第315話 『仮面を外して』

 

 俺は両手に抱きかかえた彼女の桃色の髪を髪をすくように指でなぞりながら、頬に触れた。同時にハッキリと理解してしまったんだ。


 もう彼女の瞼が開くことはないんだ、と。


 間に合わなかったのかと自問自答をし続けた。頭の中をぐるぐると色んな感情が渦巻いて吐き気がする。

 そして、自分の中でずっと違和感を抱いていたある言葉を思い出した。


 ーー『あのっ! 私を救ってくださるのなら、どうか結晶化した肉体を取り出してくれませんか?』


 どうして気付かなかったんだろう。俺の知ってるセイナちゃんなら、『救って下さい』なんて願ったりしない。

 自身の生命を削ってまで人を癒す聖女の姿をこの目に焼き付けたからこそ、俺は違和感を覚えたんだ。


「あぁ……君は……嘘をついたんだね……」

 神に届き得る怪物グランフニルから自分を取り出せば、こうなる事を彼女は知ってたんだ。そして、自分ではどうする事も出来ない無力さを噛み締めた上で、俺を『利用』した。


「ごめんなさい。私は……貴女と出会いたくありませんでした」

 突然聞きたくもない言葉が突き付けられる。でも、俺は驚かなかった。何度も目にした光景だからだ。


 俺の腕の中で眠る肉体の傍には、先程までとは違うセイナちゃんの霊体がどこか申し訳無さそうな表情をしたまま立っていた。


「……」

「私とシュバリサは悪魔デモニスと二つの契約をしました。一つは私が人を救う度に、生命力を削られシュバリサに食われる事。正確には契約した悪魔にですけどね。もう一つはシュバリサが人の命を奪う度に、私にその生命力が変換して吸収される事です」

 俺は無言のまま彼女の話に耳を傾ける。初めて会った頃からセイナちゃんに秘密があるのは『心眼』のスキルで分かっていた。


 自分から話してくれるまで聞くまいなんて考えていたからこんな事になったんだと、自責の念が胸を締め付けて上手く言葉を発せずにいる。


「その二つの契約を交わしたからこそ、シュバリサと私は歪な関係と共に主従となりました。そして、シュバリサは望んで契約を解除するまで、悪魔の『肉体』と『精神』を自由に使う事が出来たのです」

 どうしてピエロがあんなに不死身なのか漸く納得がいった。悪魔の不死性についで、セイナちゃんが人を治癒する度に生命力を補填できるのであれば、殺せる訳がない。


 精神と魂さえ現存していれば、新しい肉体を乗っ取る事も可能なのだから。


「どうしてセイナちゃんは、そんな馬鹿な契約をしたんだよ」

 彼女を乏しめるつもりはないし、責める理由もないけど、どうしても気になって聞いてしまった。でも、眉をクシャッと狭めて困った様に微笑みながら、彼女はその答えを話してくれた。


「罪滅ぼし……みたいなものですよ。最初は両親を失ったことで自暴自棄になっていただけかもしれません。でも、シュバリサが殺した人の命の分、私が人を救わないと……って何言ってるんでしょうね」

「……」

「あははっ……私が救った人を女神として戦場に送り出してるのに、ほんと……矛盾だらけです」

 この時なのに、俺はどうしてピエロが彼女を大切にしていたのか分かった気がした。俺なんかよりずっと脆くて、『女神』や『聖女』として役割りを与えられ、『仮面』を被らなければ、もうまともに笑えやしないんだこの子は。


 セイナちゃんは笑顔のまま、静かに涙を滴らせていた。何故かは分からないけど、俺はその涙を前にして自分が悲しいからと泣くことは許されない気がしており、真顔のままでいられた。


「確かにピエロとセイナちゃんは似てるね。いや、セイナちゃんのためにあいつは仮面を被ったのかもしれないな」

「レイア様には感謝しております。そして、私の身勝手な願いを受け入れて頂き感謝に堪えません」

「知ってたら、こんなこと頼まれても断ったよ」

「えぇ、分かっております」

 弱いと思い込んでしまっていた彼女の側面を知る。自分の目的の達成の為には、女神と崇めている俺でさえ利用するのは相当なものだと思った。


「俺も……セイナちゃんに出会わなければよかった」

 その言葉を受けて、セイナちゃんはどこか安堵した様な仕草を見せた。続いて口を開く。


「……それならば死する者の言葉など、その胸に刻まなくて良いのです。私は貴女に出会わなければ良かったなどと侮蔑の言葉を口にした、愚か者として忘れ去って下さい」

 また、その顔か。


「なぁ、さっきから自分が泣いてるの気付いてるか? 顔や表情、台詞に釣り合ってないぞ」

「ーーえっ⁉︎」

 ほら、仮面が少しずつ崩れたな。


「俺が出会わなければ良かったって言った時、どこか嬉しそうだったね。忘れて貰えるのが嬉しいのか? なら絶対に俺は君の事を忘れない! 寧ろセイナちゃんが如何に素晴らしい女性だったか本を書いて、同盟各国で売り捌いてやる!!」

「ななななななななななんでそんな結論に至るのですか⁉︎ 私は『女神』や『聖女』の名を騙った罪人なのですよ!」

 やっと素の彼女の慌てふためく顔が見られた。この調子だと俺の中のドS心に火がついた頃、タイムリミットが来てしまう。


「そうやって、本当の私を見つけてくれたのはレイア様だけでした」

 少しずつ彼女の霊体が光の粒子と共に天へと昇る。成仏とは違い、新たに生まれ落ちる生命としての準備期間を過ごす場所へ向かうからだ。


「あんなに料理が不味かった女の子を忘れる訳ないさ」

「それは……酷いですぅ……」

 これは本当に気にしてる顔だと、俺は慌ててサポートを入れる。


「セイナちゃんが救えなかった分まで、俺が弱い人を助けてみせるよ。怠いけど」

「最後の言葉がいりません! けど、レイア様ならきっと望めば望んだだけ人を救えますよ……私のような劣化品とは違いますから」

 俺はスカートを軽くたくし上げて一礼した後、膝をついて彼女の左手を握って甲に口づけをした。『女神の天倫』を発動して、より存在感を強めたからだ。


「貴女は誇り高き『聖女』であり、俺に『女神』としての在り様を教えてくれた偉大な人物だ。だからこそ自分を卑下する言葉を俺は認めないし、きっと死した後、『女神セイナ』として讃えられるに違いない」

「……ありがとう……ございます」

 俺は顔を上げなかった。上げてしまえば逝ってしまう彼女の表情を見て、行かないでと懇願してしまう気がしたから。


「さよなら……レイア様」

「さよなら……女神セイナ」

 俺の意図を与してくれたのか、彼女も余計な言葉は不要だと感じ取ってくれたらしい。


 ーーチュッ。


「えっ⁉︎」

 だが、突然額に何か柔らかい感触が触れた気がして思わず顔を上げてしまった。そして、見てしまう。


「これくらいの我儘……許してくださいね?」

「…………」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら困った様に微笑む彼女の表情は、さっきまでの聖女の仮面を被っていた時とは違って、酷く胸を打ち付けた。


「好きだよ……セイナちゃん」

「……ありがとうございます。とても嬉しいです……私も貴女を愛していました……」

「いつかまた神界で会おう」

「私にそんな資格はありませんが、最後に……シュバリサをお願いします」

「わかった」

 その答えを受けて満足したのか、彼女は消失してしまった。淡い光の粒が掌から溢れ落ちて昇り続ける。


 とても美しい光景だと思いながら、俺はいつのまにか降り注いでいた雨の中で見えない空を見上げ続けた。まだ見ているであろう彼女に、泣いてると思われないように。


 シクシクと、粛々と。


 __________


「……殺せ」

 暫くの時を棒立ちで過ごしていると、背後から聞き慣れない低い男の声がする。でも、誰だかは見なくても分かった。


 振り向いた先には、仮面を被らず漆黒の瞳で無表情のまま、こちらを見つめる只の青年がいた。


「精神体の癖に相変わらずしぶといね。それよりも俺に復讐しなくて良いのか? お前の不死身の種であったセイナちゃんはもういないぞ」

「……だからこそ、もう生きてる価値もない」

「ハハッ! 好きな女が死んだからってもう生きる意味を無くしたってか?」

「……あぁ、その通りだよ化け物」

 俺は目元に手を当てて挑発気味に嗤う。食いかかってくる位の気概を見せるかと思ったが、棒立ちのままの男は、最早既に『死者』そのものだった。


「お前なんてどうでも良いけど、セイナちゃんにお願いされちゃったからな。どう死にたい?」

「……この悪魔デモニスごと、食らってくれ」

「やだよ。俺がお前を取り込むみたいで気持ち悪いわ」

「それ以外にお前が俺を消滅させる術はない」

 四肢を切り裂いても、肉体を消失してもこいつは生霊の如く生き続ける。そう考えたら、確かに『闇夜一世オワラセルセカイ』で食らった方が楽な気がした。


「生きれば良いんじゃねぇの? それが大切な者を守れなかったお前の最大の罰にもなんだろ」

「化け物の分際でセイナに少しばかり事情を吹き込まれたからと同情か? 言っておくが、俺を生かせばお前の大切な者を必ず奪いにいくぞ。ーー例えばこれから生まれるであろう子供とかな!!」


 ーーブチンッ!!


「てめええええええええええええっ!! 俺の子と家族に手を出したら殺すだけじゃすまさねぇぞごらあああああああああああああっ!!!!」

 俺は怒りに任せて自然と『闇夜一世』を発動しており、無数の蠢く黒手を男へ向けた。そして目にする。


「やっぱり……私の勝ちですよ」

「……」

 黒手に食われながら不敵な笑みを浮かべたシュバリサは、そのまま虚空へと消え去った。俺は何故か煮え切らない気持ちになりながら、地面を叩く。


「確かに、俺の負けだな」

 最後の最後にして、感情に流されて俺は自分の欲を曝け出してしまった。セイナちゃんが言ったお願いは、きっとシュバリサを殺さずに生かしてという意味だったと思う。


 ーーそれを、奴は逆手に取りやがった。


 セイナちゃんのいない世界で生きる意味がないと本当に思っていたのだろう。だからこそ、俺に自分が死ぬ為の理由を与えた。

 そうしなければ自殺さえ許されないのだから。


「センシェアル。なんでだか今頃になって、お前が言ってくれた言葉の意味を理解出来たよ」

 永遠の生に価値は無いと言い放ったヴァンパイアの真祖は、きっとこんな事を何度も経験してきたのだろう。


 だからこそ、あいつにとってマイリティスちゃんはモノクロな世界に色をくれた『特別』だったんだ。


 俺はもう一度空を見上げた。いつのまにか雨は止んでいて、代わりに俺を心配そうに見つめる嫁達の姿が宙にあった。


 本当は泣きたくて、泣き喚きたくてしょうがない程に自分の無力さを噛み締めていたけれど、せめて、と笑う。

 こうする事で嫁達が抱きしめてくれるからね。


「みんな、心配させてごめんな。もう大丈夫だからね」

「「「「「はいっ!!」」」」」

 優しさと柔らかさに包まれながら、このあと俺は女神の肉体の進化を無理矢理止めていた代償を味わう事になる。


 でも、とりあえず眠ろう。なんだか疲れてしまったから。


 こうして、『俺』と『セイナ』ちゃん。『女神教』と『真女神教』の崇める『二人の女神』の話は終わりを告げた。


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