イリジウム

坂入

誰でもいいから

 鶏の首をナイフで掻き切り、あふれ出る血を魔法陣の中央に垂らす。男がナイフを持った手でコーリングサインを宙に描きながらネットでダウンロードした呪文を唱えると悪魔が召喚された。

「初めまして、お客様。本契約に従いお客様の魂のランクに応じた願いを三つ叶えましょう」

 思っていたのと少し違う文言が出てきたので男はオウム返しに訊いた。

「魂のランク?」

「契約書にもある通り願いを叶える対価としてお客様の魂を頂くことになっていますが、その対価となる魂の価値に応じて願いのグレートも変わるということです。詳しくはこちらに」

 ダークスーツに身を包みヤギの角を生やした悪魔はパンフレットを取り出すと該当ページを開いた。

「簡単に説明いたしますと凡人の魂は価値が低く歴史に名を残すような人ほど高価値となります。魂の善悪は問いませんのでより聖人であるか、より悪人であるかによって価値が決まると考えて頂ければ結構です」

「凡人の場合はどれくらいの願いになるんだ?」

「そうですね、例えば人を殺す場合一つの願いにつき一人までとなります。ところでお客様は三年ほど前に人を一人殺されていますね?」

 男はムッとした顔になり強い口調で否定した。

「殺してなどいない、あれは事故だ。確かに車を運転していたとき急に子供が飛び出してきたが俺はちゃんとブレーキをかけたし車も子供に接触していない。驚いた子供がその場で転倒して頭を打ったのが死因だと認められたから罪にも問われなかった」

「人間の法律による罪の有無に意見するつもりはありませんが、お客様の魂はその一件により価値を高めております。よってお客様が殺人を望むのなら一つの願いにつき二人まで選択が可能です」

「そうか」

 男はまだ不機嫌な顔をしていたが願いのグレートが上がったことにはまんざらでもない様子だった。

「なら早速一つ目の願いだ、妻から俺と死んだ娘の記憶を消してくれ」

「ふむ、それは構いませんが少し変わった願いですね」

「妻は死んだ娘のことが忘れられず自殺未遂を繰り返してる、こんなことが続くくらいなら忘れた方がいい。これから悪魔に魂を奪われる俺のことだって覚えていてもいいことなんてないさ」

「なるほど、それなら仕方ありませんね」

 悪魔が指を鳴らす。それで一つ目の願いが成就した。

「さて、二つ目の願いはいかがされますか」

「それももう決まってる、娘を殺した犯人を殺してくれ」

「犯人とはどなたのことですか?」

「それがわかってるならとっくに俺がこの手で殺してる。だが警察が捜査したにもかかわらず犯人は未だわからないままだ」

「残念ながらそれでは願いを叶えることはできませんね。〝誰〟を殺すか具体的に指名して頂かないことにはこちらとしても処理しかねます」

「思ったより融通が利かないな。なら願いを変えよう、娘を殺した犯人を教えろ」

「それもまた漠然とした願いですね。話を聞く限りお客様のご息女が殺されたようですが、まずは詳しくその状況をお教え頂けませんか?」

「わかった。あれはもう一年前のことだ」

 持っていた鶏の死骸を足下に置き、男は滔々と語り始めた。

「娘は高校に入学してすぐ春野さんと夏井さん、冬木さんという三人の友達ができた。ある日、娘は夏井さんと冬木さんの二人と一緒に春野さんの家に遊びに行ったんだ」

「ふむ」

「四人はリビングで映画を見ていたそうだ。そこに春野さんの兄が帰ってきて一緒に映画を見始めた。リビングには春野さんの母親もいたが夕飯の支度をするためキッチンに行ったらしい」

「リビングとキッチンは繋がってるのですか?」

「オープンタイプのキッチンだから実質リビングといっていい。そうやって映画を見ている途中で娘がトイレに行くと言って席を外した。しかし二十分ほど経っても戻ってこなかったのでおかしいと思って様子を見に行くと廊下で血まみれの娘の死体を発見したそうだ」

「血まみれということは刃物による殺害ですね」

「ああ、胸を何度も刺されていた。凶器の刃物はまだ見つかっていないがな」

「それなら物音がしたはずですがリビングにいた人達は気づかなかったのですか?」

「大音量で映画を見ていたから気づかなかったらしい」

「ふむ、つまり春野さん宅に侵入した犯人が廊下でご息女と鉢合わせし殺害に至った、と」

「玄関には鍵もかかっていなかったから最初は警察もそう考えていたが、新証言が出てきたんだ」

「と、言いますと?」

「ちょうど娘がトイレに行く十分くらい前に春野さんの家の前で自動車同士の接触事故が起きたんだ。軽い事故だったからお互いたいした怪我もなく、その場で警察が来るのを待っていた」

「つまり春野さんの家の前にその人達はずっといた、と」

「そうだ。そしてその人達は春野さんの家に入っていく人も出て行く人も見ていないと証言している」

「では玄関以外から出入りしたのでは?」

「いや、玄関とリビング以外は全て内側から鍵がかかっていた。犯人がまだ家の中にいることも考え家の中も捜索したが誰もいなかった」

「犯人が外から侵入したとは考えられない、それなら家の中にいた人が犯人となりますね」

「ああ、警察もそう考えた。だが五人のうち誰が犯人なのかわからないんだ」

「五人は娘さんがトイレに行った後もずっとリビングにいたわけですよね。何か怪しい行動を取った人はいないのですか?」

「春野さんと夏井さん、冬木さんの三人は並んでソファに座って映画を見ていたそうだ。だが春野さんは途中で母親に頼まれ、リビングの窓から出た先にある庭の洗濯物を取り込みに行った。春野さんの兄はソファの後ろにある椅子から映画を見ていたから三人は直接兄の姿は見ていない、ただキッチンの母親と何度か話しているのを聞いている。春野さんの母親はずっとキッチンにいたと言ってるがみんな映画を見ていたから兄と同じく直接姿を見ていたわけではない」

「それだと兄と母親はこっそり廊下に出て行くことができるように思えますね」

「ああ、それに春野さんも庭に出た後どこかの窓から家に入って娘を殺し、死体が発見されたときのどさくさに紛れて鍵をかけた可能性だってある。ソファに二人で座っていた夏井さんと冬木さんが犯人ではないのは確実だが、三人のうち誰が娘を殺したのかわからないんだ」

 そう言って悔しそうに歯がみする男を見て、悪魔は「ふむ」と言って顎に指を当てた。

「確認ですが、お客様の二つ目の願いは〝犯人を教える〟ことで宜しいのですね?」

「ああそうだ、何か問題でもあるのか?」

「いえ、そういうわけではありません。ただ、誰が犯人かなんて願いを使うまでもなくわかることだと思いましたので」


    ///


「なんだと?」

 男は悪魔に詰め寄り、掴みかからんばかりの勢いで訊いた。

「いったい誰が犯人なんだ、今すぐに教えろ!」

「ご息女は刃物で刺されて殺されたと仰いましたね」

「ああ、血まみれで死んでいたよ。それがなんだっていうんだ」

「そう、そこです。ご息女が血まみれで死んだのなら、当然犯人も返り血を浴びて血まみれになったはずなのです」

 あっ、と男は驚いた顔をした。

「血まみれの人がいれば当然警察も犯人だと思うでしょう、しかしそういう話は聞いていないので警察が来たときに血まみれの人はいなかったということになります」

「つまり……どういうことだ?」

「犯人はご息女を殺した後、返り血を浴びた服を着替え体についた血も落とし、服は凶器と共に処分したということです」

「しかし、そこまでやるにはかなり時間がかかるはずだ。そんなに長い間リビングからいなくなればさすがに誰か気づくだろうし、そもそも服を着替えたらわかるはずだ」

「その通りです。よってこの事件の犯人は外から来た人間ではなく、家の中にいて、リビングからいなくなり着替えていたとしても不審に思われなかったことになります。となれば考えられる答えは一つ──」

 悪魔は指を立て、口角を上げて笑った。

ということです」

「なっ……いや、確かにそれなら辻褄は合うが……しかし、なんでそんな……」

「お客様が三年ほど前に殺害なされた子供──当時まだ高校生だったその子の名字は秋本だったのでお気づきにならなかったようですが、春野さんは秋本さんの妹です。事故のあと親が離婚して名字が変わったのですね」

「えっ」

「当然、春野さんの母親と兄も秋本さんのご家族です。夏井さんは春野さんの従姉妹で、冬木さんは秋本さんの恋人でした。全員にご息女を殺す動機があります」

「待ってくれ、仮にその話が本当だとしてもなんで娘なんだ? 俺を殺せば済む話じゃないか」

「大切な人を奪われた苦しみは、大切な人を奪うことで晴らすのが筋でしょう?」

「────」

 男の体が斜めに傾ぎ、ふらつく。あまりの衝撃に頭が追いついていないようだった。しかし悪魔はそんな男の様子をむしろ楽しむように話を続けた。

「さて、そうなると少し困ったことになってしまいましたね。お客様の願いは〝犯人を殺すこと〟でしたが、今言った通り犯人は五人います。お客様の魂のランクでは一つの願いにつき殺せるのは二人までなので残り一つの願いでは二人までしか殺せません」

「…………」

「偶然起きた交通事故のせいで外部の人間を犯人と思わせることはできませんでしたが、それでも彼らは入念に準備をしていたようで今では五人とも海外に移住していますよ。居場所を突き止めるのは困難でしょうねぇ。警察に報告したとしても捕まえられるかどうか」

「…………」

「さて、どうします?」

 にやにやと薄気味悪く笑う悪魔。

 男は虚空を見て、それから手に持った鶏の血にまみれたナイフを見て、悪魔を見た。

「歴史に名を残せば──?」

 悪魔は無言で首肯した。

 手にしたナイフを強く握る。男は自分の魂がゆっくりと歪んでいくのを感じた。

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