農協おくりびと
落合順平
第1話 (1)私は、ちひろ
農協おくりびと (1)私は、ちひろ
彼女の名前は、ちひろ。
何処にでも居る、ありふれた女の子の名前だ。
クラスに同じ名前の女の子が、同じ時期に3人いたことも有る。
ちひろはいたってのんびり屋だ。
高校3年になってもいっこうに、就職先を決めようとしない。
たまりかねた父親が、有機野菜を生産している叔父に
縁故就職を頼み込んだ。
人口が2万あまりの小さな町だ。
縁故で潜り込める職場と言えば、役場か、農協くらいなものだ。
父親はどこにでもいる、普通の勤め人。
だが、有機農法を推進している叔父は、農協に大きな影響力を
持っている。
縁故採用率トップをほこる職場、それが農協という団体だ。
農家が集まり、組織化された協同組合のことを、かつては農協と呼んだ。
いまは英語にかぶれて、JAという。
農協の数は(JA全中の集計によれば)、平成26年度で
2800あまり。
(JA全中とは。全国農業協同組合中央会の意味。扱いは特別民間法人)
JAは、Japan (ジャパン-日本) Agricultural (アグリカルチャラル-農業の)
Cooperatives( コーポレイティブス-協同組合)の略。
1992年。
何故か日本で、企業名をカタカナ化することが急速にすすんだ。
企業名を英語に変えるのも大流行した。
時勢に疎いはずの農協がこの流れに乗り、何故か突然、団体名を
英語に変更した。
昭和の中ごろ日本全国に、35000をこえる単位農協が
存在していた。
農業協同組合が全国に出来た頃、ひとつひとつが、それぞれ独立採算の単協だった。
当時の市町村の数がおよそ、3400。
実に10倍以上の農協が、日本の隅々に存在していたことになる。
運営の合理化を口実に、JA全中が強引に合併すすめた。
何度も合併を繰り返した結果、だんだん守備範囲の広域化がすすみ、
現在では10分の1まで数が減っている。
いままで有った建物や、単協が消滅したわけではない。
広域化したことでそれまで独壇場だった本店が、ただの支店へ格下げされただけの話だ。
農協は農家を相手に、たくさんの事業を手がけている。
「ゆりかごから墓場まで(すべてをカバーする)」
それが農協の経営方針だ。
農家人の出生から臨終のときまで、すべての生活面をあらゆる手段でカバーしていく、
それが農協という共同組合の絶対的な使命だ。
日本の農業のすべての利益を、根本から独占的に支配している総合商社のようなもの。
それがJAという、摩訶不思議な団体だ。
ちひろは高校を卒業する18歳まで、相思相愛の恋愛をしたことがない。
31歳を迎えた今でも独身のままだから、恋の実らない人生はいまだに
継続中だ。
だがこころの底で、密かに憧れた相手はいる。
いわゆる完璧な片思いだ。
恋した相手は、同級生の弘悦。
堅物風の名前からわかるように、由緒ある古寺のひとり息子だ。
高校卒業と同時に弘悦は、ちひろの前から姿を消した。
本人が希望していた通り、県都の町に出て、人命救助の消防職員になってしまった。
こうしてちひろは、告白のためのわずかなチャンスを失った。
気を取り直して働き始めた職場に、ちひろのメガネに叶うような男は
見当たらない。
ほとんどが縁故か、コネで就職してきた男たちばかりだ。
とにかく驚くほど覇気が無い。まったくやる気を見せない。
ほとんど勤労意欲を持っていない。
なぜかちひろと同じのんびり屋の、草食男子たちばかりが揃っている。
どんよりとした淀んだ空気が漂っている中。
超がつくほどのんびり屋のちひろの、社会人としての1年目がはじまった。
(2)へつづく
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