第17話 西日差し込むバスの車内で

「じゃ、俺たちはこっちだから」

「そうか。では、またな」

「うん。気をつけて帰ってね凛ちゃん」


俺と六実は凛との別れを済ませると、バス停までの道を歩き出した。


しかし、凛と関わる時間が長く続かなくて本当に良かった。


ティアには格好つけて、縁は切らないと言ったものの、やはり関係が再び消えてしまうのは怖い。


凛と過ごした少しの時間は俺に、過去の大切な思い出や、自分に対する戒めを思い出させてくれた。


俺はあの時のように、傷つきたくない。だから……俺はこの隣の少女との関係も深めてはいけない。


「馨くんどうかした? 私の顔に何か付いてるかな?」


俺の視線に気づいたのか六実は頬を赤らめながら髪で顔を隠した。

多分、その頬の紅潮は西日のせいだ。


「でも凛ちゃんいい子だったね〜。馨くんとの間に何にもないことしっかり話してくれたし」

「最初からそう言ってただろ。そっちが勝手に疑ってただけじゃないか」


俺が少し不機嫌さを出しながらそう言うと、彼女は頬を膨らませながら応じた。


「だって、馨くんが凛ちゃんを見る目がなんだか違ったんだもん。なんというか、昔の友達を懐かしんでるみたいだった……」

「っ! ……なんだよ、それ」


まったく、全部お見通しって訳か。


納得がいかない子供のような顔で前を見る六実のその眼に俺は感心を隠せなかった。



バス停に着くと、間髪を入れずにバスがやってきた。


この時間帯のバスはいつもがらんどうとしており、ほとんど六実と俺の貸切状態だった。


赤い斜光が差し込む車内はどこか情緒的で、座席が作り出す影に俺は目を引き付けられた。


バスに揺られて二駅ほど。隣からすぅすぅという気持ちの良さそうな寝息が聞こえてきた。


そちらを見ると、六実が窓に寄りかかって寝ている。


改めて見ても、その顔は本当に可愛い。いつもは桜色をしている唇も、陽に当たってオレンジ色となっており、普段とは別の印象を与える。


「んん……っ」


六実が不快そうに顔をしかめる。


どうしたものかと顔をよく見ると、目のあたりに髪がきて鬱陶しさを感じていたようだ。


俺が少し顔をほころばせながらその髪の毛をどかしてやると、六実は満足気な表情になり、むにゃむにゃ唸った。


本当に寝てる時にむにゃむにゃって言う奴いるんだ……! いや、これも実は演技なのでは……?


俺の脳裏にティアの言葉が浮かぶ。確か、六実は演技のレッスンか何かを受けているらしかった。


なら……確かめないとな。


俺は、半ば理性を失った状態でゴクリと生唾を飲み込んだ。


そして、自分の顔を六実に近づけていく。


そうだ。これは確認なんだ。いくら完璧な演技と言えど、その最中に唇を奪われる危機に瀕すれば演技はもうやめるだろう。


だから、その確認のために……


俺と六実の顔が少しずつ近づいていく。少し潤んだ瞳、弾力に満ちた唇、赤く染まった頬。


それに近づいていくほど、俺の心臓は忙しく働き、頭は考えるという大切な役目を放りだそうとしだす。


あぁ。もう駄目だ。


俺が思考を繋ぎ止めるのを止め、本能に任せようとしたその瞬間……


「馨さん! ストップッ!!!!!」


ポケットのスマホが大音量で叫んだ。いや、正確に言えばスマホの中の奴が。


瞬時に俺は理性を取り戻したが、その時にはもう遅かった。


六実はティアの叫び声で目を覚まし、俺と視線を合わせている。


この状況を六実視点で説明すると、

「目を覚ましたら、彼氏に覆い被さられ、唇を奪われる直前だった」

だろう。


うーむ…… これは六実的にどんな状況なのだろうか。俺には判断できない……って! そんなこと考えている暇はなかった。


俺は現在進行形で六実に覆いかぶさっている。be動詞+ing形なのだ。


目はさっきから合いっぱなし。左手は六実の顔の横に着いているからいわゆる壁ドン状態でもあるのだろう。


「キス……しないの?」


それはあまりに唐突だった。しかし、決して寝ぼけたゆえの妄言なんてことはなく、その言葉にはしっかりとした決意と意志があるように思えた。


ここで引き下がっては男の恥だ。リセット? 知るかそんなの。


俺はもうパニックだった。まさか六実の方からあんなこと言うとは。


俺は覚悟を決めた。


一つ、俺が頷くと、六実は目を閉じてくれた。俺は、ただ何も考えずに顔を六実に近づける。


30センチ、20センチ、10センチ……


みるみるうちに間は縮まっていく。


そして……


俺の唇と六実の唇が……



「もう終点なんですが……」



……触れ合う瞬間、その行為は車掌さんによって止められた。

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