爽子と喫茶店の会話

「それで名前で呼ぶようになったわけね。はー……」


 そう言って爽子は一息つくように紅茶を飲んだ。

 取りあえずこの間のことを爽子に話した。途中で注文したものが運ばれてきて、食べながらになったけど、なんとか全部話すことができた。

 本当に、この間のことは夢の様というか。ふわふわした思い出みたいになっていて、ちゃんと伝わるかなーと少し心配だったけど、爽子にはばっちり伝わったらしい。さすが親友。私が上手く表現できなかったところまでちゃんと汲み取ってくれた。


「よかったじゃん、楓。進展あったというかーなんて言ってたのはこういうことだったんだ」

「うん」


 よかった。そうなんだろう。確かに距離は縮まったように思う。なんたって名前で呼べるようになったのだから。でも、その縮まった距離がどういった意味での距離なのか? っということになると、素直に喜べないというか。


「でも、大洋さんにとって私って子どもなんだよね」


 そう爽子にこぼす。「子どものこと気遣うのは大人として当然でしょ?」というセリフが胸に重くのしかかる。

 子どもは、恋愛対象ではないだろう。私だって小学生とか中学生はちょっと恋愛対象として見れない。それと同じで、立派な大人の大洋さんからしたら、私のことも恋愛対象としては見れないだろう。もっとこう、大人の女性がいいはずだ。朱里さんみたいな。


「それは、まあ仕方ないんじゃない? 実際私たちの年齢なんて子どもなんだし。でも、そこからどうやって自分をアピールしていくかが重要なんじゃない?」

「それは、そうだけどさぁ……」


 そのアピールの仕方がわからないから困っているのだ。そもそもアピールって何? 何をすればアピールできるの? 何をアピールすればいいの?


「藤原さんって一人暮らしなんでしょ?」

「うん。地元はここだけど、実家から出て一人でアパートに住んでるって言ってた」


 言ってたというか、メッセージで読んだんだけど。それがどうしたんだろうか。


「じゃあさ、藤原さんの家に通って、通い妻! みたいにするとか」

「かかか、通い妻!?」


 か、通い妻って! 妻って! それはやばい! 何がやばいかよくわかんないけど、とにかくやばい!


「楓動揺しすぎ! たとえばの話だって! だいたい藤原さんの家の場所とか知らないでしょ?」


 爽子が笑いながらそう指摘する。

 いや、そうなんだけど、そうじゃないというか……。 

 大洋さんの家の場所は知っている。何号室かーとか、そういうところまでは知らないけど、大洋さんなら聞けば教えてくれそうな気がする。

 ……教えてくれそうなんだよなぁ、あの人。ガードが緩いというか、警戒心が薄いというか。周りに頓着しなさすぎる。大丈夫なのかなぁ。

 私が考え込んで返事を返さないでいると、爽子が恐る恐るといった感じで聞いてきた。


「まさか楓、藤原さんの家知ってたり……?」

「あー……うん。場所だけなら」


 私がそう返事をすると、爽子がにやっと楽しそうな笑みを形作った。


「じゃあ、通い妻できるね」

「何号室かは知らないしっ。そ、それに、大洋さんの家に行く理由とかもないし!」

「そんなのは聞けばいいじゃん。場所教えてくれるんだから、部屋の番号くらい教えてくれるでしょ? それに、理由なんて適当でいいじゃん。藤原さんバンドのギターなんだし、ギター教えてくださいーとか。楓中学の時ギターやってたんでしょ?」


 それはそうかもしれないけどさぁ。一番問題なのはそういうことじゃなくて――


「大洋さんの部屋に行くとか、恥ずかしすぎて死にそうになるじゃん……!」


 好きな人の部屋に行くとか恥ずかしすぎる。ただでさえ今まで男の部屋なんてお父さんか親戚の人か和樹の部屋くらいしか入ったことないのに。やっぱり和樹なんてノーカンノーカン。あんなの男の人の部屋に入った経験にカウントしません。

 大洋さんの部屋……。一人暮らしのアパートって言ってたし、一部屋しかないのかな? 六畳くらいの部屋と、小さいキッチンと、トイレとお風呂。なんか、結構散らかってそうだな。散らかってるけど、ギターとか、アンプとか、スピーカーとか、ヘッドホンとか、そう言ったオーディオはちゃんと管理してあったり。そんな大洋さんの部屋で、掃除とか、洗濯とか、料理なんかもしちゃったりして。そしたら、大洋さんが笑顔で「ありがとう」って言って――


「きゃー! 無理無理! そんなことしてたら死んじゃう!」

「うわ! 急にどうしたの楓? ……って、一人で妄想して一人で叫んでるのね」


 大洋さんの部屋でいろいろやってるのを想像して、小さく叫ぶ。顔を両手で覆って、足をバタバタさせる姿は癇癪を起こした子どもみたいにも見えるだろう。そんなこと気にしてられないけど。


「うーん、でもさぁ……理由があればいいわけでしょ?」

「へ?」


 爽子が唐突にそんなことを言い出した。理由があればいいって……大洋さんの部屋に行くって話?


「今月の終わりに文化祭があるじゃん? あれの有志バンドに応募してさ、バンドやるわけ。そしたらバンドやるからギター教えてくださいっていう言い訳が立つんじゃない?」

「文化祭かー……って、有志バンドやるとか無理でしょ。そもそもメンバーがいないし」

「そこは集めればいいでしょ。スリーピースバンドとかいるわけだし、三人いればできるわけでしょ? 私と、楓と、あと一人じゃん」

「爽子楽器できるの?」

「できないけど、一か月練習したら何とかなるでしょ」


 簡単そうに言う爽子だけど、人前でしっかり楽器を演奏できるようになるのには結構時間と努力がいる。ひと月で間に合わせるとしたら、相当みっちり練習しないといけない。

 胡乱げな私の視線に気づいたのか、爽子が慌てたように付け足す。


「ま、まあ私は楓と違ってバイトとかしてないし、暇な時間練習に当てたら何とかなると思うよ」

「じゃあ何の楽器やるの?」

「ドラムは無理そうだし、ギターはボーカルと一緒に楓がやるでしょ? じゃあ後はやっぱりベースとか?」

「ベースかぁ……教えてくれる人がいたらいいんだけど」


 それこそ、『Bedeutung』の人たちに協力してもらうとか? いやいや、そんな私的な理由で頼み事なんてしたらだめでしょ。相手はプロのバンドだよ? 文化祭でバンドやるんで教えてくださいーなんて、普通に考えてやったらだめでしょ。


「ていうか仮に爽子がベース弾けるようになったとして、ドラムできる知り合いがいないんだけど」

「楓の中学の時の部員は?」

「同じ学校に進学してませーん」

「えー? じゃあ……理央君とかは?」

「ちょ、なんで今理央君が出てくるわけ?」

「だって、理央君ってなんか楽器できそうな気がしない? 女の子にモテるために」

「いや、理央君はそんな不純な動機で楽器やったりしないでしょ。……たぶん」


 あの女の子に優しい感じはたぶん天然だろう。

 っていうか、理央君じゃん。理央君の話終わってないじゃん。爽子に大洋さんの話するのに必死で思わず頭から抜け落ちてた。


「ねえ、理央君のことなんだけどさ」

「うん? ドラム頼むの?」

「いや、そうじゃなくて。別の話」

「別? ……あー……あっちの話ね」


 理央君に意味深なこと言われたこととか、祭りの日に大洋さんと一緒にいたところを見られて逃げ出しちゃったこととか、そういう話。

 今のままじゃ理央君と気まずいし。気まずいのは私だけかもしれないけど、でもとにかく気まずいものは気まずいのだ。バイト先でも学校でもこんなのが続いたらやっていけない。


「じゃあ、それの解消も含めて、やっぱり理央君をバンドに誘ってみたらいいじゃん」

「誘ったら解消できるっていうのがわからないんだけど」

「話さないから気まずいのであって、話してみたら案外気まずくなくなるかもしれないじゃん?」

「それ要するにどうにもしようがないってことじゃん」

「だって楓が勝手に気まずく思ってるだけなんでしょ? じゃあもう楓の意識が変わるしかないじゃん」

「それはそうだけどさぁ。じゃあ大洋さんと一緒にいたの見られたのはどうすればいいわけ?」

「それこそ気にしなくていいんじゃないの? 理央君だって本当に気になるなら楓にメッセージの一つや二つ送ってるでしょ」


 確かに、楓の言う通りだろう。理央君は私の連絡先をちゃんと知っている。だから、本当に気になっていたら私のところに連絡が入ってきていてもおかしくはない。

 でも理央君のことだから私に気を使ってるって可能性もあるし。


「ここで私たちが話してたって解決するわけじゃないんだし、取りあえず明日にでも理央君に話してみたら?」

「んー……考えとく」


 取りあえずそう答えた。私だってこのままじゃいけないとは思っているのだ。理央君からは話しかけてきてくれているのだから、この気まずい思いを変えていくのは、やっぱり自分の態度を変えるしかないってことも。

 でも、やっぱり私は臆病者だから、話しかけにくい。でもでも、私が変わらないといけないし……。

 あーもう! こんなに悩むとか、私普段そんなんじゃないのに! もう! もうっ!

 結局、その日私は理央君とどう接していくかの答えを出すことができなかった。

 はぁ……これからどうしよう。

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