第38話 僥倖

「一応部屋はちゃんとしてるのね」

そうつぶやくセレナに僕とグレーテルは慌ててシィ〜っと人差し指を立ててみせる。


「なによ。あんたら仲良いわね」

「そういう問題じゃなくて!聞こえたらまた面倒なことになるだろ」

そういって僕がチラリと見やった先にはこの宿の主である鳥と人間のハーフ、ピンリィがいる。


「別に大丈夫じゃないの。なにせうちのご主人に夢中みたいだから」

そういって呆れたような仕草をしてみせるセレナに改めてそちらを見やりピンリィから視線をずらせばそこにはベジの姿がある。


「さっきからずっと何を話してるんでしょうね……」

そういって僕と同じようにベジとピンリィに目をやるグレーテル。


「そうだね……。まあ気にはなるけど、とりあえず部屋に入ろう。僕らは先にいってるよう言われたんだし」


「そうですね」

そうして僕らはピンリィと談笑しているベジを尻目に部屋に入っていったのだった。






部屋には大きめの二つのベッドとテーブルとソファと椅子が置いてあって色合いは全体的にクリーム色と茶色で統一されている。


余計なものは一切ない、かなりシンプルな空間だ。


だがとにかく休みたい今は特段気にもならないしむしろこれくらいシンプルな方がいいと思う。


僕の故郷であるルミナスのホテルなんかはキラキラしすぎて目が痛いくらいだったし、なんだか新鮮だ。


「はあ〜。疲れた」

そういうとソファにドサリと寝転がるセレナ。


「おい、一人で占領するなよ」

僕が険しい声音でそういうと

「はいはい」

といってしぶしぶという感じながらも起き上がるセレナ。


「ほら、グレーテル」

「え、僕ですか?!いや、あの、僕は椅子で充分なので」

そういうとちんまりと一番近くにあった椅子に腰掛けるグレーテル。


「じゃ、寝〜ようっと」

「おい」

「なによ、別にいいでしょ。坊ちゃんは椅子に座ったんだから。それよかあんたもはやく座んなさいよ。疲れてんでしょ」

「……ああ、そうだね。ほんと誰かさんのせいでクタクタだよ」

「それはそれはご愁傷さま」

「……お前なあ」

「あの、二人とも落ち着いて」

と、そこでガチャリと扉が開きいつもの優しい笑みを浮かべたベジが入ってくる。


「お待たせ〜。ピンリィに色々聞いてきたよ。あと、これ。ピンリィがくれたの」

そういってベジがみんなの前に置いていくのは色とりどりのプリンらしきもの。


「へー。美味しそうじゃない」

そういうと起き上がりベジが持ってきたそれを持ち上げて見入るセレナ。


「でしょ?セレナのはピーファイ味で、グレーテルのはナンマル味、タグのがキュリ味で私のがスタルイト味なの」

そう言われて改めてみんなのを見てみるとそれぞれの野菜の色をしているようだった。


ピーファイは赤。ナンマルは紫。キュリは青。スタルイトはベジの髪色と同じオレンジ色。


「あの、食べてもいいですか?」

お腹が空いていたらしいグレーテルが待ちきれないといった様子でそういう。


「もちろん。ピンリィがね、おかわりが欲しければあげるって言ってたから沢山食べて」

そういいつつセレナの隣に座るとそれを大きく一口頬張るベジ。


モグモグと口を動かし幸せそうな表情をするベジに可愛いな……なんて見惚れたのも一瞬。


グレーテル同様にお腹が減っていた僕は急くように「いただきます」といい、それを大きく一口頬張る。


口の中に広がるキュリ特有の苦味のようなもの。だけどそれを大きく包み込む甘み。相反する二つの味わいが舌の上でとろける。


「美味しい……」

皆一様にそんなことをつぶやく。


「あ、そういえばね」

ベジが思いついたようにそう切り出す。


「これはピンリィさんが朝生んだ卵でできてるんだって」


カチャン……ッ


シーンとした空気の中、金属が床に落ちる音がしてそこから暫くの沈黙が流れる。


「え……今あんたなんて言った?あのキャンキャンうるさい鳥人間が朝生んだとかなんとか言った?」

ベジが言ったことをそのまんま復唱するような形でいうセレナに思わず耳を塞ぐ。


「やめてくれ」

ピンリィさんが朝生んだなんて聞いたらなんか……。


「ご、ごちそうさま……です」


そういってまだ少しだけ残っているそれをテーブルに置くグレーテルは顔色が悪い。


……そりゃそうだよね。

そんなこと言われたら言わずもがな想像しちゃうよね。


でも残すなんて失礼だし。そう考えると僕は何も考えずにゆっくりと味わっていたそれを一気に頬張った。

なんとかそれを飲み込んだ時ベジが口を開く。


「みんな食べるのはやいねえ。あ、あとね、ヘンゼルのことピンリィに聞いてみたんだ」

その言葉に勢いよく椅子から立ち上がりベジの方に前かがみになるグレーテル。


「それでなにか情報は?!」

「ヘンゼルって断定されてるわけじゃないけど、近ごろ外から来た女の人がこの宿に泊まりに来たんだって。その人はフードを深く被ってて顔はよく見えなかった。けど姿からしてエルフか人間かそこらへんの見た目をしてたーっていってたの。」

「なるほど。そうですか……」

「……ほら、話は聞き終えたんだから」

そういうと少し強引にグレーテルを椅子に座らせる僕。

「顔が近すぎるよ。僕だってそんなち、ちかくにベジの顔がきたことなんてな、ないのにぃ」

わざとらしくそういうのはセレナ。

「なんの話だよ!勝手にアフレコしないでくれるか」

「あ、すみません。僕全然気付かなくて……。次から気をつけますね」

そういって申し訳なさそうにするグレーテルも今の状況だとセレナの嫌味に加担しているようにしか聞こえない。


「だから……」

そういって言い訳しようとしたらベジのニコニコしながらもどこかキョトンとした、一連の流れの意味を理解していないような表情カオと目があって黙り込む。


それからそんな気まずさを誤魔化すように咄嗟に立ち上がりベッドへ歩いていく僕。


二つあるうちの片方のベッドに腰を落ち着けると

「今日はもう寝よう」

そういってメガネを枕元の棚におき逃げるように布団に潜り込む。


「はいはい。おやすみ坊や」

呆れた様子でそういうセレナに「坊やじゃない」なんて反論する気も起きない。


いい加減眠気も限界に達してきているのだ。


「……おやすみ」


僕は一言そういうと目を閉じてそこから一気に眠りの世界へと落ちていったーー。






「今日は五個産めただっわね」

そういって満足気にホカホカしてそうな卵をながめるピンリィさん。


……これは夢か何か?……だよね。

現に夢の中特有の自分の体がないような感じがするもん。

……はやくこんな夢から目覚めたい。

ぼんやりとしたまどろみの中そんなことを思っていたら不意にピンリィさんがハッとした声を出す。


「もう少し生まれそうだっわね!!」

その声に慌ててピンリィさんとは反対の方を向こうとするがそこは夢の中。


自分の思う通りに体が動くわけがない。

ピンリィさんが鶏が卵を産むような体勢にはいって、ああもうダメだ……と思った瞬間


「はあ……はあ……」

僕は現実世界で飛び起きる。

体中汗で衣服が張り付いて気持ち悪い。

昼間あんなことがあったからこんな夢を見たんだろうな。


はあ……。

心の中でため息をつく。

あたりは真っ暗。こんな夜中に飛び起きるなんて。

頭がズキズキと痛い。

とりあえず朝になるまで寝よう。

そう考えた僕は改めて布団に潜り込み先程とは違う方向へ寝返りを打つ。


「…………っ?!」


寝転がったのも一瞬。

またすぐに起き上がる僕。

……というのも……。


「……んん……もう朝ぁ?」

なんていうベジがいたからだ。


え、いや、なんでベジがここに?

てっきりグレーテルが居るんだと思ってた。

そう思ってもう一つのベッドをバッと見やるとグレーテルが一人で寝ていてスースーと穏やかな寝音をたてている。


そこから視線をずらしていけばソファに寝転がり寝音もなしに怖いくらい静かに寝ているセレナの姿があった。


……どういうことだ?またセレナが僕をからかうためにこんなことをしたのか?


それにしてもこんな……一緒に寝てたなんて……。

先程よりも上がる心拍の音を全身で感じながらしずしずと布団から出てグレーテルの布団に移ろうとする僕。だけどふいに服の袖を掴まれる。


「タグ、どうかしたの?」

そういって眠そうなトロンとした目でそういうベジ。


寝ぼけてるの……かな。

そう思いながらゆっくりとベッドに戻る僕。


「変な夢見て起きちゃって……。ごめんね。隣で色々動いちゃって」

「ううん。そんなことないよ。私も変な夢見ちゃってた」

「そうなの?」

「うん、そうなの」

そういうと無邪気にえへへと笑ってみせるベジ。

また急激に体温が上がっていくのが自分でもよくわかる。

「でもやっぱりあれだしグレーテルの方で寝るよ」

そっぽを向いてそういうと逃げるようにまたベッドから出ようとする。

「ああ、ごめんね。私と一緒はいやだった?」

その声にハッと振り返るととても悲しそうな顔をしたベジがいた。

「そ、そんなことないよ!」

むしろ嬉しすぎるくらいだし。

慌ててまたベッドに舞い戻ると布団に肩まではいり、仰向けで煩悩を振り払うように瞳をギュッと閉じる僕。


広がる闇。あたりを包む耳が痛いほどの静けさ。バタバタしていて温もりが無くなった冷えた布団。



たまにやってくる暗く深いその感情が唐突に胸の奥底から湧き出してきて止まらなくなる。


鬱々とした気持ちで僕は誰に問うでもなくポツリとつぶやく。


「生きる意味ってなんだろう」

僕は結局のところそこがわからなくなってこの世界から消えようとしたのだと思う。

一度考え出すと止まらなくてその感情が生み出す闇がどんどんどん深くなっていく。


「人はみんな幸せになる為に生きてるんだよ」

隣でポツリともれたそんなつぶやきにハッとする。

幸せに……なるために?でも、そんなのどう考えたって馬鹿げてる。


「幸せになる為っていったって影はいつだってすぐそこにあるんだ」

そう、いつも唐突に僕を支配するこの暗く深い感情はいつだってすぐそこに、みんなと一緒に笑ってる僕と隣り合わせでそこにいる。

それに世の中幸せなことばかりじゃない。

「正直いってこの世は辛く悲しいことばかりだよ。そしてその辛く悲しいことに耐えることこそが美徳。耐えるからこそ幸せが来るっていう」

そんなものみんな美徳だ。


僕は僕を執拗に攻める全ての声にずっと耐えたけれど、それらは今も変わらず僕を攻め続けてる。

心の傷という形で僕に刻まれて決して消えることなく時折頭の中で響いてはお前はこんなやつなんだ忘れるなと問いかけるように僕の心を折ろうとしてくる。


そんな状態で幸福なことがいくつ訪れても幸せだと心からいえるわけないじゃないか。


ベジがもらした言葉を素直に受け取ることなんて到底出来そうもなくて僕は仏頂面をして天井を見上げる。


「影はいつまでも追いかけてくる」

そうだよ。

僕はこれから先ずっとあの声に振り回されるんだ。

僕をけなすその声に。

心の痛みに。

その声の言う通りだと自分を押し込めいつまでもこのままで。


「そういう時は逃げればいいよ。あなたの怖いものが迫ってこれないくらい遠く遠くへ。あなたの恐れるもの、無理に見ることないんだよ。楽しいこと嬉しいことだけを感じて見つめていればいいの」

優しい声音で紡がれたその言葉に胸がギュッと掴まれたようになる。

逃げる?……。

あの声から?消えようとした責任から?幼なじみを傷つけたことから?


「でも……そんなのは甘ったれてる」

苦しいことから逃げるなんて不恰好できっとあの声はまた僕を笑う。

『タグくんって自殺しようとしたんでしょ?』

『やばいよねー』

『まあ、どうでもいいけど』

その後に続く沢山の笑い声。その他大勢の声。

ほら、もう笑ってるよ。


「逃げたらもう未来はないよ」

実際僕に同級生の子達のような輝かしい未来はないように思う。


それは僕が両親にひかれたレールをはずれて転げ落ちた自己責任。


「ううん、未来はあるよ。逃げた先で切り開いたり見つけたりするんだよ。また別の道を。だからね、無理に耐えることはないんだよ」


その言葉にいよいよ僕は言葉を失ってしまった。




別の道があるなんて、逃げるなんて、幸せになるために生きるなんて、考えたこともなかった。


僕はずっと誰かにこんな言葉をかけてもらいたかったのかもしれない。


膨らんでいたその感情は途端に少しずつなりを潜めていく。

そして最後に残ったのはじんわりと灯るような胸が苦しくなるようなあたたかさ。


「幸せになっていいのかな……」

胸をギュッと押さえながらそういう。

「うん。もちろんだよ」

「でも沢山の人を傷つけた。迷惑かけた」

「もう終わったことだよ。その人が大切な人ならタグ自身の言葉でちゃんと謝ればいいんだよ。タグは今ここにいて生きてるんだから」

「……うんっ……」

許されたわけじゃない。

だけどすごく軽くなった胸。

そこに溢れてきたのはずっと胸の奥にしまいこまれていたあたたかな感情たち。



僕はなんだかもういてもたってもいられない気分でつい、その言葉を形にした。

「ベジ、好きだよ」

「ちょっ、バッ?!」

「ゴホゴホっ」

僕の言葉の直後続く二つの声にセレナとグレーテルが起きていたことを察するとバッと起き上がりセレナとグレーテルを見やる僕。

グレーテルは僕とは反対方向に寝返りを打って、セレナは口パクで何かを伝えてくる。もうごまかす気もないらしい。

『はやまりすぎ』口パクで伝えられたその言葉に内心深く共感する。

確かに。でもポッとでちゃったんだよな。

「うん、私も好きだよ」

そういうと起き上がっている僕に倣うように上半身を起こし暗闇でもわかるくらいのニコリとした優しい笑みをまっすぐこちらに向けるベジ。

その言葉にキュンとする……はずなんだけど。

「ベジ、それって仲間として……ってこと……だよね」

「?うん。タグは違うの?」

「う、ううん。違わないよ。僕もベジのこと仲間として好きだから」

そういいながら僕は心の中で大粒の涙を流した。やっぱり世の中辛いことばかりだよ……。

「プッ」

そんな吹き出した音にギロリとセレナの方を見やる。

……あとで覚えてろよ。

「あはは。セレナ寝ながらオナラしてるよ。うちのお母さんもね、よく寝ながらオナラしてたんだけどそれがすごく臭くてね」

そんなベジの無邪気な声音にピクピクと痙攣するセレナの眉と紅い唇。

そんな様子を見て説教は必要ないかと考え直す。


それから僕らは朝になるまでくだらないことを喋り続けた。

きっとこういうことが『幸せ』ってことなんだろうな。

そう思いながら。



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