第2話 (2)ちひろは美声の持ち主

農協おくりびと (2)ちひろは美声の持ち主



 身長は、高からず低からず、見た目の器量は中の中。

ニキビの跡は見当たらず、どちらかといえば、肌は白いほうに入る。

運動は大の苦手。取り柄と言えばカラオケが上手なこと。

正確な音程と、マイクによくとおる声は、歌うたびに周囲から称賛される。

だがそれ以上のものではない。ただ凄いねぇ・・・と、ひとこと褒められるだけだ。


 プロになるほどの力量があるわけではない。

しかしちひろのよくとおる声は、何処で歌っても好評だ。

マイクを通して聞こえるちひろの声は、誰の耳にも心地良く響く。

だが。いまの農協という組織の中で、声が活かされるような職場は残っていない。

かつては有線放送電話というものが普及していた。

文字通り有線放送と音声電話が合体した、田舎ならではの便利なものだ。



 普及していたのは、昭和30年から40年にかけての10年余り。

当時。普及が始まった一般電話は、高価過ぎて貧しい農村部ではなかなか進まない。

そこで登場したのが、地域限定の「有線電話」なるものだ。

オペレータ嬢が農協の2階に作られた施設で、2交代で勤務に当たる。

役場からの連絡や農協の行事などを、全戸に向って読み上げる。

町外への通話は出来ない。回線が他の市町村とつながっていないからだ。

あくまでも同一地区内に限定された、放送と電話だけの回線だ。


 交換手が居る時間帯なら自由に、同一地区内へ電話をつないでくれる。

「残念じゃのう。お前さんは生まれてくるのが少しばかり、遅すぎたようじゃ」と

顔なじみになった長老が、ポツリと慰めてくれる。


 農協の業務には、昼間の勤務以外に夜の接待係なるものが有る。

少し可愛いとひんぱんに声がかかる。

愛嬌が良いと、呑み会の接待役として繰り返し何度も引っ張り出される。

業務だから行けと、上司から尻を叩かれる。

女子職員は安上がりで便利なコンパニオンとして常に指名され、こき使われる。


 しかし、油断は禁物だ。

農協の呑み会の場には、いかつい男たちが集まって来る。

かれらは真夏の炎天の日でも、寒風が吹き荒れる極寒の真冬でも、野外で働いている。

春夏秋冬がある日本の四季はただ美しい風景ばかりではなく、野外で働く者たちを

きわめて強靭に育て上げる。

農家はそうした人種たちの、トップに君臨している職業だ。


 最初のうちは、オヤジどもも上品だ。

だがアルコールがすすみ、酔いが回って来るにつれ、やがて本性を現してくる。

『いい声だねぇ~ちひろちゃんの声は』と称賛していたのも、つかのま。

肩を組んでデュエット曲などをうたっていると、突然、危険がしのび寄って来る。

オヤジどもの手が、ちひろの膨らんだ胸や尻を狙ってくる。


 『駄目!』といくら拒絶しても、図に乗ったオヤジたちの指先は執拗だ。

ネチネチと若い身体を、触りつづけてくるからどうにも始末が悪い。


 歳とった農家のオヤジどもに、セクハラと言う概念はない。

無理もない。彼らは赤線が公認されていた時代に、自分たちの青春を謳歌してきた。

赤線というのは、国によって遊ぶことが認められていた売春地帯のことだ。

1956年に売春防止法が成立するまで、売春は国の庇護の元、堂々と行われていた。


 もうひとつ。

農業のオヤジたちのおおくが、戦前の軍国主義教育を受けている。

ほとんどのオヤジが男を重んじ女を見くだす、男尊女卑の考え方も持っている。

民主主義思想をそれなりに身に着けているのは、敗戦後に生まれた昭和20年以降の、

団塊の世代からだ。


(3)へつづく


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