第一部

03 第一部 迷いなき復讐者



 帝国歴1499年  12月


 ロンド=ノーム帝国 中心街


 国の中心部、人がもっとも行きかう場所と言われているその場所に、癖の目立つ茶色の髪をした二十歳程度の年齢の男……アスウェル・ラスタノーツが走っていた。


 ボロボロのコートを着込んで、腰にあるベルトには護身用の銃がホルスターに入れられ吊るされている。

 目つきは鋭く、表情は険しい。

 一目見てその男は近寄りがたい雰囲気を纏っていた。


 そんなアスウェルは現在、何かを追って移動している最中だった。

 並走して走るのは帝国の部隊の兵士達だ。

 皆、武装して武器を手にしている。


 視線の先には、暴れまわる生物。


 元は人間だったそれは、今はもう原型を留めてはいない。

 全身の筋肉が肥大化して体全体が巨大化、瞳は血走って理性を失い、半開きの口からは意味のない言葉を延々と吐き出し続けている。


 アスウェルは、帝国の部隊と共にその元人間……狂想バーサク化した生物を追い詰めているところだった。


 その化け物を、追いついた帝国の兵士が取り囲んでは銃撃を浴びせる。


 この世界では突如人間が正気を失って、このように狂ったように暴れ出すことがある。

 人がそのようになる事を狂想バーサク化と呼び、もはや原型を留めない化け物のようになった様を人々は畏怖を込めて、人が人である境目を超えた者、境人きょうにんと呼んでいる。


 その境人の討伐に参加しているアスウェルだが、その行動理由は正義感でも人助けでもない。

 彼が起こす行動の根源はもっと別のところにある。

 兵士と共に協力しているのは単純に、帝国兵に恩を売っておけば後々自分の役に立つ、それだけの事だった。


 追いついた帝国の兵士達は、安全が確保できる分の距離は開けたまま、自身の武装である銃を構え発砲する。

 境人きょうにんは、次第に大量の銃弾を浴びせられて弱り、動きが鈍くなっていく。


 アスウェルも帝国兵士たち度同様に、境人へ自身の銃の狙いにつけ、発砲。

 頭や首、関節、おおよそ人と場呼べない何かになったとしてもそのまま残っている貴重な弱点へ銃弾を放っていった。


 偶然だろうが、血走った境人が大量の銃弾の雨を浴びながらこちらを見た。

 赤い血を体中から吹き出しながらも苦痛を感じない様子でそこに存在するそれは、その場にいる誰もにまざまざと恐怖を植え付ける。


 この世のありとあらゆる穢れたものが視界を通じて、心の中に流れ込んでくるかのようだった。

 だが、そんなものに怯むアスウェルではない。


 穢れたものなら今までたくさん見て来たし、知っている……と。


 彼は、ただ冷静に狙いを境人きょうにんの頭部へとつけて、引き金を引く指に力を込める。


 アスウェルにはやらねばならない事がある、その為にはこんな些末な事に余計な時間を割いている暇はないのだ。


「いい加減に大人しくしろ」


 そして発砲。


 もうすでに弱っていた影響か、それとも覚悟やタイミングなどの条件が良かったのか、その一発の銃弾は狙いを間違うことなく命中しし、境人きょうにんを沈めた。





 達成感など湧かなかった。


 ……こんなものか。


 心の内に抱いた感想はそれだけだ。


 倒れた境人きょうにんの前では、生前に知り合いらしい人間が泣きくずれているが、知った事ではなかった。


「協力に感謝する」


 今回協力した分の労いを帝国兵から受けとる。

 活動資金だ。


 復讐は果たさねばならないが、資金がなければ人は活動できない。

 だからその為に、狂想バーサク化する人間が出る度に帝国兵に協力しているのだ。


「最近では軍の上層部で何やら秘密の計画が進められているようで、人手が足りなくて困っていたのです。おおがかりな装置の開発にどこかと戦争でも始めるのではないかと噂になっていて、臆病なことに辞める者もいますしね」


 労いを渡すついでに帝国兵士は世間話をし始めるが、こちらにはまったく興味の無い事だった。


 適当に切り上げさせ、情報を聞き出す


「俺は忙しい、それより、例の組織に関する情報が入ったら俺の所によこせ」


 禁忌の果実についての情報を紹介してもらう。

 それが資金を得る以外のメリットだ。


 一人で情報を集めるには限界がある。だからこうして帝国軍という組織の大きさに目を付け、情報を聞き出しているのだ。


「分かりました。善処します」


 必要最低限のやり取りだけを交わし、足早にその場を去っていく。


 後ろは振り返らなかった。屍も、それに泣きついている人間も、先程共闘した者達も気にかけようとは思わない。

 余計な事へ気をまわすより、その分前に進まなければならない。今の自分にはやるべき事があるからだ。


 帝国での情報収集は終わった。

 次の目的地は、ウンディという町だ。


 そこに立つ、水晶屋敷という廃墟に用があった。





 アスウェルの家族は数年前に殺された。

 ある日、突然何の前触れもなく、だ。

 友人と遊んで、明日の事を考えていたアスウェルは、しかし家に帰ってその明日が来ない事を知ったのだ。


 母親に起こされて、家族朝食を食べ、父を見送り、妹と共に学校に行き、友人と遊んで家に帰る。

 そんな当たり前の日々は、もう永遠に来ないのだと。


 家に帰って目に映ったのは、血だまりに沈む両親と、そしてそれを成した犯人に連れ去られようとしている妹だった。

 異常事態の中、なけなしの勇気を振り絞った子供の抵抗は、意味を為さなかった。


 あっけなく殺されかけて、妹は連れ去られ、アスウェルは日常を失った。


 生きながらえたアスウェルは、両親の墓に復讐を果たすことを、そして妹を取り戻すことを誓った。


 それから十年程。

 アスウェルは復讐と妹の為に各地を回って旅をしている最中だった。


 分かったのは家族を襲って、妹を連れ去った連中は『禁忌の果実』という名前の組織だという事。

 そして奴らが何か非合法な実験を行い、第三計画サード・プロジェクトとやらを進めている事だけだった。





 帝国から出るために足として選んだのは軌道列車だ。最近になって、町の各所や周辺の地域につながる様になった鉄道。


 帝国の中心にあるの駅へ行くと、やけに貴族達の姿が目に付いた。


 ただでさえ人ごみは嫌いだというのに、それが貴族だとは……。


 現在の帝国は大きく分けて三分割されている。

 人族の貴族と、平民、そして魔人族だ。


 階級は言葉に述べた通り、人族の貴族が上となる。

 最底辺は魔人族。


 彼らは貴族や平民などとは区別されずにひとくくりにまとめられ、奴隷として物のように人族の貴族に扱われている。


「この、ノロマがさっさと歩かんか!」

「申し訳ありません」


 視線の先では、貴族の中年男性が魔人族の少年奴隷を叱りつけ殴っている所だった。

 魔人族の少年に表情はなく、声に抑揚などはない。


 魔人族は奴隷となる際に必ず、貴族との間に奴隷契約を結ぶ。

 それは、記憶を奪い、意思を抑圧し、主人の命令を強制できる権利を得るものだ。

 それゆえ、奴隷となってしまえば、魔人はああして抵抗することもできず唯々諾々と従うしかない。


 そんな見る者が見れば目を覆いたくなる景色。

 だが、しかしそれ以上興味を持つことなく、目当ての列車を探すために、ホームを歩き回る。


 貴族が多い理由が分かった。

 駅には今、有名な寝台列車があった。煌びやかに装飾の施された列車が堂々と、まるで見せびらかすかのように駅のホームに停車していた。

 奴らはそれが目当てなのだろう。


 貴族の傍には必ずと言っていいほど、同じような感情の窺えない奴隷が控えている。

 だからといって、可哀想だとか哀れだとかいう感情を抱くことはない。

 使用人の服を着た、虚ろな瞳の人間。

 至極どうでも良かった。


 ホームを進み、目当ての地域……西行きの列車を見つけて乗り込もうとするのだが、そこに声を掛ける人間がいた。


「すまないがそこの人、十代半ばくらいの年の女の子を探しているんだが見なかっただろうか?」


 まだ十代半ばの少年だった。立派な仕立ての身なりからして貴族だろうことが窺える。


「さあな」


 そっけなく答えて、歩き出そうとするが少年はついてくる。


「赤い髪をツインテールにした、「馬鹿ね」が口癖の使用人服を着た少女なんだが、落とし物を届けにと言ったり戻ってこなくて」

「……」


 どうでもいい。

 だから一緒に探してくれと言いたいのか?

 こちらには面倒事に巻き込まれてやる義理も時間もない。


「ラッシュ様、ただいま戻りました」


 そう思っていると、抑揚の無い少女の声が背後から聞こえてきた。


「リズリィ、良かった。何かあったんじゃないかと思ったぞ」

「申し訳ありません」


 おそらく奴隷にした魔人なのだろう。先程少年が言った通りの特徴の人物がそこにいた。

 どうせ、寝台列車を使って旅に出る貴族の息子にと、過保護な親が付けたに違いない。


「忘れ物は渡せたのか?」

「馬鹿ね、当然でしょう」


 それにしては(奴隷とその主人としては)不可解な会話が聞こえてきたような気がして、ホームに留まっている別の……豪華でも何でもない普通の列車を見つけて乗り込む前に、自分にしては珍しく興味が引かれて振り返ってしまった。

 当然だが。彼らはまだそこにいる。


「「?」」


 子供らしい様子でそろって不思議そうにこちらを見つめる。

 世の中に満ちている苦しみや不満などには縁がなさそうな、平和そうなその姿。

 守られて育ったから、貴族だったから。おそらくそれは幸福だろうから。


 何をやっているのか、自分は。

 彼らが余計な何かを言う前にその場を離れる。

 他人に関わっている暇など、自分にはない。


 だが、こちらが他者との関わりを遮断していても、縁というものは向こうから有無を言わせずやってくる。それはしばらくすれば分かる事だった。


 列車に乗り込んですぐ、人のうるささに困らされないようにとあらかじめ取っておいた個人室に行き、時間を潰すことにした。

 まだ乗車するようになって間もないが、帝国はこんな配慮に金を使うなどと無駄な事をしている。

 助かっているという事実を横に置いてそんな不満の思考が頭の中に浮かんでいた。


 席に着き、いつも肌身離さず持ち歩いている品物を取り出す。

 懐中時計だ。

 手のひらの上で、針が動いて時を刻んでいる、金属の物質。


 それはアスウェルの誕生日の日に、妹のクレファンが贈ってくれた物だ。


 住んでいた村の外れの道に落ちていて、妹が捜したが落とし主が見つからなかったので修理したものらしい。


 しばらく時計を眺めながら時間を過ごしたり、愛用の武器である銃……ファントム08の手入れをしていた。

 禁忌の果実を追い続けて何年も経つが、アスウェルには戦闘に関する特別な才能はなかった。

 凡人並みの腕をカバーするには、こうした細かく気を回したり工夫をしたりしなければ連中とは渡り合えないのだ。


 だがそんな時間はすぐに終わりを告げる。一時間もしないうちに緊急事態になった。

 列車が急に速度を上げ始めたのだ。


 何か異常が起きている。

 察した後は、部屋から出て真っすぐに先頭車両を目指した。


 その途中で、逃げてくる客と鉢合わせたので、適当な人間を捕まえて事情を尋ねた。

 何でも、死神が襲って来たのだとか。

 要領を得ない話にイラつき、自分で見に行った方が早いと判断する。


 死神……。

 その単語は、聞いた事ぐらいはある。それは帝都で噂される話の一つだ。


 それは一見あどけない顔をした少女の姿をしているが、出会えば最後、生きては帰れないと言われている。

 町では、素行の良くないものや、アウトローなはぐれ者に対してのその行為を糾弾する際に脅しとして使われている言葉だが、まさかその言葉の元となる人物が本当に実在するとは……。


 その車両にたどり着くと、確かに死神がいた。

 黒い外套に身を包んだ少女が、長槍を振り回して誰かと戦っていたのだ。


 相手をしているのは駅で話しかけてきた、貴族の少年ラッシュと、その奴隷のリズリィだった。


 それは権力にあぐらをかき、腐敗のまま利益をむさぼり食らう帝国貴族とは思えない戦闘技術だった。

 今時としては使われなくなったサーベルを用いて戦うそいつは、使用人の魔法の援護を受けて、敵の死神と渡り合っている。


 魔人が奴隷となるには理由があった。

 人間には使えない魔法が使える。

 だから彼らは疎まれ、今日に至るまで迫害されてきたのだ。


 そうやって、努力を重ねて敵と渡り合う技術を磨いているアスウェルよりも、おそらく魔法が使えるあの魔人の少女の方が強い。


 二人は戦い慣れているようだった。

 そしてかなり腕がある。


 何者だと思うが、それよりも死神だ。こいつが列車の急激な速度上げの原因であるならば、速やかに排除しなければならない。


 そう思い、武器である銃を手にする。


 しかし、


「組織にあだなす人間は殺せたし、殺しておいた方がよさそうな人間は袋のネズミ。他に面白そうなものはなさそうね。それにもう、時間切れ」


 死神が少女の声で言葉を発する。

 聞くと、想像していたよりも幼い。


 時間切れ。発した言葉について何かを考えるよりも先に、事態が進んだ。

 カーブに差し掛かったのだろう。列車は想定よりも速いスピードでレールの上を走り、慣性の力が体に働く。

 それは危機感を抱くには十分な力だ。


 そして、


「リズリィ。脱線するぞ!」

「ラッシュ!」


 ラッシュがリズリィをかばう動作をする。

 やがて立っていられなくなり、こちらも床に膝をついてしまう。


 スピードを上げ過ぎた列車はレールを脱線し、車体を傾かせていく。

 速度のままにレールから外れて、轟音を立てて地面を滑って行った。


 たった今、事故が起こった。

 それは紛れもなく車内にいる人間が十分に死ねる事故ものだった。



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