あくびの好きなみりるさん

武石こう

棒どもであえ、電柱だ!

 

 ちりんと風鈴の音が鳴っている。時期的にちょっと外れているけれども、店番は気にせずにそれをだらりと楽しんでいたりした。お客さんは誰もいない。

 電車で少し移動すれば大きな街があるけれど、ここは様々な家が並ぶ国道からも離れた静かな町。特に名所があるわけでもなく、何も変哲のない小さな町。ちゃんと正式な町名は確かにあるものの、みんなからは通称、あのあの町と呼ばれている。

 そしてここは古くからある駄菓子屋、にしき星。奥でぼけっとしている女の子は店番、二色浜みりる(にしきのはま―)。店主の孫。高校生をしているので、放課後や休みの日にだけこうして店番を手伝っている。


「ふぁーぁ」大きな一あくび。


 女の子としてもちょっと低めの身長に、やや出るところが出ていない、スレンダーと言わせてもらう身体つき。強い光に当てると茶色く見える長い髪を高い位置で縛って下ろしている。とても眠たそうにゆるゆると崩しているので、普段は大きく広がっている瞳もなく、けれどなんだかそれでも彼女目当てに店に来る子がいてもおかしくない顔立ち。


「こ、こんにちはー」


 言っていたりすると、表に自転車を止めた少年が一人おずおずと入店してきた。みりるよりは大きいけれど、それでも男の子にしては低めの痩せ気味な常連さんであり、クラスメート。長くもなく短くもない髪の毛はあまり整っていない。軽い天然パーマで毛先がちろっとはねている。


「あ、ユーキくんいらっしゃーい」


 いきなりに彼女のそばへと寄らず、迷わず彼は一つのお菓子を手に取って持っていく。前田のクラッカー。ユーキと呼ばれた彼の好物がこれなのだ。ここでは基本的にこれ以外買わない。


「毎度ありがとう。やっぱりそれなんだね」

「あたり前田のクラッカー。……なんちゃって」


 小銭入れの中には値段ぴったりの硬貨が入っていたのにもかかわらず、それを出しはしなかった。アルミニウムで作られているあれは小さく探しにくいからではない。


「はい、おつり」


 ユーキの手に触れ、丁寧にみりるがおつりを返す。わずかながらにユーキの表情が緩んだ。

 袋の最上部を引っ張れば、容易く開いた。クラッカーがばらばらに飛び散ることもなく、中身のものを店番に勧める。枚数は指定せず、好きなだけと言葉はなくして彼は伝えた。

 しかしいつの間にか取り出していた焼肉さん太郎を食べていて、みりるはクラッカーを断ることになった。確かにこの二つを一緒に食べるのは凄い混ざり方をして、気味が悪くなる。

 諦めてユーキはぽりぽりとクラッカーを一人で食べ始めることになる。一枚をなくすのはとても早く、だからこそその素材の力が全力で駆けてきて口の中の水分が吸われていく。学生服の懐からストローだけが伸びた。

 ぱさぱさの感覚をそのままにしておけるほど、鈍感でもなければ雑でもなかった。透明のストローが琥珀色に下から染められていく。ごくりと喉が動く。一通り潤わせると、また懐の中へと消えていった。


「ユーキくん、あの自転車なんだけど」

「サイサリスですね」


 彼女が指差した先に、彼の愛車の後ろだけが見えている。そこには左右に一本ずつ長傘が差され、落ちないように固定されていた。


「自転車がサイサリスなの? サイサリスが自転車なの?」

「えっ……サイサリスが自転車です、僕の」


 その質問にも彼は軽さなく真面目に答える。戸惑いながらも。

彼にとってみりるはそういう存在なのだ。焼肉さん太郎をゆっくりと味わっているのか、飲み込むことすら面倒くさがっているのか、そんな女の子をクラスメートは思っている。


「ああ、やっぱりこれがユーキくんのなんだ」


 並んで店外に出ると、サイサリスの全景があらわになる。わざわざ差された長傘以外はいたって普通のシティサイクルだ。がっかりで拍子抜けの名前負けの自転車だ。ベルトドライブの軽量設計でみりるが乗り、


「乗り心地良いー。サイサリスだから?」


 訊かれるけれどもそれは別に彼が改造したわけではなく、元々の性能によるものだ。それが売りのシリーズだからだ。悲しいかな、持ち主にそんな技術はない。


「サイサリスだからです!」


 力強く自分の手柄にするのがユーキという男の子の意地だった。

 あのあの町のにしき屋。この周辺は周りがどんどん住む人が少なくなって空き家になっており、取り壊されたりして建物が少ない。サイサリスを乗り回してみても大丈夫なくらいに。


「さすがの自転車、じゃなくサイサリスだね。ありがとう」


 店前でまたスタンドを立てた。これまた変わりはない。塗装もノーマルのまま。

 誇らしげにきらりと輝くサイサリスに突然、塩が投げつけられた。ちょっとばかしではない、手のひらから零れ落ちる、力士が撒くくらいの量がばっさりばっさりとサイサリスのフレームを響かせる。


「んまぁたぁ、来やがったなアホ犬野郎ぉぁっ!」


 学生カバンの中から塩を取り出し投げつけながら、女の子が因縁つけて持ち主に近づいていく。


「あぁーっ! サイサリスがぁー!」


 セミロングの髪を揺らし、ぐあっと誰もがすくみそうな剣幕が普通の男子高校生を襲う。塩はサイサリスだけでなく、ついには彼自身をも白く染めるとばかりに飛びかかる。


「うわっ、白しょっぱい。僕は犬じゃない、和光しえ!」

「本物のわんちゃんにこんなことするわけないだろうがよぁっ」


 塩切れしたか、ついにお清め攻撃は収まった。


「しえちゃんもいらっしゃーい」


 和光しえ(わこう―)はみりるの幼馴染。同じ病院の同じ日隣のベッドで寝、近くに住み、幼稚園から小学校、中学校、高校とすべて同じ所に通っているくらいのこれ以上ない幼馴染だ。

 あ、いや、現在はついに別のクラスになってしまったので、さらに上のレベルの存在の可能性を産み出してしまったけれども。

 みりるよりは高く、ユーキよりは低い身長。痩せてもなく太ってもいない健康的な感じに、出るところは出ていてはっきり主張している。制服の着こなしは派手ではなく、らしさとお洒落が上手くバランス取っていた。荒々しい言葉遣いと顔面の動きの幅からわかりづらいかもしれないが、校内でも噂になるくらいの美人だったりする。


「来たよー、みりるー。切れちゃって、いつものある?」


 普段通りなのか、猫かぶりなのか。確かにまばゆいばかりの顔立ちの女の子がそこにいた。


「うん、もちろん」


 包装紙にでかでかと「あたりめバリカタ」と載っている。代金は先払いにしてあるのか、ツケなのか。とにかく受け取るとすぐに開けて一本するめを取り出してくわえる。独特の匂いが辺りに広がった。


「やっぱりするめは固いのに限るね。柔いのなんて離乳食にしてしまえ。あ、犬野郎にはちょうど良いかもしんないけど」


 すぐに全部を口の中に入れることはせず、噛みながらゆっくりと味わっている。匂いはするが、くちゃくちゃと音は立てないのですごく気になりはしない。学校で複数の男の子が「ああ、あのするめになりたい」と神に願っているとかなんとか。


「くうう」


 小さく唸ってみるが、彼にクラッカーを投げつける勇気はない。後で待っている数々の攻撃と、食べ物を粗末にしてはいけないという家族のおきてがあった。とにかく、あまりに情けない響きは弱々しい、野良でも生きていくには難しいくらい子犬だった。


「みりるー、なんでこいつ出禁にしないの?」

「できん? ユーキくん、何か出来ないの?」

「出入り禁止の略だって。確かにこいつは何も出来ない能無しだけど」

「ああー、だってこのクラッカー買うの、ユーキくんしかいないもん」


 ぽりぽりクラッカーを食べつつ、口がぱさぱさすれば懐ストロー。その繰り返しで二人の会話を聞き続けるユーキ。間に割って入ったりすると、間違いなくしえの意地悪が待っている。


「クラッカーなんてさ、別にどこにでも売ってるんだから良いじゃん。値段だって百円ちょっとだし」

「うんうん」

「それならこいつを出禁にしたほうがにしき星にとって、圧倒的に利益があるはず。一つ、男臭くならない。二つ、なんか湿らない。三つ、みりるがずっとあたしとお喋り出来る。四つも五つも、百個もあるけど以下略」


 するめの匂いが店に充満しつつあって、それは確実にユーキの鼻を殴っていた。彼は毎日のようにここへ通い、毎日のように前田のクラッカーを買う。少ないお小遣いをやりくりしながら。

 しえはと言うと、毎日来ているものの、毎回買うわけではない。つまり、貢献度で言えばユーキのほうが圧倒的なのだ。という筋だった話が通じるのならば、どれだけ楽なことか。


「ありがとうしえちゃん。まさかそんなにもお店のことを考えてくれていたなんて」

「モチのロン」


 ほぼなくなりかけているクラッカーと、ユーキを見、考えている。

まさかもしかしてのことを思い浮かべてしまって、彼は汗を流す。このクラッカーが食べづらくなるのももちろん、みりるの近くにいれる時間もかなりなくなってしまう。睡魔がまだ残る瞳が彼のこれからを決める。


「あ、あの、おかわり……」


 新しいクラッカーの袋を彼女に出し、お金を払った。ぴったりの金額で。まだ残っていたものはぐいっと一気にまとめて食べ切り、新しいものも袋を開けて手を付けた。


「常連さんは大切にしなきゃだめって言われてるから、ごめんね」


 ちっ、とユーキを睨んでしえが舌打ちする。とにかく百円ちょっとで彼の出禁は免れることになった。サイサリスもこれでまた跨ってもらえると喜んでいた。


「お金は偉大なのだ……」


 せめてもの煽りだけで心を満たす。しえのするめの減りが明らかに早くなった。

 あるある町のにしき星はこんな風にいつも時間が流れる。店番とトップクラスの常連の二人、合わせて三人。みりる、ユーキ、しえ。店に座って一つ大きなあくびをする頃に二人がやって来て、こういうくだらないやりとりをする日常がある。


「頼もおぉーっ!」


 入り口から大きな声が響いた。合わせたかのようにすぐに振り向くユーキとしえ、に遅れてみりるもその方へ視線を移した。さっきまでそうではなかったのに、ちょっとした逆光になっていて姿が慣れるまでにはっきりと捉えられない。じわりと全体がわかるようになっていく。

 とうとう形とすべてが登場する。胴体はまっすぐなコンクリートの棒になっていて、頭のほうには鉄の棒が下に一本、上に一本と、胴体と合わせて「キ」の字のようになっていた。そこに手足が生えていて、口はどこにもないのに大声を出したのだ。

 電柱だ。人の膝丈より少し高いくらいの電柱がそこにいたのだ。二本足で大地を踏みしめて。


「あ、いらっしゃーい」


 みりるが店番らしい挨拶をする。でも、ユーキとしえはごくりとつばを飲み込む。

 とことこと電柱が歩き、二人を素通りしてまっすぐにみりるへと向かい、そしてジャンプ。会計台へと着地し、おねむな彼女の眼前へと迫った。


「ぼくちんは電柱。貴様たちがよからぬたくらみをしていると聞いて、こうしてやってきたのだ。おい、貴様。電柱が何しているかわかるか?」

「電気関係のあれだよね」


 みりるが答えた後、電柱は二人にも尋ねた。「電柱とは何をしているもの」かと。


「電線乗せてるやつでしょ」

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