第108話:釣糸 ~暗い気分が治らない~


「金で買うってどういうことっすか?」

「飯田に、一〇〇万くらい一気に札束で渡せ。どうせ相手は多重債務者だろ。それだけ渡せば嫌でも喋るさ。借金が一〇〇万減るんだぞ。飯田は断れるような立場じゃない」

 章が目を細めた。悪い笑顔だ。自分と同じ顔立ちの人間が、ここまで恐ろしい顔をできるのか、と裕は震える。


「会ってまもない人に、急に金を渡して大丈夫ですか? 怪しまれるんじゃないですか?」

 多賀が冷静に章に尋ねる。章も冷静に答えを返す。

「警察の捜査だって言えばいいじゃん。事実なんだし」

「警察官ってバラしちゃうんですか……」

「警察官という身分をバラすくらいならいいんじゃないか? 伊沢文明には喋ったんだろ。一〇〇万あれば口止めだってできる。カジノ側に諏訪が警察官だとバレなければいいだけの話だ」


「そりゃ俺は喋りましたけど……」

 諏訪は、章に反対したいわけではない。だが、話が思わぬ方向に進んでいるので非常に混乱している。


「でもそんな札束なんて、どこから出るんすか」

「捜査費用だろ」

「捜査費用から一〇〇万円も!?」

「何のための捜査費用だよ」

「個人に渡す額にしては大きすぎないっすか」

「懸賞金だと思え。情報料でもいいけど」

 章は真顔だ。


「捜査費用が年間いくら出てると思ってるんだ? 三嶋は今回の事件にほとんど捜査費用を使ってないし、その分も諏訪に回したっていい。……あとで三嶋が捜査費用くれって言い出したら、その時はなんとかしよう」

「でも一気にその額はちょっと……」

「半端なところでケチってどうする。使うところは使え」

「はぁ」


「飯田が見つかるまでどれだけ時間がかかるかはわからないけど、見つかったら確実にカジノに入れるわけだろ。一〇〇万で済むなら安いさ」

「章ですら、かなり足元を見てる方だよ。俺なら三〇〇万包めって言う」

 伊勢兄弟に交互に押され、諏訪はピンと来ていないながらも頷いた。


「札幌行って、飯田を探して、見つかったら声をかけて、気を許したところを札束でほっぺたペシペシか。すごい計画やな。飯田が人間不信なっても知らんで」

 春日がにやりと笑うが、その計画を立てたのは諏訪ではない。

「それ以前に俺が人間不信になりそうだよ」

 諏訪はぷいと顔を逸らした。

「警察官が何言うてるんや。人間を疑うのが商売やろ」

「今回の場合は疑うんじゃなくて騙すだろ」


 春日は一瞬黙った。だが、すぐに口を開いてぺらぺらと詭弁をかます。

「別に俺らは仕事でやってるだけやん。騙したくて騙してるわけやないし、ほんまに人を騙したかったら警察官になんかなってへんやろ。罪悪感持ってたらやってられへんで」

「いや、仕事を選ぶつもりじゃ……」

 全てが諏訪の両手にかかった大仕事になる上、雑多な作業も一人でやらねばならないという憂鬱だ。そうなるのは初めから分かっていたが、いざ直面すると気が重い。


「話はまとまったな。これ以上だらだら会議やっててもしょうがないだろ。あとは諏訪の気持ちの問題だしな。もう六時だし」

「何かあったら電話で呼んで」

 伊勢兄弟はいそいそと帰る準備を始める。


「……俺も北海道の準備があるんで、俺は先に帰ります。お疲れっした」

「いってらっしゃい」

 諏訪は暗い気分で情報課を後にする。見送る面々の笑顔が意図せず諏訪を刺した。

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