第5話 レクイエム

 十四名の死亡者、三十名の重軽傷者を出したグラミー史上最大のテロ事件。

 議員宿舎の要人を狙った犯人は、たびたび連続爆破事件を起こし、警察が行方を追っていた十八歳の黒人だった。

 宿舎付近を警備していた人物からの情報提供ににより、その男は事件から僅か二日後に逮捕される事になる。

 警察の取り調べに対し、その男は『政府に殺された妹の恨みを怠惰な議員に返してやった。これは社会に対する民衆からの警告だ』と返答したが、マスコミはそれを報道せず、犠牲者の追悼番組でしばらく世間は持ちきりだった。


 レクイエム法案が可決されてから、代わりに死刑制度が無くなった事により、その男は当時の最長刑期である二百年の判決を受け、レクイエムに投獄されたが、セルゲイは心に刻んでいた。

 仮にこの男が外に出ることがあれば、間違いなく私が殺して見せると。

 忌まわしきあの事故、マリアの死から二年の歳月が経とうとしていた。




*** *** ***




「それでは、ハルゲイを頼む」


 セルゲイはレクイエムにある養成所の学習施設に、専門の講師を雇い、ハルゲイに教育を受けさせていた。

 英雄であるセルゲイの息子、ハルゲイの顔は世間に広く知られており、いつまた過激派に襲われてもおかしくはない。

 マリアを失って以来、セルゲイはその不安から、外の世界に一人でハルゲイを居させる事ができなくなってしまった。

 極僅かな人間しか知らないが、研究施設と同じく養成所はレクイエムの塀の外側に作られている。

 この世のどこよりも犯罪者から近いその場所は、逆に、この世のどこよりも安全な場所であるとセルゲイは認識し、まるで私物のようにレクイエムを使用し、ハルゲイをそこに預けていたのだ。


 母を失い、友人と離され、自由を奪われたハルゲイはいつしか父を恨むようになっていた。

 母が死んでから、父の頭がおかしくなったとさえ思うようになっていた。

 頭ではわかってはいるが、セルゲイが政治家でなければマリアは生きていたし、セルゲイが英雄でなければ誰かに狙われることもなかった。

 セルゲイが権力を持っていなければ、せめて外の世界で暮らせただろう。


 セルゲイもハルゲイの気持ちを察していたが、それでも亡きマリアに誓ったのだ。

 ハルゲイは立派に育てて見せると。

 自分がどう思われようと、セルゲイが一番に通したい願望は、せめてハルゲイが成人するまでの間は安全を確保してやる事だった。


「それでは行ってくる。ハルゲイ、わからないことがあったら、ちゃんと先生に聞くんだぞ」


 講師の対面に座るハルゲイは、返事もせずに、机を睨み付けるだけだった。

 セルゲイはため息をつきながら部屋から出る。

 ハルゲイを思う気持ちは、より一層二人の溝を深めるばかりであった。




*** *** ***




 セルゲイは、政府には内密に作らせたレクイエムの自室へ戻ると、そこから一つのファイルを持ちだした。

 それは昔エルビスに見せたもの。

 時が経ち、ファイルには汚れや傷が目立っていた。

 それを持ってセルゲイが向かったのは、レクイエムの研究施設だった。

 誰もいない通路を渡り、一人で目的の扉を開けると、そこには才女、シシーが待ち構えていた。


「その、お待ちしていました。セルゲイ様」


 腕途刑に盗聴機能を追加、生体反応の精度を強化し、精神状態の数値化。街毎の更生者の比率のデータ化。

 シシーはここに来てから二年間、その卓越したアイデアでレクイエムに確実に貢献し続けてきた。

 実績、評価、そして人柄から、二十歳という若さで特別技術担当に就任し、その成果にセルゲイも一目を置いていた。

 そのシシーを、事前にセルゲイはこの部屋に呼び出していたのだ。


「やあ、久しぶりだね。シシー君」


 シシーはセルゲイが手に持っていた『レクイエム計画』と書かれたファイルを見るとため息をついた。


「セルゲイ様。その、今日はどのようなご用件でしょうか?」


 セルゲイは研究室特有の簡易的なパイプ椅子に腰かけると、シシーの目の前にある机にファイルをボンと投げおいた。

 シシーは、やっぱりか、と心の中で呟く。


「セルゲイ様。以前にも言わせていただきましたが、この計画には実現性がありません。率直に言いますと、現代の技術段階では到底不可能なのです」


 出されたファイルに興味を示さないシシーに、セルゲイは不気味な笑みを浮かべた。


「まず、私の話を聞きたまえ。そのファイルの最後のページだ」


 シシーは置かれたファイルを手に取り、ページをめくると、以前見た際にはファイリングされていなかった情報を目にした。

 しばらくそれに目を通すと顔色が青ざめていく。


「そんな……。その、これは……事実なのですか!?」

「信じられないだろう? 実際に私も見てきたが、どうやら全て真実だ」


 セルゲイがつまらない嘘をつく人間ではないことなど、シシーはこの二年間で充分学習していた。


「非常にその、興味深いですね。セルゲイ様はこれを利用すればレクイエム計画が実行できると?」

「ああ、私はそう考えている。勿論、シシー君の活躍次第だが――」


 シシーは天才だ。

 天才であるが故に興味を持ったことには心血を注ぎたがる。

 セルゲイの持ってきた話は、シシーにノーと言わせなかった。


「早ければ来月にでも取り掛かることができる。議論百出はあれど、シシー君に異論は無いだろう?」

「わかりました。その、ですが、この事実が真実なら、息子さんに危険が及ぶのではないでしょうか?」


 セルゲイはしばらく考えてから口を開く。


「丁度いい。それでは、ハルゲイの監督は君に任せることにする」

「その、私がですか? 一体どういう事でしょうか……?」


 突然の提案にシシーは困惑した。


「ハルゲイには今、同世代の友達がいない。まあ、君も多少離れてはいるが……。それでも年齢的に君が一番近しいだろう。面倒を見てやってくれ」


 セルゲイには息子を外の世界で野放しにするなど考えられなかった。

 シシーはあまりにも優秀だ。

 シシーの手元に置かせていれば、まず間違いなく安全だろう。

 セルゲイはそれだけシシーの事を買っていたのだ。 

 同時に、心の荒んだハルゲイの話し相手としても、シシーを利用しようとセルゲイは考えた。

 研究施設内で最年少のシシーはそれに適していた。

 刑殺官、管理者の養成所にはさらに若い連中がいるが、大抵は元々孤児だった者たちだ。

 立場からしてセルゲイが信用できるはずもない。

 セルゲイは万が一の事が無いように念をかけておく。

 モニターに表示されたレクイエムの地図に点在する黒い点の中、一つだけ赤い点を眺めながら口を開いた。


「例の爆破事件の犯人がオラトリオから離れたら、誰にも気づかれない様に刑殺官に始末させろ」

「その、セルゲイ様がマリア様を失った悲しみはわかりますが、レクイエムに私情を挟むのはどうかと――」


 セルゲイは立ち上がり、シシーの耳元に顔を寄せて囁いた。


「私が言いたいのは、息子に何かあったら、君の命もわからないという事だ」


 凍り付くような冷たい物言いにシシーの背中に悪寒が走った。


「例の件は口外しない様に。以上だ。後は追って連絡する」


 シシーの表情を見ると、セルゲイは満足そうに部屋を後にした。

 事件前のセルゲイとほとんど面識のないシシーにとって、セルゲイという男は目的のために手段を択ばない冷酷な人間として目に映っていた。

 セルゲイの計画の恐ろしさを知りながらも、シシーにはすでに止められなかった。

 セルゲイの決意は、日々強まるばかりだったからだ。




*** *** ***




 更に二年の月日が流れる。

 レクイエム計画は順調に進んだ。

 それはやはり、セルゲイの思惑通り、期待以上の働きを見せるシシーの功績によるところが大きかった。

 シシーの方はうまくいっていたが、一番の問題は金であった。

 研究は、政府にもセレナーデ家にも極秘裏に進められていた為、両者に資金を援助してもらうわけにはいかなかったのだ。

 セルゲイは個人資産を投じていたが、それではとても追いつかなかった。

 資金繰りに困窮していたセルゲイはセレナーデ家とは関わりのない資産家に話を持ち掛けた。

 当然エルビスの力もないまま、内容のわからない研究に投資するものなどいないと思われたが、欲望に飢えた投資家の何人かは、セルゲイの持ってきた魅力的な話に乗ることになる。


『レクイエムを好きに使っていい』


 意味を理解した豚達は、スラムで気に入った女を誘拐し、ヘリで直接オラトリオ周辺にある廃ビルの屋上へと連れ込んだ。

 セルゲイは、富豪たちの依頼があるたびに、政府から視察でレクイエムにヘリが停まると、管理者に事前に報告していた。

 セルゲイの異常性に畏怖していた職員は誰一人として、それに口出ししなかった。

 ヘリが来る頻度が増えても、誰もがセルゲイに恐怖し、何も言えなかったのである。


 豚達がどす黒い欲望を、連れてきた玩具に吐き出した後は、直属の部下に確実に殺させ、セルゲイはレクイエムに残った肉塊を秘密裏に葬儀屋に処理させていた。

 一度レクイエムに連れ込めば証拠は残らない。

 また、戸籍も出生記録も無いスラム街での行方不明事件に、世界は敏感ではなかったのだ。

 金は湯水のようにある。

 しかし、いくら払おうと出来ないこともあった。

 だが、セルゲイはそれを可能にして見せ、エンターテイメントを提供した。

 いつしか顧客を大勢抱えたセルゲイには、研究資金の心配は必要なくなっていた。

 しかし、その悪行を偶然見つけた男がいる。

 オラトリオの刑殺官官長、エルビス・ブルースだ。

 エルビスは度々レクイエム上空を飛行していたヘリを目撃していた。

 管理者側が何も言ってこないのだから、ヘリに乗るのは関係者なのだろうと思っていたが、あまりにも頻度が多すぎる。

 疑問に思ったエルビスは、ある日の夜にオラトリオ近辺で待機し、廃ビルの上空を飛ぶヘリを見かけ、真相を探るためにその後を追った。

 ヘリを五分ほど追うと、廃ビルの屋上へと着陸する姿が見えた。

 すぐにそこへと向かい、エルビスはその廃ビルの階段を駆け上がる。

 機械音のする屋上に着いたエルビスが見たのは、目を覆いたくなるような光景だった。


「あひゅっあああっあひっああっあひゅっああああああ」


 乱暴に投げ捨てられていたのは木工用の電気ドリル。

 太った男はそれで若い女の後頭部に穴を開け、嬉しそうに肉棒を突っ込んでいた。

 部下と思われる数人の男たちが周りを取り囲み、拍手をしながらビデオ撮影をしている。

 女は白目を剥きながら血の涙を流し、男の腰の動きと共に小さく叫びながらガクガク震えていた。


「てめぇら!! なにしてやがんだ!?」


 エルビスは銃を抜き狂気に触れている男たちに銃口を向けた。


「貴様! 受刑者か!?」


 太った男を取り囲んでいた部下たちが銃を抜き、そのままエルビスに向ける。


「俺はレクイエムの刑殺官官長エルビス・ブルースだ! この島は部外者の立ち入りを禁じている! てめえらの身柄を拘束する!!」


 男たちはそれを聞くと安心したかの様に銃を下した。


「なんだ。レクイエムの関係者か……」

「おい貴様! わしの邪魔をするでないわ! こちとら高い金払っとんじゃあああああ!!」


 エルビスは依然銃を向けたまま男たちを睨み付けていたが、太った男はエルビスに怒鳴り、腰を大きく振った。

 それに合わせて女が再び声をあげる。


「あひゅっ! あひゅっ! ああ! ああ! あああああああ――」


 悲痛な女の声が響く。

 予想外の男の行動に、困惑しながらもエルビスは怒鳴りつける。


「おい、いい加減にしろ!! 死ぬぞ!!」


 太った男はより一層腰を早く動かした。

 ぐちゅぐちゅと不快な音が響き渡る。

 女は鼻と耳からも血を流し始め、ダラダラと地面を染めていった。


「黙れ! 下っ端!! 許可ならセルゲイの小僧に取っておるわぁ!! こんなスラムの女一人死んだところで、わしには関係ないわああああああああああああ!!」

「あひゅっ!あひゅっ!ひゅっ!!ひゅっ!!びゅっ!!びゅっ!!っ!!……!!……」

「スラムの……女だと……?」

「ああああああああああ! いくいくい――」


――パンッ!!


 エルビスの放った弾丸は、太った男の眉間を打ち抜いた。

 それと共に屋上は静寂に包まれる。

 一秒遅れて周りを囲んでいた部下たちは状況を察し、エルビスに銃口を向けたが、それが発射される前にエルビスは的確に全員の眉間を打ち抜いていった。


――パンッ! パンッ! パンッ!


 バタバタと男たちが倒れて、屋上にはエルビス以外誰もいなくなった。

 落ちているビデオカメラを拾い上げ、エルビスは廃ビルを後にした。




*** *** ***




「セルゲェイ! これはいったいどういう事だ!!」


 場所はレクイエム内にあるセルゲイの部屋。

 セルゲイに向かってエルビスは怒鳴り声をあげていた。

 二人が会ったのはマリアの葬式以来の事だった。

 エルビスはビデオカメラに残された痛ましい行為を再生して見せた。

 それを一目見てセルゲイはため息をつく。


「……金が、必要だった……」

「ああ!? その為に戸籍のない女を差し出したのか!? 知ってるよなあセルゲイ!! 俺がスラム出身だって事をよ!!」


 セルゲイはエルビスの目を見つめながらもう一度繰り返す。


「どうしても……金が、必要だった」

「てめえ!! ふざけんな!!」


――ガシャーーーン!!


 エルビスは近くにあった机を蹴り飛ばした。

 机はレクイエムの功績をたたえた、勲章などが飾られているガラスケースに突っ込み、破片が飛び散る。


「俺は許さねえぞセルゲイ!! 一体何のために金を集める!? レクイエムの維持なら税金で充分賄えるはずだ!!」


 セルゲイは黙って、ただ書斎にあった一つのファイルに目を配らせた。

 そのしぐさにエルビスは全てを察する。


「おまえ! あれは白紙にしたって言ってたじゃねえか!!」


 セルゲイは目を伏せ答えた。


「私はマリアに誓ったのだ。いくら手を汚すことになろうとも、犯罪のない世界を創造してみせると!!」

「マリアさんは確かに気の毒だったさ、でもな――」

「気の毒だと!!??」


 セルゲイは叫んだ。

 マリアの顔を思い浮かべ、悲痛な怒りをエルビスにぶつける。


「マリアは何一つ恨まれることはしていないんだぞ!! 殺される必要がどこにあった!? 気の毒の一言で済む話じゃないだろう!! 消えるべきはマリアじゃない!! 犯罪者だっ!!」


 セルゲイの訴えに対し、深く呼吸をした後、エルビスはセルゲイを殴った。


「おまえが『レクイエム計画』を遂行するならそれでもいい。セルゲイがしてきた事はいつだって正しかった。だがな! 次スラム街に手を出す事があったら俺が許さねえ!!」


 殴られ、地面に倒れこんだセルゲイは口の中を切ったのか、手で血をふき取るとエルビスの目を見た。


「ああ、元よりもう金は足りている。奴らとは金輪際縁を切る」


 縁を切る。

 それは資金を援助させた富豪たちの暗殺を示していた。

 なによりレクイエムで死者を出してしまったのだ。

 早めに口を封じないとセルゲイにも都合が悪かった。


 それを聞いてもエルビスの怒りは収まらなかったが、セルゲイをひとまず信用することにした。

 怒りに任せてセルゲイを殺したところで犠牲になった人々は帰ってこないからだ。


「あの事件は……おまえを変えた」

「私自身理解している。だが私の夢語は、綺麗事だけでは達せられないんだ。犯罪者達に因果応報を与えるまでは……。エルビス、わかってくれ」


 エルビスは自分の愛した親友はもういないんだと察すると部屋を後にした。

 せめて旧友の野望が叶うよう、この事を誰にも言わず固く墓場まで持っていこうとエルビスは考えた。

 対するセルゲイは部屋から出ていくエルビスを眺めながら、この邪魔者をどう処分するかを考えていた。




*** *** ***




 この二年間でセルゲイが抱えた悩みは他にもあった。

 息子のハルゲイの事である。

 ハルゲイは授業時間以外はシシーに付きっ切りだった。

 年頃の男が他に対象がいない状況に落ち入れられれば、それも当然の事情かもしれないが。

 つまるところ、人の恋路などセルゲイにはまるで予想できていなかったのである。

 頭の切れるセルゲイだが、恋愛事にはまるで疎かった。

 ハルゲイが誰と恋愛しようが関係を持とうがセルゲイにはどうでもよかった。

 ただ、本人にはまだ伝えていないが、製薬会社を母体とする財閥の娘との縁談を進めていたセルゲイにとっては、息子に特定の相手を作られることは手痛かった。

 ハルゲイはまだ、今年で十五になろうとする、大人とは言いがたい不安定な年頃だ。

 セルゲイは息子に強く言う事が出来ずに、今までその問題の解決を先延ばしにしてきていた。


 ある日、セルゲイはシシーを呼び出した。

 研究の成果を聞くためと、息子との関係を問いただすためである。

 ノックの後、シシーが扉を開け、セルゲイの部屋に入ってくる。

 部屋のガラスケースの破片は今だに手を付けずそのままになっていた。


「失礼します」

「遅かったじゃあないか。なにをしていたんだ?」

「すいませんハルゲイ様。その、管理者志望の女の子が研究機関に迷い込んだようで道を聞かれていまして」


 シシーは深々と頭を下げた。


「まあいい。シシー君、かけたまえ」

「その、失礼します」


 セルゲイはシシーを来客用のソファに座らせ、コーヒーを二人分カップに注ぎ、片方をシシーの元へとコトリ、と置いた。


「ありがとうございます」

「いい豆が入ったんだ。ところで、研究の方はどこまで来た?」


 シシーはそれを聞かれて嬉しそうに答える。


「順調ですよ。取り出すのはほぼ成功しました。その、あとは試験を重ねて様子を見れば、本当に実用化も夢じゃありません」

「さすがは天才、シシー・ゴシックだな。君はいつも私の期待に応えてくれる」

「そんな、恐れ多い。その、設備が優れているからです」


 褒められて照れたのか、シシーはごまかそうとカップに手を付け口元へと運ぶ。


「ところで、ここ数か月。随分とハルゲイと仲がよさそうじゃないか」


 シシーは一瞬ピクッ、と反応したが口をつけようとしていたカップを宙に浮かせたまま、セルゲイに微笑みながら話を返す。


「ええ、息子さんとはもう二年の付き合いになりますから。その、よく慕ってくれていますね。本当に可愛らいい、いいお子さんです」

「とぼける必要はない。あの部屋に一体、いくつ腕途刑があると思っている?」


 セルゲイはポケットから、政府関係者用に作られていた試作の腕途刑を取り出した。

 それを見るとシシーの手は震え、中に注がれていたコーヒーがこぼれ出す。

 ビチャビチャと床が音をたてる中、シシーの顔色は青ざめていった。


「まさか、君の開発した盗聴機能がこんなところで役に立つとはな。意外な声を出すじゃないか」

「その……私は……」


 震える声で答えようとしながら、更にコーヒーはこぼれ続けた。

 平静を保とうとしたのか、シシーは向き直り左手をポケットに突っ込む。


「勘違いしないでもらいたい。君のおかげでハルゲイはまた元気で明るい子に戻ってくれた。だが残念なことにハルゲイには婚約者がいてね」


 セルゲイはシシーの顔を覗き込んだ。


「そっその…… 誰にも言いません…… 私もこ、ここから消えます……」

「そうしてくれると助かるよ。でもね、シシー君。君の犯した罪を償える場所は、この世界では一つしかないんだよ。君は自分の罪を償うために、自ら望んでそこに入るんだ」


 セルゲイは不気味ににやりと笑いかけた。

 頭のいいシシーはその意味を即座に理解する。

 自ら望んで入る。

 それは裁判すら行われないという事。

 刑期も、腕途刑すら与えられないという事。


――当然ながら生きていけるわけがない


「そっ! そんなっ!! お願いします!! 誰にも言いません!! レクイエムだけはっ!!」


 セルゲイは腕途刑を操作した。

 その直後、扉から屈強そうなセルゲイの用心棒達が入ってくる。


「待ってください!! そのっ!! レクイエムだけは!!」


 拘束され、男たちに連れていかれるシシーを、嬉しそうにセルゲイは眺めていた。


「いやっ! 離して!! やめて、セルゲイ様っ! その! セルゲイ様ッ!!」


 セルゲイはシシーに向かって手を振った。


「今までご苦労だった。シシー君」


――バタン……


「いや!! レクイエムはいやだっ!! いやあああああああああああああああああ!!」


 セルゲイの部屋から連れ去られたシシーの悲鳴は、扉が閉まってもしばらく聞こえていたが、やがてその音は小さくなり、完全に聞こえなくなった。

 残すセルゲイの悩みの種はエルビスだけ。

 だがそれは思いもよらない形で解決することになる。




*** *** ***




 研究施設からシシーが消えてから月日は流れる。

 レクイエムを調べる三流記者が絶えなかったが、セルゲイの持つ勢力はその対応に困ることはなかった。

 彼らに決して口を開かせるわけにはいかないので、レクイエムとは別にグラミー内に留置場を設置し、事情を知るものはそこに幽閉した。

 今日も一人、記者の女が訪ねてきたがセルゲイはまともに相手をせずに対処させ、レクイエムへと向かった。


 その日、セルゲイは突然官長を引退すると言い出した、エルビスの後釜を視察しにレクイエムを訪れていた。

 訓練内容を見ると、口は悪いがなかなか使えそうな男である。

 完成したセルゲイ用の腕途刑。

 そこに通話をかけたのは、コンツェルトを管轄するバズーカ砲を背負った女刑殺官、ジェンガ・タンゴだった。


「私だ」

『セルゲイ、私、ジェンガ、聞きたい事、ある』

「なんだ? 私は忙しい。お前の上司はエルビスだろう」

『その、エルビス、聞きたい』


 本来、刑殺官如きがレクイエムトップのセルゲイに通話をかけるなどあってはならない。

 だが、セルゲイはエルビスの話と聞き、通話を切ることをやめた。


「なんだ、なにがあった?」

『私、子供、見つけた、取り上げようとした、エルビス、止めた』


 それを聞いてセルゲイはにやりと笑う。

 あいつの事だ。

 受刑者の一人にでも情が移ったのだろう。


「それは許しがたいな。エルビスは権力を持ったことで、レクイエムを私物のように扱っている」

『わかった、私、子供、取り上げてくる』

「待てジェンガ。エルビスについている見習いはいるか?」

『一人、研修、一緒』


 エルビスはハーディと離れた後、別の見習いとレクイエムを回っていた。

 これから官長を務めることになるハーディに気を使って、つかの間の休息をとらせている間も、エルビスは熱心に後輩を育てていたのだ。


「ジェンガ、お前の力を信用していないわけではないが、それでも二対一だと分が悪い。まずは見習いの方を不意打ちしろ」

『私、エルビス、話す』

「駄目だジェンガ。油断しているとお前がやられる。先に、確実に一人始末しろ」

『……、わかった、見習い、殺す』

「ジェンガ、エルビスに何を言われても絶対に口はきくな。最悪見習い一人をやるだけでもいい。後はこちらで対応する」

『了解、エルビス、話さない』


 そこでセルゲイは通話を切った。

 後のジェンガの報告で、見習いは殺害したと伝えられた。

 エルビスは規約違反で逮捕され、そのままレクイエムに入れられた。

 ジェンガは乱心により見方を殺したと、駆け付けた見習いたちによって処刑された。

 元より言語障害を発していた彼女は、セルゲイの一言でこの世を去った後、異常者扱いされ事は終結した。




*** *** ***




 二年後、結局、息子ハルゲイと、目をつけていた製薬会社を主とする財閥の娘との婚約は破棄された。

 その娘の兄の結婚が中止になり、それにより、先に娘を嫁がせるわけにはいかないと、先方が急に縁談をキャンセルしてきたのである。

 これにはセルゲイも怒り狂ったが、下手に腹を立てられたらたまらない。


 その代わりにセルゲイに朗報が訪れる。

 シシーの進めていた研究データを引き継ぎ、人体実験を繰り返した結果、ついに一人の完成品が現れたのだ。

 十一歳の少年の名はカルロ・ショーロ。

 軍の研究施設からレクイエムの研究施設に送られ、シシーが心血を注いで遺伝子調査をした男、ビズキット・メタルの遺伝子を移植することに成功した少年である。

 長年の研究により、やっと実績がでた研究施設であったが、それを心から祝福したのはセルゲイただ一人であった。

 その一人の完成品を出すために、あまりにも多くの犠牲を投じてきたのだから。


 セルゲイは一人、自室にこもり通話をかけた。









『俺だ。セルゲイか?』


「ああ、私だ。久しぶりだな、エルビス」


『なんだ、どうしたんだ急に』


「レクイエム計画の第二段階が終わった」



『……そうか、長かったな……』



「ああ、私の手は、血に染まりもう二度と匂いが取れることはない」


『それが、お前が望んだ事なんだろう?』


「マリアに誓った事だ」


『なら立ち止まるなよ。お前は、最後までやり遂げてみせろ』






「……すまない、エルビス」



『謝るな。俺のせいで人が死んだことは確かさ。俺が赤ん坊を庇わなければ、あいつは死ななかった……』




「違うんだ……、エルビス」



――ビーッ!ビーッ!ビーッ!――



『なっ!? 腕途刑が!? 何をした!? セルゲイ!!』




「さらばだ、友よ……」


『待てセルゲイ!! なにをしたんだっ!? セル――』








「なあ、エルビス。レクイエムと名付けたのはお前だったよな。


 犯罪により亡くなった犠牲者への追悼の意味を込めて鎮魂曲と、お前は名付けた。


 民衆はその名称に心を打たれた。


 だが、私はそう感じた事は一度もない。




 何の罪もない人間が、無慈悲に命を刈り取られる世界。


 この世界は間違っている。


 誰かが正さねばならない。




 聞こえるか? エルビス。


 そこにいる者の為に流れる音色が。




 私は必ず犯罪者をこの世から消し去る。


 犯罪のない世界を創造して見せる。





 それは、


 ――犯罪者達の鎮魂曲だ

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