2-21

真新しい制服、折り目のついていない教科書、新品のカバン。


期待と不安が入り交じった高校デビュー。


確実に青春の1ページになるであろう、その瞬間を二年連続で経験することに強い違和感を抱きつつも、入学後の行事をこなした。


同じ中学から入ってきた生徒は居るが、別に親しくもない人たちで、全くのゼロからの人間関係が始まっていく。


今の自分にとっては良いことかもしれない。

そう思っていたのだが。


「ねぇ!部活決めた?」

同じクラスのやけに距離が近い女子は私の席に来るなり、声をかけてくる。


「まだ、決めてない。入るかどうかも決めてないから…」

とそれとなく、部活に興味が無いと伝えてみる。

「そっか…確かに一杯あるし、悩むよね~」

話が噛み合わない彼女との会話は早々に切り上げた。


無理やり体験入部に参加させられてしまうからだ。


「え?陸上やってたんだ?あっ、そうだ!放課後付き合ってほしいところがあるの!お願い!」

と言われたので着いていくと、そこは陸上部の部室で。


その時は適当に理由をつけて断ったが、危うく体験入部させられるところだった。


素質があるよ!なんて万が一にと言われてしまったら面倒だ。


女子高生という人間は男である僕には未知の存在で。

話しに出てくる言葉や喋り方は、まるで外国語のように分からない。


高校生デビューを果たした彼女らは、特にそういう傾向が強くて苦手だった。


変に交遊関係を作って、結を困らせたくはないし、自分がボロを出して変に見られてしまうことも避けたかった。


自意識過剰とは今の自分のことを言うのかもしれない。

そんなこと気にする様子も無く、周りは私を物静かでシャイな子として扱った。


自然とクラスの中の隅のほうに居場所ができて、そこに色んな人が立ち入っては去っていく。


やがて、みんな仲の良い友達ができたり、部活の付き合いができたりして、少しずつ私の周りは静かになっていった。


これでいいんだ……。

そうは思っていたが、やはり誰とも話をしないのは寂しくもあった。


休み時間、図書室に向かう。

別に教室に居たくないわけではないけれど、周りの人たちがやけに眩しく感じられて居心地が悪かったのだ。


別に本が好きというわけではない。でも、そこに行く理由はあった。


「今日も来たんだ?」


「はい…」


彼は同じ中学だった。

実は、僕、すなわち博と同い年の彼とは面識があった。


二年生の頃、図書委員に選ばれた時、彼は隣のクラスの図書委員だった。一年間同じ委員会に属し、同学年だったこともあって、なにかと顔を合わせる間柄だった。


図書室の係の時には暇をもて余すため、よく世間話をしていた。


陸上の話をしたりもしたし、妹の話もしていた。


結の姿を見ても誰とは分からなかっただろうが、「兄と仲が良かったんですよね」と切り出すと彼はつい昨日のことを思い出すみたいに反応してくれたのだ。


それからは図書室に通うようになった。


「何か探してる本とかあったら言ってね」

そう言ってくれた。


「わかりました」と伝えてから私はいつもの列の、いつもの本棚の前へ行く。


心が、それを求めているように。

手を伸ばした先にあったのは、結が好きだった作家の漫画だった。


なぜか手に取ってしまう。

なぜか、読み耽ってしまう。

そして、その後、じんわりと心に温かいものが溢れてくる。

その正体も、そうなる理由も分からない。

でも、それを求めている自分がいて、その心に従ってしまう。


次第に毎日通うようになった。

毎日借りもしないのに、本だけ読んで帰ることに多少の気まずさを覚えたが、彼は何も言わず、むしろ利用者が増えたことを喜んだ。


時間は潰せるものの、部活のことはどうしたものかと悩んだ。

このまま帰宅部というのもいけない気がする。


あの予言めいた光景が気になる。

美術部には漫画を描くような人も居て、コンクールで賞を貰う人も居るらしい。


漫画を読む=美術部に興味がある。

そう結びつけるのはどうかと思いつつも、もしかしたら…という僅かな望みを頼りにして、僕は美術室の扉を叩くのだった。




ーーーーー



「本当にやめるんだな……」


顧問の先生は険しい顔つきで私に尋ねた。


「はい。やめます」


それを聞くと、彼は退部届に目をやって、ため息のような息を漏らす。

「そっか…。まぁ、お疲れさん」

「お世話になりました…」と一礼をすると少し寂しそうな表情で私を見ていた。


「これから、どうするんだ?受験勉強に集中…っていう訳でもないんだろ?」と訊いてくる。

「まだ決めてないです…」

「どっちにしろ、もう二年生だからなぁ、あんまり時間は無いぞ?決めるなら早く決めろよ」

「わかりました」

答えると、彼はまた退部届を見つめた。

「とりあえず、博の気持ちは確かに受け取った。やっぱやめたは無しだからな?」と最終確認をする。


「大丈夫です。こんな形で去ってしまって、ごめんなさい」

「そんなこと気にすんな。これからも頑張れよ。陸上部でなくなっても、お前は俺の教え子だからな。なんかあれば相談乗るから、頼れよ」と言いながら、肩をポンポンと叩いてから、職員室を出ていった。


その言葉は私の心を締め付けた。


周りはどう思っているんだろう?

どう見えているんだろう?


今の博をどんな目で見ているんだろう。

これは私の人生ではないのに、私が選んでしまっている。


今さら何を言うんだと言われそうだが、改めて今の自分の置かれた状況を思い知らされて、なんだか怖くなった。


「あっ、ヒロ」

職員室を出たところで中川さんは待っていた。


「待ってたんだね?良かったのに…」

「……あのね……」

彼女は思い詰めたような顔で何かを切り出そうとしていた。

とはいえ、ここは生徒も先生も行き交うような場所。

「ここじゃ、なんだし、どっか行こ?もう陸上部の目を盗まなくても校外に出れるし」と促した。

「あっ、う、うん…」

彼女は言い掛けた言葉をむりやり飲み込むようにしてうなずいた。


どこに行くわけでもなく、ただ伸びる道を道なりに歩く。もちろん、自分が知っている道を選ぶ。


迷うことは無いだろうが、どこかで引き返さないとそのまま地元まで帰ってしまいそうだ。

なんだか、そんな気がする。


「さっきの話……」と切り出し、斜め後ろを着いてくるだけの中川さんのほうを覗く。


彼女に言葉は届いているだろうが、なぜか俯いたまま黙っていた。


「やっぱり、陸上部、やめないほうが良かったのかな……」

と呟いてみると、彼女は驚いたように声を上げた。

「え?なんで?まさか、ヒロがなんか言ってたの?」

と訊いてきた。

本当に中川さんはお兄ちゃんのことばかりだなと思う。こんなにも分かりやすい想いをぶつけてきているというのに、お兄ちゃんは本当に……。


いや、今はそうじゃない。


「……今は私が博なんだから…って言ってくれたけどさ、それで良いのかなって…」

「……それで良いと思うよ……ヒロがそう言うんだもん……それでいいんだよ……」


何かすごく違和感を感じて、なんだろう?と振り返るようにする。


やけに声が震えていて、目付きもちょっと怖く感じて、すぐに前に向き直る。


彼女を見ていなくても感じる、無言の圧が嫌で話を続ける。


「…さっき言い掛けたことって、それじゃなかったんだ…?」

「違うよ……」とは言うものの、話そうとはしてくれない。


「じゃ、何言おうとしてたの?」

そう思い切って尋ねると、彼女は意を決したように硬い表情で口を開いた。


「今、ヒロの中に居るの……結ちゃんなんだよね……?」

突然の質問に驚きつつも、ちゃんと答える。

普通はありえない現象なのだから、そう聞きたくなるのは分かる。


「うん。そうだよ」

立ち止まり、振り向いて、改めてちゃんと彼女のほうを見ると様子は変わっていなかった。


「結ちゃん……」

まっすぐこちらを向いたまま。

肩に掛けられたカバンの持ち手を握る拳は強く握られている。


「な、なに?」

何を言い出すのか、とても怖くなったけれど、反射的にそう答えていた。


「あなた……ほんとうに………本当に結ちゃんなの……?」

絞り出された言葉はあり得ない言葉で。

彼女の口から出たとは信じたくない言葉で。

彼女からは聞きたくなかった言葉だった。


私と面識が無いのだから、仕方のないことなのだけど、でも、なぜ今さら……。


「え……な、何を言ってるの?」と聞き返す。


「…ヒロは……ヒロはっ……」

唇を噛みしめ、今にも泣き出しそうな表情で、私を祟ろうとでもするかのような雰囲気で、言葉を文章にしようとしている。


「ヒロは……そんなこと……言わないんだからっ!!」


「ヒロが、陸上にどれだけの気持ちを掛けてたか……妹だとしても……家族なら……知らないわけ…ないでしょうっ」


「よりにもよって……なんで、あなたがっ………あんたがっ……」


その言葉は怒りも含んでいた。


住宅が立ち並ぶ静かな路上に響き渡った声は、幸い誰の目にも耳にも届いていない。

でも、時間の問題かもしれない。

そう冷静に考えられるほどに私の頭は混乱していなかった。


「なんで……うぅっ…うぅ…うぁあああっ!」


気持ちを、想いを抑えきれなくなった彼女は、膝を地に付け、まるで子供のように泣き出した。


彼女の言葉に私ははっとさせられた。そして、酷く後悔するのだった。


なんで、私は忘れていたんだろう……。

急に何歳も歳を重ねたように、思考が深く、広がっていく。


まるで自分が自分ではないような感覚だった。

自分ではない誰かが、そこに潜んでいるような。

そんな気になる。


「ごめん……ほんとうに…ごめん……」

彼女に寄り添いつつ、私はそう伝えることしかできなかった。










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reset~命の砂~ 福山直木 @naoki_Fukuyama

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