視界の開けぬ山村で
つせうよし
序
あなたを取り巻く現実世界が、今音を立てて崩れていきます。身の回りのものは木の皮を剥ぐようにひとつひとつ取れていき、それらは私たちの目の届かないほど遠くへ流れていきます。次第にものは消えてゆき、あなたの観測者としての能力と思考のみがこの世界に残留します。
無です。完璧な無です。それは、ありとあらゆる物質、空間、さらには時間の存在すら許しません。観測者には能力はあれども、色、音、におい、味、感触それらすべてを知ることができません。そのような、一縷の揺らぎもない完全な眠りについているときの主観のように観測される無が私たちに存在させられています。
闇です。純粋な闇です。ナニモノの介入も許しません。その凄然とした闇は無の中から湧き水のように現れ、瞬く間にその世界に浸透します。深い暗闇とほのかに冷たい感覚を皮切りに世界は構築され始めます。
様々な虫の声が聞こえてきました。名前も知らない見たこともない、しかし懐かしさを覚えさせるその声は夏の響きを感じさせます。野鳥の声は美しく透き通り神秘性を帯びています。草が風を媒介する音が夜の静けさを演出しているようです。風はやがて私たちのもとを吹き抜け、それによって運ばれてきた緑と土の香りが私たちの野生をくすぐります。
ここで、闇に慣れてきたのか視覚が情景を写し始めました。辺りには森のように様々な草木が黒々と生い茂っています。その植物たちに囲まれるように、ベンチ、大きな一枚岩を用いたすべり台、そして詰まった土管のような複数の謎の遊具を有する公園が居座っています。
風が雲を泳がし、その隙間から尖った月が顔を覗かせます。木々の間を通り抜け白黄色の薄弱な明かりが差し込みます。その光はまるで私たちをどこかへ誘おうとしているかのように謎めいているのです。辺りはほんの少しだけ色を得て次の段階へと移行します。
火です。小さな火です。赤、青、黄色がバランスよく調和しゆらゆらと揺れています。その火はレールをつたうように何かを飲み込み成長していきます。夜の自然の演奏に新しい音が加わりました。勢いはどんどん増していきあるところで安定しました。煙は濛々と立ち込め辺りを覆い尽くします。有機物の燃える臭いが嗅覚を刺激します。
火の中では影がうごめいています。その動きはとても奇怪で苦しみを感じているようにも見えます。それは耐えようとしているというよりはその運命を受け入れているような不思議な動きです。燃え盛る音の中からは狂気じみた、叫び声、うめき声にも似た音が発されています。その状況が少し続いた後に火は収束へと向かい始めました。体積は次第に減っていき複数に分かれ始めます。その様子はまるで細胞分裂のようです。分裂した火も縮小を続けます。ある程度小さくなった火は息をひきとるように静かに消え去ります。火はひとつまたひとつと消えていき遂に一本の煙となりました。
辺りを照らすものは月明りのみとなり闇の勢力が戻ってきます。一段階前よりもどことなく空虚な雰囲気があたりを漂っています。雲はさらに流され幾多の星があちらこちらで輝き始めました。小さな点は風によってその美しさをさらに増します。
それとは裏腹に、一連の騒動に疲弊した空間がそこに横たわっていました。絶望に満ちた音が最後に響き渡りました。
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