26人目 超える夫婦の審査
コネ入社君と初めて会った日のことを思い出した翌日、私は思いつきでビスケットを製造している企業に面接の連絡を入れた。その結果、すぐに日程が決まり、門が消えた際の入社があっさりと認められた。
「いや~、あのとき怒鳴っちゃってね、それが恐くて内定を断ったんじゃないかと心配してたんだよ」
転職の手続きをしてくれたのは、かつて私たちを担当した面接官たちだ。あのときはコネ入社君のダルそうな態度に怒鳴っていたことを少し反省しているらしい。
とにかく、当時のコネ入社君の言動によって私のことも面接官たちにしっかりと記憶されていたのだ。そのおかげで雑談みたいな面接は盛り上がり、選考はスムーズに進んだ。
* * *
あの会見からもうすぐ3ヶ月が過ぎようとしていた。
間もなく、会見で言われていた門が消失する期限となる。
その日、私は早朝の担当だった。まだ太陽が昇らないうちから出勤して出界者の審査を行う。
……と言っても、誰も来ないが……。
かつて、この時間帯は日帰りで異世界旅行をする人をよく審査していた。しかし、今ではそんな人間は現れない。
施設職員の多くは早めに給料を貰って転職もしくは退職してしまった。現在、この施設で働いている人間の数は多くない。警備隊だけは今後何があるか分からないため人数を変更せずに常駐しているが、警戒すべき人物がいないため退屈そうだった。同じ場所をうろうろしたり、ストレッチをしたり……。
出界審査ゲートも、現在利用可能なのは2番ゲートだけだ。他のゲートは経費削減のために閉じてしまっている。
今日も誰も来ないのかなぁ……。
そんなことを考えながら、手元のホットコーヒーを口に入れる。
そのとき、
「……おはようございます」
え……?
出界審査ゲートに誰かが顔を出す。
見覚えのあるダルそうな目つき。
ダルそうな声のトーン。
その人物とは……、
「コネ入社君……?」
そこにいたのは、コネ入社君とロゼットだった。
彼は灰色のアウトドア用のジャケットを着て、大きなリュックサックを背負っている。
「アンタ、まさか今から異世界に行くつもりなの?」
その格好は完全に異世界へ出かける意思があることを示していた。
「はい……」
「いつ門が消えてもおかしくない状況なのよ? 分かってるの?」
「分かってます」
「もうこの世界には帰れなくなっちゃうかもしれないのよ?」
「大丈夫です。このことは家族や友人にも伝えてきましたし、万が一門が消えたときのマニュアルを妹に渡してきました」
「そういうことじゃなくって……」
「とりあえず、出界審査をしてくれませんか?」
「う、うん……」
どうして……。
どうして彼はこんな時期にこんな判断を下したのだろう。
自分は何か悪い夢でも見ているのだろうか。
困惑する私を無視するように、彼は自分とロゼットの分のパスポートと滞在計画書を審査カウンターに置く。
名前:影沼 清太郎
種族:人間
職業:異世界入界審査官
名前:ロゼット
種族:人間
職業:専業主婦
そこに記されている情報は、自分が知っているものと一致している。
滞在計画書に目を向けると、大聖堂への旅行計画が記されていた。
「旅行するの……? こんな時期に?」
「はい」
「行き先は……『大聖堂』? どうして今頃、そんな観光地に行くのよ……?」
大聖堂は有名な観光地で、かつてはそこへ行く異世界旅行者をよくチェックしていたものだ。コネ入社君が提示した計画も、同じようなものを何度か見たことがある。計画自体に不審な点は見られない。
しかし、今は時期が悪すぎる。門が消えようとしているのに、そんなことをしたら向こうの世界に取り残されてしまうかもしれない。
それに、コネ入社君が旅行するというイメージも浮かばない。どうして彼は急にこんなことを思いついたのだろうか……。
一応、彼は入界審査官ということもあり、向こうの世界の文化は熟知している。仮に取り残されても生き抜く可能性は高いかもしれないが……。
「そこに勤務する知り合いの僧侶から『そこを見に来ないか?』と誘われているんです。門が消える前の別れの挨拶も兼ねてるんですけどね」
「アンタ……悠長過ぎるわよ……」
「それで、どうですか? 書類の記入不備とか、不審な点はありますか?」
「……ないわ」
「そうですか」
このとき、私には彼の出界を止めさせるような合理的な理由を発見できなかった。
でも……無意識に彼を止めようとしている自分がいる。
彼にはこの世界に留まっていてほしい。
彼は私の持っていないものをたくさん持っている。
私はそれをこれまでたくさん見てきたし、それに魅力を感じてきた。
昔の自分なら考えられなかったが、今なら『彼は大切な人である』と胸を張って言えるだろう。
そう思いながらも、私は彼に促されて査証を発行してしまう。
「それじゃ、行ってきます」
「……本当に行くのね」
「……僕を心配してくれてるんですか?」
「す、少しだけだけど……」
「ありがとうございます……同期さん」
私は彼に査証を差し出す振りをして、少しだけ手を引っ込めた。
「え……?」
驚くコネ入社君。
きっと、このまま彼を出界させて門が消えたら、私は後悔してしまうだろう。
高圧的な態度をしてきた謝罪や、心の支えになってくれたお礼など、彼には言えてないことがたくさんあるのだ。
「ねぇ……こんなときぐらいは、お互い本名で呼び合わない?」
「急にどうしたんですか、同期さん……?」
「これがあなたと話せる最後の機会になるなら……私ね……謝りたいの。あなたに『コネ入社君』なんて酷いあだ名をつけたことを……」
私は俯き、心の中を彼に明かした。
「……今まで、ごめんね。影沼……清太郎くん……」
これが、私が彼にずっと言いたかったこと。
「大丈夫です。コネ入社したのは事実ですし、それに、僕はそんなに気にしてませんから……」
「清太郎くんは、優しいね。ホントに……」
ダルそうな外見からはなかなか想像できないが、彼には優しいところもけっこうある。迷惑行為をする異世界人には厳しく冷静に対処し、オフのときは他人に優しい……。
だから、私はそんな彼を尊敬していた。
もう少しだけ……彼とはこの職場で一緒に働きたかった。
「じゃあ、行ってきます。水無瀬美帆さん」
彼は私の手から査証を受け取ると、私の本名を口に出した。そして、妻であるロゼットの手を握り、2番ゲートを出ようとする。
「今まで、色々ありがとう。清太郎くん」
私は彼が出て行く寸前のところで、私はそう声をかけた。
これが最後かもしれないと思って。
本当は他にも色々言いたいことがあった。
でも、こんな言葉しか浮かばなかった。
「こちらこそ、ありがとうございました」
彼は振り返り、そう言った。
おそらく、彼は何に対してのお礼なのか分からなかったと思う。
それでも、何もお礼を言えなかったよりはマシだ。
そして、彼らは門へと向かっていく。
手を繋いだまま門の中へ入り、私からは見えなくなった。
そして、
「え……?」
瞬きした間に、門は消えていた。
そこにあるのはかつて門だった遺跡だけ……。
「とうとう……このときが来たんだね……」
彼らが門を通過した瞬間に、門の魔力が尽きてしまったのだろう。清太郎くんは異世界に取り残された。
でも、もしかしたら……それこそが彼の望みだったのかもしれない。
「……さよなら……コネ入社君……」
私の大切な人は門の中に消えてしまった。
気がつけば、私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
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