オマケ 外伝 残してきたワイン

★夢のなか 宝樹若葉


 私は夢を見ている。

 夢見の自覚があるふわふわした不思議な夢。

 まるで空の上から斜め下にいるを三人称視点で覗き込んでいるみたい。

 私、宝樹若葉が8歳だった頃の姿で、日本のお爺ちゃん……技一郎じいちゃんと一緒に、ぶどう畑のあぜ道に座っていた。


「若葉、見てみなさい、あのヒヨドリ上手く飛べずにフラフラしている。その隣のあいつは千鳥足で地面を歩いているな」


 お爺ちゃんの指差す先に、ヒヨドリがいる。

 言われてみたら確かに変な歩き方をしていた。


「フフフ、あれはな、酔っ払っているんだ。ブドウの木に収穫せずに残したブドウの実をついばんだんだな。自然発酵した微量なアルコールで酔っ払ったんだ、全く面白いもんだガッハッハ」


 まだ小さかった若葉がお爺ちゃんの顔と、ブドウ畑の地面を酔っ払ってフラフラしているヒヨドリとを、不思議そうな顔で交互に見ていた。


 ああそうだ、これは幼いころの私が、技一郎じいちゃんと一緒に見た記憶の光景だ。


「……」


「そうか、不思議だろ、鳥でも酒の味を楽しむのに、何でワシが酒を楽しんではいかんのか、全く」


 ハンチング帽を少し深めに被った技一郎じいちゃんは、60年以上使い込んだコートの襟を立てて、11月の風から私を守るように座っている。

 右手に自分で作った密造ワインを持ち、左手に家から持ってきたワイングラスに入れた赤ワインを口へと運んでいた。

 お爺ちゃんが持ってきていたのは、ワインだけじゃなかった。

 ワインバスケットの中には、少し癖のあるチーズが入っていて、チーズをツマミにしてチビチビやっている。


 私の視点からお爺ちゃんの隣に座った若葉が、葡萄の粒を食べているのが見えている。

 ブドウの木に残っていたブドウの実の中で、シワクチャになった粒をいくつかお爺ちゃんが採ってきてくれて、若葉はちょっと季節外れのブドウの味を楽しんでた。

 この時のブドウの実の記憶は、強烈だった。

 干しぶどうとはちょと違う、ブドウがギュギュッと濃縮された甘さと味のジュースがシワシワのブドウの芯からにじみ出て来て、とても不思議な甘さのブドウ粒だった。


「あのヒヨドリはな、この貴腐化したブドウを食べて酔っ払ったんだ。人間より極々少量のアルコール発酵でも酔っぱらえる安上がりな物だがな、あいつらも人生を楽しんでおる」


「……」

 若葉は良く分かってないが、お爺ちゃんの顔を覗き込んでコクコク頷いている。


「ヨーロッパには貴腐ワインって言う、それはそれは高貴で退廃的な甘さのワインが有ってな、なんとこのワインは灰色カビがふいて腐った実からできてるんじゃよ。若葉、お前が今食べている実がそうだ」


 若葉は驚いて、自分が持っていたブドウ粒を凝視している。


「夏の日差しと、秋の朝の霧で貴腐ワインの貴腐菌は育つ、この菌はブドウ粒の表面を薄くして中の水分を奪うんだ、そうして中の味をギュッと濃縮したのが、このブドウだ。これは日本でも作ることができるんだ、ただな、やっぱりちょっとばかり難しくて、この土地ではワシの技術じゃ貴腐ワインを作るには足らない……」


 お爺ちゃんの顔が少し寂しそうだ。


「若葉、知っているか? 鹿だって酔っ払うんだぞ、お爺ちゃんは大戦の時、ヨーロッパで勉強していた頃見たことが有る。りんごが発酵したのを食べて酔っ払った鹿に一晩中追い掛け回されたんだ。戦争に巻き込まれた時、鉄砲の弾でも死ななかったのに、酔っぱらいの鹿に追い掛け回された時は、お爺ちゃん本気で死ぬかと思ったね、ガッハッハ」


「……」

 小さな若葉は、お爺ちゃんの顔を見つめて、ウンウンと頷く。


「ハハハ、そうだアレを見てみろ若葉、ヒヨドリの奴らは、俺達よりずっと素直に生きてるじゃないか、酒を楽しんだり、恋をしたり、そして子供を産んで育てて死んでいくんだ」


 ビクッ!

 若葉は、小さな身体を強張らせた。

若葉を助けるために命を差し出したお父さんの姿を間近で見たのだ、まだその時の記憶から解き放たれていない。

 この時の若葉は、お父さんの事件があった後、入院したベッドの上で目を覚ました時から、言葉を失っていた。

 結局、お医者さんでも私を治すことはできなくて、お母さん宝樹音葉の生まれた某県のお爺ちゃんちへ、残された一家で引っ越してたんだ。


「そうだ、彼らは死んで行くんだ、そしてその子供達がまた人生を楽しんでいずれ恋をし、次の子供にバトンタッチする……俺たち生きとし生けるものは、命をリレーしながらその遺伝子の船に乗って次の世代に繋いでいくんだ」


「……」

 若葉は、口をポカーンと空けて、穴が空くほどお爺ちゃんの顔を凝視していた。


「若葉、お前の身体の中の半分には、お父さんが乗り込んでいるんだよ。安心しなさい、ちゃんとお父さんはそこにいる」


 お爺ちゃんはの胸を指差して笑っていた。

 の胸のあたりから温かい光が湧き出し、私の両手がその光を抱え込んで広がっていく。すると私もお爺ちゃんにつられて笑っていた。


 私の胸の奥から湧き出る光の粒が弾けるように広がり、一面に拡がった光の粒の中から大量の光の蝶々が飛び出す。

 光の輪っかの中にお爺ちゃんと若葉がいて、いつの間にか三人称視点から、若葉の一人称視点で世界を見ている。


 光の蝶々が1頭飛び出してきて、お爺ちゃんの頭の上で飛び回る。

 何故かその蝶々の姿は、カラスアゲハ蝶だ。


「お父さん、またお酒飲んでるの? お医者様にあれだけ止められたじゃない、分かってないのね」


 あれ? これはお母さん宝樹音羽の声だ。

 カラスアゲハ蝶のお母さんだアハハハ……


 夢の中で私はなぜか光のはずの蝶々をカラスアゲハ蝶と認識していて、更にそれをお母さんだと確信して俯瞰してみていた。

 よく分からないけど、カラスアゲハ蝶がお母さんだと思うと、おかしくておかしくて笑いが止まらない。


 夢の場面はコロコロ変わる。

 お爺ちゃんを見ると、さっきまでの景色が一変して、一直線に垣根仕立てに仕立てられたブドウ畑の間を、手押し小型トラクター管理機を押して土を耕して行っていた。

 何故かお爺ちゃんはブドウの横に広がろうとしている根を切り、地下へと強い根を広げたり、肥料を土に混ぜ込むための作業をしている。


「うるさい音葉、ワシの作ったワインだ、ワシが飲んで何が悪い、あんなやぶ医者の言うことなんか忘れろ」


 お爺ちゃんは、光のカラスアゲハ蝶に向かって毒づいてる。


「いいか若葉、人生は楽しむためにあるんだ、何で今の奴らはわざわざ苦しむための道を選ぶんだ」


 今度のお爺ちゃんはブドウの消毒をしながら私に話しかけている、青色の液体……ボルドー液殺菌剤だ。

 雨の多い時期ブドウは簡単に病気になる、ブドウ農家は雨降前にボルドー液をかけて殺菌作業を繰り返す。


「お父さん、いい加減にして、私は真剣に話しているのよ」


 光のカラスアゲハ蝶……お母さんが怒ってお爺ちゃんを怒鳴っている。


 視点をお爺ちゃんに戻すと、また景色が切り替わって、ぶどう畑のあぜ道を草刈機で草刈りをしているお爺ちゃんが、雑木林が迫る山を指差していた。


「若葉、見てみなさい、お爺ちゃんは子供の頃ここで遊んでいたんだ、その頃はまだこの辺りは山の上まで桑畑が広がり、ぶどう畑なんてこれっぽっちも無かったが、とても美しい光景だった、戦後お爺ちゃんが帰ってきた後、ぶどう畑の作り方を伝えて、お金になるから大勢がブドウを始め一面がぶどう畑だったんだぞ。今じゃ高齢化と過疎化で次々と山に戻って行っている。このあぜ道の端に咲いているツツジの花は、当時の人達が植えて育てていたんだ、お爺ちゃんが子供の頃、このツツジの花の道はとても美しかったんだよ」


「へえー、良い時代だったんだねお爺ちゃん」


「いやー、そんなに良い時代でもなかったぞ、戦前は皆大勢子供を産んだが大勢死んでいっていた。お爺ちゃんのお母さんも、お爺ちゃんが小学生の時に今なら簡単に治る病気で死んだんだ。今の方がずっと良い時代だ」


 景色は代わり、暑い日差しの中お爺ちゃんは、ブドウ一房一房に袋をかけていく。

 垣根仕立てにしたブドウの中間部に一列に傘を作るように、ビニールが貼られている。ブドウはとても雨に弱い作物だ、葡萄の実を雨に濡れて病気にならないよう傘を付けて、更に紙の袋で一房一房守っていく。


 この頃の宝樹若葉は、しっかりと言葉を取り戻し、この土地の小学校に通えるようになった頃だ。


「お父さん、お願いよ、私の話しを聞いてお酒を控えて」


 まだお母さんは怒っているのに、お爺ちゃんは知らん顔。光のカラスアゲハ蝶は困った顔して私達2人の間を漂っている。


「そうだ若葉、面白い事を教えてやろう、白ワインってな、白ぶどうだけじゃなくって赤いブドウからも作れるんだぞ。何の事はない赤い皮を剥いて作れば白いワインになるんだ、皮の色素が赤ワインの肝なんだぞ、どうだ1つ賢くなっただろ」


 今度の景色は家族総出のブドウ収穫作業。

 半分は生食用で農協に出荷。残りのワイン専用のブドウは、お爺ちゃんの秘密倉庫に持ち込み、ブドウを絞ったジュースを、わざわざヨーロッパから取り寄せたオークの木材から作った新品の樽に詰め込んで発酵させていく。

 お爺ちゃん曰く、

『樽はヨーロッパオークじゃなきゃダメだ、あの香りとタンニンが必要なんだ』

 と言って、毎年新しく買い付けていた。


「若葉、今年のブドウは最高の出来だ、このブドウなら最高のワインが出来る、お前はまだ幼いから飲めないが、お爺ちゃんが最高のワインを貯蔵するカーブ貯蔵庫の一等地に置いて熟成させてやる、お前が大きくなった頃、大事な何かが決まった時に飲みなさい」


 お爺ちゃんが、『若葉の分』とラベルしたボトルを何本か見せてくれる。


「いいか、若葉、お爺ちゃんがいなくなっても、このワインがちゃんと熟成されるようにコツを教えてやる。カーブ貯蔵庫は間違っても電気のセラーなんか使うなよ、ワインは生きてるんだ、温度が旧に変わってはいけない、大体12℃、8℃から15℃の間をゆっくりと季節に合わせて変化させないとワインは育たない。電気の保温庫なんかずっと同じ温度だ、絶対にだめだぞ」


 今のセラーはちゃんとその温度変化をさせるけど、お爺ちゃんは昔気質の頑固者だったから絶対に耳を貸さなかったな。


「そしてだ若葉、ワイン瓶のコルク栓からワインはゆっくりと蒸発をして呼吸をする。するとな、コルク栓とワインの間に空気が貯まるんだ。この空気がワインの敵だ。空気の層を放置するとワインが酸化してダメになってしまう。これを防ぐために、コルク栓を10年に一度抜いて、ワインとコルクの間の隙間にワインを注ぎ込まなければならない」


 自分のカーブから持ってきた別のワインを抜いて、実演をする。


「この時絶対に同じワインを使わないとダメだぞ、違うワインを入れると何回か重ねると別の味のワインになってしまう。お爺ちゃんのヨーロッパ時代の友人が高いワイン作っていたのに混ぜ物をして、信用を失ってしまった事がある。このワインは若葉の物だからな、予備で継ぎ足す用の物も含めて複数用意してやるからちゃんと継ぎ足しをして、困った事が有ったら何かの足しにしなさい」


 お爺ちゃんの作るワインは、密造酒だ。

 密造酒だけれどもお爺ちゃんの作るワインには、お金持ちのファンが何人もいて、わざわざ家まで買い付けにきていた。どうやら凄く高値で取引されていたらしい。



 次のシーンに、お爺ちゃんはもういない。

 お爺ちゃんは、小学生の私に言うだけ言って、スッと消えていた。

 後に残されたのは、光のカラスアゲハ蝶、記憶の中のお母さんがこちらを見ている。


「若葉、そっちの調子はどうなの? 何だか元気そうね、お母さん安心しちゃった」


 え? どういうこと? あたしは戸惑いながら頷いたら、光のカラスアゲハ蝶のお母さんはそのまま喋り続ける。


「若葉、今はティアって言うのね、とっても可愛い姿になっていて、お母さんとっても嬉しいわ。若葉が居なくなったあの日からとても苦しくて寂しかったけど、これでやっと安心できる、あなたがそっちで幸せになるのをお母さん祈っているから」


 え? ティアって言ってるっ……て事は、こっちの私が見えているの?

 それとも私の心が勝手に創りだした幻想?

 ……でもいい、ティアもお母さんに言いたいことがあった。


「お母さん、ごめんなさい、親不孝をしてごめんなさい、私こっちで絶対に頑張って幸せになるから心配しないでください。弟の光枝には頑張ってお母さんを支えてあげてって言ってね」


 お母さんが、うんうんと頷いている。


「愛してますお母さん、ありがとう」


 光のカラスアゲハ蝶が私の前からスーッと消えていった。


 少し名残惜しそうな顔してたけど、優しく微笑んでいたな……



★西暦201〇年3月 日本某所 弟、宝樹光枝


「母さん、母さん起きて、またお姉ちゃんの部屋で寝て、こんなとこで寝てたら風邪引くよ」


「あっ、光枝。はあ、夢か……今お母さんお姉ちゃんと会ってきたわ、彼女とっても元気そうだったわよ」


「なんだ、母さん夢みてたのかよ」


「ウフフフ、それがね、お姉ちゃんったらとっても小さな可愛らしい女の子の姿になっていたのよ、でもねとっても強い目をしててねキュッてした顔を見たら、一発で若葉だって分かったの、不思議ね」


 母さん、夢を見ていたにしては、何だかリアルな感触だな。


「それでお姉ちゃんは、あっちで幸せになるから心配しないでねって言ってね、お母さん何だか本当に安心しちゃって……本当に不思議。あ、それから光枝にもお姉ちゃんから伝言が有ったわよ、頑張ってお母さんの事を支えてねって言っていたわ」


 光枝は、母親の表情を見て心の澱が晴れていく。

 去年姉が突然事故でいなくなってから、母親の落ち込んでいた姿が辛かったが、今の母の姿は全く違って見えていた。

 これならあの事を話してもいいかなあ……付き合ってる女性が居る事、彼女のお腹には二人の子供が居る事、結婚をするつもりの事。


 若葉が居なくなった世界でもちゃんと世界は続いていた。



★帝歴2501年10月30日朝 ヒューパ ティア


 不思議な夢を見ていた。

 ティアは、自分の手をニギニギと動かして、その感覚を確かめる。

 手の感触で、自分が起きている事を確認した。


「何だったんだろ、今の夢は? ……でもよかった、ずっと心残りだった事が消えた気がする」


 ティアがさっきまで見ていた夢の内容を整理している内に、気がついた。


 ふわああああああああああああああああああ


 そうだ! あのワイン。

 高校卒業して会社入社式の日にまだ未成年だったけど一本飲んだきりだ。

 ここに来る直前の入学式のその日に、家に帰ったら飲もうと思って楽しみにしてたのに、しまったー。


 超心残りがまた生まれちゃったじゃない。うわーん。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る