第12話 背中越しの涙

「馨さん! おはようございます!」

「あぁ、おはよ」


 俺が布団から出るが早いか、ティアが元気な声で朝の挨拶をしてくれた。


「あれ? 元気ありませんね? もしかして突然出てきた後輩に小春さんを取られたりしました?」

「やっぱり見てたのかよ……」


 ティアがいつもと変わらない笑顔を見せてくれていることに対して、妙な感慨なんかを抱いている自分が俺は少し気持ち悪く感じた。


 まったく、あの六実小春という女の子は何をしたいのだろうか。


 突然俺に告白してきたと思えば、後輩男子と付き合い出す。


 これだけ聞けば完全に複数の男を手玉にとる悪女、のようなイメージだが、彼女にそのような雰囲気はない。


 まったくわからない。


 昨日一晩悩んで行き着いた答えに、またもや決着してしまった。


「馨さん、時間見てください! 遅れちゃいますよ!」

「あぁ、わかってる」


 俺はティアに急かされながら着替えを済ませると、やけにパサパサに感じるトーストを咥えて家を出た。


 * * *


 学校到着後、真っ先に俺に一人の男子が話しかけて来た。


「馨先輩! 昨日は本当にありがとうございました!」


 その男子、小川紗空は深々と頭を下げてそう言った。その姿は昨日と変わらないのに、仕草一つ一つに俺は苛立ちを覚えた。


 結局、俺はなんと返せばいいのかわからず、黙って視線を逸らした。


「あれれ? 後輩に彼女取られて苛ついてるんですか?」


 紗空は挑発的にそう言ってのけた。

 言い方は少し悪いが、言ってることは間違っていない。こいつは一応俺に承諾を取ってから告白をしている。

 だから、俺に文句を言う権利はない。


 だけど、わかってるけど......



 俺は持てる力をすべて拳に込め、紗空に向かって撃ち抜いた。


 だが、紗空はそれをバックステップで軽々と避け、俺の拳は寂しげに空を切った。


「そう、それでいいんですよ。じゃ、僕はもう行きますね」


 彼は、不敵な笑みを顔に浮かべながら俺の前から去っていった。登校時間ギリギリの下駄箱に人気はなく、俺の下駄箱を殴る音だけが響いた。



 * * *



 教室内にはいつもと変わらない喧騒が響いていた。クラス替え後何日か経ち、既にクラス内のグループは確立してきてるように見える。中でも最も華やかなグループの中心、そこにいたのは六実小春だった。


 きゃっきゃと周りの女子と楽しげに話すその姿に見とれている男子も何人か見受けられる。


 これらのことをまとめると、六実小春はクラスの中心人物ということになる。


 なるほどな。

 俺はまんまとその位置を獲得するための踏み台にされたってわけか。


 俺は独り自分を、六実を、嗤った。


 俺みたいな残念なやつと付き合ってるなんてことになれば、自然に周りのやつは俺に対して嫉妬するだろう。その嫉妬を自分への好意に変え、踏み台風情と別れれば、計画終了ってところなんだろうな。


 俺は軽蔑の意を込めて六実を見た。そこには変わらず、友人と楽しげに談笑する彼女の姿があった。


 勿論、俺の被害妄想なのかもしれない。だが、あんな風に笑う彼女を見ているとどうしてもこう黒々しいものが腹の底を這い回るような感覚に襲われてしまう。


 まったくわからない。


 またもや俺の思考はそこへ行き着いた。






 拷問のような恐ろしくつまらない授業を右から左へ流して数時間。時は昼休みである。


 購買部まで全力疾走する者。仲が良い友達と弁当をつつく者。彼氏彼女といちゃつく者。様々な者がいる中、俺は屋上にいた。


 この学校の屋上は常に解放されている。飛び降り防止用と思われるフェンスはあるものの、景色は悪くない。特に今の時期は心地よい風が吹いてくるので俺は気に入っている。


 しかし、解放されている区画が教室から遠いため、あまり人はいない。


 俺はベンチに腰掛け、ここに来る途中買った焼きそばパンを頬張ると、(購買のおばちゃんと仲良くなったため、優先的にパンを譲ってくれている。おばちゃんマジ感謝)全体の全神経を遮断するような勢いで体をベンチに預けた。


 しまったな……


 俺は目を瞑ってそう呟いた。よく考えればここは昨日嫌な思い出ができた場所だ。溢れ出てくる苛立ちをなんとか抑えようとするが、どうにも首筋が冷たくて……


 首筋? 冷たい?


「って冷てぇ!」


 俺が首筋の冷たいものを手に取ると、それは無糖のコーヒーだった。


「ブラックでよかった?」


 後ろから、彼女の声が聞こえた。だが、俺は振り向かない。振り向いたら抑えられなくなりそうだから。


「ああ。サンキュ」

「うん……」


 二人の間に湿度を持った沈黙が流れる。ただ風の吹く音と木々のざわめきだけが俺の鼓膜を震わせた。


「馨くん、なんでなの?」


 遠慮がちなその声に俺は虚をつかれた。


「私、こんなに……なのに、なんで……」


 ところどころ途切れるその声と、鼻をすする音で彼女が泣いていることは容易に想像できる。だが、今の俺にはそれがひどく頭にきた。


「私、わからな……」

「俺もわかんねぇよ!!」


 俺は彼女の言葉を遮るように声を荒げた。


「お前が何考えてるかなんてまったくわかんねぇ! なんだよ、意味わからないんだよ! 結局お前は何がしたいんだよ! 何が望みなんだよ! 人を弄ぶようなことばっかしやがって!」

「それは……だって……!」

「何がだってだ!」


 自分の彼女だと思ってたやつを他のやつに盗られた。それに対する幼稚な嫉妬を吐き出しているだけなのかもしれない。そういう風に考える理性は働いていたが、言葉を止めることはできなかった。


「本当は俺になんか興味ないんだろ⁉︎ 俺をいいように利用……」

「そっちこそ!」


 少し裏返ったその声に俺は気圧されてしまった。


「もうちょっと! もうちょっとぐらい……私に興味持ってよ……」


 最後の言葉は聞き逃してしまいそうなほど細い声だった。しかし、その声には明らかになにかがあった。それがなにかなんてわからないが、彼女を苦しめる何かが。そう、まさに俺の呪いのような……


 短い沈黙の後、彼女は悲しげな足音をたてて去っていった。


 背中から離れていく彼女の気配を感じる俺に、一つ、声をかける者がいた。


「馨先輩、女の子を泣かしちゃダメでしょ?」


 朝と同じ、不敵な笑みだった。


 そんな表情で俺に歩み寄る小川紗空はどこか満足気だった。

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