Episode2「ソフィア」
少し歩くと目的地はすぐに見えてくるが、先程いた男達の影は無い。
月明かりを頼りにさらに近寄ってみると何か布に包まれた物体があった。まさかと思いつつも、思い切って布を捲ってみるとそこには先程の女性が裸のまま|蹲(うずくま)っている。どうやらちゃんと生きていたようで、ゆっくりと面を上げてこちらへ振り返ると月明かりに照らされはっきりと女性の顔が伺えた。
先程見た通り蒼く透き通った美しい瞳。失礼ではあるが男達が犯したくなるのも頷ける程の端麗な顔立ち。多少乱れてはいるものの長く艶やかな、肩甲骨辺りまですらりと伸びる銀色の髪。月明かりのせいか神秘的に映ったその姿は女神を連想させる。
その美しさに見惚れていると、女性はふっと優しい微笑を浮かべた。見惚れていた事に気付かれたかと思うと急に恥ずかしくなってしまい、かける言葉も見つからないまま僕は視線を逸らす。
それから無言の時間が続く。彼女は今どんな顔をしているのか、僕は彼女の目にどう映っているのか、気になるけど彼女の顔を直視出来なかった。そんな様子を察してか彼女から口を開く。
「大丈夫…ですか」
初めて聞いた彼女の声に心臓が跳ね上がった。それは余りにも美しく、透き通る声。このソドムにおいて彼女の存在は全てが異質だった。
彼女は汚い身なりでありながら、その本質は何一つ汚れてなどいない。こんな感情を抱いたのは生まれて初めてだった。神を前にしたらこんな気分になるのではないだろうか。
驚きと興奮、そして感動と同時に畏怖に近い念。喉が渇いて上手く言葉が発せない。だがそんな僕の様子を見て彼女の声のトーンが落ちた。
「ごめんなさい…私…」
それは何処か悲しそうな声。違うと言いかけて顔を向けるが、結局言葉は喉まで来て遮られた。しかし言わんとしている事が伝わったのか彼女の表情が少し和らいだのを確かめると、僕も自然と体の力が抜けていった。
「こんな時間にどうしましたか?」
「…大丈夫だったかなって」
「あ、やっぱりあの時の…」
助けなかった事を責められるのではないかと言った後に後悔した。しかし彼女の反応は予想に反したものだった。
「様子を見に来てくれたんですか?」
静かに頷くと彼女は感謝の言葉を述べる。一瞬何を言ってるのか分からなくなって彼女の顔を凝視してみるが、とても穏やかな笑みを浮かべていた。
彼女は一体何に感謝していると言うのだ?
アンディ以外の人間にこうして感謝されるのなんて孤児院を出てから初めてだったため驚き戸惑ってしまう。
「どうされました…?」
そんな僕の反応が不思議だったのか、今度は彼女が怪訝そうな表情を浮かべた。
「だって…僕はあの時あなたを見捨てて…」
その言葉を彼女は静かに遮った。
「心配して…来てくれたんですよね。それだけでも嬉しいものですよ、この街では特に…ね」
確かに思えば僕の行動は意外なものだ。他人を蹴落としてでも生き延びる、手段は選ばない。それがこの街の鉄則だ。他人の心配するなんてどうかしているのかもしれない。
言われてみて改めて自分の行動が度し難いものだと気付く。しかしあの時見た彼女の瞳がどうしても忘れられなかった。
「…体とか…大丈夫ですか?」
彼女が先程男達に何をされていたのかを思い出す。布に覆われていて見えないが、首元についている痣から彼女の身が心配になってきた。
しかしまた考え無しの発言を後悔する事となる。彼女は先程の事を思い出してか、急に表情に影が差した。犯された事を思い出して喜ぶ人間なんている訳がない。すぐに謝罪の言葉を述べようとするが、彼女は静かに首を横に振った。
「大丈夫ですよ…。少し傷は残っていますけど、しばらく経てば治るので…」
まるで知られまいと体を隠すように布を手繰り寄せると、彼女の足が微かに見えた。そして垣間見えた彼女の足からは確かに鮮血が流れていた。
「だ、大丈夫じゃないだろ…その足…」
よくよく見てみると、布にも何かが滲んでいる。恐らく血だ。その美しい姿にばかり気を取られていたが、彼女からは血の香りが漂っていた。
「あの…僕の家近くて…良かったら手当てを…」
もう自分でも何を言っているのか分からない。さっきから僕はどうしてしまったのだろう。こんな見知らぬ人を手当てするなんて正気か?
ただ先程の彼女を見過ごした罪悪感からか、何もせずにはいられなかった。
「え、でも…」
「僕…さっきは見捨てる様な真似して…ごめんなさい。でもどうしても…放っておけなくて…」
今の気持ちを正直に吐き出す。それを聞いた彼女は今にも泣きそうな表情で笑みを浮かべた。
「優しいんですね…」
その言葉に胸が痛くなるが、彼女の顔を見ていると自分の所業が許された様な気になる。
申し訳なさそうにしている彼女を半ば強引に担ぐと足早に住処へ戻った。
幸いアンディはまだ眠ったままだったため、僕は静かに自分の寝床に彼女を座らせる。とりあえず傷口の消毒と止血のために水と綺麗な布を用意した。
彼女の承諾を得て纏っていた布を脱いでもらうと、白く透き通った肌に何箇所か切り傷や爪痕が見える。足を伝っていた血は左の太腿についた切り傷からのもので、幸いそこまで深い傷ではないようだ。水を湿らせた布で丁寧に傷口の血を拭き取っていく。
「痛く…ないですか?」
裸体を直視する訳にもいかず、視線を逸らしているため彼女の表情は伺えない。彼女は微かに笑みを含めて大丈夫ですと答えてくれる。
一通り付いていた血を拭き終わると、改めてその肌の美しさに目を奪われた。しかし裸のままにさせておく訳にはいかないし、血のついた布を纏わせる訳にもいかない。幸い背丈は僕と同じぐらいだったので、質素だが僕の持っている服に着替えてもらうことにした。
「本当に色々とありがとうございます。この街でこんなに優しくしてもらえたのは久しぶりですよ」
彼女は本当に、心から感謝しているようだった。その言葉にどう返していいのか分からず、僕は頷くだけでそれ以上の事は出来なかった。
「遅れましたが…私はソフィアと申します」
そう言って自己紹介したソフィアは丁寧に頭を下げてきた。釣られて僕も自己紹介する。
「僕はシオン…です」
「シオン…良い名前ですね」
話せば話すほど不思議な女性だった。こんな人が何故ソドムにいるのか、何故あんな小汚い格好をして犯されていたのか、分からない事だらけだ。だがもっとこの人の事を知りたいと思う自分がいる事に気が付いた。しかし気軽にそれらを尋ねる訳にもいかず、しばらく無言の時が流れる。
狭い空間に、手を伸ばせば届く距離に綺麗な女性がいる。今まで体験した事の無い状況に僕はただ困惑してしまう。
するとその時、ソフィアが布団の上に転がっているある物を発見した。それは親の形見であるオルゴールだった。
「これは…あの、聞いてみても…いいですか?」
「う、うん…」
子供の様に何かに期待している様な顔でソフィアは丁寧にぜんまいを巻く。その姿は先程と打って変わって妙に可愛らしかった。
そして聞き慣れたメロディが流れ出す。
「…良い曲ですね」
彼女は慈しむような優しい表情でオルゴールの音色に耳を傾けていた。褒められたのが何だか嬉しくなって、僕はそれが親の形見である事を告げる。
「そうでしたか…。大切な思い出が詰まっているんですね」
ソフィアは優しくオルゴールを撫でながら遠い日の事を思い出しているかのような顔をしていた。
「ここがソドムなんて事も忘れてしまいそう…」
何かを決意したのかソフィアは礼を言いながらオルゴールを僕に手渡してきた。
「素敵な一時をありがとうございました、シオン。この御恩は決して忘れません」
そう言い残すとソフィアは立ち上がり出て行こうとする。しかし僕は思わずその手を掴んでいた。少し驚いた様子のソフィアだったが、僕にはその次に紡ぐ言葉が出てこない。
「…私がここにいるとあなた達も巻き込んでしまう。大事なお友達なんでしょう?」
仕切りの向こうで眠っているアンディの事だろう。巻き込むとは一体どういう事なのだろうか。
「私は…ある組織に追われています。まだ見つかってはいませんが、もし私と一緒にいる事が組織に伝われば…」
彼女の言う組織が何を指しているのかは分からないが、蛇の首だったら確かに厄介だ。この街で蛇の首を敵に回した者達はろくな末路を辿っていない。
だが分からなかった。彼女が一体何をしたと言うのか。とてもじゃないが、何か悪事を働いたせいで狙われているようには思えない。ただ一つ分かる事は、このまま彼女を行かせてはいけない気がする。上手く言葉には出来ないけど、ここでこの手を離せば僕は何か大切な物を失う気がした。
とにかく僕は彼女を引き留める理由はないかと頭を働かせる。
「あの…夜は危ないから…。日が昇ってから出た方が良いと思う」
我ながら下手な言い訳だと思った。しかし彼女はそれをどう受け取ったのか分からないが、そうですねと微かに笑みを浮かべると再び腰を下ろした。
「では申し訳ないですけど、一晩だけ泊まっていってもいいでしょうか?」
「汚いけどこんな所で良ければ…」
「暖かくて…私は好きですよ」
相変わらず優しい笑みを浮かべるソフィア。しかしいざ寝るとなると困った。流石にこの狭い布団で二人一緒に寝る訳にはいかない。
そんな僕の心配を余所にソフィアは早速布団に潜り込んでいた。…勿論僕の寝るスペースをちゃんと残して。
どうしようか迷っていると、ソフィアは不思議そうな顔を向けてくる。今更一人で寝ろとも言えないし、緊張しながらも僕はそのスペースに身を潜らせる。
おやすみなさいと言うと、それからソフィアは何事も無かったかのように安らかに眠り始めた。僕が気にし過ぎなのだろうか…。
大人っぽいかと思えば何処か子供っぽい雰囲気も持っている、無垢なソフィア。その寝顔を見てみるといちいち気にしている自分が馬鹿みたいに思えてきた。
久しぶりに人の温もりを感じながら布団に入ったせいか、睡魔はすぐに訪れた。
翌朝目覚めると、僕の寝顔を見つめているソフィアがそこにいた。
「おはようございます、シオン。よく眠れましたか?」
「あ…うん…」
「良かった…。私が邪魔で眠れなかったらどうしようかと思ってました」
首元に見える痣が痛々しく、彼女の身に起きた昨夜の出来事は夢ではなかったと実感する。しかし彼女の笑顔は昨日よりも自然に見えた。
アンディが気になり仕切りの向こうと見てみるとまだ眠っていたが、驚く事に昨日まで負っていた傷がいつの間にか消えて無くなっていた。何が起きたのかと考えていると、ソフィアが説明をしてくれる。
「二人とも…特にお友達の方は酷い怪我をされていたので、簡単にですが手当てをしておきました」
唇に手を当てると、僕が昨日負っていた傷までも完治していた。
「一体…どうやって…」
「早くに起きて外の風を浴びてたら、薬草になりそうな草が近くに生えていたので…ご迷惑でしたか?」
「迷惑なんて…とんでもない。本当にありがとう。ソフィア…さんは薬の知識があるんですね」
「ソフィア、でいいですよ。あと敬語もいりません。私、昔医療に携わっていた事があるんです」
まさかその辺の雑草が薬草になるなんて夢にも思っていなかった。
そこで僕は閃く。薬屋に薬草を売れば盗みなんてしなくてもしばらくは食べて生きていけるのではないか?
ソフィアにその事について尋ねようとするとアンディが目を覚ました。
「ん…? シ、シオン…その人は…?」
ソフィアの姿を見てアンディの眠気は一瞬で吹き飛んだようだった。
「昨日アンディを連れて戻ってる途中道で倒れていて…それでその…助けたんだ」
アンディはただただ驚いた表情をしている。だがそれは恐怖ではない。恐らくアンディも昨夜の僕と同じで、彼女のその蒼い瞳に思うものがあるのだろう。
「アンディ…大丈夫か?」
「え、あぁ…うん…そっか。あ、俺はアンディ…」
「私はソフィア、シオンには本当に感謝しています」
そう言ってアンディに深々と頭を下げるソフィア。だがアンディも当然ソフィアのその行動に戸惑うばかりだった。
「い、いや! 俺なんて昨日ボコボコにされて! それで俺もシオンに助けられて…ってあれ?」
その時、アンディも自分が昨日負った傷が癒えている事に気付いたようだ。僕は先程思いついた計画を二人に説明し意見を仰ぐ。
「薬屋に納品するなら蛇の首に目も付けられ難いだろうし…一番安全で確実だと思うんだ」
「そうだな…薬の効果も俺がこの身を持って証明出来た訳だし! よーしソフィアさんっ、俺達に調合の方法を教えて下さい!」
気が付けばアンディはすっかりソフィアに心を開いたようだ。怪我が完治したせいか、それともこれからの生活に希望が出たのかは分からないが、ここ最近では見れなかったお調子者アンディの一面が見れた。
だがそんなアンディを見てソフィアは少し困った顔を浮かべる。
「教えるのは構わないけど…薬草としての効果を得るには特殊な調合が必要なんです。それはきっと私にしか出来なくて…」
「えぇ~…それじゃ俺達が作っても大して意味がないっすね…」
その点については初耳だった僕も、アンディと同じ様に悩んでしまう。
話によれば調合をしないと薬草としての価値は無く、売ることは出来ないそうだ。だが現在のソドムは物資の流通が少なく、特に薬品関連は高騰しているため、蛇の首に頼らず真っ当に生きていくなら薬草による収入は夢のような話だ。
どうするか頭を捻っているとアンディは何か閃いたようだった。
「そうだ、それならソフィアさんもここで一緒に暮らせばいいんだ!」
突拍子もないアンディの提案に僕は驚いてしまう。確かにそれが出来れば理想かもしれないが、ソフィアは僕達に迷惑をかけまいと出て行くつもりだ。今でも引き留めてしまっている状態なのに、そんな事を頼める訳がない。
「嬉しいけど…私と一緒にいると二人を危険に巻き込んでしまうから…」
「良いんですよー、どうせこの街に住む以上常に危険とは隣り合わせだしー。それに俺達も昨日から蛇の首に目つけられてる身なんで!」
ソフィアの心配も何のその、アンディは誇らしげに胸を張って答えた。その清々しい姿からは臆病だった昔のアンディの面影は見当たらない。
「で、でも…」
困ったようにソフィアは僕に同意を求めてくる。でも確かにソフィアの協力が無ければ僕達はいずれ近いうちに餓死するか、殺されてしまうだろう。突拍子のないアンディの提案だが、ソフィアが受け入れてくれるのならそれが僕達に残された唯一の生きる手段となる。
「僕達の事は大丈夫だから、ソフィアさえ良ければ…しばらく力になってくれないだろうか」
僕は深々と頭を下げる。するとそれに倣うようにアンディもその場で跪き頭を床に当てた。
「このままじゃ俺達…死ぬしかないんです。俺はどうなったっていい…ただシオンだけは…どうしても生かしてやって欲しいんです。お願いします、シオンを助けてください…」
それは心からの言葉。他人を信用しないのが鉄則のこの街で、アンディがここまで心を開いた相手というのは初めてだった。
アンディのその想いは僕だけでなく、ソフィアの心までも揺れ動かした。
「迷惑を…かけるかもしれませんよ?」
「迷惑なんて! 俺なんて毎日シオンに迷惑ばっかりかけてますよ!」
「ぼ、僕だって…いつもアンディには助けられてばっかりで…!」
「何言ってるんだよ! シオンがいなきゃ俺なんかとっくに…」
「アンディがいなかったら僕は今頃とっくに死んでるよ!」
「俺はシオンがいなかったらずっと前に死んでるね!」
「僕もアンディがいなかったらそのさらに前に死んでるよ!」
「俺なんかシオンが輪廻転生する前から!」
そんな僕達の幼稚な口論を聞いていたソフィアが突然笑い声を上げた。
「二人共、本当に仲が良いんですね」
当然と言わんばかりに僕とアンディは笑顔を向ける。
「シオンには助けてもらった恩もありますしね。…ではしばらくの間お邪魔させてもらいます」
こうしてこの日、僕達の家族が一人増えた。
早速僕達はソフィアが教えてくれた薬草となる雑草を採集する。僕達の住処である倉庫の周囲一帯が薬草の群生地となっており、これらが僕達の財産になるんだと思うと草刈りも楽しかった。
一週間ぐらい生活に必要なお金になりうる量を集め終わると、ソフィアが調合を開始する。抜いた雑草をお湯で煮たり、磨り潰したりとそこまで手順は難解なものではなかった。
ただこの薬を完成させるために必要なソフィアにしか出来ないコツというのは今はまだ出来ないらしく、僕達は翌日を楽しみに待つ事にした。お陰でこの日の食事は抜きかと思ったがどうやらこの雑草は食べる事も出来るようで、味はともかくこの日は雑草で腹を満たした。
食事が終わると僕達はいつも各々の寝床に就くが、ここで問題が起きる。昨日は止むを得ずソフィアと同じ布団で眠ったが、これから毎日そうする訳にはいかないだろう。ソフィアは構わないと言うが、アンディの手前どうにも一緒に寝るというのは気が進まなかった。僕とアンディが同じ布団で眠ってソフィア一人に眠ってもらうのがベストだと提言するも、逆にそれだとソフィアが申し訳ないと言って譲ってくれない。
「じゃあ交代制で入れ替わるってのはどうだろう?」
アンディの提案はこうだ。今日はアンディとソフィアが一緒の布団で眠る。明日は僕とアンディが一緒の布団で眠る。そしてさらに翌日は僕とソフィアが一緒に眠るというサイクルを繰り返す。確かにこれなら全員が公平に一人で眠る事も出来る。このアンディの提案に反論は無かった。
そういう訳で今夜はアンディとソフィアが一緒に眠る訳だが、妙にアンディは嬉しそうだった。寝床に入ると基本的に僕達は互いに静かで、すぐに眠ってしまう事が多いけれど今日は違った。仕切り越しにアンディとソフィアの話が聞こえてくる。
アンディは僕との出会いや孤児院にいた頃の話をソフィアに聞かせていた。時折その話は仕切り越しの僕にも振られて、三人で話していると何だか僕も久しぶりに夜が楽しいと思えた。
ソフィアのリクエストでオルゴールを流すと、アンディもその音色を聞いて昔を懐かしんでいるかのようだった。それから平和な夜が静かに更けていく。
翌日、ソフィアは住処に残ってもらいアンディと二人で比較的蛇の首の支配が緩い薬屋を探してみる。そして日が暮れる前にとある薬屋に目星を付けた僕達は早速交渉に入った。
「駄目駄目、こんなのただの雑草じゃないか。とてもじゃないが売れないよ」
しかし薬屋の店主は僕達の持ってきた薬草はただの雑草だとして中々受け入れてくれなかった。薬草の効果をどうにか証明出来ないものかと考えているとアンディは突然ナイフを取り出す。まさか強盗でもするのかと思いアンディを止めようとすると、アンディはそのナイフを自分の腕に勢い良く突き刺した。
「アンディ何をしているんだ!」
驚く僕と店主だが、アンディは苦痛に歪んだ表情で薬草を傷口に塗りだした。
「へへ…こいつの効果は俺が証明してやる…」
確かに薬草の効果は自分達で体感済みだが、流石にこんな深い刺し傷がこの場で完治するなど…。そう思っていたが薬草を塗ってから数秒後、アンディの傷口は白い泡を吹き出しながら塞がっていった。その驚異的な効果に店主だけでなく僕も言葉を失う。
「どうなってやがるんだ…いいだろう、ガキ共…この事は誰にも漏らすな、今後は全てうちで買い取らせてもらおう」
アンディの行動によって店主はすっかり僕達を信用してくれたようだった。ただ店を出ると僕は大きく溜息を漏らす。
「はぁ…驚かせないでくれよ…」
「へへへ、結果オーライじゃないか」
「アンディは分かってたのかい、あの薬草の効果を…」
「ソフィアは何でだろうな…心から信用出来るんだ。だから彼女の調合したものならあのぐらい…って思ったんだ」
「はぁ…そんな理由で…下手すれば腕が使えなくなってたかもしれないのに…」
「言われてみればそうだな…ま、まぁ無事金が手に入ったんだしいいじゃないか。それよりもこの金で買い物しようぜ!」
「うん…そうだね」
十分な資金を手に入れた僕達は初めて稼いだお金で買い物をした。
食料を買った後、ソフィアにお礼をしたいと言い出したアンディ。僕も自分の服を着せたままでは申し訳なかったため、彼女の衣装を二人でじっくり吟味する。今までこんな服飾店なんて立ち寄ったこともなかったため少し緊張したが、二人でソフィアに似合う服を探すのは楽しかった。
日が沈み始めた頃には買い物が済んで帰路につく。プレゼントを大事そうに胸に抱えて今にも踊りだしそうなアンディを見ているとソフィアには感謝してもしきれなかった。彼女がいなければ、こんな楽しそうなアンディの姿を見ることは出来なかっただろう。彼女のためにもっと何か出来る事はないだろうか、歩きながらそんな事を僕は考えていた。
僕の前をスキップのような軽い足取りで歩くアンディ。住処まではもうすぐだった。しかし道端に力無く座っている男が突然僕に声をかけてきた。フードを被っているが見覚えのある男だ。
「…何か用ですか?」
「小僧…あの女はどうしたよ…昨日やたらとこっちを見ていただろ…?」
そこで僕はその男が昨日ソフィアを襲っていた男の一人である事に気付く。
「何のことだよ…僕は知らない」
男は座ったまま微動だにせず、口元に微かな笑みを浮かべるがその表情は何処か虚ろだった。
「やってくれたぜぇ…。この病気は一体何なんだよぉ…」
男は自分の手をこちらへ見せてくるが、その手は黒く焼け焦げていた。他にも顔以外の露出された部分は似たように黒く焼け焦げたようになっている。
「おいガキィ…あの女には気をつけろよぉ…。ありゃもしかしたら例の病気持ちかもしれないぜぇ…ヘヘヘ…俺ももう終わりかぁ…」
例の病気…。それで思い当たるものが一つあった。
戦後のソドムで広がり始めた謎の病気、ヴァンパイアウィルス。まさかソフィアがそのヴァンパイアウィルスの感染者だと言うのか?
しかしその症状は多様で、実際にどんな病気なのかというのは詳しく分かっていない。そのため僕も病気に関しての情報はほとんど無く、恐らく名前の通りにんにくや聖なる物、そして太陽に弱くなるんじゃないか、そのぐらいにしか考えていなかった。
だがそこで僕は気付いてしまう。男の焼け焦げた体…まさかこれは太陽の光に当たって焼けてしまったというのか。しかしソフィアは今朝薬草を採集していたとき何ともなかった。
「ああぁぁ…こんなことなら犯したあと殺しておくんだった…。太腿にゃナイフぶっ刺して歩けなくしたはずなんだがなぁ…ここからいなくなってるってことは…どうなんだ…誰かが死体を運んだか…それとも自分で移動したのかぁ…やっぱりヴァンパイアウィルスってことは心臓に杭でも突き刺さなきゃ死なねぇのかなぁ…」
虚ろな男はぼやくように一人話し続けるが、確かにナイフを太腿に刺したと言った、それも歩けない程に。だが昨日ソフィアの傷口を見た時、太腿から大量の出血した痕はあったものの実際はそんなに深い傷ではなかった。刺し傷と言うより切り傷のようなもので比較的浅いものだ。
果たしてこの矛盾が意味するところは何なのか。しかしそれを尋ねる前に男は壊れたようにぶつぶつと呟きながら、千鳥足で何処かへと消えていってしまった。
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