ここまでのプレリュード 世界設定編

 これまでのネタバレをほとんど含みます。

 できればここを読むのは最後にしていただけると幸いです。

 細かく書かなかったことを掘り下げるページです。




*** *** ***




『レクイエム』

 現在の東京都ほどの広さを持つレクイエムは、巨大な塀に囲まれている。

 レクイエム入口はその塀の北部に設置されており、受刑者はそこから収容される。

 その入口の扉は重厚な上、内部にひしめく管理者により脱獄は不可能。

 入口付近でルーキーを待ち伏せするルーキー狩り達には互いが縄張りを犯さぬように一定の取り決めがある。


 レクイエムには戦闘禁止区域として4つの都市が制定されている。

 それぞれの周りの地形は異なっており、外で迷ったときにも現在地が漠然と理解できるようになっている。

 受刑者はそれぞれ街で仕事を見つけ刑期を稼ぐこともできるが、よほどの稼ぎが無い限り戦闘禁止区域外で他の受刑者から奪う方が大きく稼げる。

 その為、腕に自信のあるものほど定職には就かないというデータが出ている。


 北の街、オラトリオの周りには閑散とした廃ビルが立ち並ぶ。

 投獄されたばかりの受刑者の大半はそのままここを訪れる。

 そのままオラトリオに滞在する受刑者は多い。

 賑やかで一番人口が多く、飲食店も幅広い為、争い事も4大都市の中、群を抜いて頻発する。

 その為、オラトリオは刑殺官官長が管轄することになっている。

 人口が多いため、巨大な市場の運営が成り立っている。

 仲介屋が最も必要とされる街である。


 西の街、カンツォーネの周りにはうっそうとした森が生い茂る。

 自然に恵まれ、農業が盛んな都市。

 その為か、4大都市の中で更生者が一番多い。

 徒党を組み、滞在する受刑者が協力し、自給自足を営んでいたが、解放軍が離れたことで、森に向かった猟師を、同じく森を縄張りとしていた山賊が襲った。

 現在は猟は行われず、カンツォーネ周辺の農業に力を入れている。


 南の街、アラベスクの周りには茫漠とした砂漠が広がり、南部は海に面している。

 人工的に作られた地形の為、水には困らない。

 海に面し、浜辺を有するその街は、漁業と塩の精製を産業とする。

 ビズキットはエルビスを探すうちアラベスクを訪れ、ここを拠点とした。

 その為、4大都市の中で一番治安の悪い街となる。

 街をビズキットファミリーが占拠してからは、漁業も、塩の精製も行われていなかった。


 東の街、コンツェルトは連なった山脈に囲まれている。

 鉱山からの採掘により、工業が盛んである為、レクイエム一、職人が多い。

 レクイエムで仕入れることのできる武器は、仕入屋を除けば全てコンツェルト産である。

 また、湧き出る源泉から、コンツェルトにある宿は全て、オンセンが楽しめる。

 キリシマ曰く、美人が最も多い街とされているが、それはオンセンに入った後、うなじをみせて街を歩く湯上り美人の為である。


 レクイエムの塀の外、北部には3つの管理棟がありレクイエム運営に携わっている。

 北西には研究施設が設けられ、北東には刑殺官見習いの養成所、その間にある管理棟には管理者が滞在している。

 脱獄したハーディらが通ったのは養成所の一部であり、塀の外から見た建築物はこれらである。

 レクイエムの序列は以下のとおりである。


最高顧問 ←政府

 ↓    ↓

(研究部  運営部)

    ↓

  刑殺官官長

    ↓

(見習い 管理者 刑殺官)

    ↓

 (見習い 新人管理者)


 レクイエム内の管理者は全て、現場の最高責任者である刑殺官官長、それに次ぐ刑殺官に従う義務がある。


 <レクイエム内部の管理者>


 刑殺官

 主な仕事は規則を破った受刑者を罰することである為、戦闘能力を求められる。

 抵抗する受刑者により殉職するものが多い。

 全職の中で最も危険視されるため報酬も待遇も破格である。

 志願した孤児の殆どは刑殺官を目指し養成所に入るが、選ばれるのは極一部の精鋭だけである。


 仕入屋

 内部での生産が不可能な医薬品などの物資を供給する仕事。

 個別に受刑者からの注文を受ける者もいる。

 商品が無くなり次第外部に商品を仕入に行くため、レクイエムと外の世界の往復を一番繰り返す仕事である。

 その為、信用に長ける人間しか採用されることはない。

 仕入れる商品は制定されておらず、需要によって仕入屋が判断する。


 葬儀屋

 レクイエム内で死亡した受刑者の遺体を処理するのが主な仕事。

 その際、腕途刑を回収し、研究施設に届ける。

 研究施設はその腕途刑を確認することで遺族に死亡届を出していたが、現在は腕途刑自体に生体反応を送らせているため、死亡確認が容易になった。


 仲介屋

 受刑者間での刑期のやり取りを担当する仕事。

 取引内容を確認し、その相場の提示を行うため知識が必要となる。

 これは、脅迫などにより、一方的に損得の明確な取引を行わせないためである。

 情報を引き出すため、コミュニケーションを取り、受刑者からの信頼が強い。


 宿屋

 街に点在する政府公認の宿屋を運営する仕事。

 安全を確保する代わりに他の受刑者が営む宿屋より割高である。

 大抵の管理者は管轄する街の専用の宿屋に自室を与えられるが、街を行き来する管理者は固定の宿を持たない為、無料でここを利用する。


 飯屋

 街に点在する政府公認の飯屋を運営する仕事。

 宿屋と違い、受刑者が最低限生きていくための食事を提供するため、料金は良心的だ。

 食べるものが無くなってしまった受刑者の暴動を阻止するためである。

 腕途刑の無かったシシーはここすら利用する事ができなかった。


 露店屋

 売るものはそれぞれ違うものの、自身で生産したもの、採取したもの、受刑者から買い取ったものなど、様々な分野の専門家がいる。

 主に市場に顔を見せ、その需要と供給、相場を管理棟に伝える仕事である。


 相談屋

 4大都市にそれぞれ建てられた教会で、受刑者の悩みを聞く仕事である。

 罪を犯し、精神状態が不安定な受刑者の心を支え更生させる一方で、レクイエム内での生活の悩みについても助言する。

 特に多い相談事については管理棟に報告し、対策を立てる重要な仕事だ。


 巡回屋

 仕入屋が外からの荷物を運ぶ仕事に対し、巡回屋は街から街へと物資を届ける仕事である。

 これは、街の外で安全性を確保されない受刑者に対して、街通しでの物流が行われなくなる事を懸念しての政府の処置である。

 巡回屋の馬車には政府の紋章が描かれており、見習いが護衛し、略奪を阻止している。



『外の世界』


 人口が80億人を突破した時点で、正確な人口を把握することが出来なくなった。

 現在は100億人を超え、さらに増え続けているとみられ、深刻な食糧問題と住居問題を抱えている。

 仕事に就けないものも多く、貧困に喘ぐ人間が少なくない中、極一部の富裕層が私欲を満たしている。

 犯罪が絶えなかった世にレクイエムが出来て以来、犯罪件数が激減する。

 その結果、セルゲイ・オペラは世界を救った英雄として名を広めることになった。


 世界各国が犯罪者を手放した功績により、セルゲイが議員を務める街、グラミーは世界最大の都市として発展することになる。

 世界の経済を牛耳るグラミーは、夢を追い求めて上京する若者が後を絶たない。

 だが、その一方で、都市部から離れたところに、やはりスラム街が点在している。

 指名手配犯をレクイエムに投獄しようと政府が動きを見せる中、メロウの報せを受けた彼らは、反レクイエム団体『戦火のグレゴリオ』を結成する。




*** *** ***




<第17話 一命を抱く乙女2>



「ねえ、ハーディ、なにしてるの?」


 季節は巡り、三つ巴の決着はつかないまま冬が訪れた。

 吐く息が白く色ずくオラトリオの広場で、ハーディの姿を見つけたエウロアは声をかける。


「なんだ、エウロアか……」


 落ち込んだように、どこか元気のないハーディの返事をエウロアは耳にする。


「ねえ、どうしたの? なにかあった?」

「なんでもねぇ、……それよりエウロア。何か用なのか?」


 答える一瞬の間に、ハーディはいつもの表情を取り戻した。


「いや、別に用なんてないんだけど。見かけたから話しかけただけだよ」


 肩をすくめ、ため息をつくハーディ。


「あ、またため息……。ねえ知ってる? ハーディ、ため息をつくと、その分幸せが逃げちゃうんだよ」


 エウロアはハーディの白いため息を捕まえるように空を掴んだ。

 その姿を鼻で笑い、ハーディはエウロアに返す。


「構わねぇ。幸せになりたいなんて思ってねえからな。それより用事がねぇなら俺はもう行くぞ」

「ねえ、あんまり、無理しすぎないで少しは休んだら? この前もコンツェルトまで行ってたんでしょ?」

「なんで知ってんだ?」

「メロウから聞いたんだよ。『ハーディ様と一緒に入ったコンツェルトのオンセン。気持ちよかったですわあ』って言ってた」


 「なっ!」っと驚きの声を上げたハーディは疑惑を否定する。


「あいつ! 俺はただエルビスに会いに行っただけだ!!」


 慌てふためくハーディの顔を見てエウロアはクスクス笑った。


「知ってるよ。メロウの冗談だってすぐにわかったよ。コンツェルトにはレイラもいるしね」


 なぜそこでレイラの名前が出てくるのかとハーディは疑問に思ったが聞き返さなかった。

 エウロアに笑われた事で機嫌を損ねたのか、ハーディは背を向け歩き出した。


「ハーディ、私に何か手伝えることがあったらいつでも言ってね」


 ハーディは何も答えず、右手を振って立ち去った。




*** *** ***




 場所はレクイエムの研究所にあるセルゲイの部屋。

 一人の男がガチャリと扉を開けて中に入ってきた。

 男の名はセルゲイの息子、ハルゲイ・オペラ。

 法を犯し、政府に牙をむいたとされたシシーが投獄されてから、ハルゲイはシシーの無実を証明するため行動を起こしていた。


――あのシシーがそんな罪を犯すはずがない。


 ハルゲイはそう確信し、事の真相を知ろうとセルゲイが議員の仕事でグラミーへ渡る事を確認し、無断でセルゲイの部屋に侵入したのであった。

 部屋を見渡すと、ガラスケースの破片が飛び散っているのが目に入る。

 そこに飾られていたのはレクイエムの成功を称える勲章たち。

 スラム街の子供を救った時の感謝状。

 レクイエムの最高顧問として任命された時の記事など、セルゲイの偉業を語るそれらの、ハルゲイからしてみれば忌まわしいだけの品定の数々であった。

 その隣にはレクイエムの資料が並べられた本棚が続く。

 ハルゲイはそれらを手に取りパラパラと中身に目を通すが、欲しい情報はまったくと言っていいほど得られなかった。


 一通り部屋を調べたハルゲイはソファの前、カーペットに黒いシミが出来ているのを見つけた。

 だが、それがシシーの無実を証明するための物と関係するとは思えない。

 ここにも手掛かりはない。

 ハルゲイは半ば諦め、あまりにも手がかりが無さすぎる問題に絶望し、床のシミを眺めながらソファに腰かけた時である。


「……ん?」


 ハルゲイの腰に何かが当たった。

 その違和感の正体を探ろうとハルゲイは背中に手を伸ばす。


「なにか……ある?」


 背もたれとクッションの隙間、その間に挟まれるように置いてあった小さな機械を取り出した。


「なんだこれ……? ボイスレコーダー?」


 ハルゲイの手に握られていたのは小型のボイスレコーダーであった。

 電源を入れ、それを再生してみると研究所で行われた会議の会話が流れる。

 早送りをするとまた別の会議が、その中に紛れる女性の声をハルゲイは懐かしんだ。


「この声……シシーのボイスレコーダーか!?」


 その声を聴いて募るのは会いたいという気持ち。


――絶対に諦めない。


 ハルゲイは再びシシーの手がかりを探そうとソファから立ち上がった瞬間、ボイスレコーダーから流れてきた会話に、ハルゲイは頭が真っ白になった。


『勘違いしないでもらいたい。君のおかげでハルゲイはまた元気で明るい子に戻ってくれた。だが残念なことにハルゲイには婚約者がいてね』『そっその…… 誰にも言いません…… 私もこ、ここから消えます……』『そうしてくれると助かるよ。でもね、シシー君。君の犯した罪を償える場所は、この世界では一つしかないんだよ。君は自分の罪を償うために、自ら望んでそこに入るんだ』『そっ! そんなっ!! お願いします!! 誰にも言いません!! レクイエムだけはっ!!』


『ガチャリ!!』


『待ってください!! そのっ!! レクイエムだけは!!』『いやっ! 離して!! やめて、セルゲイ様っ! その! セルゲイ様ッ!!』『今までご苦労だった。シシー君』『いや!! レクイエムはいやだっ!! いやあああああああああああああああああ!!』


「親父の声……? 俺に……婚約者……? 何の話だ?」


 いや、それよりも、シシーとセルゲイの会話から取れる情報。


「俺のせいでシシーがレクイエムに……」


 頭の中が混乱していたハルゲイだったが、それで確信が持てた。

 全ての元凶は父に有ったのだと。

 強く奥歯を嚙みしめ、ハルゲイはシシーの笑顔を思い出した。

 ずっと孤独だった。

 マリアがいなくなってから、まるで世界から色が消えてしまったみたいにハルゲイの心には何も響くことが無かった。

 いつ死んでもいいと毎日そう思っていた。

 だが、シシーはハルゲイを変えた。

 彼女の興味深い世界の話から生きる気力を貰った。

 彼女の明るい笑顔から恋心を貰った。

 彼女の心の温かさから愛情を貰った。 


「待ってろよシシー。俺が絶対に助け出してやる!!」




*** *** ***




「えっと、次の仕事は……」


 オラトリオにて。

 エウロアは今日のスケジュールが記載されたメモを片手に目的の場所へと向かっていた。

 街を進みたどり着いた先は酒場の二階。

 そこに一人の男が座っていた。


「お待たせしました。ナッツさん。えっと、今日の取引って武器の販売ですよね」


 エウロアの姿を見て、ナッツと呼ばれた男はにこやかに答えた。


「やあエウロア、待ってたよ。コンツェルトで仕入れたこの銃を売る事になってる。『タイガー』っていう新型でね。大体いくらくらいになると思う?」


 ナッツはタイガーと呼ばれる銃をエウロアに手渡した。

 それを舐めるように細部まで観察するエウロア。


「タイガーですか。新品ですし、そうですねえ……。大体二ヶ月辺りが相場じゃないですかね」

「二ヶ月かぁ……、あんまりつかないねえ」

「量産されてる型ですので結構出回ってるんですよ。市場でも高くて二ヶ月半ってとこでしょうけど、個人取引だとそれくらいじゃないですかね」


 ナッツは肩をすくめて苦笑いをした。


「まったく、エウロアには敵わないなあ。やたら詳しいけど、武器が好きなの?」

「え? ハハ、これが私の仕事ですから……」


 言うまでもなくエウロアは武器を、両親の命を奪った銃を苦手としている。

 だがそれを表に出さず、笑いながらエウロアは答えた。

 二人が席に座り、しばらく待っていると階段をあがる足音が聞こえてくる。


「え……!?」


 その顔を見た瞬間、エウロアの表情は凍り付いた。

 さきほどまで楽しそうにナッツと話していた時の笑顔は完全に消えていた。


「お待ちしていましたよ。ガルディ様。さあさあ、こちらにおかけになってください」


 銃を販売しようとするナッツに案内されて、ガルディと呼ばれた大柄な男はぶっきらぼうにエウロアの前に座った。

 ひげを蓄えた、無骨な荒くれ物と言った印象だ。


「それで? 例の物はどこだ」


 言われてナッツはガルディにタイガーを手渡した。

 ガルディは満足そうにそれを手に馴染ませる。


「いいねえ、気に入った。まだ撃ってないが俺にはわかるぜ? 外で使ってた奴と瓜二つだ」

「そ、それはよかったです。そこまで気に入っていただけましたら、お値段の方はサービスさせて頂きまして二ヶ月ほどでどうでしょう?」


 揉み手をするナッツに向けてガルディはにやりと笑う。


「俺がオラトリオの市場で見た時は一ヶ月してなかったぜ?」

「えぇーっと……それは……」


 助けを求めるようにナッツから視線を送られたエウロアはハッと我に返った。

 レクイエム内での商売相手は受刑者である為、たとえ相手が誰であろうと私怨を挟まず公平に仕事をするのが管理者のプロだと教えられている。

 この男に銃は持たせたくはなかった。

 だが、その感情を押し殺しエウロアは仕事を進める。


「ガルディさん。市場では傷物やジャンク品などの粗悪品が売りに出されることもあります。ですが、これは新品です。ナッツさんの提示した金額は妥当だと思われます」


 そう発言したエウロアの顔を納得いかなそうにガルディは覗き込んだ。


「仲介屋、てめえどこかで見たことあんな……。その顔、どこだったか……」


 ガルディの顔は一生エウロアの心に刻まれたままであろう。

 だが、対するガルディはすでにエウロアの顔を忘れかけていた。


「うちを……覚えていませんか……?」

「なんだ仲介屋。やっぱりどこかで会ったか?」


 その答えに、抑えていたエウロアの感情は堰を切った。


「ふざけないで! あなたはうちのお父さんとお母さんを殺した!! ナッツさん! この人には銃を渡すべきではありません!!」


 エウロアは冷静さを保てなかった。

 困惑するナッツを置いてガルディは大声で笑い出した。


「ガッハッハ! 思い出したぜ!! あん時の娘か!! まさかこんな所で会うとはなあ!!」

「何が可笑しい!?」


 怒りを露わにするエウロアを見て、ガルディは楽しそうだった。


「取引に私情を挟まれたら困るぜ嬢ちゃん。俺にはその銃が必要だ。俺を憎むのは構わねえが、仕事はちゃんとやってもらわねえとなあ」

「その銃で、また人の命を奪うつもりなの……? あなたは、殺した人間に大して申し訳ないとは思わないの!?」


 どうやらエウロアが必死に訴える程、ガルディには面白おかしく映ってしまうらしい。


「フッ、ハッハ、ガーハッハ!! 俺は今、服役して罪を償っているじゃねえか」

「罪を償っている!? どこが……」

「殺せば殺すだけ稼げる世界。……俺にとっちゃあ外よりこっちの方が過ごしやすいだけの話さ。だがな、それが世界の決めた事柄だ。世界が決めた法律に、俺は従ってるだけだ。俺は正しい。私情で話す嬢ちゃんのほうが間違っているんだぜ?」


 ガルディの話は筋が通っている。

 受刑者であるガルディがレクイエムにいる以上世界から見れば罪を償っている事にはなる上、レクイエム内での殺人も規約はあるが禁止されるどころか推奨されている。

 なにも言い返せず悔しさに歯を食いしばるエウロアを見てナッツが口を挟む。


「と、ともかく……二人の間に何があったのかは知らないけど、ガルディさん、金額に納得いかれないのでしたら、この銃をお売りすることはできません」


 ガルディは銃を奪い取ろうとしたナッツを突き返した。

 それと同時に左腕の腕途刑が警告音を発した中、床に倒れたナッツをガルディは睨み付ける。


「何言ってんだ? てめぇは俺にこの銃を売った。これは俺のモノになった。そうだろう? 仲介屋?」


 ガルディは手に持つタイガーの銃口をエウロアへと向けた。

 最初からガルディは刑期など払うつもりは無かったのだ。仲介屋を脅し、不正な取引を成立させるのがガルディのやり方だった。

 銃を向けられたことにより、エウロアの脳内にはあの事件の光景がフラッシュバックする。


――あの時と同じ相手。お父さんもお母さんも、金の為にこの男に殺された。


 エウロアは自身の肩を抱きうずくまった。


「仲介屋、最後にいいことを教えてやる。俺はな、殺した人間の子供には絶対に手を出さねえように心がけている。……なぜだかわかるか? そいつに精一杯の絶望を味合わせてえからだ!!」


 涙を目一杯溜め、ガルディを睨み付けたまま震えるエウロア。

 怖かった。

 悲しかった。

 だがそれ以上に、エウロアは悔しくて震えを抑えられなかった。

 なんでこんな男に両親が殺されなくてはならなかったのか。

 なぜこんな人間がこの世に生きているのか。

 どうして自分はなにもやり返すことができないのか。

 その顔を堪能しながら、ガルディは満足そうに引き金に指を添えた。


「楽しませてもらったぜ仲介屋。今すぐ両親の元へ送ってやる……」


――ダァーン


 酒場に銃声が鳴り響いた。

 弾丸に腕を打ち抜かれ、持っていたタイガーを床に落としその場に倒れこんだ。

 撃たれたのはエウロアではなくガルディであった。


「刑殺官だ。抵抗すれば殺す」


 階段から駆け上がってきたその声の主は刑殺官ハーディ。

 その姿を見てエウロアは安堵し、思わず声を漏らす。


「ハーディ……」


 エウロアのそのか細い声を確かに聞いたガルディは頭を上げハーディの顔を見た。

 ハーディはチラリとエウロアの泣き顔に目を落とす。


「ハッハッハ。ガーハッハッハ!!」

「てめぇ、何が可笑しい!?」


 突然笑い出したガルディに、ハーディは怒鳴り尋ねた。


「まさかこんなところでてめぇに会えるとは思いもしなかったぜ、ハーディ」

「何言ってやが……? ……!! まさかてめぇ、ガルディか……!?」

「やっと思い出したか。ハーディ、あの女はなにをしている?」

「とっくに死んだ! てめぇが薬代を博打につぎ込んだせいでな!!」


 ガルディは腕の傷口を抑えながら立ち上がり、床に落ちたタイガーを拾おうとする。

 エウロアはただ黙って二人を見ている事しかできなかった。


「動くな!!」

「ハーディ、てめぇ、誰に口きいてやがる? またかわいがられてえのか?」


 ハーディは冷徹に言い放った。


「てめぇが誰だろうと関係ねえ。今の俺は刑殺官。動けば殺す。ガキの頃とは違ぇんだ!!」

「実の父親にそこまで言えるとはな。つくづく呪われた子供だよ。てめぇは……」

「……嘘、噓でしょ? ハーディ……」


 エウロアとの付き合いは長いが、エウロアのこんな表情を今までハーディは見たことが無かった。


「てめぇ、エウロアになにしやがった?」

「大げさに言うなや。いい事を教えてやるよ。こいつらが俺からぼったくろうとしていたから、ちょっと注意してやっただけだ」


 エウロアは親の仇がハーディの肉親であったことが、未だに受け入れられていなかった。

 受け入れられていないと言うよりは信じたくなかったと言った方が正しいか。


「いい加減その銃を降ろせやハーディ。俺とてめぇの間柄だろう?」

「調子の良い事言ってんじゃねえ。俺はてめぇを父親と思ったことは一度もねぇ!!」


 二人が互いを激しくにらみ合う中、店の扉が開いた。

 何も知らない客が入ってきた音に、一瞬ハーディの視線がそれ、それをガルディは見逃さなかった。

 ガルディは瞬時にタイガーを拾い上げるとそれをエウロアに向ける。


「てめぇ!!」

「ガッハッハ!! 嬢ちゃんの命が惜しければ銃を捨てるんだなあ!」


 ハーディは右手に構えていたデイトナを床に投げ捨てた。

 ニヤニヤとその様子を見ながらガルディは銃をハーディに向けなおす。

 ジリジリとハーディに距離を詰め、床にあったデイトナ拾った。


「仲介屋。いい事を教えてやる。俺の女はな、そこにいるハーディを連れて逃げやがった。もしこいつがこの世に生まれていなかったら俺は強盗なんぞ犯してねえ。こいつはな、この世に生まれてくるべきじゃなかったんだよォ!!」

「てめぇが……、エウロアの家族を……」


 ハーディはエウロアの両親の命を奪った犯人が実の父親であるガルディだったという事をそこで初めて知った。


「さあて、親のけじめをつけなきゃあなあ! ハーディ!!」


――ダァン!!


 ハーディに銃口を向けたまま、引き金を引こうとするガルディに、助けようとエウロアが飛びついた。

 タイガーから放たれた弾丸は狙いを外し、壁に当たる。

 その一瞬の隙をつき、ハーディは左手でハロルドを引き抜き、弾丸を放った。


――ダァーン!!


 その弾丸は真っ直ぐガルディの眉間を打ち抜く。

 残された静寂の中バッタリと床に沈んだガルディを、ハーディはじっと見つめていた。


「ハーディ……」


 ハーディは駆け寄ったエウロアと目を合わせようとしなかった。

 合わせられるはずが無かった。


「すまない……、エウロア……」

「なんで? なんでハーディが謝るの? こっちを向いてよ!!」


 悔しさで、悲しさで、申し訳なさで震えながら、ハーディは静かに答える。


「すまない。俺のせいなんだ。俺がいなければ、母さんも、お前の両親も死ななかった……。俺は、生まれてくるべきじゃなかったんだ……。あの時、死ぬべきだった……」

「違う! 違うよハーディ! 悪いのはハーディじゃないよ!!」


 ハーディ・ロックは物心ついた時には周囲からこの世に必要がないと言われ育った。

 唯一それを否定した存在、ハーディの母親も息子の命を守るために人生を閉じることになった。

 行き場を無くし、レクイエムに入ってからハーディは何も考えずに生きてきた。

 目の前の任務をこなし続け、せめて自分を肯定してくれる人間をずっと探し求めていた。

 ハーディはエルビスと出会った。

 そして知った。

 エルビスの刑期が抹消されていた事を。

 その事実を知りコンツェルトまでエルビスを訪れるも、ハーディにはなにもできず、突き返されるだけだった。


「俺に生きる権利などない。あの時……死ぬべきだった。結局、エルビスからも、俺は必要とされていなかった。俺は何もできなかった……」


 エウロアは今にも壊れてしまいそうなハーディを強く抱き寄せた。


「私はハーディに救われたよ。幸せになりたくないとか必要とされてないとか、そんなこと言わないでよ……」

「……エウロア」

「ねえハーディ、覚えてる? 訓練で私を助けてくれた日の事。うち、本当に嬉しかったんだよ。ハーディにとっては何でもない事なのかもしれなかったけど、うちにとっては本当に、嬉しかったんだよ……。生きる理由が欲しいなら私がそれをあげるよ。幸せになりたくなくても、私が幸せにしてみせるよ。だからハーディ、自分を責めないでよ……自分を責めるなら、うちを抱きしめてよ」

「おまえは……、俺を必要としてくれるのか?」

「ハーディ、うちね、ハーディが好き。ずっと言えなかったけど、ずっとハーディが好きだった。守ってくれるところが好き。無愛想だけど本当は優しいところが好き。たまに見せるかわいいところが好き。ハーディ、……これからもうちを……、傍にいさせて――」


 ハーディは強くエウロアを抱きしめた。

 誰よりも無愛想で、どうしようもなく自分の気持ちを伝えるのが苦手な男。

 言葉にしなくても、できなくても、それが返事だとエウロアは心に感じた。

 ハーディが探し求め、やっと手に入れたのは、いつも自分の傍にいたエウロアだった。




*** *** ***




 ハーディとエウロアがレクイエムに入ってから、早くも十年の月日が流れようとしていた。

 オラトリオの教会で慎ましい挙式をあげた二人は、その後も変わらずオラトリオを管轄していた。

 式には幾人かの知り合いが招かれ、ハーディはドンが作った世界に一つだけの指輪をエウロアにはめた。

 同居を始めた二人は、ここが刑務所の中であると忘れさせるほど、平和に過ごしていた。


「それじゃあ、迎えに行ってくる。また夜な、エウロア」

「うちも行きたかったんだけどなあ……、会ったらよろしくって伝えておいてね、ハーディ」


 ハーディはエウロアにそう告げるとオラトリオを後にした。

 新人刑殺官としてレクイエムに入る事になったコレシャを、アラベスクまで送り届ける事がハーディの今日の任務であった。

 レクイエムの入口で待機していると、扉が開き、中から懐かしい顔が入ってくる。


「久しぶりだな、コレシャ」


 ハーディの顔を見ると一瞬驚いたような表情を見せ、コレシャは口を開いた。


「おまえ、本当にハーディか?」


 立ち話も早々に、二人はアラベスクへ向け歩き出す。


「聞いたぞハーディ、エウロアと結婚したらしいな」


 見習いの訓練所では、ハーディが結婚したと言う驚くべきニュースが一時話題になっていた。

 あの男が女を作るなんて……、ハーディを知る誰もがそう口にする。


「ああ、エウロアがよろしく伝えてくれと言っていた」

「どうりで、あの狂犬がここまで丸くなったはずだ。あの子には人を変える力がある」


 コレシャは嬉しそうに話すが、ハーディには何のことだかわからない。


「何言ってやがる? 別に俺は何も変わっちゃいねえ」

「……そうだな。だが、私はお前の目を見てそう感じたよ」 

「まあいい。それよりアラベスクまで行くとなると長旅だ。気抜くんじゃねえぞ」

「誰に言っているんだハーディ? 今や私は訓練所の首席だぞ?」


 ハーディ、レイラ、エウロアが去った後もコレシャの研鑽は続いた。

 来る日も来る日も訓練に明け暮れ、空いた時間で教養を身につけた。

 実力も、学力も、そして正義感も、訓練所でコレシャの右に出る者はいなくなっていた。

 昔話に花を咲かし、歩く二人は突然足を止めた。


「コレシャ、聞こえたか?」

「ああ、そのビルの陰だろう」


 足音を消して二人はビルの中を覗き込む。

 その中には一人の男が見つからないように隠れていた。

 だが、二人の耳はわずかな衣擦れの音を聞き逃さなかったのである。

 その男は見るからにただの受刑者ではなかった。

 なぜなら彼の腕には腕途刑が着けられていなかったから。


「刑殺官だ! ここで何をしている!? 部外者は立ち入り禁止だ!!」

「う、うわああああああああ!!」


 男は焦ったように銃を引き抜くと銃口をコレシャに向けた。

 男が引き金を引くより早く、コレシャが鞭を振るより早く、ハロルドから放たれた弾丸は男の胸に命中した。

 心臓の位置に弾丸を撃ち込まれ、男はバッタリと倒れた。


「相変わらず、すさまじいほどの早業だな。だが、殺す必要はなかったんじゃないのか?」

「コレシャ、敵意を見せた相手は容赦なく殺せ。舐められたらこれから先刑殺官は務まらねえ」


 ハーディは腕途刑を操作し、身元不明の遺体を政府に届けるように葬儀屋に伝えた。

 撃たれた男はたびたび、管理者の目を盗んでレクイエムに入り込み投獄された女を探していた。

 ハーディが刑殺官と名乗った事で、腕途刑がない事情がセルゲイの耳に入れば、二度とその女に会えなくなるであろう事を恐れたのである。

 とっさに銃を抜いた男は、ハルゲイ・オペラ。

 レクイエムでシシーと再会するという願いは、こうして最後まで叶う事はなかった。




*** *** ***




「ハーディ。それじゃあうち、行ってくるよ」

「やっぱり、俺もついて行く。嫌な予感がするんだ。エウロア」

「大丈夫だよハーディ。見習いの人が付いてくれるし、ただの仲介屋連合の会議なんだからすぐに終わるよ」

「いつもはオラトリオで行われているだろう? なぜ今回だけ管理者棟で開かれるんだ。エウロア、おまえには――」

「大丈夫だよ。お腹には気を付けるから。腕途刑で伝えられたんだけど、今月は政府の人も参加した会議なんだってさ」

「もう一人の体じゃないんだ。あまり無理をしないで――」

「分かってるよハーディ。来月からは休みを取るから。あ! そんなにうちと離れるのが寂しいの~?」

「なっ!? 別にそういう話をしてるわけじゃ……」

「ハハハッ! ああ! もうこんな時間!? それじゃあ行ってくるよハーディ。夜までには戻るから」

「気を付けろよ?」

「ハーディ」

「なんだ?」

「好きだよ」

「あ、ああ。その、なんだ。俺も、その、エウロア。おまえが――」

「ああー!! 遅刻する!! それじゃあ行ってきます!!」


 オラトリオを旅立ったエウロアが二人の家に帰る事は無かった。

 ハーディがエウロアの悲報を知ったのはそれからまる一日経った後である。

 エウロアの葬式に参列してほしいと通知されたハーディは、武器をドンに預けレクイエムを後にした。


 無防備だったハーディは待ち構えていた見習い達に囚われる事になる。


 数日後、レクイエム内の留置所に囚われたハーディをセルゲイが訪れた。

 ハルゲイを殺したハーディの刑期が決定した事。

 脅威に感じたエルビスの刑期を抹消した事。

 エウロアを報復のために管理者に殺害させた事。

 セルゲイはそれだけ告げてハーディの元から去って行った。


 やがて重装備を身につけた刑務官達がハーディを迎えに来る。


 両腕に拘束用のチェーンをつけられたまま、刑務官達に連れられ、狭く、暗く、長い通路を歩き出す。

 言われるがままゆっくりと歩みを進めるハーディはやがて扉に突き当たった。


「受刑者いみなを名乗れ」










犯罪者達の前奏曲プレリュード   完




最終章 犯罪者達の終焉曲フィナーレに続きます。

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