

「……はい」

 澤田のあまりの威圧感に逃げ出したい衝動にかられながらも、春日はそれを隠して鷹揚おうように頷いた。

 身元はすでに割れていたらしい。情報がお早いことである。


「今日は楽しんでいってくれ」

「ありがとうございます」

 春日は一旦挨拶はそこまでにして去ろうとした。パーティーの始まる時間も近い。よく見ると澤田の側からメンバーたちが一人、また一人と離れていっている。


 今日のパーティーは、名目上は地下アイドルのプライベートライブである。形ばかりとはいえ実際にライブをするわけで、そうなるとやはり準備も必要なのだろう。

「では……」

「あ、待って」

 また一礼して去ろうとしたのを澤田は引き留めた。春日は不思議そうに振り返る。


「君、うちからデビューする気はない?」

「……デビューですか?」

 思わないところから鋭い直球が飛んできたのを春日は避け切れなかった。


 澤田の側としては、春日を東の代わりとして狙っているのだから当然の言葉なのだが、春日にとっては意外の極みである。春日はとっくに芸能界を退いた身だ。デビュー、いや再デビューは考えたこともなかった。


「実は僕は公務員でして、すぐにはお答えできないんですが……」

 答えに迷った春日は曖昧に答えて場を乗り切るつもりだったが、返ってきたのは更なる変化球だった。

「知ってるよ」


 度肝を抜かれた。いや、ヒヤッとしたという方が正しい。

 自分が公務員だと、澤田たちに知られていいはずがない。そもそも、自分が公務員だと知っているのは、職場の人間と付き合ってきた女、そして家族や親しい付き合いのある友人くらいのものである。芸能界の人間に話したことはほとんどない。


 なぜ知られているのかはわからない。先ほど言っていた、アヤナという女だろうか。如月アヤナ、もちろん春日はしっかり調べている。最近加入したSOxのメンバーで、元は別のグループで活動していたはずだ。そこから情報が漏れたのだろうか。

 それでも、アイドルごときに自分の職業を知られるはずがないのだが。


 地道に澤田の信用をコツコツ積み上げるつもりだったが、作戦変更である。

 春日はこのまま澤田の懐に直撃することに決めた。

 この事件、短期決戦で行かねばならない。今みたいに、どこからボロが出るか分かったものではないし、何度もヒヤヒヤさせられては自分の肝臓が持たないからである。


 自分には弱みがある。そしてそれを相手に隠しながら捜査しなければならないし、何より相手にバレていないかどうかを探り探りやっていかねばならない。

 これが潜入捜査の面倒なところだよなぁ、と春日は心の中で嘆息した。

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