農協おくりびと 6話から 10話まで

落合順平

農協おくりびと (6)スツールと踊る

 最高齢のジジィが、スツールに手を伸ばす。

スツールというのは、背もたれの無い平べったい椅子のことだ。

スナックなどでは補助用の椅子として、ボックス席に必ず置いてある。

慣れた手つきでジジィが、スツールを持ち上げる。


 パートナーを抱き寄せるような雰囲気で、スツールを愛おしそうに胸に抱く。

椅子とペアになった最長老が、軽々とステップを踏みながらゆうゆうと踊り出す。

ちひろの目の前にやって来た時。

最高齢のジジィがちひろに向かって片目をつぶる。


 「どうじゃ。お前さんよりこいつのほうが、よっぽど上手じゃ。

 文句は一切言わん。決して嫌がらん上に、わしの靴を踏む心配もない。

 愛しい奴じゃ、お前というやつは。

 よしよし、可愛いのう。もっともっと抱きしめてやるぞ。

 小便臭い18歳よりも、お前の方が、よっぽども愛しいのう・・・

 おっほっほ」


 くるりと最高齢のジジィが、スツールを抱えて華麗に旋回した瞬間、

女将が歌う芸者ワルツの曲が終る。


 「なんじゃ、もう終わりか。物足りんのう。

 こいつ(スツール)が、もう終わりですかと悲しがっておる。

 祐三。次はお前が歌え。

 ただし、デュエットだけは駄目だぞ。

 お前はスケベなうえに、すこぶる手が早いからなぁ。

 この間。助手席に乗せていた女はどこの誰じゃ。

 わしの眼には、女房を乗せていたようには見えなかったぞ」


 「長老!。女房じゃありませんが乗せていたのは、一番下の娘です。

 まいったなぁ。自分の娘を乗せただけで浮気と思われるのは、心外ですなぁ」


 「そう怒るな。

 普段からのおこないが悪いから、そんな風に世間から誤解されるんじゃ。

 世間の眼は、悪さをする者には常に厳しいからのう。

 いいから、サッサと歌え。

 ワシもパートナもこの通り、さっきから待ちくたびれておる」


 しょうがねぇなぁ、女将。前橋ブルースをかけてくれと祐三がマイクを持つ。

前橋ブルースも、群馬県のご当地ソングだ。

♪~よくにた人だというだけで、あげたくなるのよ心まで~

祐三が伴奏に乗って、渋い声で歌いだす。

♪~好いたふりしてあげるから、惚れたふりして踊ってね~とさらに歌う。

(なかなか上手じゃない、この人・・・)

ぼうっと聞き惚れているちひろの身に、とつぜん不幸が襲いかかる。


 歌っているから大丈夫だろうと、油断したのが間違いだった。

2番目の歌詞を歌い始めた祐三が、いつのまにか、ちひろの背後に回り込んできた。

ちひろの眼は、スツールを抱えて踊っている最長老の姿を追いかけている。

その油断がまた、命取りになった。


 大きな手が背後からいきなり、ちひろの尻を下から上へ撫で上げる。

「あっ!」大きな声をあげ、両手でお尻をカバーした瞬間、今度は

がら空きになった胸へ、大きな手がむんずとやって来た。

服の上からちひろの乳が、祐三の指に潰されるほど強く握られる。


 「あ、ああ・・・」なんともいえない情けないちひろの悲鳴が、

マイクを通して増幅される。

「な、なんじゃぁ・・・どうした?」スツールを抱えて踊っていた最長老の足が、

フロアの真ん中で立ち止まる。

振り返った最長老の眼に、胸を握られているちひろの姿が飛び込んでくる。

だが、ちひろを襲う暴漢は、もう一人いた。


 絶句したまま硬直しているちひろの背後に、もうひとり。

いつの間に忍び寄ったのか、トマトを作っている高橋と言う男がちひろの尻に、

ピッタリと張り付いている・・・

スツールを抱えたまま棒立ちになった最長老が、「やれやれ」と深いため息を漏らす。


 「馬鹿もの。だから、あれほど油断するなと言っておいたのに・・・。

 無防備すぎるお前さんが悪いんじゃ。

 何事も経験じゃ。次からはもうすこし上手に自分を守るために、

 工夫をするんじゃな。愚か者め」

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