第七話 蒼穹 ~そのとき日常へ~ 【第一章 最終話】

 俺こと玖星アカリが、実は人類の破滅を願う邪神ナイアルラトホテップの1側面、1端末に過ぎないという話は、このさい割愛しよう。

 生徒会長の正体が俺の仮想人格だとか、なぜ生命の味方をしているのかと、それも投げ捨てる。

 だって、それについて語る機会は、きっとこのあと何度でもあるだろうから。

 だから、重要なのは真の邪悪に出遭であった人間たちが、どのようにふるまったかという、そのお話である。



◎◎



 流星学園が受けた被害は凄まじかった。

 東京ドーム90個分。

 その広大な敷地内の、8割近い地上部が謎の消滅現象を受け、一時的な活動休止状態に陥った。

 神話型アグレッサー。

 雨宮女史の提言によりそう呼称されることとなった邪神眷属の襲来は、確実に人類の楯であり刃たるD.E.M.の力を削いだのだ。


 だが――そんな艱難辛苦に直面しながら、それでもなお立ち上がるのが人類という生物であった。


 アグレッサーの強襲から三日後、学園機構は回復の兆しを見せる。

 そもそも、万が一の到来を予見して、主要施設はすべて地下に作られていた。吹き飛んだのは単なる学び舎と、いくらでも代替えが利くものに過ぎなかった。

 そうだ。

 またも学生たちは、一名の死者も出なかったのである。

 もちろんあれだけの災厄だ、重症者は多い。

 四肢の一部を失ったものもいた。

 視力や言葉を失ったものもいた。

 それでも死者は出なかった。

 〝生徒会長〟は、今回も学生たちを守り切ったのである。


「……はぁ」


 キリヤくんに無理をいって解放してもらった、唯一無事だった中央教科棟の屋上から、廃墟一歩手前と化した流星学園の惨状を眺めつつ、俺は想う。

 今回のことで、人類の上層部も、アグレッサーに拠点攻撃を行うだけの頭脳があることに気がついたに違いない。

 思い知ったに、違いない。

 それだけではない。神話型アグレッサーを目撃したものの中には、精神に異常をきたしたものもいた。

 あれは、それだけの狂気をまき散らしたのだ。

 だというのに、俺の眼下で、人々はもう復旧を始めている。

 瓦礫を押しのけ、道を整え、文明を築く。

 強い。

 人は、命は、こんなにも強かなのだと、眩しいのだと、俺は見せつけられている思いだった。


「――――」


 ぱたりと屋上に倒れ込み、空を見上げる。

 抜けるような蒼穹そうきゅうに、虹霓にじあとはない。

 しばらくの逡巡の末、懐にそっと手を差し入れ、〝それ〟を取り出す。

 大判で、アラベスク調の、生物のようなヌメリとした質感を持つ表紙の本。

 開くことはなく、掛け金と鍵で厳重に封がされている。

 だが、その内部では幾つもの出来事が、克明に記述され、描写されていくのを感じていた。

 いつか。

 いつかこの本が、役に立つときが来るのだろうか。

 こんなことが、すべてを変える切っ掛けに――


































「あー! こんなところに居やがったわね、アカリ!」











 突如響いた怒声に、手元の本を取り落しそうになり――慌てて懐に押し込む。

 戦々恐々とした思いで、響いてきた声の方へ視線を向けると、屋上の入り口に、美しい髪と、美しい瞳を吊り上げた少女が、怒りに震えているのが見て取れた。

 天下無敵の副会長、織守ステラが、不動明王を背負ってそこにいた。


「す、ステラさん? な、なななな――なんで、こんなところに……?」

「なんでもかんでもないわよ、このスットコドッコイ! 冗談じゃないわよドテカボチャ! とりあえず一遍死んで詫びなさいよ色欲サイコパス!」


 乱舞する罵詈雑言。

 理不尽な怒り。

 どこから湧いてくるのかという語彙力の限りに、俺は罵声を浴びる。

 十分近い罵りと愚痴。その末に。


「あぁーかぁーりぃぃぃーくぅぅぅぅぅん!」


 と、恨みがましい声を投げつけられるのだった。

 意味が解らない。

 それが顔に出ていたのだろうか、さらに彼女は感情的になって、


「どうして……どうして生徒会長の勲章授与式が中止なのよ!? あたし、ほとんど優勝だったじゃない!」


 と、そう叫んだ。

 あー……。

 そう、そういえば、そんなこともあった。

 アグレッサーの襲撃で模擬戦の勝敗はうやむやになってしまった。あの瞬間のやり取りは、当事者にしか分からないし、甲乙つけがたいという判断だ。

 だから、戦闘の天才に黒星はつかなかったし。

 天下無敵の副会長は白星を得ることが出来なかった。

 結果、生徒会長はすべてを無効試合と決裁し、結果として勲章授与式どころか成績への反映もなくなったのである。

 ただ、その代わりに――


「もう! いくら殴っても、いくらなじっても尻尾は出さないし、、あたしにはわかんなくなってきたわ!」

「……なにが?」

「そのすっとぼけた態度が気にくわないッつーのよ! 理不尽が大嫌いなの、この織守ステラは!」


 …………。

 状況証拠は積み上がっている。

 彼女は覚えていないふりをしてくれているが、その眼の前から消えて、文字通り消えていなくなって、そしてその直後に黒き天使リベリオスが出現したという事実は消えない。

 それでも彼女が、俺を見逃してくれているのは、たぶん。


「むー、まあ、いいわ。そんなことよりアカリ! 今回の襲撃でほとんどの授業が休講だから、付属都市への外出許可がおりたわ! 明日から三日間の特別外出許可! 精神休養ってやつね!」

「へー」

「あんた、あたしの荷物持ちをしなさい」

「はぁ!? なぜに!?」

「何故にも何も……どうせあんた、お金なんて使いようがなくって貯めこんでるんでしょう? だったらあたしのために使いなさいよ。使いなさいって。そうよ、だってあんたは――」















 あたしに、カッコいいところ、見せたいんでしょう……?












「――――」


 はにかむような、こちらの様子を伺うような、それとも照れたような、上目使い。

 わずかに染まる、桜色の頬。

 その、初めて俺に見せるような、彼女の表情に。

 その、あまりに眩しい微笑に。

 俺の脳裏は、真っ白になる。

 ……ああ、そうだ。

 そうだよ、ステラ。

 俺は――


「アカリ?」


 ――思わず。

 思わず、彼女を求めるように伸ばしていた手。それを、寸前で抱き留める。抱き寄せようとした手を、掴んで戻す。

 これは許されない。

 それは赦されない。

 だから。



「……ああ。解ったよ、ステラ。おまえには今回お世話になったし……恩返しの荷物持ち、喜んでやらせてもらうさ」


 俺もまた、笑みを浮かべてそう言った。

 彼女は嬉しそうに笑い、そうしてそのまま、織守ステラの代名詞のような、勝気な表情にそれを変えていく。


「んじゃあ、アカリ。まずは生徒会の仕事を手伝いなさい! 事態収拾のため、あたしがあくせく働いてるのにあんたが休んでるなんて気に入らないわ! 臨時バイトみたいな感じで役員にしてあげる! うん、そうと決まれば善は急げ! さあついてきなさいアカリ、生徒会役員室に行くわよ!」

「なにこの超展開!? 何故に!? 何故にホワイ!?」

「GO! 役員室、GO!」

「――っ」


 たやすく結ばれる、彼女と俺の手。

 こちらの意志など無視して、それこそ平常運転で、彼女は俺を校舎内へと引き摺って行く。

 その手はとても柔らかく、どこまでも、温かかった。


「……なあ、ステラ」

「なによ、アカリ」




 屋内への扉を潜りながら、振り返って、俺は空を見上げて、こう言った。













「あしたも、晴れたらいいな」




 それが、玖星アカリの偽らざる本心。

 俺の望んだ、青春の在り方だった。



◎◎



 世界のどこかで、その本の留め金が外れる。

 めくられるページ。

 刻まれる文字。



 基は永久に臥したむる死者にあらねども――


 ――奇異なる永劫の裡には死すらも終焉を迎えん




 欠けていたものが刻まれて。

 そうして、世界は新たなる一歩を――踏み出したのだった。









 玖星アカリの青春――終わり

 玖星アカリの現在混沌侵蝕率――368%

 意味消滅まで、あと――

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