第2章 殺し屋と少女 ―Recht Side―

Episode5「ゴモラ」

 要塞都市国家、セインガルド。中央の王室区からドーナツ状に階層が分かれ最外郭であるD地区は国内では最低最悪の治安状態である。

 その中でも西のエリアは現在謎の病気ヴァンパイアウィルスが蔓延しており隔離措置を施されている。そのため物資の流通も滞り、飢えた民衆達は暴力と略奪を繰り返し大陸中で最低最悪の街となっていた。

 いつしかそんな西D地区は過去に存在したとされる神話上最低最悪の都市ソドムと呼ばれ畏怖されるようになった。だがソドムに纏わる神話には、ソドムと同じく神々に焼き払われたとされる最低最悪の都市が存在する。

 その都市の名はゴモラ。現在セインガルド東D地区はその名で呼ばれている。

 理由はソドムよりもシンプルなものだ。周辺国家を飲み込んでいくように隣国へ攻め込み続けるセインガルドは常に戦争状態にあった。その最前線となるのは常にセインガルドの最外郭のエリアであり、現在だとそれはD地区である。そして東D地区は現在隣国との戦争の真っ最中で戦争の混乱に乗じて密入国する者が後を絶えない。敵国の兵士や密入国者が闊歩し入り乱れ、敵味方関係なく暴力が支配する街…それが現在の東D地区の姿である。そのため現在セインガルド東D地区は西D地区のソドムと対を成すようにゴモラと呼ばれるようになっていたのだ。


 この東側の戦争は始まってからすでに三年近く経っており、最初の激しい衝突の後は国境付近での小競り合いが続いている。

 その小競り合いは時に両国の領土内でも起きており、ゴモラの住民からすればそれは何ら変わらない日常の光景となっていた。そしてそんな小競り合いに乗じて暴れるような輩も現在では現れている。

 ゴモラの住民からすればこの戦争は最早日常の一部。怯えるよりも、上手く利用する事を考えるようになっていた。娼婦達は敵国の兵士だろうと平気で体を売り、武器商人はここぞとばかりに密輸された武器を売りつける。敵味方関係なくただ己の快楽のために兵士を殺して楽しむ輩も存在していた。

 形骸化しつつあるこの戦争に乗じて、白髪に近い金色の髪に全身黒尽くめのロングコートを羽織った男もこっそりセインガルドに紛れ込もうとするクチだった。ただ他の密入国者と異なるのは、男は戦う兵士達の横を平然と歩いている。その背中には常人には扱うのは困難であろう程の巨大で無骨な大剣。

 男の異様な出で立ちと行動に一瞬戸惑いを覚えた兵士達が男の行く手を阻み、足を止めた男は面倒臭そうな顔を兵士達に向ける――




「…おい、何をしている」


 セインガルドの敵国兵士だろうか、武器を構えながらこちらを警戒していた。だがそんな事は意に介さず俺は目的地を目指して再び歩き始める。

 なに、手を出さなければ向こうも無意味な交戦はしないだろう。そうタカを括っていたが考えが甘かったようだ。立ち止まらない俺を今度は数人の兵士が取り囲み行く手が遮られてしまう。

 あぁ、実に面倒だ。セインガルドの城門がすぐ目の前にあるというのに思わぬ足止めを食らって気が滅入る。


「もう一度聞くぞ、此処で何をしている」


 先程よりも凄みを利かせて兵士の一人が尋ねてくる。俺の喉元には剣の切っ先が当てられていた。


「セインガルドに野暮用があるんだ」


 正直に話してみるが残念ながら相手は納得してくれず、表情が一層強張った。


「見ての通りここは戦場だ。その戦場のど真ん中を突っ切って行こうとする馬鹿がセインガルドに何の用だ?」


「何処を歩こうが俺の勝手だし、あんた等にそこまで話す義理もないだろ」


 実にしつこい。このしつこさから察するにこの男は間違いなく童貞だ。レディの扱いがよく分からず何でもかんでも上から目線で話して嫌われるタイプだ、間違いない。大体こういう奴がストーカーとかになりやすいんだよな。生理的に受け付けないタイプの相手だ。

 俺は若干苛立ちながら答えるが、それが神経を逆撫でしてしまったのか俺を囲む兵士全員の表情が険しくなる。男が仲間に指示を出すとじわじわと距離を縮めてきた。


「おいおい…どうするつもりだよ」


「連行する」


 それは実に困る。生憎と俺は先を急いでいるんだ。目的地を目の前にしてこんな所で油を売る気など毛頭無い。

 面倒臭くなった俺は兵士達を掻き分け強引に進もうとするが、当然ながらそう簡単には行かせてはくれない。後ろから兵士の一人が飛び掛ってくるとそれを難無く避けるが、それを火蓋に全員が明らかな殺意を持って襲い掛かってきた。


「…言っておくがこれは正当防衛だからな」


 振り返り様に蹴りを放つと一人の兵士が吹き飛び、その後ろの兵士達も一緒に弾き飛ばされていく。見ていて爽快な光景だ。だが巻き込まれなかった兵士達が同時に襲い掛かってきた。それなりに訓練を受けているのかその攻撃に迷いは無く、中々に鋭い一撃を放ってくるが俺はそれを紙一重の所で回避する。

 そういえばこの戦争は開戦からすでに三年も経っており、随分と泥沼になっているという話だ。となると恐らく両国とも現在ではこの戦争にそこまでの兵力を割いているとは思い難い。そしてその予想はあながち間違いではなかったようだ。

 個々の戦力はそれなりのようだが、軍として仲間との連携はまだまだお粗末なものだった。一人一人の攻撃だけなら蝿が止まっているかのように難無く対処出来る。

 わざわざ剣を抜く程でもない相手だ。これから相手するであろう獲物を考えると少しの準備運動にでもなればと期待していたが、この様子だと期待外れのようだ。

 思考を巡らせながら攻撃を掻い潜っている間にも、何処から沸いてきたのか敵兵はどんどんと数を増やす。

 こいつらが倒すべき相手は俺じゃないだろうに、実に暇な連中だ。しかしこれだけ数が増えてくると、いくら連携の出来ない烏合の衆でもそれなりに楽しめてくる。


(そろそろ頃合…か)


 俺はその場で真上に飛び上がり兵士達の群れから抜け出すと背中の剣を抜いた。


「さぁて、準備運動と行こう」


 人間の限界を超えた跳躍を見て驚き戸惑う兵士達だが、気付いた所で手遅れだ。俺は剣を構えたまま兵士達の群れに再び突っ込むとその中で一人一人的確に真っ二つに切り裂いていく。

 一人、二人、三人、四人。途中から数えるのが面倒になり纏めて斬り付けていく。

 一人を剣の腹で叩くようにして空中に吹き飛ばすと、すかさず飛び上がって男の頭上に位置し、思い切り地面に蹴り落とす。男の体は物理法則を無視したかのような速度で落下し、落ちてきた男の下敷きになった兵士達が纏めて鈍い音を上げながら潰れたトマトのようになる。

 その光景を目の当たりにした兵士達はこちらに恐怖の目を向けてくるが、俺は構わず降下しながら剣を思い切り地面に叩き付けた。

 その瞬間激しい粉塵が巻き起こり、数人の兵士がその場で舞い上がるとその全てを確実に叩き斬る。そして粉塵が止み視界が晴れるとそこには俺だけが立っていた。

 やはり人間相手では物足りないな、そう思った矢先に今度はセインガルドの兵士達が現れる。どうやら敵兵の異常を察知し、チャンスと見て突撃してきたようだ。だが俺を中心にして広がっている死体の山を目にするとその足が止まる。


「ここは俺が片付けておいたから先を急ぐと良いぜ」


 そう伝えて剣を背の鞘に納めると再びセインガルドに向けて歩を進めるが、突然男の斧が俺の頭目掛けて振り下ろされた。寸前の所でそれを片手で受け止めて相手を見ると、男はどうやらセインガルドの兵士ではないらしい。


「これ全部あんたがやったのかい?」


「だったら何だよ、いきなり失礼な野郎だな」


 男は口元を怪しく吊り上げると周囲の仲間に笑いかける。その中にはセインガルドの兵士もいるようだが、同じようにこちらを見て笑っていた。


「片手で俺の一撃を受け止めるたぁ…あんたイイねぇ」


「楽しくなりそうだねぇ…フホホ!」


「あのですねぇ…活きが良い奴は…殺した時の快感が…堪らんのですよぉ…」


 何がおかしいのか男達は笑いながら俺を取り囲んでくる。そして正規の兵士達もこのイカれたような男達の後ろで武器を構えていた。


「…これは何の真似だ?」


「危険だ…あんた凄く危険だ…恐ろしいねぇ、イヒヒヒ」


 よくよく見ると男達の目はイっていた。


「今度はキ○ガイ共の相手か…勘弁してくれ。おい、あんた達もこんなのと付き合ってると碌な事にならないぞ」


 兵士達に声をかけるがどうやら俺の声など届いてないらしい。いや、正確には分かっててこいつらと組んでいるのだろう。

 さっきの兵士達もそうだが、セインガルドの兵士達もろくなものではないようだ。呆れると同時に、両軍の腐り具合に腹が立ってきて掴んでいた斧の刃先を思い切り握り潰し砕いた。


「次から次へと邪魔しやがって…」


 俺自身戦闘は大好きだし、準備運動になるのなら大いに歓迎しよう。だがこの程度の連中相手じゃ準備運動にすらならない。おまけに今は余り時間を無駄にしたくもない。こうしている間にも俺の獲物が他の連中に横取りされるかもしれないのだ。

 金欠生活が長らく続いている俺は久しぶりの上物を逃がす訳にはいかなかった。


「一瞬で殺してやるよ」


 剣を抜くと息をつく間もなく目の前の男を頭から股間まで切り裂き真っ二つにする。そして次の瞬間に俺を囲む男達を次々と斬り捨てると、戦闘は一瞬で終わりを告げた。


「喧嘩を売る相手ぐらい選べよ馬鹿が」


 剣を仕舞うと苛立ちながらも俺は歩き出し、ようやく目的地であるセインガルドに到着した。


 城門は戦争によって既に破壊されており、依頼主から渡されていた入国証無しでも簡単に入国出来た。だが問題はここからだ。

 今回俺がこのセインガルドに訪れた理由はとある依頼の為である。俺の仕事は俗に言う殺し屋で、金さえ払ってもらえれば誰でも殺す分かり易い仕事だ。

 そんな俺に今回母なる血マザーブラッドという怪しげな教団から殺人の依頼が回って来た。この母なる血マザーブラッドとかいう教団の詳しい情報は知らないが、世界中に支部を置く巨大な組織らしい。だがそんな巨大な組織から渡されたターゲットの似顔絵は見た目は普通の女性だった。

 話によればどうやらこのターゲットは普通の人間とは違い、俺達殺し屋でも殺せるか分からないという不思議な力を持っている。教団はこの女性を長年探し回っているそうだが、今では彼女が世界の何処にいるのかすらさっぱり分からない状態になっていた。そこで今回多くの殺し屋を雇い、可能な限り彼女を生け捕りにし、最悪でも彼女の首を持ち帰れば莫大な報酬を支払うという訳だ。

 俺はターゲットが人間とは異なるというのが気になった事と、財産が尽き最近の生活が苦しかったという理由から深く考えずにこの依頼を引き受けた。

 しかし世界の何処にいるのか見当すらつかない女性を探すというのは、砂浜に落ちている砂粒一つを見つけ出す…最早一種の宝探しのようなものだ。似顔絵以外の手掛かりは彼女の大体の身長、細身の体型という情報だけで、名前すらも分からない。そんな女性をこの世界中から探し出して始末しろというのだから、報酬額は確かに納得出来るものだった。

 ただ一切の手掛かりも無しに単身で動くというのは気が遠くなる為、俺は依頼主である教団の人間に少しでも当ては無いものかしつこく尋ねた。その結果このセインガルドの入国証を手渡されたのだ。

 セインガルド東D地区は現在戦争状態の続いており、密入国者が後を絶たないという。その事からターゲットもその混乱に乗じて密入国している可能性が高く、セインガルドのB地区には教団の本部が置かれている為そこへ行けば何かしら手掛かりが得られるかもしれない…という事だ。

 当然俺の他にも同じ行動に出ている殺し屋はいるはずだ。故に俺は一刻も早く教団本部で情報収集をしたいところだった。


「…だけどなぁ」


 教団本部に行ったところで彼女の情報が掴める確証はない。完全にこれまでの行動が無駄に終わる可能性を考えると思わず溜め息が漏れる。

 勢いで受けてしまった依頼だがいざ彼女を探すとなると億劫になり、軽はずみな選択をしてしまったと後悔する。しかしこうしている間にも同業者達がターゲットへ接近していると思うと前に進まずにはいられなかった。


「お兄さん、うちで一発どーお?」


 目的地を目指しながら街を歩いていると昼間から随分と刺激的な衣装に身を包んだ女性に声を掛けられる。

 実に良い大きさのおっぱいだ。もう少し服が下にずれていたらトップが丸見えだ。いや既に若干ピンク色の部分がはみ出している。

 最近ご無沙汰だったのもあって、陰鬱な気持ちに微かな明かりが灯った気がした。時間は無駄には出来ない、しかし腹が減っては戦は出来ない。女の腰に手を回すと、俺は彼女と一緒に店まで同行する。


「ふふ…うちはなぁんでもアリよ…」


 その怪しい笑みに股間と胸の期待を膨らませながら到着した店内に入っていく。だがその五分後…。


「貧乏人がこんなとこフラついてんじゃねーよ! 帰れカス!」


 俺は店から追い出されていた。値段を聞くとあらビックリ、とてもじゃないが俺の有り金で支払える金額ではなかった。しかし諦めずに値段交渉をしようとするも、女は態度を豹変させると俺は怒鳴られながら店から追い出されてしまった。


「…こんなとこにいる奴なんて大抵貧乏人だろうが」


 期待を裏切られ、俺の気分は更に沈み込んでいく。

 教団本部のあるB地区へ行くにはまずC地区へ抜けなければならない。重い足を引き摺るようにして俺はC地区へ続くゲートへ向かった。だがここで再び災難に遭ってしまう。


「は…明日になる?」


「そうだ、お前の入国証を元に審査を行う」


 どうやらC地区へ行くには審査が必要で、その審査に通らないとC地区へは行けないらしい。そしてその審査の結果とやらは明日になって分かるとの事だった。

 ここでも追い返されてしまい、俺は途方に暮れる。


「おいおい…これで審査に通らなかったら完全に無駄足じゃないか…」


 何にしてもこれから二十四時間は足止めだ。暇潰しを考えてみるが、風俗は金額的に無理。そうなると他に暇潰しになる場所と言えば…。




「いらっしゃい、何にする?」


 俺は寂れたバーのカウンターに座っていた。一番安い酒を注文するとそれを一気に飲み干す。


「おいマスター…何だってここの女はあんな高いんだよ…」


「はは、あんたゴモラは初めてかい?」


 マスターが笑いながら空いたグラスに酒を注ぎ足す。


「あの女共の獲物は主に蛇の首ってマフィア連中かお金のある兵士様達さ」


「おいおい、敵の兵士にも股開いてんのか。随分と軽い女達だな」


「ここはゴモラだ、そんな事気にしてる奴なんざ一人もいないさ」


 良くも悪くも逞しい街のようだ。新たに注がれた酒をちまちまと飲んでいく。


「敵さんも随分と羽振りがいいんだな」


「おかげさまで治安は悪くてもゴモラの経済はよく回っているよ」


「の割には安くて美味い酒が飲めるこの店は寂れちまってるな」


 マスターの話から察すれば街の連中の景気は良いはずだ。しかし日が沈んでもこの店に訪れる人影は無い。


「ははは…俺の下らない信条のせいで蛇の首に目付けられててね」


 蛇の首…そういえばさっきも出てきたマフィアの名前だ。


「折角だ、酒の肴にその話でも聞かせてくれよ」


「物好きな人だなぁ…まぁ構わないが…。俺は生まれも育ちもこの東D地区でね…」


 マスターは少し悲しげな表情をしながらも、何処か懐かしい面持ちで語ってくれた。

 どうやらここのマスターはこの東D地区がゴモラと呼ばれる前からこのバーを営んでおり、金のない連中でも楽しく酒が飲めるのを売りにしていたそうだ。

 だが戦争が始まってから景気が良くなると周囲の物価は高騰していき、蛇の首が相場を取り仕切るようになっていったという。当然この店も蛇の首のよって上納金を巻き上げられ、更には値上げを命じられたがマスター信条に反するとそれに背いた。

 そしてそれが原因で以来蛇の首の団員達からの嫌がらせが続き、客足が遠のいたらしい。


「儲けとかどうでも良いんだよ。俺はただ酒を楽しく飲んでもらいたいだけでね」


 話し終わったマスターは何処か自嘲するかのように小さく笑う。だが俺はそれを笑う気にはなれなかった。


「あんたよく生きてこれたな。俺はここに来たばっかだが…とてもじゃないがこの街の住民には見えないぜ」


「はは、自分でも分かってるさ。こんな事やってればいつか殺されるだろうな」


「…やっぱり酒は雰囲気が大事だな。雰囲気一つで味なんて変わる」


「そうかい、うちの酒はどうだい?」


 俺は酒を一気に飲み干すとグラスをマスターに突きつけた。


「最高だ、もう一杯頼む」


「そいつはどうも。ところであんた金は大丈夫なのか?」


「ツケで頼む、ここは楽しい酒を提供してくれる店なんだろ?」


「おいおい…あんた、名前は?」


「レヒトだ。仕事が終わって金が入ったらツケは払おう」


「まったく…分かった、期待しないで待とうじゃないか」


 そう言って笑うと、マスターは再びグラスに並々酒を注いでくれる。


「このクソッタレな街に乾杯だ」


 と、グラスに口をつけたと同時に店に一人の小柄な少女が現れた。


「ただいまですマスター」


 俺に気が付くと少女は無表情のままペコリと頭を下げてくる。そしてカウンターへ入ると少女は持っていた買い物袋をマスターに手渡した。


「マスター、そいつは?」


「あぁ、買い物を頼んでいたうちの従業員だよ」


 少女は再びこちらに向かって頭を下げるとそのまま店の奥に姿を消す。


「…従業員の割に随分と無愛想だな」


「はは、すまない。ちょっと訳有りな子なんだ」


 どうにも少女のことが引っかかる。決して俺がロリコンだからとかそういう訳ではない。いや確かに俺はヤレるならロリだろうと何だろうと構わないが…じゃなくてだ。

 この街に決して似つかわしくない美しく長い、輝くような金髪。そして一瞬伺えた宝石のような綺麗な翠の瞳。どうにもこの街の人間にしては先程の少女は外見からして何か逸していた。

 マスターのように人間性が…とか言う話ではない。もっと根本的な部分で彼女はこの街…正確には人間離れした何かを感じさせられる。かと言って訳有りな奴の事情を詮索するような野暮な真似はせず、俺はその後もマスターの話を肴にしばらく店で飲み続けた。


 大分酔いが回ってくると俺は上機嫌で店を後にする。行く当ては相変わらずない。だがマスターと会話をしているうちに少しこの街を見て回りたくなったのだ。

 すっかり夜が更けたというのに、街は俺が訪れた頃に比べて静まり返るどころか逆に活気が増していた。悲しい事に金がないせいで一発ハメる事は出来ないが、街にいる刺激的な格好をした女を見ているだけでも目の保養にはなる。決して美人揃いではないが、露出の多い衣装を纏っているだけで普段は見向きもしない女でも綺麗に見えてしまうから男とは悲しい生き物だ。女の体をじっくり嘗め回すように鑑賞しながら街を練り歩き、広場に出ると俺はそこで一度腰を降ろした。

 酒が入り火照った体に気持ちの良い風が吹き付けてくる。空を仰げばゴモラには似合わない綺麗な月が昇っていた。酔いのせいか、広場を行き交う人々を眺めながら柄にも無く妙な感傷に浸ってしまう。

 この月も、人間達も、何百年と見てきても未だ何一つ変わっていない。街並みなどの建築技術、纏う服などは変わっても本質は何も変わってなどいない。そしてそれは俺も同じ事。俺は何千年経っても老いる事なく、記憶も何も戻らないままだ。今でも自分が普通の人間とは違うという事しか分かっていない。


 今から二千年以上も前に荒野で目を覚ました俺は一糸纏わぬ姿で倒れていた。何故自分がここにいるのか、名前はおろか自分が何者かなんて分からなかったが、その頃から存在していた人間達と触れ合い溶け込む事で俺は人間と同じ様に生きてきた。

 だが老いる事のない俺が普通の人間と一緒に共存していく事は不可能だった。やがて俺は世間から身を潜め、便宜上レヒトと言う名を名乗り、色々あってかれこれ数百年間殺し屋という裏家業に手をつけている。

 そうやって世間から隠れる様に生きていると何時の日からか、自分が何者なのかなんて知る気力は失せていた。少なくとも俺は人間ではないし、自分が何者か知る糸口なんてさっぱり分かりはしない。

 今回の依頼のターゲットは人間でない可能性が高いという点が気にはなったものの、それが俺の正体が分かる糸口になるなんて期待はほとんど持ってはいなかった。

 そもそもだ、そんな悩みをそんな何千年も持ち続けられるほど俺は真面目な奴ではない。だから俺はこうして普通の人間と同じ様な楽しみを味わい、この世の移り行く様を眺める日々に充実感を覚えている。そうやって人間と同じ楽しみを持ったり、人間が人間である姿を見ているのが楽しかった。だからだろうか、あのマスターには好感が持てる。

 広場を見渡しているとこの時間になって人通りが多くなってきた。恐らくこの時間帯がこの街のゴールデンタイムなのかもしれないが、そろそろあの店に訪れる客は現れたのだろうか?

 ふと気になっただけだがどうせ行く当てもない。俺は暇潰しがてらに俺は来た道を引き返す事にした。

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