第137話 君の見る景色が、美しいモノで溢れます様に…
『貴方はとても優しい人ね。それが私にはとても辛い……この世界は残酷なの。その優しさはきっといつか、この闘技場で貴方を殺す刃へと変わるわ。どうか、非情な決断を迫られたら私を……』
(あぁ……そっか、ミクスは俺を裏切る前に、既に自分を殺してくれって遠回しに伝えてくれてたのか。あの時はそれにすら気付けなかったんだな。どれだけ心に余裕を持てなかったんだか)
『いつか貴方の見る景色が、美しいモノで溢れます様に……』
カムイは最早見馴れたベッドの天井を見つめると、ゆっくり身体を起こす。
「美しいモノか、約束は守れなかったな……」
「あら、何の話ですか? 美しいもの? この世界には沢山ありますよ」
「ティア……お前は本当に俺に対して遠慮が無いな。朝から運動すんぞ?」
「どうぞ? 一回解雇された私を貴方様の専属として戻してくれた恩に報えるのなら、この身体の一つや二つお好きになさって構いませんよ」
「その件については、この世界に来たばかりの俺が悪いと思った迄だ。まさかこんなに世話焼きになるとは、予想して無かったんだよ……」
「ふふっ! とにかく失礼しますね。ほら、そんなに泣いてちゃ話題の勇者としては、いらぬ噂を立てられかねませんよ」
メイドは寝起きの勇者の瞳から、溢れている涙を拭い去る。
「俺はまた泣いていたのか……」
「えぇ、悲しい夢でも見られていたのですか?」
「解らない。夢とはそんなもんだろう?」
「確かに……幸せな夢ならともかく、悲しい夢は覚えていない方が幸福ですからね」
「飯の準備は?」
「勿論できておりますよ。姫様達から睨まれるのは私なのですから、そろそろこの部屋で食べるのは止めてくださると嬉しいのですが……」
「最近は周りが煩わしくなってきたからな。正直この朝の一時だけが俺の癒しだ。ーーお前も居るしな」
「あら! 照れていらっしゃるのですか? 頬っぺたが紅いですよ? ウブな少年でもあるまいし、何度私を弄んだか分かりませんのに」
「五月蝿い! 取り敢えずこっちに来い! いつも通り一緒に飯を食べるぞ」
「はいはい。本来はメイドとご飯を食べる主人なんていないのですからね」
「俺は俺だ。そんなルールは今後作り上げる世界には無くなるさ」
先程まで無邪気な様相から一変したカムイは、邪悪な表情へ変貌する。
ーーそこへ。
「こら! また悪い顔してますよ! 食事中にそんな顔をしちゃ駄目って、何回言わせれば気が済むのですか? 少なくとも、そんな顔をした貴方様と食事はしたくありませんよ」
「お、おう! すまんすまん…… 無意識だった。気をつける」
「その台詞は昨日も聞きました。何回同じ台詞を言わせれば、理解して下さるのかしらね?」
「しょうが無いだろ! 俺はどうやら勉強が出来ないみたいなんだ……」
「これは勉強とは違います、マナーです! 勇者なんですから言い訳しない!」
ティアは、まるで教え子を叱りつける様に立ち上がり、人差し指を立てて諌める。カムイはうんざりした態度を取るが、先程までの醜悪な気配は霧散していた。
(こいつさえいれば、世界なんていらないのかもしれないな。ミクス、お前はいなくなってしまったけど、また大切な人が出来たよ……祝福してくれるか? そっちに行くのは、まだ先になりそうなんだ……)
「ほら! また泣いているじゃありませんか! 食事中に失礼ですよ? 私がいない方がいいなら、そうお申し付け下さい。直ぐに退がりますから」
席を立つメイドを慌てて引き止める。思わず腕を掴み、己の胸元へ引き寄せた。
「あっ、あのな。俺は過去に、大切な人を己の手で殺したんだ……それから、人の愛し方がよくわからない。この涙はその事を思い出した時に、勝手に流れちまう」
「…………」
「よ、良ければ、ティアがその、迷惑じゃな、なければ、この涙をこれからも拭ってくれないか?」
「???」
ティアは不思議そうな表情をし、カチューシャの隙間から頭を掻く。
「あの〜。それって毎日やってる事と、何も変わらないんですけど?」
「あっ! ち、違う! えっと……もういい、なんでも無い! 飯を食うぞ!」
「あらあら。泣いたり怒ったり、大変な人ですねぇ」
あらためて二人は同じテーブルに座り、食事中を取り始める。口には出さなかったが、ティアは己の主人の先程の台詞の意味を、しっかりと理解していた。
自然と口元が綻び、溢れそうになる涙を堪えるーー
(まだだ、まだこの人のいる前で泣いて心配をかける訳にもいかない。私は所詮メイド、今はまだ駄目!)
ーー必死で太腿を抓り、己を嗜めた。
「今日からしばらくはこの国唯一のダンジョンに篭るからな。たっぷり狩りをして、強くなって戻ってくるさ。大人しく待ってろよ」
「えぇ、気を付けていってらっしゃいませ。私は勇者では無く、貴方様のお帰りをお待ちしておりますよ」
「……俺は毎日聞くその台詞に、救われている気がするよ。ーーありがとう」
返事を聞かぬままに、気恥ずかしさから部屋を飛び出た。この後、ダンジョンに篭って己の経験値を高める為に、今は私情を捨てされと自身に言い聞かせる。
「待ってろよ。必ず戻る……」
城の廊下を歩きながら呟いた。約束取り付ける様に、叶う事の無い切実な願いを……
__________
『死霊腐の洞窟』
「もっと! もっとだぁぁぁー!」
ユートとマジェリスは、死霊相手に無双する勇者を見つめながらフォルネの護衛をしていた。ヘルデリックとアマルシアは同行したがったが断る。今回は己を高める事に集中したかったからだ。
更に、新しく己の手中に収めた二人の実力を測るいい機会だという謀略を抱いていた。
「俺が取り逃がした魔獣は、ユートが相手をしろ。マジェリスはスキルを使っていない状態では経験値不足だからな。フォルネの指示に従って、状況を判断して動け。フォルネ、下らない真似をしたら、ーー分かってるな?」
「お任せ下さいな。愚妹と言えどもしっかり死なぬ様に指示を与えましょう。お気になさらずに、魔獣を狩って己を高めて下さいまし」
「そうだぞ! 私は一人でも大丈夫だ! 気にせず進むといい!」
「姫様〜? そう言う台詞は、膝の震えを抑えてから言いましょうね?」
「なっ⁉︎ ユート! 今言わなくてもいいでは無いか馬鹿者! 意地悪!」
「はいはい。取り敢えず、こっちは俺が守るんで大丈夫っすよ! ダンジョンの経験もあるんで、カムイ様はレベルを上げにだけ集中して進んで下さい。着いていきます!」
「はははっ! 姫も形無しだな。任せたぞユート! 俺はひたすらに進む。今日中に、ダンジョンを制覇するのだ。来い『聖剣ベルモント』!」
身体が空中に浮かび上がると、胸から聖剣ベルモントが顕現する。聖なる光は、そのまま周囲を包み込み、『聖闘衣』として纏われた。
「「おぉぉ!」」
ユートとマジェリスは感嘆の声を上げる。それ程に、今のカムイは美しく強大な存在へ変化していた。
その後、部下達の心配など杞憂に伏す程の実力を発揮する。洞窟内の魔獣を殲滅し、最奥にいたランクAのドラゴンゾンビを一刀の元に消滅させた。
帰り道も経験値の為に敢えてゲートを使わずに、地上へと邁進する。
「凄まじいな。カムイ様の力こそ、英雄と呼ぶに相応しい」
「えぇ、お父様の力を確実に超えておりますわ。魔王の国レグルス攻略は、決して夢物語ではありません」
両姫が見つめ合い頷くと、ユートと共に後を追う。
ダンジョンをクリアし、『経験値倍加』による大幅なパワーアップを遂げた勇者は、最早本当にミリアーヌの中では、最強を名乗って相違ない実力を身につけていた。
胸を張ってシルミルの城へ帰還する。しかしーー予想だにし得ない、非情な現実が迫っていたのだ。
__________
「か、カムイ様! ティアが! ティアが何者かに殺害されました‼︎」
城に戻った途端に駆け寄ってくるメイドの台詞を聞き、途切れそうになる意識を必死で繫ぎ止める。
(こいつは何を言っている? 俺が城を離れた期間は三日程だ。前回の轍を踏まぬ様に、二人の姫も連れて行った。そんなことが起こる筈が無い。嘘だろ。おい、何の冗談だ?)
「てぃ、ティアはなんでし、し、死んだんだ?」
「分かりません。勇者様が出て行った翌日、部屋の清掃をしている際に、賊に襲われたとしか教えて頂けませんでした……」
「ヘルデリックううううううううううぅぅぅぅぅ〜〜っ!!」
その声は悲鳴でも怒声でも無く、最早獣の咆哮だ。周囲の者は耳を抑えるが、ダメージを食らって動けずにいた。その轟を聞いたヘルデリックは、すかさずカムイの元に駆け寄って跪坐く。
「ティアを殺したのは誰だ⁉︎」
「はっ! 現在調査中につき、詳細をご報告できる状況にありません!」
「誰に調査させている⁉︎」
「新たに選任された隊長五名ですが、如何が致しましたか?」
その報告を聞いた瞬間、下僕を蹴り飛ばした。余りの威力に部屋の壁を破壊し、外へ吹き飛ばされる。
「ガハァッ! い、一体何故……」
「てめぇぇぇ! 俺の下僕が殺されたなら、てめぇの仲間が殺されたも同然だろうが! 何部下に任せてんだ! 探せ、探せ、探せ、探せ、探せ‼︎ 犯人を探せえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーっ‼︎」
「は、はい! 了解致しました!」
荒れ狂う威圧が城中を震わせる。激情に身を任せて、あらゆる調度品を殴りつけて破壊した。その様子を見ていた者達は、恐怖に襲われながらも涙を流し続けている。
ーー血涙を流しながら天を睨み付けるカムイの泣哭が伝播したのだ……
__________
『二時間後』
冷静さを取り戻したカムイは、ティアの亡骸の横に佇んでいた。
「これさ、最下層のボスを倒した時に手に入れた『ローズリング』って言う指輪なんだ。裏切ったら、その指を切り落とすって呪いのアイテムらしいんだけど……きっと、お前なら着けてくれたろうな。なんで、帰って来たら死んでんだよ。俺……これから誰と、飯を食えばいいんだよ……お前のカレーは最高だったのに、誰が作ってくれんだよ……」
ーー屍に返事は無い。沈黙だけが場を支配した。
「う、う、う、うおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーー!!」
勇者はこうして『壊れた』のだ。残された善心は無情にも引き千切られ、闇が身体中を百足の様に這いずり廻る。
誰もが望まぬままに、破滅は始まった……
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