2人目 旅行帰還者の審査
僕が審査官になったのは1年前。就職活動でなかなか内定先が決まらないでいたとき、大学の同じゼミに所属していた先輩がこの仕事を紹介してくれたのだ。
「お前の何にも動じない性格が、この仕事に向いている」
僕は子供の頃から「リアクションが薄い」と言われてきた。大学時代でもその性格が変わらず、人間味が薄いと周囲から思われていた。紹介してきた大学の先輩は、僕のこういうところに目をつけたのだと思われる。そして先輩のコネで簡単に入社できてしまった。
そういう訳で僕はこの職場に勤務することになったのだ。
* * *
僕がゲートで審査するのは異世界からの入界者だけではない。こっちの世界への帰還者も審査の対象となる。こうした帰還者に紛れて、とんでもないものがこっちの世界に入り込むことがよくあるのだ。
その日、僕が担当する2番ゲートに異世界へ観光に出掛けていた旅行者が訪れた。旅行者は3人組で、僕は彼らの滞在計画書と全員のパスポートを受け取る。
「後藤武夫さんですね? 異世界観光からの帰りですか?」
「はい。そうです」
彼らは家族旅行で異世界に出掛けたようだ。父・母・息子の構成で、パスポートを見る限りでは、父の武夫は塗装会社の営業マン、母の絵梨は専業主婦、息子の和弥は小学4年生らしい。
門の向こうは中世ヨーロッパのような世界になっており、独特な建築様式の城や広大な草原、綺麗な泉などの美しい風景が多く見られる。こうした風景を見るために異世界へ出かける観光客はとても多いのだ。
僕は規定に従い、家族全員の荷物をX線検査機に入れた。特に不審な影は映っていない。念のため荷物を広げてみたが、違法な持込もない。
「荷物は大丈夫ですね」
「はい。規定書をよく読みましたから」
武夫は営業マンという職業柄か受け答えがしっかりしており、声もハキハキしている。絶対に僕には真似できないようなニコニコとした営業スマイルも眩しい。
「では、絵梨さんにお聞きします。向こうの世界ではどんなことをしましたか?」
審査官はこうして入界者全員に個別で質問を行い、滞在計画書に矛盾点がないか確認をするのだ。
「ええと、ますカンタレラ城下町で騎士団のパレードを見学して……それからその街の民宿で一泊して、近くの森で野生モンスターを見ながらハイキングしましたね……」
「森にはどんなモンスターがいましたか?」
「スライム系が多かったですね……水色でぷにぷにしたやつとか」
僕はチラリと手元のパソコンに目を向けた。会話の音声からパソコンが滞在先を検索して詳細な情報を出してくれるシステムが搭載されている。後藤一家の滞在先の情報が画面に表示されたが、発言に矛盾点はないようだ。
ここまで審査は順調で、仕事がスムーズに済みそうだと僕は正直安堵していた。
しかし、このとき誰も想像できなかった。
この次、息子の和弥への尋問でこのゲートが地獄絵図に変わろうとしていたことを。
「じゃあ、和弥くん。ちょっと僕の前まで来てくれるかな?」
僕の問いかけに対し、和弥は両親の後ろから動こうとはしない。自分から歩く気配を全く見せず、目が虚ろな状態でその場に立ち続けている。
人見知りか、照れ隠しか、それとも――。
「ほら、カズ、早くこのお兄さんの前に行きなさい」
彼は母の絵梨に腕を引かれて、ようやく僕とガラス越しに向かい合った。
「旅行はどうだったかな? 異世界は楽しかった?」
「……」
依然、和弥からの反応はない。疲れ果てた人間のように立ちながらぐったりとしており、顔面は蒼白で血の気が失われている。
これは明らかに様子がおかしい。僕は彼の身体をじっと見つめ、その動きを細かく観察し始めた。不審な点は、納得がいくまでじっくり審査しなければ。
「……質問を変えましょう」
僕は右手を彼の目の前に突き出し、指を3本立てた。
「僕の指は何本立ってますか?」
「……ぁ……ぅ……」
彼の口からは呻き声のようなものが聞こえる。
「ほら、和弥、ちゃんと返事をしなさい」
「……」
彼は父からの言葉にも反応を示さず、そこに立ち尽くしていた。
こいつ……まさかアレか?
そこで僕は自分の見解を後藤家に示した。
「あの、和弥くんはアンデッドに噛まれていませんか?」
「アンデッド……ですか?」
「ゾンビとかミイラとか、要するに不死者です。彼らに噛まれると自身もアンデッド化してしまうんですよ。心当たりはありませんか?」
「そういえば……森でのハイキングの途中、目を離した隙に和弥がいなくなっていて……あとで合流できたんですけど、怪我をしていて聞いたら変なおじさんに噛まれたって……」
やっぱりそうか。
これはもう、確定である。
「それですね。和弥くんが遭遇したのはアンデッドに間違いないでしょう」
「そんな……おい、和弥! 何とか言ってくれ!」
武夫は和弥を揺すった。しかし、和弥は無反応を貫く。
絵梨は涙ぐみながら僕に解決策を尋ねた。
「あの……審査官さん、何とかならないんですか? この子はまだ10歳なんですよ!」
「うーん、向こうの世界では聖水や光魔法で浄化しているらしいです。ただ、噛まれてから時間が経って完全に肉体が死んでいると、浄化しても死体に戻るだけで生き返ることはないようです」
「そ、それじゃあ早く聖水を……」
「和弥くんは噛まれてから何時間経ってますか?」
「えっと……6時間くらいだったと思います……」
「あぁ、もう手遅れかもしれませんね。今すぐ警備隊に連絡して隔離させます」
「隔離って、その後はどうなるんですか!」
「様子を見る限り、かなりアンデッド化が進行しているので、最悪、焼却処分という形に――」
「ほ、他に方法はないんですか!」
「ないですね」
「何なんですか、その態度は! もっと真剣に考えてください!」
これでも真剣に考えてるのだが……。
僕は態度や表情の変化のなさからよくこのように言われる。就職活動時代には面接会場に入った瞬間に「やる気はあるのか!」と怒られたことがあるほどだ。
焼却処分は少々残酷ではあるが、この国の治安を守るために必要である。僕はそれを淡々と警備隊に要請するだけ。そういう大義名分を背負っているから、命を見捨てる判断も軽く感じられる。
「頼む! 和弥! 返事をしてくれぇ!」
武夫は膝をついて和弥を抱きしめた。
このままでは、自分の息子が焼却処分に。そんな絶望感に駆られた父親が息子へ最後に見せた愛情だった。
「あの……一応、感染者は危険なので接触しない方が……」
僕は警告した。
しかし、
「審査官、この子は私の大事な一人息子なんです! 最期まで傍にいてあげたいんです!」
武夫は僕の警告を無視して、和弥を力強く抱きしめ続ける。
「和弥ぁ……うっ……うっ……」
「……ぁ……ぁ……ぅ……」
そしてついに和弥からレスポンスがあった。
「んあー……」
バグッ!
ブシャアアアアアア!!
和弥は武夫の首の動脈を噛み切ったのだ。
「きゃあああああああ!!」
絵梨は悲鳴を上げる。
「あぁ、やっぱりこうなっちゃったか……」
その様子を見て僕はぼそっと呟いた。
武夫の露出した血管から真っ赤な鮮血が心臓の鼓動にあわせて噴水のように飛び散り、周囲を血の海にしていく。僕と後藤一家の間にあったガラスは血で真っ赤に塗られ、僕からは彼らの様子が分からなくなった。
武夫は塗装会社の営業マン、さすが塗りの技術はお手の物だ。彼が人生最後に塗ったのは審査カウンターのガラスだったという……。まさか、塗装会社という勤務先がこの展開の伏線になるとは誰も思わなかった。
ガラスの向こうで起こる大惨事。
こういうときは警報を鳴らし、誰かに警備隊に対処してもらわなければならない。
僕はカウンターの下に隠されている警報ボタンを押し込んだ。
《2番ゲートから対処要請! 各員は直ちに急行し、ゲートの安全確保に回れ!》
ゲートホールに警報音が鳴り響き、警備部隊が現場へと突入する。
そのとき、無線で僕に連絡が入った。
《2番ゲート、審査官無事か? 応答せよ!》
「はい。無事です。おくれ」
《状況を説明する余裕はあるか、おくれ》
「異世界から帰還した家族の中にアンデッド。息子が感染、父親の首を噛み切りました。多分もう父親も助かりません。母は無事。おくれ」
《分かった。帰還者を焼却する。審査官は床に伏せて待機せよ、おわり》
「火炎放射器! 前へ!」
重装備の隊員がゾンビと化した後藤家の人間たちに向けて火炎放射器を発射した。武夫と和弥はゴウゴウと音を立てながら燃えていき、絵梨はその様子を涙を流しながら眺める。アンデッドを確実に始末するには、炎が一番有効だ。熱によって体内のウイルスごと肉体を破壊する。ウイルスを絶対そこに残してはならない。
そして武夫と和弥は黒焦げになって床に倒れ、十分焼却できたところで隊員は消火剤を彼らに向かって噴射し、ゲートでの騒ぎは一旦収まる。消火剤の青白い煙が、ゲートからもくもくと立ち昇った。
「2番ゲート審査官、大丈夫か?」
僕の安否を確認するため、隊員の一人が審査カウンターに入る。
警備隊のロゴが入った、奇妙な形のヘルメットを被った隊員だ。警備隊は常に対魔法仕様の重装備に身を包んでいるため、彼らの素顔はあまり見たことがない。
「うん、大丈夫」
「こちら2番ゲート、審査官の無事を確認、目立った外傷もなし! おくれ」
《今すぐゲートを封鎖、全職員を検査室へ誘導しろ。おわり》
僕は彼に肩を組まれながら検査室へ誘導された。こうして僕はアンデッドになっていないか検査を受けることになったのだ。
結果はもちろん陰性だ。
その後、ゲートは数時間に渡って封鎖されたが、翌日には業務を再開していた。
騒ぎがあった当時、僕が担当する2番ゲートは血液や煤で汚れていたはずだ。しかし封鎖解除後には綺麗に清掃され、何もなかったような状態で引き渡された。
武夫に対して、僕はちゃんと警告した。和弥も感染から既に数時間経過しており、ゾンビ化を止めることは僕にできなかっただろう。
一応、僕は最善を尽くしたつもりだ。
今回の事件は仕方なかったのだ。
* * *
そんなことを高校の同窓会で話したら、
「お前の職場、超危険じゃん! 今すぐ辞めた方が良いって!」
と言われた。
「うーん、でもどこか苦にならないんだよなぁ……」
「それはお前の頭がおかしくなってるんだよ! 精神科で診てもらえ!」
そう言われたが、現在精神科には行ってない。
こうして僕が審査官を続けられるのは「何事にも動じない性格」が活きているからだと思う。それは感情が麻痺しているからなのかは分からないが。
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