第278話 『聖女の悪夢』

 

 二人の女神がレグルスの王都シュバンへの帰路に着いている頃。ピエロ仮面の男シュバリサは帝国アロの王、バッシュハルの元へ赴いていた。


「ここまでは予定通りだ。よくぞ余の為に堪えてくれたシュバリサよ」

「……聞いてた話と違いますね。内容如何いかんによっては王の首を頂戴します」

 仮面の下から覗く瞳は漆黒に塗れ、激情に震える身体を抑え込む姿を見て、バッシュハル王は溜め息を吐く。


「貴様はもう少し冷静沈着な男だと思っていたが、どうにもセイナが絡むと我を忘れるらしい」

「私は彼の方を守護する者。その為にこの歪な肉体と力を手に入れたのですからね」

 場を包む空気が張り詰め、ピエロから溢れた殺気が冷ややかに対象の首元をなぞった。バッシュハルは仕方がないと呆れた視線を送りながら、本題を進める。


「ある程度の準備は整ったと見ていい頃合いだ。『アレ』を使って、速やかに東の国シルミルを滅ぼせ」

「ーーーーッ⁉︎」

「何を驚いているのだ? 貴様が悪魔の知識と生体実験で生み出した『アレ』の許可を出すと申している。女神セイナがこの国にいない今をおいて機会はあるまい」

「まさか……その為に敢えてセイナ様を攫わせたのですか⁉︎」

 困惑した声色を発するシュバリサを玉座から見下ろしながら、バッシュハル王は嗤った。


 この瞬間、道化は漸く、今回の女神誘拐の意図をハッキリと理解して肩を落とす。


「貴様の中にあった迷いを余が晴らしてやったのだ。存分に蹂躙の限りを尽くすといい」

「ですが、『アレ』はまだ未完成ですよ。正直制御出来ない力は身を滅ぼすと思いますがねぇ」

「その為の力を貴様に貸し与えよう」

 バッシュハルが手を翳して合図すると、背後から小箱を持った臣下が一歩前に進み出た。包みを開いて蓋を開けると、中に入っていた紫紺に淡めく宝珠をシュバリサへ差し出す。


「至宝『人形繰りの魂パペットマイスター』ですね。良いのですか? これは陛下が謀反を起こされた際の切り札だと思っていましたが」

「余は見てみたいのだ。魔獣とも、人とも呼べぬ新しい生物がこの世に生誕する姿を、な」

「そんな趣味がおありだとは、些か存じませんでしたねぇ……」

 道化と王は視線を流し、謁見の間より遥か下、城の地下に見据えた。暫しの沈黙が続いた際に、考えていた懸念はただ一つ。


(あの美しき銀髪の化け物が『アレ』の存在を知れば、滅びるのは帝国かもしれませんがね)

 シュバリサは、どうしてもその一言を忠言しようとは思えなかった。


 ーーそれは恐怖からか。

 ーーはたまた憤怒からか。


 どちらにしろ帝国アロの最初の標的は、東の国シルミルに決まったのだ。これまで王のリミットスキル『予知夢』によりヒラリと攻勢を躱していた側が、突如仕掛ける側へと回る。


 狙うは勇者カムイの首。戦の準備はバッシュハル王の命令により、既に始まっていた。


 __________


 その頃、レイアとセイナ、二人の女神は港町ナルケアを経由してエルムアの里に寄っていた。マッスルインパクトの団長キンバリーの家に厄介になり、妻のマイラが作る母の味に舌鼓を打っている。


「美味いぞぉ〜!! なんてゆーかお母さんの料理ってアレだな。日常的に作ってるからこそ生み出される料理人と違った深みがある!」

「あらあら。レイア様にそんな風に言われたら自慢できちゃいますねぇ」

「うん! マイラの料理は美味いから自慢して良し! この魚介類は干物にしてるのか? 今度やり方をクラド君に伝授しておいてくれ」

 あくまで自ら覚える気は無い。レイアは全ての美味しい料理のレシピと知識を、クラドの持つ『悟り』のリミットスキルに集約させる気満々だからだ。


 ーー『伝説のシェフクラド』プロジェクトは、着々と進んでいる。勿論当の本人は知らない。


「……本当に美味しいです。それに比べて私なんか……」

 一方、真横に座ってスープ啜る聖女の姿は暗い陰を帯びていた。船に乗っている間、レイアが腹痛に呻きながら、セイナの料理の不味さを延々と語ったのだ。


『信じられないです!』と意気込んで船の厨房に乗り込んだセイナは、レイアの介護の為に作った具材を柔らかく煮込んだスープを味見した途端、ーー気絶した。


「そろそろ元気だしなよ。俺も料理下手だしさ……紫にはならないけどな」

 ーーグサッ!

「アリアっていう俺の妻も似たようなものでさ。何を作っても紫になるんだよ。だから、これくらい平気だからね。ちょっと死にかけたくらいさ」

 ーーグサグサッ!!

「人間には向き不向きがあるんだ! 俺達は料理を作るんじゃなくて、食べる側の人間だって割り切って生きていけば良いんだよ……女としてはどうかと思うけどね」

 ーーグッサアアアアアアアアァッ!!


 トドメの言葉を受けて、セイナは地面に横たわりながら静かに涙を流した。レイアは敢えてキツい言葉を告げる事で、今後の被害者を無くそうと心を鬼にしたのだが、余計な邪魔が入る。


「セイナちゃん、で良いのかしら? レイア様はね、きっとわざとこんな酷い事を仰っているのよ。哀しい思いを糧にして人は立ち上がるの。料理だって頑張れば、きっと美味しく作れる様になるのよ?」

「〜〜ファッ⁉︎」

 驚愕するレイアの真横、マイラの慈愛に満ちた微笑みを受けて、セイナの瞳に再び燃え盛る炎が灯った。女神の名を語り続けた精神力は伊達では無いのだ。


「私……負けません! きっとレイア様に美味しいって言わせる料理を作ってみせますから!!」

(それって、君が作る度に食べさせられるってことですやん……オワタ)

 拳を掲げて意気込む聖女とは真逆で、次は女神が地に伏した。


 数時間後、マイラの指導を受けたセイナ作の『鶏鍋』が里の皆に振る舞われ、エルムアの里が地獄絵図と化した事件は後に、ーー『聖女の悪夢』として語り継がれる事になるのだった。


 第一の被害者は、勿論レイアであったそうな。

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